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(一体何者なんだ、あの娘は)
全身黒ずくめの男マルコは、動かなくなった怪鳥を見下ろして、未だ信じられない状況に考えあぐねていた。
視界は正常に起動していたはずだ。これは間違いが無い。回路が故障してるなら視界など取れるはずもない。
破壊の術式も全て起動させてみたが、発動することはなかった。術式になんらかのミスがあったとしても、全ての回路がそうであるなど有り得るだろうか?
脳裏にあの娘の意味ありげな反応が思い浮かぶ。
やはりあの娘が、なんらかの小細工をしたように思えてならない。
術的視界に察知されず、破壊の術式を封じる手段――
(そのようなことが……できるのか? バカなっ! あれは禁術だぞ!)
視界の方はともかく、破壊の術式は禁術なのだ。星導教会にどうにかできる代物ではない。
だが、現実に術式は起動すらしなかった。
これは紛れもない事実だ。
「マルコ様、いかがいたしますか? ここにあまり長居していては危険かと思われますが」
同志の一人がそう言った。
ランプと石壁の薄暗い部屋の中、陰気な表情の男女十数人が自分の指示を待っている。
たしかに彼の言うとおり、長居は無用だろう。報復に固執する必要性はない。
軍警察に街周辺の街道を封鎖されては厄介だ。
(手土産もあることだし、ひとまずそれで満足するべきか――)
あの娘のことについても、いま考えたところで答えはでないだろう。
「そうだな、口惜しいが仕方がない。予定通り本国へ帰還する。残りの子供達を荷台へ移せ」
マルコがそう指示を出すと、彼の同志たちが一斉に行動を開始した。
ゴラム市を出ると、そこは山あいを抜ける寂しい夜道が続く。
初めてゴラム市へ訪れる者がいたとしたならば、こんな山奥に街などあるのだろうかと思われるかもしれない。
街路灯くらいは設置されているようだが、どちらにしても点いていないので全く意味はなかった。
そのため、辺りの闇は相当に色濃く深い。
頼りになる光源といえば、星動車の青白い灯りだけであった。
三台の乗用車に一台のトラックが列を成して走っている。
その中の、前から二番目の星動車にマルコは乗車していた。後ろにはトラックともう一台が続く。
(完璧とはいかなかったが、目的の方は十分か)
運転席側の後部座席で、マルコはゴラム市での活動結果を整理する。
ノースランド国という巨大な先進国家を相手にしたテロ活動。混乱に乗じての誘拐行為はついでである。
禁術を組み込める新型術式回路と薬物、催眠を用いて、実戦の中で化け物達をどの程度コントロールができるのか、その検証と戦力の把握が主な目的だった。
拉致した者達を化け物へ変え、戦力として使うこの計画。
普通に禁術を使ったのでは、化け物の姿を維持していられる時間は短い。ほんの数分で元の姿に戻ってしまう。また、自我もそのまま残っているのである。
そこで、術式回路を用いて化け物の姿を維持する方法が考案された。これならば星動力の続く限り術式の効果が持続する。自我の方は薬物で壊せばいい。人間であれば一日で死んでしまうが、化け物であれば薬物の副作用にも耐えることができる。
しかし、従来の術式回路では、術式分解で発生した膨大な量の術式を記憶することができなかった。
この国の滅亡主義者――滅亡真理教の天才技術者、リギル・ジェスタの手によって作られた、超高精細の新型術式回路。その技術を入手することができたおかげで、ようやく禁術を術式回路に記憶することが可能となった。
今回はその試作段階で、化け物の力もそれほど強力なものではない。今後はより強力な禁術を用いて、化け物の軍隊を組織する計画だ。
(これでなんとかメドが立ったな)
ジャナンダが捕まってしまったのは誤算であったが、あれは運が悪かったとしか言いようがない。
あのような娘がいては――
車窓の外、暗闇の中にその姿を思い浮かべていると、
「マルコ様、たしかゴラム市の星動力は停止しているのでしたよね」
ふいに、運転している同志がそう言った。
彼が何を言おうとしているのかよくわからないが、とりあえずマルコは口を開く。
「ああ……最近ステラの星動力変換施設が何者かに破壊されたらしいな、それがどうかしたか?」
「市を出る時に見えたのですが、思いのほか灯かりがあるような気が?」
「大きな通りの街灯や重要施設には供給しているらしい」
「いえ、一般住宅の辺りにもチラホラと灯かりが見えましたので」
彼の言葉にマルコは首を傾げた。
金持ち特権階級という言葉が真っ先に思い浮かぶものの、星導教会はその点の公平性について非常に厳しい組織のはずである。ましてステラと星動力は、奴等の宗教の重要部分でもあるため、世間的に後ろ黒い扱いを絶対に許さないだろう。
