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「司教様! 司教様はおられるかぁ!」
しんみりとした教会本堂に大声が響く。同時にざわりという音の波紋が広がり、人々の視線が声の主へと向けられた。
そこには、どこか顔色のよろしくない軍警官の男が立っていた。肩を上下させて荒い息をつき、額に大量の汗を浮かべている。
その様子から、また何かよからぬことが起きたのではないかと、エリオは渋面になった。
「ただ今この場は、人々の悲しみに満ちております……どうかご静粛に願います」
近くにいたクレネストが進みでて、やんわりと軍警官にそう注意した。
司祭の法衣を身にまとった彼女を見て、男は一瞬おどろいた表情を浮かべる。が、すぐに姿勢を改めると、頭を下げて謝罪の言葉を口にした。
「こ、これは大変失礼をいたしました……それで司教様はおられますか?」
「はい、カシア司教様でしたらこちらに」
言ってクレネストは、祭壇の方を手で示す。既にカシアも気がついているようで、こちらの方へ向かって歩いてきていた。かなり渋い表情で――
軍警官が敬礼したのを見てから、司教が口を開く。
「私が司教のカシアだが、いったい何事かね?」
「お忙しいところ恐縮です。私は軍警察隊のフォックスという者です」
「フォックス君か、それで?」
「はい、さきほど事件が発生しまして……それでなのですが……えーと、その……なんとご説明してよいものやら」
フォックスという軍警官は、そこで言葉を詰まらせた。しばらく待っても呻るばかりで言葉がでてこない。
カシアが眉間にしわを寄せた。
「なんだ? はっきりとしないのか?」
「は、はぁ……それが、言って信じて頂けるかどうかわからないのですが……」
「かまわん、言いたまえ」
「わかりました」
彼は周囲を気にするように、左右に視線を動かしてから、声を潜めて続けた。
「本日五時頃、中央通三番にて奇妙な事件がおこりまして」
「奇妙な事件?」
「子供の生首に翼がついた……としか言いようないのですが、そういう奇妙な生き物が現れたのです」
司教の肩眉が跳ね上がった。傍で聞いていたエリオとクレネストも、互いに顔を見合わせた。
「それと――その人面鳥? とでもいいましょうか……それが止まっている足元に、子供のものと見られる首なし遺体が放置されていまして、いやはやどうしたものかと」
身震いしつつも、そう言葉にするフォックス。
聞き終えたカシアは自身のアゴをなでまわし、両手の平で顔をなで、最後に頭をコンコンと叩いた。
「念のため聞いておくが、お前の頭は正常か?」
「……は? いえ……ですから――信じていただけるかどうかわからないと申しました。現在、その通りを封鎖していますが、我々ではどうにも対処に困りまして――それで星導教会ならば何かご存知かと」
「う、うーむ」
さすがに司教も、困り顔で首をひねった。
無理もない。現実にそんなことが起こりえるのだろうか? という話だ。
先日の化け物と比べても遥かに面妖で、信じがたい話しである。
エリオは、あまり関わらない方が良いのではないかと思った。やはりこの警官はちょっとおかしい人で、妄言を言ってるだけでは? ――と。
「あの、よろしければその件……私が現場を確認してまいりましょうか?」
エリオはぎょっとした。どういう風の吹き回しか、クレネストがそう申し出たのだ。てっきり関わりを避けるものとばかり思っていたのに。
カシアの方も意外そうな表情で口にする。
「むぅ、君がか? 大変物好きなことだが、なにか心当たりでもあるのかね?」
「いえ、それはわかりませんけど、最低でも事実確認をする必要性があるのではないか、と思いまして」
「うっ……むぅ……それもそうだが」
そう提案する彼女に、カシアは思案顔で腕を組んだ。
司教としては面倒ごとを増やしたくはないという思いがあるのだろう。ただですら忙しい。
かといって立場上、このまま何もしないというわけにもいかないはず。
思ったとおり、やがて彼はため息をつくと、口を開いた。
「よろしい。この件は君にまかせよう」
その言葉に、クレネストはうやうやしく両手をそろえて一礼した。
雨が止んだ。雲は未だに天を覆ったままで薄暗い。暑さと湿気でよどんだ空気が重く、確かに面妖な生き物が現れそうな雰囲気ではある。さぞかし街は静かになってることだろう。そう、エリオは思っていた。
が、いざ大通りに出てみれば、道は人で溢れていた。ヤジ馬というやつであろうか。先日、得体の知れない化け物に襲われたばかりというのに、呑気なものである。
フォックスが人垣を分け、その後ろからエリオとクレネストが続いていく。
