四章・因果の行方
テロリストである破星会の要求を軍警察が飲むことはない。これは国家としての原則である。
日没前に彼らを包囲し、強行するだろう。はたして何人の子供が犠牲になるのだろうか。
公園の広場に集まり、浮かない表情で『人質救出作戦』を立てている屈強な男達――そこへクレネストは、静かに声をかけた。
「その作戦、少々お待ち頂けませんか?」
隊員達が振り返り、こちらを注目する。
同時に戸惑いの気配が彼等に広がった。
「む? ええと、司祭殿……ですよね? どうかされましたか?」
いささか場違いながら、こちらの服装から察したのだろう。彼らの中心となっている人物――隊長とおもわしき男がそう言った。
クレネストは、半眼を少しだけ起こして答える。
「犯人達がいる石山の周囲に、術の気配を感じるのです。おそらくは、術式回路を使ったなんらかの罠であると思われます」
「ふむ、罠ですか。それは例えばどのようなものですか?」
「感じている気配は、我々の接近を探知するための術的視界と思われますが、残念ながら具体的なことは……ですが、現状のまま強行しますと、あなた方にも甚大な被害がでないとも限りません。彼らはこちらが強行することも見越しているということでしょう」
「む……なるほど――それではどのようにすればよろしいので?」
「私が先行して、まずはその術式回路を無効化してきます」
彼女のその言葉に、隊員達がざわめく。不可解そうに首をひねり、頭をかき、肩をすくめ――
隊長も難しい顔を隠さず、首を振って口を開いた。
「罠はともかくとして、奴等に気づかれる恐れがあるのでは?」
「そのような危険性はつきものです。ですが、安全に術式回路を無力化するためには、書き換え作業をしなければなりません」
クレネストがそう言うと、隊長は口元を曲げて、自分のこめかみを指でつついた。
軍警察にはこの作業はできない。かといって、やはり若輩者と見られているのだろう――隊長の男は渋い表情で、彼女の顔をうかがっては思案している。
無理もないのだが、クレネストは小さくため息をついた。続けて口を開く。自分としては少し大きな声で、
「私ならば、術の視界を誤魔化して接近し、書き換え後も正常起動しているかのようにみせかけることもできます」
「……自信がおありなのですか? 失礼ですがあなたはまだお若いし、ご無理はしていませんか? あなたの身にも危険がつきまとうのですよ? 下手をすれば命にかかわります」
「はい、重々承知しております。ですが、今から他の司祭、あるいは司教様を呼んでくる時間はありませんでしょう」
その言葉に隊長がうなり、自身の顎をなでつつ首をひねった。
上目づかいに、こちらの顔色をうかがっていたが、やがて――
「日没までさほど時間もないし、それ以外方法はなさそうか……仕方ない」
小声でそのようなことを独りごちる。
彼はひとつ、鼻で息をついてから口を開いた。
「ではクレネスト司祭殿、ご助力をお願い致します。我々にできることがあれば、遠慮なく申し付けてください」
階段状に切り抜かれた山は、まるで巨人専用の階段にも思えた。一段一段が大人の背の高さの倍はある。
当然ながら、真正面から上っていくというわけにはいかない。となれば、裏側へ回るということになる。
山頂へと続く道。現在は立ち入り禁止で殆ど人が入らないのだろう。せりだした岩や樹木の間に、かろうじてそれらしき物が見える。
「ありました。あれですね」
普段とあまり、代わり映えのしないささやき声のクレネスト。音だけ小さくして言った。
それを聞いたエリオが目を細め、彼女の見ている方を凝視する。
乱雑な岩と草木だらけで、ここから見るだけではわからないだろう。その中に術式回路が隠されているのだ。
「申し訳ありません。僕にはさっぱりわかりません」
「はぁ、そんなにしょげないでください」
肩を落とすエリオに、そう言葉をかける。
彼が未熟すぎるというわけではない。術的視界を探知する法術は極めて高度であり、セレストでも自分以外にあと一人、できる人物を知っているくらいだ。
この罠は確実に看破されない自信があるだろう。確かに、普通であればそれは正しい。
唯一、自分が今ここにいたことが、彼等にとっての誤算である。
クレネストは、他に罠がないかを警戒しつつ、そこへと近づいた。
エリオが息を飲む。ここまで近づけば彼にも見えているだろう。
岩陰に無造作に置かれた棒状の物体。適度に汚れており、遠目にはわからず、近くで見てもただのゴミと勘違いしてしまいそうだった。
「やはり思ったとおりですね」
「思ったとおり……ですか?」
「これは純粋に、爆発を引き起こす禁術です。彼らはやはり、最初から釈放など期待していません」
「それはつまり……」
