●世界観B創世記・星の終わりの神様少女3

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 山に流れてかたまる雲の動きは、そこに流れる大気の法則で姿形を変えているのだろう。

 それだけのことなのに、かくも雄大美麗で感動的に映るのは何故だろうか? 絵筆をもち、どれだけ思考して描いても、技量がなければ感動的には描けないというのに。それですら現実には遥か遠く及ばない。

 天は青空をまばらな雲で飾り、光は地上に彩りを与える。

 ゴラム市へ来てから一週間目――

 ミイファの母の葬儀も無事終わり、やり残したことは無いだろう。

 出発するにはいい朝だ。

 星動車のトランクを閉め、エリオは額に張り付いた汗を拭い去った。

「荷物の確認終わりました。いつでも出発できますよ」

 フロント側で、どこか遠くを見つめているような瞳のクレネスト。その背中に声をかけた。

 少し間を置いてから、彼女がこちらの方へ顔を向ける。

「はい、ご苦労様です」

 そう静かに言って、すぐに顔を戻した。薄い反応。

 エリオはフロント側へまわり、ボンネットに寄りかかった。

 旅装束姿に戻ったクレネストの背中が目に映る。白い肌の大部分が隠れていて、薄着の時に比べると野暮ったい。少々それを残念に思いつつ、そんな不埒な考えを消し去った。

 彼女がなにを気にしているのかは大体わかる。

「ミイファちゃんは今頃、登校してるか学校についているかでしょうね」

「……はぁ」

「お別れを言いに行くくらい、いいと思いますけど?」

「……はぁ」

「……大丈夫ですか?」

 エリオが聞くと、少しの間が空いた――

「いえ――やはりこのまま行きます」

「いいんですか?」

 嘆息の漏れる音がする。

 クレネストは後ろ手を組み、こちらへ向き直った。

「あまり入れ込み過ぎるのも良くないと思いますので」

 少し寂しそうな様子で口にする。

 これは司祭としてのけじめなのか、それとも――

「そういえば、テスちゃんはどこに?」

「さっきまでその辺で、暇そうに歩き回ってましたが……」

 二人は周囲を見回す。

 そこそこの広さをもった駐車場。自分達のほかに数台の星動車が停まっている。

 見通しはよいが、テスの姿はない。

 とすれば、駐車場の外にいる可能性が高い。

 そう思って、道路の方を見ようとしたその時。

「うわぁ! 駄肉ババァじゃー!」

 エリオはずり落ち、クレネストは肩をコケさせた。

「もぅ朝っぱらからなんなわけ、ちゃんと躾けておきなさいよ」

 アステナが頬をぴくつかせながら、いかにも怒りを抑えてる様子で言った。

テスはエリオの後ろに隠れて警戒している。

「はい、それはすみませんけど……これは」

 そこには、アステナがつれてきたのだろうか? ミイファ、リヴィア、レニスの三人が並んでいた。

「学校前を歩いていたらね、この子達に頼まれたのよ。あんたのこと見送ってたら授業に間に合わないっていうから、担任に話しつけて連れて来たの」

 そう言って、アステナは肩を竦めた。

 呆れた調子でフンっと鼻息を鳴らし、続けて口を開く。

「全くあんたときたら、子供なんかに気を使わせてるんじゃないわよ」

 クレネストは何も口に出さず、ただぽやっとした表情で、三人の子と彼女の顔を見比べた。

「えへへ、せ~んせっ! 色々と助けてくれてありがとっ!」

 元気に咲き誇る花のような笑顔を見せるリヴィア。

「誘拐された子供達を先生が助けてくれたって聞きました。僕は先生のように強くなります」

 礼儀正しく、優雅に一礼をするレニス。

 それから――

「……」

 クレネストと目線が会うなり、ミイファは黙ったままうつむいてしまった。

 リヴィアとレニスが顔を見合わせて、互いに笑みを浮かべる。

 二人はこっそりとミイファの背後に回りこみ――その背中を押した。

「あっ」

 前につんのめり、倒れそうになるミイファ。

 その体をクレネストが素早く支えた。

「ミイファちゃん」

「せんせぇ」

 か細い声で求めるように、ミイファが瞳を潤ませ見上げている。

 クレネストはすっと屈んで、その小さな体を抱いた。

 アステナは、あさっての方向を向いて鼻をかき、リヴィアとレニスは笑顔で見守っている。

 体を離し、クレネストと向かい合ったミイファは、目に涙を溜めていた。しかし、その表情は屈託のない暖かな笑顔だった。

「みなさん――少々驚きましたが、ありがとうございます。あはは、とても嬉しいです」

 はにかんだように微笑みを漏らし、クレネストが言葉にする。

「アステナ司祭も大変お世話になりました。ええと、ミイファちゃんのことよろしく頼みます」

「え、ええ……って、別にアンタのためじゃないからね!」

 恭しく、両手を揃えてお辞儀をするクレネストに照れているのであろう。顔を赤くしてうろたえるアステナであった。

 エリオとクレネスト、テスの三人が星動車に乗ると、三人の子供達が一生懸命に手を振り出した。

 リヴィアが両手を振り上げて大げさに――普段大人しいミイファも、珍しく対抗するかのように大きく手を伸ばしている。

 クレネストは窓を下ろして顔を除かせると、手をひらつかせて返した。