ほどなくして、立ち入り禁止をしめす黄色のテープが見えてきた。三人がそこを潜り抜けた先にそれはいた。
通りの中央――そこでうごめく奇怪な生物――
エリオは背筋に悪寒が走るのを感じた。硬直しようとする体をなんとかぎこちなく動かしながらも、右手で自分のほっぺたをつねる。
「痛っ!」
「あなたは何をしているのです?」
クレネストの呆れた声。どうやら夢ではなさそうだった。
それは虚ろな瞳に半開きの口。血の気が抜けた幼い男の子の顔。その首から下にあるべき胴体がなかった。代わりに頬の辺りから鳥の足が生え、耳のすぐ裏から黒い翼が左右対称に生えている。
翼をバタバタとさせ、おちつかない。広げた時の翼の大きさは、大人が手を広げたよりも大きそうだ。
更に、その奇怪な鳥が止まっている足元には、これもまた軍警官が言っていたとおりのものが転がっている。
体の大きさから見て子供のものと見られる遺体。その首から上がない。
「これってまさか、この生首の?」
「はぁ……なんというむごいことを」
彼の言葉を肯定するかのように、クレネストが苦々しく呟いた。
「つまり、ひょっとしてこれは、あれによるものですか?」
「……ええ多分、あなたの想像通りだとおもいます」
(やはり禁術か)
エリオは身震いする。
今さらながら、禁術の恐ろしさ、禁忌とされている理由を実感した。
不可能と思われるような現象を引き起こす。人をこのような姿に変えてしまうこともできる。
死してなお、醜悪な姿へ変えられてしまった男の子。哀れ無残に転がる胴体。
嫌悪か怒りか、どうにも我慢ならない感情が突き上げてきた。
「クソっ、なんて悪趣味な!」
エリオは見えない犯人へ叩きつけるように言った。禁術がどうのという以前に、とても人のすることとは思えない。
「まだ子供じゃないか! なんの目的があるのか知らないけど最低だ! 最低のクズだ!」
「はい、問題はその目的ですね――」
激昂するエリオとは対照的に、静かなクレネストの声。
こんな状況でも、眠そうにぼぅっとした態度は相変わらず。彼女は後ろ手を組みつつ、ゆっくりと怪鳥へ近づいていく。
「あのっ、少々危険では?」
エリオは不安げに声をかけた。
信頼していないわけではないが、彼女にもしものことがあっては大変だ。
と――
「ガがガ……キピー……プー……」
クレネストは足を止め、目つきを鋭くする。エリオは彼女の前へ出て身構えた。
これは怪鳥の鳴き声――とでも言うべきなのだろうか? ザラザラと砂をこぼすような雑音と、笛に似た音が不規則な音程を刻んでいる。
怪鳥の口から漏れ出すその音は、おおよそ生物が発声しているような感じではなかった。
どうやって音を出しているのかはわからないが、しばらくその状態が続く。
困惑する周囲の人々が見守ること数秒、突然音が消えた。
皆の表情がそのまま固まる。
……
「ププ、の、のーすらんど……ぐんけい……さつ、しょ、しょくん」
怪鳥が人の言葉を喋りだした。
見守っていた軍警官達が、一斉に顔色を失う。
エリオもあまりの異様さにうろたえた。さすがに喋りだすとまでは思わなかったのだ。
怪鳥は、そんな彼等の反応などおかまいなしに、さらに言葉を発する。
「わわわ我等は――はせせせい会だだだ! どどど同志をかかいかい解放せよ! わわ、我等が同志を解放せよ!」
翼を大きく広げて威圧してるつもりなのだろうか。妙に甲高い声音でなにやら要求をしているようだ。
「我等が同志?」
「開放ですか」
エリオが言って、クレネストが続いて言う。
どもっていて、よくは聞き取れないが、多分『はせい会』と名乗った。聞き覚えのない名前だが、組織的な犯行ということだろう。
「はせい会? さん。私の声が聞こえますか? 同志を開放とはどういったことでしょう?」
クレネストが対話を試みた。言葉を発するならば、たしかにそれも有効かもしれない。
が――それを無視するように、怪鳥はバタバタと、また翼を無意味に羽ばたかせ始めた。
なかなか次の言葉を発さない。
変に時間が過ぎていく――
あまりのじれったさに、エリオは声を上げた。
「何か言ったらどうなんだ! こんなことしてただですむと思うなよ!」
「エリオ君、落ち着いてください」
「し、しかしですねぇ!」
「とにかく黙って様子を見ていましょう」
エリオは渋々言われた通りにする。
いつの間にか怪鳥が翼をたたんでいた。今度は足を動かし、体の向きを変え始めたようだった。
やがて顔の部分がこちらの方を向いた。怪鳥はそこで動きを止める。
光を灯していない子供の目が二人を見つめていた。その口が動き出す。
「女の声がすると思えば、その髪その瞳……お前には見覚えがあるな。星導教会の司祭だったのか? わりに若いが、まさかジャナンダの奴は、こんな可愛らしいお嬢さんに捕まったのか? だとしたら情けない話しだが、まあそれはともかくだ」