では他に、何かやむを得ない事情でもあるのだろうか――
「確かに不思議ではあるな、どういうことだ」
「気のせいかもしれませんが、普通の星動灯に比べて赤みが強いように見えました」
「赤み?」
「はい、白いは白いのですが、どことなく赤いというか黄色っぽい感じというか、実はあのような色の光を発する星動灯に見覚えがありまして」
「ほぅ……どこでだ?」
「昔、我々の実験施設が襲撃されたことがありますが、その時に侵入してきた奴等が使っていた星動灯の色とよく似ています」
マルコの片眉が跳ね上がった。
もう、何年前になるだろう。そこは拉致してきた子供達を収容し、様々な人体実験を繰り返していた施設であった。
自分はその時、本部の方に滞在していたため、襲撃者がどのような相手だったのかを見ていない。
治安維持部隊が動いたという話もなかったので、何らかの裏組織の仕業であろうか。
なにかと滅亡主義者は、そういうところから目をつけられやすい。
「お前はあそこにいたのか、よく生き残ったな」
「気絶していたのを死んだものと勘違いされたのでしょうかね?」
言って彼は、乾いた笑い声を漏らした。
「ふむ……まぁ無事でなによりだったが――それとこれが何か関係があると?」
「そこまではなんとも言えませんね。ただ、なんとなく思い出しましたので……」
(赤みのある光か――)
マルコは後ろを走るトラックの方へ顔を向けた。
トラックの前照灯は青白い光を放っている。これが普通の色だ。色のついた半透明な何かを間に挟まないかぎり変色などしない。
それ以前に、星動力の供給されていない住宅街で、どうして明かりが灯るのか。
考えても答えはでない。そもそもどうでもいい話なのかもしれない。
が――
(もしかしたら、なにか繋がりがつかめるかもしれないな)
相手の正体がわかれば対抗措置、あるいは報復もできよう。
そう考えてマルコは、ゆっくりと顔を戻そうとした。
戻そうとして固まる。
急に、まさに唐突にそれは起きた。
まず耳にしたのは破裂音。
続いてガクっと傾くトラック。
いったい何事か。一瞬、背中にぞくりとした感触が走る。
不自然に車体を揺らしつつも、トラックは徐々に速度を落とし、距離が離れていった。
どうやら停車するつもりらしい。
(やれやれ、そういうことか)
マルコは右手で頭を抱えて左右に振った。
おそらくはパンクだろう。
なにもこのような時に起きなくてもよいだろうと、億劫そうに彼は口を開く。
「後ろでトラブルだ。おそらくパンクだろう。前に合図送って停車してくれ」
「かしこまりました」
言われたとおり、彼は星動車を道の脇に寄せて停車する。
前方を走っていた同志の星動車も、こちらの方へバックしてくるのが見えた。
(タイヤを取り替えねばな)
そう思いつつ、マルコは車を降りる。
トラックには予備のタイヤが何個か積んであったはずだ。少々手間だが、パンク程度ならば問題ないだろう。
「お前達は車を見ていろ」
星動車から降りてきた同志達にそう一言かけてから、ひとまず様子を見に、後ろで停車しているトラックの方へ向かって歩いていった。
見ればトラックの右前輪あたりを見下ろす二人の姿――
「おい、やはりパンクか?」
そう、マルコは声をかけた。
が、二人は返事をするどころか、こちらに見向きもせず、ただつったったまま前輪を見下ろしている。
なにか様子がおかしい。
マルコは怪訝な表情で聞いた。
「……どうした? なにか問題が――」
前触れが――あったような、無かったような。
その程度の奇妙な曖昧さで、それが起きる。
彼の言葉半ばで、ずるりと二人の体が地面に崩れ落ちた。
一人は仰向けに、一人はうつ伏せに。
滑稽にすら感じるほど、意図されたかのような倒れっぷりに、マルコは呆然とする。
「なにが、どうなって……」
そういえば荷台の中にいるはずの同志達が出てこない。
外の様子を見に来てもいいはずだが――
何が起きているのかは分からないものの、これは緊急事態だと直感した。
「全員集まれー!!」
マルコは声を張り上げて同志を呼んだ。
後ろの方から、先ほど待機を命じていた同志達がこちらへ走ってくるのが見えた。だが、最後尾を走っていたはずの同志達がこちらへ来る気配がない。
「マルコ様! なにかあったのですか?」
「わからん、とにかくそこに倒れてる二人と荷台を調べろ」
命じられたとおり、彼の同志達が動こうとした。
と――
「その必要はないのじゃ、マルコ殿」
場違いに無邪気な、それでいて愉快そうな声。ただし、友好的な声音ではない。底冷えするような、内面に怒りを抱えたそんな声。怒りが故に嬉しい。その声は上方――正確にはトラックの屋根の上から降ってきた。
マルコ達は一斉に、声のする方へ顔を向ける。
「な……えっ? 女の子?」