「皆さん、それではお元気で」

「アンタも風邪ひくんじゃないわよ~!」

 ミイファとリヴィアの頭に手を載せ、アステナが別れの言葉を口にする。

「せ、せんせぇ~! さようならぁ!」

 ミイファが、彼女なりに精一杯の声で叫んだ。

 星動車が動き出し、それを追いかけ始める子供達――

 クレネストは名残惜しそうにしばらく後ろを見ていたが、車はぐんぐん加速する。

 彼女は短く息をつくと、やがて前を向いて座り直した。

「見えなくなってしまいました」

 ぽつりと口を開いた。

「少々寂しいですか?」

「まさか……そんなことより、これからのことですね」

 クレネストの柔らかだった微笑が、一瞬で緊迫した表情に変わる。

 そう、これからのことだ――

 三本目の世界の柱を建てる予定地、ゴラム監獄。次の巡礼地へ続く街道を行けば、そのうち見えてくるだろう。

 禁術の代償はそこの囚人達。

「ゴラム監獄までは一時間少々です。やはり、夜になるのを待ってから侵入するのですか?」

 エリオは聞きながら、同時にいくつかの問題点を考えた。

 彼女が禁術を書き始めれば、術式の光が発生してしまう。小規模な禁術であるならばともかく、『世界の柱』の術式量はあまりに桁が違いすぎる。監獄のド真ん中でそんなことをすれば、確実に大騒ぎになるだろう。そうなれば、禁術を施行するどころではない。抜け出すことすら困難だ。

 それ以前に、いったいどのような手段で、監視が厳重で有名なゴラム監獄へ侵入するのだろう。

「はい、決行は夜です。そういえば、色々とありすぎて説明が遅れてしまいましたね」

 クレネストがそう言って、バッグの中から黒のファイルを取り出した。

 その中から付箋を張っているページを開き、こちらに見やすいように運転席側へ掲げた。

 エリオは一瞬だけそれを確認する。

「見取り図?」

「はい。正確にはゴラム監獄の地下ですが」

「よくそんなものが手に入りましたね」

「セレストの大図書館で発見した貴重な資料の写しです」

 もちろん、そんなものが誰でも見られるわけではないのだろう。司教以上でなければ入れない部屋というのもある。そういう部屋に、司祭である彼女が入ることはできない――できないが、彼女のことだから、何をしでかしているか分かったものではないだろう。

 とにかくエリオは、感嘆なのか呆れなのか、よくわからない声を漏らした。

「ぬし等はさっきから、いったい何の話をしておるのじゃ?」

 テスが身を乗り出して、椅子の間からひょっこりと顔を覗かせた。

 クレネストは黒のファイルを引っ込めて、自分の膝の上に置く。

「ポッカ島を出るとき船の中でお話しましたよね。世界の柱の話です」

「おぉ、あの話じゃな……それでその、ゴラム監獄がどうとか言っておるようじゃが?」

「はい、ノースランド最大の刑務所でして、これからそこへ行って世界の柱を建てます」

 ふむふむと、テスは頷いて聞いていた。

 それからしばらく何かを考えるように黙り込み――急に眉根をよせて口元を曲げた。

 小首を傾げつつ聞いてくる。

「世界の柱をそこに建てると、そのゴラム監獄とやらはどうなるのじゃ?」

「……世界の柱の大きさから比べると点のようなものですから、あっさり消滅するでしょう」

 淡々と言い放つクレネスト。少しばかり、瞳に憂いの色を滲ませていた。

 テスはテスで、やはりそれに相当驚いたのであろう――危うく前方に倒れこみそうになる。

「ちょ、ちょっと待つのじゃ! なぜわざわざそのようなところに建てる?」

 この反応と疑問は、人としては全く正常と言えるのだろう。だがクレネストの方は、正常とは思えない答えを返す。この場合の正常とは、社会通念上の正常ということだが。

「理由ですか。それは――近場に沢山の人が確実に密集していること、街中では問題が大きくなりすぎること、犠牲となる人の数を調整できること」

「そうではなくてじゃな……いや、テスはノースランドの奴等がどうなろうと知ったことではない。が、ぬし等はそうではないはずじゃ。それが、何故わざわざ人命を巻き込むようなことをする」

「禁術には代償が必要なことはご存知ですか? あなた方のお仲間は禁術を使うようでしたが」

「確か術式分解……だったかの? って、おいおいおいおい」

 テスが目を剥いて焦りの声を上げる。

 さすがにクレネストが、何をしようとしているのかに気がついたようだ。

「お察しの通り、代償は主に監獄内の囚人達です」

 クレネストが嘆息まじりにそう伝えると、テスはさすがに開いた口が塞がらない様子。

 その塞がらない口でなんとか言葉を出す。

「ぬ、ぬしは……いいいいいや、そもそもそのようなことが可能なのかえ?」

「世界の柱のことも含めて、テスちゃんにはその時に証明できるでしょう。計画が上手くいけばですが」

「……」

 そのままぽかーんと口を開け、沈黙してしまうテス。

 ゆっくりと後ろに傾いていき、ぽふっと後部座席に倒れこんだ。

「さて、それではエリオ君……作戦について具体的な説明に移りたいと思います」

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