★☆4★☆
ゴラム市へきて四日目の朝。礼拝堂から出ると、突然横手から声をかけられた。
「あなたがクレネスト司祭様ですか?」
そちらを見やれば中年の男が一人。清潔感のある栗色の短髪で丹精な顔立ち、茶色の瞳がこちらを見下ろしている。
「はい、そうですが?」
クレネストがそう答えると、男は急ぎ足で目の前までやってきて、すぐさま頭を下げた。
「この度は、なんとお礼を申し上げればよろしいか! 私はミイファの父で、ウォルス・リールと言います」
ミイファの父と名乗るその男。そう言われてみればなんとなく、ミイファの面影がある。
彼の釈放のため、クレネストが口利きしたことを誰かから聞いたのだろう。
「はぁ、これはこれは……無事出所できたのですね。どうか顔を上げてください」
「あなた様のおかげだと聞かされました。それと……妻のことも」
「……それにつきましては、救助が間に合わず、なんとお詫びをすればよろしいのでしょう」
「いえいえ、あなた様が謝る必要はございません。憎むべきはテロを起こした犯人の方なのですから」
そう言ってウォルスは顔を上げ、後悔に満ちた表情で続ける。硬く握った両拳が震えていた。
「それに……私の軽率な行動で、あの子には大変つらい思いをさせてしまいました」
「もう娘さんとは、お会いになりましたか?」
「いいえ、今さっきこの街へ戻ってきたばかりです。まずはお世話になった司祭様にお礼を言いにと思いまして」
「そうですか……この時間だと彼女は学校だと思います。事情を私の方から説明致しますので、今からうかがいますか?」
クレネストがそう提案してみるが、ウォルスはかぶりを振った。
「お忙しいところ、そこまでお世話になるわけにはいきません。それに、迷惑かけた方々へのお詫びもしなければなりません。ですので、自宅で娘の帰りを待つことにしますよ」
「できるだけ早く、あの子に顔を見せてあげてほしいのですが――そういうことであれば、致し方ありませんね」
「お心遣い感謝します。では……お忙しいところ失礼しました」
そう言ってウォルスは一礼すると、教会から出ていった。
「よかったですね」
後ろからエリオの声。
クレネストは、一仕事終えたような脱力感とともに、両肩を落として長い息をついた。
「エリオ君……これでよかったんですよね」
「悪いはずがありません」
そう思いたい。これで一つ憂いはなくなった。多分、これは正しいことなのだ。
クレネストは胸の前で手を重ね合わせ、そう自分に言い聞かせた。
「なんぞお主ら、随分とややこしそうなことをしているみたいじゃのぉ」
頭の後ろで手を組みつつテス。
ミイファのことで何かあったのは、彼女も気がついているだろう。この子なりに気を使っているのか、積極的に聞いてこようとはしなかった。
「この街を出たら、テスちゃんにも何があったのかを説明しますね」
「ふむ、それはありがたいことじゃ。気になっては夜も眠られん」
おそらくは平気で眠るだろう――と、思いつつ、気を入れなおすかのようにクレネストは、軽く背を伸ばした。
「さて、です……これからがまた、忙しくなりますよ」
星動力は本日中に届く予定である。しかしながら、刑の執行停止を求める代わりに、今日を入れて三日間の滞在延長を命じられているのだ。すぐに出発することはできなかった。
滞在を延長された理由は単純――
普段のゴラム市星導教会は、決して人手不足というわけでもない。ただ化け物による犠牲者が多く、今は猫の手も借りたい状況なのだろう。
死者の弔いは教会の仕事である。埋葬待ちの遺体へ、腐敗防止の法術を施す必要もあった。
(ミイファちゃんのお母さんの葬儀も、おそらくは明後日……ちょうどよかったのかもしれません)
ミイファの親戚が住むオーランズピーク市やアルネモリカ村は遠い。手紙による連絡では、大幅に葬儀が遅れてしまうだろう。他の同じような状況にある人々も、遺体を安置している側も、これでは困る。
そこで特例措置として、被害者連絡網が設けられた。通信のための星動力も一時的な開放が認められ、遠く離れた親族にも、各通信局からの文面による配達で、すぐに訃報を知らせることができたのだった。ミイファの親族にも、昨日の時点で連絡がついていることだろう。
「死者の相手ばかりか……クレネスト殿は大変じゃのぅ~、でもテスは役に立てぬし、少々退屈じゃな」
「テスちゃんは私達にお構いなく、自由にしていてもよいのですよ? なんでしたらミイファちゃんのところへ遊びにいってもよいですし……でも暗くなる前には宿舎に戻ってくださいね」
「ふーむ、でもミイファ殿は学校よの」
「終わるのは午後三時くらいですね」