「軍警察隊をおびき寄せ、子供達もろともこの山を吹き飛ばすつもりでしょう」
「っ――」
エリオが絶句し、表情を険しくする。
実際はもっとえげつないかもしれない。山頂付近には視界の気配がないからだ。山の周囲を焼き払い、手前にはあの化け物。逃げ場をふさぎ、なぶり殺しにしようという意図が見えてくる。
彼のそんな反応を見やりつつ、クレネストは冷めた声音で続けた。
「ようするに報復……ということでしょうね」
「ですが、それでは山頂にいる彼らの仲間も一緒に」
「下からではよく見えませんでしたが、本当に彼らは山頂にいるのでしょうか?」
「……黒服の男達が見えましたが?」
「下からではよく見えませんでした。カカシか何かに服を着せていただけということも考えられます」
「それでは子供達が逃げてしまうのでは?」
「あの化け物が見張っているのかもしれませんね」
「な、なるほど……」
「さて、あまり話をしている時間もありません。さっそく無力化しておきます」
そう言うとクレネストは、いつもながらの流れるような手つきで印を切っていく。
まるで気軽な日常会話でもするかのように、淀みなく組まれていく術式。ほんの数秒で法術が完成した。棒状のそれへ向けて施行する。
回路の表面に、淡く光る文字が浮かんでは消えるを繰り返し――
「終わりました」
クレネストが呟くと、エリオが大きく息を吐いた。
見た目に変化はなく、術的視界は一帯を覆ったまま。術式の一部に手を加えただけである。これで破壊の術式は機能しない。
「意外とあっさりできるんですね」
「はい、他にも沢山ありますので急ぎますよ」
クレネストはきびすを返し、足早に山頂方向を目指した。
いつの間にか、まばらになった雲の向こう側。隙間から覗く太陽は、山脈の裏へと落ちようとしていた。空に残る僅かな青紫色の明かりも、程なくついえるだろう。
軍警察隊もこれ以上は待ってはいられまい。しびれを切らし、そろそろ強行にでる時間だ。
(敵が動く前に決着をつけます)
石山の頂上。クレネストは翠緑の瞳を走らせた。
切り抜かれたのであろうその場所は、平らな石の地面が左右に大きく広がっている。ここまで上ってしまうと、周りを遮蔽するような草木は生えていない。向こう側の地面は途切れている。
その一角に、沢山の小さな影と、四つの大きな影が見えた。
奥にいるのはさらわれた子供達。手前にオオカミづらの化け物。
崖ぎわに立っている黒服は、クレネストが睨んだそのとおりに――下からでも見えるように立たされていた子供もカカシだった。
クレネストはそれだけ確認すると、印をきりながら走りだす。
「ちょっ、クレネスト様!」
「まずは目の前の化け物を倒します」
術式回路を無効化したとはいえ、視界は生きたままである。軍警官隊が突入を開始すれば、破星会側はすぐにそれを察知し、貼り付けになっていた子供達を処刑するだろう。阻止するためには、ここにいる自分達で奇襲を仕掛けるしかなかった。
堂々と近づいてくる少女へ向かって、化け物達が威嚇のうなり声を上げ身構える。
「どいてください」
呟き――ガラスでもなぞるかのように、クレネストは手の平を左から右へと水平に動かした。
特に何かの衝撃も、音も光も発さないが、変化はすぐに起きた。
「グ? グガァ!?」
がくんと膝を折る化け物達。そのまま一斉に、へたりこんでしまった。
「これは!?」
「エリオ君、早く倒してしまってください!」
疑問を漏らすエリオに、クレネストは叱咤の声をかける。
アステナが使っていた方法の応用だったが、それを彼に説明している暇はない。
化け物はまだ生きているし、封じたのはその脚力だけである。
足を止めずに走り抜けようとするクレネスト。倒れている化け物の一匹が腕を伸ばした。
彼女はとっさに身をひねる。
「くっ!!」
体はかろうじてかわしたが、宙に遅れて残っている長い髪の毛をつかまれてしまった。
走っていた勢いもあって、仰向けに転びそうになる。
素早く足を後ろ側に引いて体重を支え、不完全な体制ながらも印を切ろうとした。
「クレネスト様に触るな! 化け物が!」
それよりも先にエリオの怒号が聞こえた。同時に豪風、そして二条の青い光。
一つは化け物の腕関節に、一つはその頭を正確に打ち抜いていた。
風で暴れる法衣を押さえながら、なんとか体制を整えるクレネスト。
際どい距離を抜けていった星痕杭に、さすがに少々の寒心を禁じえない。
とはいえ――
(エリオ君、凄いです)
彼なりに相当の修練を重ねたと見える。あの距離からこうも正確に狙えるなど神業ともいえた。これならば、後ろを安心して任せられそうだ。
化け物の手を振り切った彼女は、再び駆け出す。
青い光と風の衝撃を感じながら――
驚いた視線を向けている子供達の間を抜けて、石切り場を見下ろせる位置へ到達した。