そこには、黒い退廃的なドレスに身を包み、お人形さんのように可愛らしい顔立ちの女の子が立っていた。
顔には壮絶な笑みを浮かべ、両手に銃剣を握り、戸惑う彼等を見下ろしている。
「なんじゃぁ? テスは会えて嬉しいというのに、ぬしはテスのことを忘れたのかえ?」
テスと名乗った女の子。
どうやら面識があるらしいが、マルコには全く見覚えがない。
まさかこのような場面で人違いということもないし、名前も合っている。
「何者だお前は? 私はお前など知らないが」
マルコの言葉を彼女は鼻で笑い飛ばすと、音も無く飛んだ。
彼等の前に、これまた音も無く着地する。
一歩、同志達が後ずさりして輪が広がった。
「ふーむ、髪型が違うせいかのぅ~あの時は伸ばしっぱなしじゃったしな」
呑気に、世間話でもするかのようにテスが喋る。
背は低く、年齢は十歳くらいだろうか。見た目には普通の子供に見える。
ただ、それはもちろん普通であるはずがない。
トラックの屋根から飛び降り、苦も無く着地する身体能力。とくに身構えているわけではないが、まったく隙というものが見当たらない。
この状況を作ったのも彼女だと言うのであれば、見た目どおりの生き物ではないということになる。
マルコはそれを確認すべく、口を開く。
「これはお前の仕業か?」
「ん? 半分はそうじゃな~後ろの方を手伝ってもろうとるし」
(なるほど仲間がいるのか……しかし)
こうして目の前に立ちふさがっている彼女は一人である。対してこちらは、自分を含めて大人が八人である。一人でこの人数を相手にする自信があるというのだろうか? それともただの馬鹿か。
「目的はなんだ? 子供達を助けにきたのか?」
「助けに来たのは一人だけじゃ、他はどうでもよい。それにそれも半分じゃ、テスはぬしに借しがあるでのぅ」
「は? だから私はお前など知らん」
マルコがそう言うと、それまで笑みを浮かべていたテスが、急に真顔になりうつむいた。
「シルホン自治区、ヤニタナ第二研究所」
さっきまでの明るい声とは一転して、陰鬱そうにボソボソと少女が言う。
マルコは思わず息を飲んだ。
その研究所の名前はよく知っている。なにせ、さきほどまで同志と話していた研究所とは、まさにそれであった。
もちろん表向きには秘密であったが、なぜこのような子供がその名を知っているのか。
「被験体D5-47、とでも言えば覚えておるか?」
「なん……だ……と……?」
手前の番号は実験の進行レベル、後続の番号は何人目の被験体であるかだ。
薬物による人体強化と自我抑制。忠実で強力な『超人』の兵士を作り上げるための実験だったが、失敗につぐ失敗で、数多くの被験体が廃人となった。
彼は、いちいちそんな被験体のことなど覚えてはいなかったが、唯一例外がある。
それは、薬物に対して異常なまでの適正を示したひとつの被験体。
D5というレベルまで実験が進行した例はたったの一度だけである。
なんの変哲も無かった幼い黒髪の少女。
その幼い姿が目の前の少女と重なった。
「まさか貴様……あの時の被験体か!」
「わしの名はテス・エレンシアじゃ!」
テスがそう言い返し、勢いよく顔を上げた。
目だけが笑っていない笑顔で、マルコを真っ向から睨みつけている。
「どうじゃ? おぬしが望んだその通りに強くなったぞ! もはや人間とは呼べぬほどにな! ほーれ、どうした? 喜ばぬかっ! おぬしの研究は成功したのじゃぞ? さぞかし嬉しいじゃろう」
古い恩師に成長ぶりを伝えるかのように、大げさな身振り手振りを加えつつテスが声を張り上げる。
同時に吹き付けるような殺気を感じ、マルコの額に冷たい汗がうかんだ。
「お、おのれっ……復讐しにきたというわけか!」
「復讐? くだらぬ勘違いをしてもろうては困る――これは制裁じゃよ。テスのようにまた子供をさらっては実験をしようというのじゃろ? 腐れ外道めが」
言いつつ、少女は身を低くして銃剣を構えた。
よどみなく、流れるように自然で無駄のない動作。
数年の成長に加えて、戦闘術を誰かに叩き込まれたに違いない。
D5レベルの身体強化の上に、それらが組み合わさっているのだとすれば、まさに化け物――いや、魔物であろう。
テスの発散する強烈なプレッシャー。体を凍えさせんばかりの殺気。
耐えかねた同志の一人が星導銃を構えた。
「い、いかん!」
マルコの声が銃声の中にかき消える。
発射された数発の銃弾は、トラックのボディを穿つだけで、テスには掠りもしなかった。
それもそのはず、彼が撃ったのは少女の残影。
黒い影が複雑な起動を描きながら、彼等の眼前に迫る。
(こんなことに……なろうとは)
次々と跳ね上げられ、突き飛ばされ、地面を転がされる同志達。
骨のへし折れるおぞましい音を聞きながら、マルコは悟った。
作戦は失敗したのだと――