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山に流れてかたまる雲の動きは、そこに流れる大気の法則で姿形を変えているのだろう。
それだけのことなのに、かくも雄大美麗で感動的に映るのは何故だろうか? 絵筆をもち、どれだけ思考して描いても、技量がなければ感動的には描けないというのに。それですら現実には遥か遠く及ばない。
天は青空をまばらな雲で飾り、光は地上に彩りを与える。
ゴラム市へ来てから一週間目――
ミイファの母の葬儀も無事終わり、やり残したことは無いだろう。
出発するにはいい朝だ。
星動車のトランクを閉め、エリオは額に張り付いた汗を拭い去った。
「荷物の確認終わりました。いつでも出発できますよ」
フロント側で、どこか遠くを見つめているような瞳のクレネスト。その背中に声をかけた。
少し間を置いてから、彼女がこちらの方へ顔を向ける。
「はい、ご苦労様です」
そう静かに言って、すぐに顔を戻した。薄い反応。
エリオはフロント側へまわり、ボンネットに寄りかかった。
旅装束姿に戻ったクレネストの背中が目に映る。白い肌の大部分が隠れていて、薄着の時に比べると野暮ったい。少々それを残念に思いつつ、そんな不埒な考えを消し去った。
彼女がなにを気にしているのかは大体わかる。
「ミイファちゃんは今頃、登校してるか学校についているかでしょうね」
「……はぁ」
「お別れを言いに行くくらい、いいと思いますけど?」
「……はぁ」
「……大丈夫ですか?」
エリオが聞くと、少しの間が空いた――
「いえ――やはりこのまま行きます」
「いいんですか?」
嘆息の漏れる音がする。
クレネストは後ろ手を組み、こちらへ向き直った。
「あまり入れ込み過ぎるのも良くないと思いますので」
少し寂しそうな様子で口にする。
これは司祭としてのけじめなのか、それとも――
「そういえば、テスちゃんはどこに?」
「さっきまでその辺で、暇そうに歩き回ってましたが……」
二人は周囲を見回す。
そこそこの広さをもった駐車場。自分達のほかに数台の星動車が停まっている。
見通しはよいが、テスの姿はない。
とすれば、駐車場の外にいる可能性が高い。
そう思って、道路の方を見ようとしたその時。
「うわぁ! 駄肉ババァじゃー!」
エリオはずり落ち、クレネストは肩をコケさせた。
「もぅ朝っぱらからなんなわけ、ちゃんと躾けておきなさいよ」
アステナが頬をぴくつかせながら、いかにも怒りを抑えてる様子で言った。
テスはエリオの後ろに隠れて警戒している。
「はい、それはすみませんけど……これは」
そこには、アステナがつれてきたのだろうか? ミイファ、リヴィア、レニスの三人が並んでいた。
「学校前を歩いていたらね、この子達に頼まれたのよ。あんたのこと見送ってたら授業に間に合わないっていうから、担任に話しつけて連れて来たの」
そう言って、アステナは肩を竦めた。
呆れた調子でフンっと鼻息を鳴らし、続けて口を開く。
「全くあんたときたら、子供なんかに気を使わせてるんじゃないわよ」
クレネストは何も口に出さず、ただぽやっとした表情で、三人の子と彼女の顔を見比べた。
「えへへ、せ~んせっ! 色々と助けてくれてありがとっ!」
元気に咲き誇る花のような笑顔を見せるリヴィア。
「誘拐された子供達を先生が助けてくれたって聞きました。僕は先生のように強くなります」
礼儀正しく、優雅に一礼をするレニス。
それから――
「……」
クレネストと目線が会うなり、ミイファは黙ったままうつむいてしまった。
リヴィアとレニスが顔を見合わせて、互いに笑みを浮かべる。
二人はこっそりとミイファの背後に回りこみ――その背中を押した。
「あっ」
前につんのめり、倒れそうになるミイファ。
その体をクレネストが素早く支えた。
「ミイファちゃん」
「せんせぇ」
か細い声で求めるように、ミイファが瞳を潤ませ見上げている。
クレネストはすっと屈んで、その小さな体を抱いた。
アステナは、あさっての方向を向いて鼻をかき、リヴィアとレニスは笑顔で見守っている。
体を離し、クレネストと向かい合ったミイファは、目に涙を溜めていた。しかし、その表情は屈託のない暖かな笑顔だった。
「みなさん――少々驚きましたが、ありがとうございます。あはは、とても嬉しいです」
はにかんだように微笑みを漏らし、クレネストが言葉にする。
「アステナ司祭も大変お世話になりました。ええと、ミイファちゃんのことよろしく頼みます」
「え、ええ……って、別にアンタのためじゃないからね!」
恭しく、両手を揃えてお辞儀をするクレネストに照れているのであろう。顔を赤くしてうろたえるアステナであった。
エリオとクレネスト、テスの三人が星動車に乗ると、三人の子供達が一生懸命に手を振り出した。
リヴィアが両手を振り上げて大げさに――普段大人しいミイファも、珍しく対抗するかのように大きく手を伸ばしている。