さきほどとは打って変わって、流暢な子供の声が発せられた。
「な、ななななんだこれ!」
「ですから、エリオ君落ち着いてください。何者かがこれを通して話しています」
エリオはきょとんとした顔で、クレネストを見下ろした。
(こ、これも禁術の力ということか――)
なんだか、いちいちうろたえているのも情けなくなってきた。
固唾を呑んで見守る軍警官達と、警戒する二人を前に、続けてそれは口を開く。
「我々は星への復習者。星を砕き滅ぼし、人類を苦しみの連鎖から解放する正義の使者。『砕星会』だ」
「やはり滅亡主義者かっ!」
エリオは汚いものでも見たかのように顔をしかめて言葉を吐いた。
ろくでもない連中の中の、さらにろくでもない連中。過激派組織。イカレきちがい共の巣窟。
「滅亡主義者か……この国の、口うるさいだけの腰抜け共と一緒にしないでもらおう! 我々は既に数十人の子供を人質にしている!」
「なっ! あ?」
耳を疑う発言。場の空気が一瞬凍りついたかのように思えた。
エリオは石畳に転がる遺体と、怪鳥を交互に見比べる。
心臓の鼓動が次第に大きくなっていく。そんな嫌な感触、予感。ざわめきが身体を駆けめぐる。
「よく聞け軍警察諸君――先日、痩せた裸の男が、お前たちの手によって捕らえられたはずだ。あれは我々の同志である。子供達を無事に帰して欲しければ直ちに開放せよ。日没まで猶予をやろう。ただし、一〇分遅れるごとに一人づつ処刑する」
「き、貴様っ!」
なんと卑劣極まりないことか。エリオは奥歯を噛み、こぶしを振るわせた。
周囲の人々のどよめきが波紋のように広がり、場の緊張が一気に加速する。
「に、日没まであとどのくらいだ!」
「二時間程です!」
「署に連絡を!」
軍警察達もあわただしく動きはじめ――
フォックスが申し訳なさそうに、頭を下げて言う。
「すいません! 折角きて頂いたのですが、その……」
クレネストは組んでいた手をとき、短く息をついた。
彼女はどうするつもりなのだろう?
非常に腹立たしいことではある。だからといって、ここから先は軍警察の仕事だ。
やるべきことが定まった以上、自分達がこの場にいる意味はあまりないのではないだろうか?
後はこのことを司教に報告さえすればよい。それでこの件は終わり――常識的にはそのはずだった。
けれど、クレネストは首を小さく横にふって口を開く。
「ご覧の通り、犯人は怪しげな術を使う可能性があります。ですので、私達も引き続き協力したいと思うのですが? 念のためにですけど」
「うっ……な、なるほど――」
彼女の言葉にフォックスが呻き、エリオは静かに笑みを浮かべた。
表面上、理屈で取り繕ってはいるが、やはり彼女とて放ってはおけないのだろう。特に禁術絡みであればなおさらだ。ヴェルヴァンジー村事件のようなことを起こしてはならない。
手のひらを拳でうち、エリオは気合を入れなおした。
人質の安否を確認したい。
軍警察の要求を、破星会は意外にあっさりと承諾した。
飛び立った怪鳥に案内されること十数分。
町を外れたその先には、階段状になった石の山がそびえ立っていた。
ゴラム市・石段山公園。旧石切場であり、公園として再生されたらしい。
綺麗な階段状にくりぬかれた山肌は、さながら古代遺跡の建築物のようでもあった。
平地には、抽象的な石のモニュメントが飾られ、綺麗な石畳の道も整備されている。ところどころ植林もされており、人工的な中に有機的な雰囲気の混在する独特の景観となっていた。
雲間から見えてきた夕日に照らされて、どこか懐古的な時間が流れる。いつもはそういった穏やかな場所なのだろう。
だが今は――
「探せ! 探せ! 公園を閉鎖しろ!」
けたたましい怒号を上げる大人数の軍警察に驚いたのか、散歩していた爺さん婆さん達が凄まじい形相で逃げ出していく。
公園入り口には黄色いテープが張られ、騒ぎを聞きつけたヤジ馬達は外へと追い出された。
「いたぞ! あそこだ!」
「クソっ! なんてこった!」
気がついた数人が痛恨の声を上げた。
彼らが示す先は、十段はあるであろう石山の頂上。そして、そこから二段ほど下の場所にも――
エリオは目を覆い、クレネストは口を覆った。
頂上には、黒服の男が四名。ここからでは奥が見えないので、まだまだいるのかもしれない。子供達が囲まれている
下の段には、六名の子供がいた。全員木の柱を背負わされ、衣服は身に着けていない。その両脇には、先日ゴラム市を襲った二匹の人狼の姿。
一段目に怪鳥が降り立った。集まってきた軍警察を見おろして言う。
「さぁ、妙な真似をすれば子供達は即バケモノのエサだ! おとなしく我々の同志を解放せよ!」