と――
「な、なぜ貴様等がここにいる!」
焦り混じりの声と、羽ばたきの音が聞こえた。
突然崖下から飛び出してきたその生き物は、一度クレネストの頭上高くへ舞い上がると、空を旋回しはじめる。
「どうやってここまできた!」
子供の顔を胴体にもつ怪鳥が、ヒステリックに声を張り上げた。
星痕杭の光と音に気がついて、慌てて様子を見にきたのだろう。
「さて?」
とぼけるようにそう答えると、クレネストは崖下に視線を落とす。
階段状になっている山の、いち段挟んだその下。手足を木の柱に縛りつけられている子供達が見えた。
身動きはとれないだろうが、かろうじて首だけはまわせるのか、全員がこちらをすがるような目で見上げている。
(可愛そうなことを……)
女の子、男の子が三人づつ、年齢は十歳前後。男女関係なく公衆の面前に裸体を晒されて、たとえ助かったとしても、この恐怖と羞恥が深く心を傷つけることだろう。
激昂する熱さとは違う、薄ら寒い怒りが沸いて来た。
「さがりなさい」
左右にいる化け物へ向かって、クレネストは風の法術を放つ。
それは正確無比に、無駄がなく、しかし十分な威力をもって、化け物二匹を段上からはじき飛ばしてしまった。
石の階段を転げ落ち、遥か下の方でそれ等が止まる。
軍警官隊が、その周りに集まってくるのが見えた。
化け物といえど、あの高さから落とされては無事では済むまい。そちらは彼らにまかせてよいだろう。
「はぁ、少々怒られてしまいそうですが……」
呟き、クレネストは星痕杭を一本、胸元から取り出した。
一応の体裁として、突入の合図だけでもしておかないと、なおさら後々うるさいだろう。
頭上にかかげて、それを打ち出す。
ヒョロヒョロと弱々しく、歪な青い光のスジが上昇していき――
やがて軽い破裂音と共に、大きな光の弾が現れた。
日は落ちて、雲間に星々が見え隠れした。
ランタンの、ぼんやりとした灯かりの中に人々が集まっている。夜の公園。
石山から戻ったクレネストはというと、さっそく隊長に呼び出されて、厳重注意を受けてしまった。
とはいえ、子供達が全員無事ということもあり、彼の態度もそうきついものではなかったのだが。
園内を見回せば、泣きじゃくる子供達の姿。
わが子を見つけた親達が抱きしめ、一生懸命宥めている。
「お疲れ様でした」
と、説教から開放されたクレネストに、エリオがそう言って頭を下げた。
それをしばし、小首をかしげつつ凝視し――それから視線を空へと移して彼女が口を開く。
「あの鳥の様子はどうですか?」
「はい、どこかへ飛び去ってしまいまして、どこへいったのやら」
「そうですか、また人質が取られないか心配ですね」
「今は相当に警戒していますから、滅多なことはないかと」
「で、あればよいのですが……」
クレネストが心配そうに呟く。
子供の無事を喜ぶ親達には申し訳ないが、まだこの街が安全になったというわけではない。
破星会が潜伏しているのだとすれば、まだ何かを仕掛けてくる可能性がある。
彼女は小さく息を吐き、後ろ手を組んだ。
「では、ひとまず教会に戻り……」
クレネストが言いかけたその時――
「ミイファは! ミイファはいないか!?」
大きな声と聞き覚えのある名前。クレネストとエリオは、反射的に声の方へ顔を向けた。
見れば必死の形相で園内を歩き回る男が一人。
「ウォルスさんではないですか」
クレネストがそう声をかけると、ウォルスは驚いた表情を浮かべた。
「あなたはクレネスト司祭様! なぜこのような場所に?」
「いえ少々……それよりもです、ミイファちゃんがどうかなさったのですか?」
クレネストが問いかけると、ウォルスは青ざめた表情で視線を落とす。
「それが、こんな時間になってもミイファの奴がまだ帰ってこないんです。近所を探していたところ、この騒ぎを聞きつけまして」
クレネストはちらりとエリオの方を見た。目が合った彼は小さく首を振る。
自分の方も、さらわれてきた子供の中にその姿は見ていない。
もっとも、ミイファがいれば気がつかないはずもないだろう。
「助けた子供達の中には、ミイファちゃんはいませんでした」
「そうですか……では一体どこへいったのやら」
不安に揺れる声でウォルスが言う。
「テスちゃんと一緒なのでは?」
エリオの言葉にクレネストは頷いて、ウォルスの方へと向き直った。
「私のつれが、ミイファちゃんと一緒だったかもしれません。宿舎に戻っていると思いますので、私達はそちらを確認してきたいと思います」
「では、私はとりあえず一度自宅に戻ってみます。ミイファの奴が帰ってきているかもしれませんので」
「はい、何かわかり次第ご連絡いたします」
言ってクレネストは、闇に沈んだ街の方へと目を向けた。