クレネストは窓を下ろして顔を除かせると、手をひらつかせて返した。
「皆さん、それではお元気で」
「アンタも風邪ひくんじゃないわよ~!」
ミイファとリヴィアの頭に手を載せ、アステナが別れの言葉を口にする。
「せ、せんせぇ~! さようならぁ!」
ミイファが、彼女なりに精一杯の声で叫んだ。
星動車が動き出し、それを追いかけ始める子供達――
クレネストは名残惜しそうにしばらく後ろを見ていたが、車はぐんぐん加速する。
彼女は短く息をつくと、やがて前を向いて座り直した。
「見えなくなってしまいました」
ぽつりと口を開いた。
「少々寂しいですか?」
「まさか……そんなことより、これからのことですね」
クレネストの柔らかだった微笑が、一瞬で緊迫した表情に変わる。
そう、これからのことだ――
三本目の世界の柱を建てる予定地、ゴラム監獄。次の巡礼地へ続く街道を行けば、そのうち見えてくるだろう。
禁術の代償はそこの囚人達。
「ゴラム監獄までは一時間少々です。やはり、夜になるのを待ってから侵入するのですか?」
エリオは聞きながら、同時にいくつかの問題点を考えた。
彼女が禁術を書き始めれば、術式の光が発生してしまう。小規模な禁術であるならばともかく、『世界の柱』の術式量はあまりに桁が違いすぎる。監獄のド真ん中でそんなことをすれば、確実に大騒ぎになるだろう。そうなれば、禁術を施行するどころではない。抜け出すことすら困難だ。
それ以前に、いったいどのような手段で、監視が厳重で有名なゴラム監獄へ侵入するのだろう。
「はい、決行は夜です。そういえば、色々とありすぎて説明が遅れてしまいましたね」
クレネストがそう言って、バッグの中から黒のファイルを取り出した。
その中から付箋を張っているページを開き、こちらに見やすいように運転席側へ掲げた。
エリオは一瞬だけそれを確認する。
「見取り図?」
「はい。正確にはゴラム監獄の地下ですが」
「よくそんなものが手に入りましたね」
「セレストの大図書館で発見した貴重な資料の写しです」
もちろん、そんなものが誰でも見られるわけではないのだろう。司教以上でなければ入れない部屋というのもある。そういう部屋に、司祭である彼女が入ることはできない――できないが、彼女のことだから、何をしでかしているか分かったものではないだろう。
とにかくエリオは、感嘆なのか呆れなのか、よくわからない声を漏らした。
「ぬし等はさっきから、いったい何の話をしておるのじゃ?」
テスが身を乗り出して、椅子の間からひょっこりと顔を覗かせた。
クレネストは黒のファイルを引っ込めて、自分の膝の上に置く。
「ポッカ島を出るとき船の中でお話しましたよね。世界の柱の話です」
「おぉ、あの話じゃな……それでその、ゴラム監獄がどうとか言っておるようじゃが?」
「はい、ノースランド最大の刑務所でして、これからそこへ行って世界の柱を建てます」
ふむふむと、テスは頷いて聞いていた。
それからしばらく何かを考えるように黙り込み――急に眉根をよせて口元を曲げた。
小首を傾げつつ聞いてくる。
「世界の柱をそこに建てると、そのゴラム監獄とやらはどうなるのじゃ?」
「……世界の柱の大きさから比べると点のようなものですから、あっさり消滅するでしょう」
淡々と言い放つクレネスト。少しばかり、瞳に憂いの色を滲ませていた。
テスはテスで、やはりそれに相当驚いたのであろう――危うく前方に倒れこみそうになる。
「ちょ、ちょっと待つのじゃ! なぜわざわざそのようなところに建てる?」
この反応と疑問は、人としては全く正常と言えるのだろう。だがクレネストの方は、正常とは思えない答えを返す。この場合の正常とは、社会通念上の正常ということだが。
「理由ですか。それは――近場に沢山の人が確実に密集していること、街中では問題が大きくなりすぎること、犠牲となる人の数を調整できること」
「そうではなくてじゃな……いや、テスはノースランドの奴等がどうなろうと知ったことではない。が、ぬし等はそうではないはずじゃ。それが、何故わざわざ人命を巻き込むようなことをする」
「禁術には代償が必要なことはご存知ですか? あなた方のお仲間は禁術を使うようでしたが」
「確か術式分解……だったかの? って、おいおいおいおい」
テスが目を剥いて焦りの声を上げる。
さすがにクレネストが、何をしようとしているのかに気がついたようだ。
「お察しの通り、代償は主に監獄内の囚人達です」
クレネストが嘆息まじりにそう伝えると、テスはさすがに開いた口が塞がらない様子。
その塞がらない口でなんとか言葉を出す。
「ぬ、ぬしは……いいいいいや、そもそもそのようなことが可能なのかえ?」
「世界の柱のことも含めて、テスちゃんにはその時に証明できるでしょう。計画が上手くいけばですが」
「……」
そのままぽかーんと口を開け、沈黙してしまうテス。
ゆっくりと後ろに傾いていき、ぽふっと後部座席に倒れこんだ。
「さて、それではエリオ君……作戦について具体的な説明に移りたいと思います」