「あぅ……しかたがないのぉ、それまで適当にぶらついておるかぁ~」
「すみませんね――少ないですが、これで飲み物を買うなり食べ物を買うなりしてください」
言って、クレネストはテスの手にお金を握らせた。
雨は降っても人の列は耐えない。星導教会前――
灰暗い世界で、ゴラム市は悲しみに満ちていた。
「エリオ君、平気ですか?」
「精神的には相当――でもなんとか大丈夫です」
防腐処理作業は特に過酷である。なにせまともな状態の遺体が極端に少ない。
どれもこれも腹を引き裂かれ、食われてしまった後の者ばかりだった。
加えてこの暑さだ。既に腐敗が始まっていた遺体もあるのだ。安置所は決してよい空気ではなかった。
言っているクレネストさえも顔が青く、足元がおぼつかない。
「これも聖職者としての義務ですから――とはいえ、これでは体が持ちません。少し休ませてもらいましょう」
「そ、そうですね」
エリオもげんなりと肩を落とし、元気なく同意する。
うしろ姿が萎えきっている二人は、教会の中へ入り、まっすぐ休憩場に向かった。
椅子に座るやいなや、エリオは白い丸テーブルの上へ突っ伏した。
そんなだらしない態度の助祭を咎める余裕もなく、クレネスト自身も背もたれに寄りかかってぐったりと脱力する。
「どうしたのよ二人とも~」
女性の声。一呼吸置いて、どすんという音がする。クレネストは視線だけ動かしてそちらの方を見た。
テーブルの上に載っている二つの立派な胸。どうしたらそんなに大きくなるのか是非知りたいものだった。とはいえ、恥ずかしくてとても聞けない。どすんという音は、それがテーブルに乗っかった時の音なのだろう。
男はこういうのが好きなのだろうか? やはりエリオも大きい方が女らしいと考えているのだろうか?
(いえ、そうではなくて……ですね)
疲れているせいか、思考が変な方向へそれてしまった。
見れば向かい合うエリオとクレネストの間――テーブルの上に身を乗り出し、訝しげな表情でこちらを除きこんでいるアステナがいた。
「なんだかいまにも吐きそうな顔してるわね」
「はぁ……私達、そんな酷い顔なのですか?」
アステナが、どこから取り出したのだろうか――無言でクレネストの前に手鏡をかざす。
髪がボサり、肌も青白く、眠そうというより死にそうな顔が映った。
「はぅっ」
ぐてっと、思わずクレネストはテーブルに突っ伏した。
着飾ることには無頓着な彼女でも、さすがにこれは、あまり人には見せたくない顔であった。
アステナのため息が聞こえる。
「まぁ、休んだ方がよさそうなのはわかるけど、なにしてたのよ?」
「ご遺体に、防腐法術を施してました」
それを聞いて、呻くように納得の声を漏らすアステナ。
「あーそれね、私は昨日当番だったけど、あれはなかなかにキツかったわ……」
一日も経てば、防腐の法術はその効果が消えてしまう。そのため、一日ごとに防腐法術を施す必要があった。現在、教会員が持ち回りで、その作業にあたることとなっている。
もっとも、クレネストがその気になれば、かなりの期間をもたせることもできた。当然のことながら本人は、それをやる気は全くない。変に期待されて、できうる限りの遺体に……とか言い出されては、気がおかしくなりそうだからだ。
少女は突っ伏したまま、それに対して特になにも言い返さず。
しばしの間をおき――アステナが声を潜めて続けた。
「でも、亡くなった方達の中には、知り合いも結構いたのよね。死んだ助祭の子も、私の助祭だったの」
クレネストは重い顔を上げた。
横目に見れば、尊大で強気のアステナ司祭。そんな彼女が、自虐気味に笑みをこぼし、さらに続ける。
「あなたみたいに、私がもっともっと強ければ、死なせずにすんだのかしら?」
「……そうですね」
「はっきり言うのね」
「ただの事実です。実際に私ならどうにかできたでしょう」
「じゃあ彼が死んだのは私のせい?」
どこか探るような目つきで、アステナがこちらを睨む。表情からは、何を期待しているのか検討はつかないし、どのような感情を含んでいるのか――それを考えるのはもっと苦手だ。
怒らせたのか、悲しませたのかすらわからない。だから事実だけを羅列する。
「そのようなことはありません。能力以上のことができないことについて、あなたに責任はありません。あなたの助祭が亡くなったのは、あくまでテロリストの責任です」
クレネストの言葉が、一区切りするごとにアステナは頷き――言い終えると、目をつぶって黙り込んでしまった。
自身の力不足で助祭を死なせてしまったのではないかと、それで悩んでいるのだとしたら、これは感情の問題だ。やはりこんな一般論では、納得させられないのだろうかと、クレネストは内心気を落とす。
心を慰めるような言葉は全くわからない。思いつかない。
「僕もクレネスト様のおっしゃられる通りだと思います。アステナ様にはなんの責もございませんでしょう」
エリオがよろよろと顔を上げ、額を手で押さえつつ言った。具合悪そうに頭を振る。
アステナはうっすらと目を開き、彼の方へ視線だけ向けた。
しばらく睨むように見ていたが、やがて肩を落とし嘆息する。
「助祭君にそんなこと言われるなんて、私もヤキがまわったかしら?」
「あ、いえ失礼」
「別に怒ってないわよ。ただ……クレネスト司祭みたいに、せめて星痕杭でも使えてたらなって、ちょっと後悔してただけ」
そう言ってアステナは、拗ねたように口を尖らせた。
「はぁ、星痕杭ですか……」
クレネストは小さく呟き目を伏せる。そのことを言われると、かなり複雑な気分だ。
戦闘とは男がするもの――という意識がノースランド国では強い。星痕杭の練習を女性司祭がおこなえば、周りから変な目で見られてしまうだろう。女が聖なる武器で遊ぶなと、上からも怒られる。
「女の身では、何かとうるさいでしょうね」
「そうでしょうね。でも、男共はなにやってたのよって話でしょ? 戦闘訓練していながらこのザマ? 恥ずかしいにもほどがあるわ! テロひとつまともに鎮圧できないなんて、星導教会の威信に関わる問題よ!」
平和になった現代に、戦闘訓練などといってもナマクラ同然である。今の教会は、昔のような聖なる軍隊ではない。ボケてしまっても仕方がない話だ。やる気のある者などごく少数。
「これからは、せめて私の助祭には厳しく叩き込みたいし、それならまず、自分ができないと話にならないわ!」
律儀なことである。加えて、そういうところの自尊心は――やはりとても高いのだろう。やるからには、助祭以上に上手くできていなければ、気が済まないに違いない。
「ええまぁ、そうですね」
どこか言葉に熱を帯びているアステナに比して、クレネストは冷めた声で同意する。
すこし気分が楽になってきたものの、まだ本調子ではない。
「そういえば、あなたはどうやって星痕杭の練習したのかしら? こっそりと、ってわけにもいかないでしょ!」
「……いえ、あの……えっとです」
勢い込むアステナの声が大きい。クレネストは思わず肩をちぢ込ませた。
星痕杭が扱える女性など、あまり社会的に体裁がよくないのだ。周囲の様子を気にしつつ、小声でアステナに答える。
「前回の巡礼中に、とある事件に巻き込まれまして……滅亡主義者の過激派と戦闘になってしまったんですよね。その時、負傷した殿方から拝借しまして、すぐに実戦で使ってみたんです。仕組みはわかってましたから、飛ばすだけであれば、それほど難しいことではありませんでしたよ」
「ふむふむ……って、いきなり実戦で使ったの?」
「最初はなかなか狙い通りにいきませんでしたから、法術を組み上げるまでの牽制程度に使っていたのですよ」
と、アステナに説明しつつ、視線はあさっての方向へ向けるクレネスト。
実際は変に狙いが外れて、近くにいたパトリック司教の足元に着弾したり、帽子を貫いたりしてしまった。後で物凄い怒られたが――
「それで、なんとなく勘所がわかりまして、大きい的になら当てられる程度にはなったのです。さすがにエリオ君ほど器用には使えませんけど」
「なるほどね」
「……でもやはり、大変危険な武器ですので、しっかり模造杭で練習するのが理想ではありますよ」
アステナが身を起こし、首をひねってうなる。
色々と策を弄している顔に見えるが結局のところ、それができるかどうかは彼女の胆力次第だった。とはいえ彼女のような気性の荒さ――もとい勢いがあれば、もしかしたら社会的風潮を変えるような、そんなこともあるのかもしれない。
「あー、まっ、なんとか考えてみるわ……邪魔したわね」
「いえ……」
「それじゃあまたね」
そう言ってアステナは、二人に背を向けた。やはり忙しいのだろう、足早に立ち去っていく。
彼女の背を見送った後、クレネストは顔を前に戻し、ゆっくりとうつむいた。
率直にいって、星痕杭の話などどうでもよかった。それよりも、なにをどうしたらああなるのかが不思議だった。
少女の目に、自分の胸の小さな膨らみが映る。同じ人間のはずなのに、何故あれほどの差が生じるのだろう。思わず言葉が漏れた。
「あれはやはり、食生活の違いなのでしょうか……?」
「えっ?」
「いいえ、なんでもありません」
両腕をだき――なんとはなしに胸の辺りを隠すクレネスト。
困惑するエリオを他所に、なんだかよくわからないため息が出てしまった。