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人間はみな平等だ。平等に価値がなく、存在する意味などない。なぜなら滅亡するからだ。
貧乏人も金持ちも、醜悪も美貌も、愚者も賢者も、無能も有能も……等しく滅び全てを失う。
得られた価値観や果たした欲求は、死んでしまえばそれがあったことすら感じることはない。
宗教の言うような使命、本質的価値や唯一絶対の正義、真理は存在しない。
とすれば、最初からそこには何も無いというのに、何故自分はここにいるのか――
「だって、死ぬことにも意味はないし、私はここにいるのだから仕方がない」
ティルダは自分に対して、独り言で答えた。
自分は滅亡主義者達をまとめ上げてる身だった。だからそれはおかしな発言だ。
滅亡を望んでいるのに、死に意味を見出さないのは矛盾しているようにも思える。
「それは、意味ではなく仕組みだから……」
そもそもが、数多くの滅亡主義者の上に立ち、動かしている自分。それは無駄なことだ。
滅亡が仕組みというのであれば、人をまとめて主張を繰り返すこと自体にも意味がない。議論も無駄だ。なぜこのような場所でそれほどまでに無駄なことをしているのか。この組織だって無駄で無価値で無意味だ。
「暇だから」
ティルダはその一言で切って捨てた。
結局それらは、欲求や本能と呼ばれるものなのだろう。人に限らず生物には、あらかじめ組み込まれた情報がある。それに操られているだけに違いない。
腹が減れば苦しくなる。苦しくなるので栄養を補給する。
それと大差がない「現象」が、ひたすら起きているに過ぎないのだ。
意味がなかろうと無駄であろうと、やりたければやれ――罪など、元々人間が勝手に作りあげたルールであり、善悪なんて最初からない。やった結果により仕組みが回る。ただ、それだけのことだ。
ティルダは簡素な一室で目を覚ました。目が覚めてもしばらくは呆然としていた。
独り言を言っているつもりだったが、どうやら夢の中で喋っていただけのようだった。
数分経ってから、裸身を起こして辺りを見回す。ベッドと、脱ぎ捨てた下着以外は見事に何も無い。
さて、何を言っていたのかはもはや覚えていない。
思い出そうとしたところで、しょうもないことだろう。とりあえず彼女はシャワーを浴びることにした。
どうせ脱ぐのだから非効率と思うのだが、リギルが色々とうるさいので、下着くらいは身につける。服は脱衣所に置かれているはずだ。洗濯したものが、いつものように――
部屋を出て、さして長くもない廊下を歩く。窓から差し込む光が妙に白い。
脱衣所の扉を開けて中に入る。ジルがいた。彼は全裸だった。
それを特に気にするでもなく――ティルダはずかずかと入り込み、下着を適当に脱ぎ捨てた。
「……俺の方が先なんだが」
ジルが腐れた目つきで見下ろして、ささやかな抗議の声を漏らす。
「一緒に入るか? なんなら抱いてもいいぞ?」
ふわふわとしたような、やる気のない声音でティルダが返す。
ジルは思ったとおり、露骨に迷惑そうな顔をした。彼にはそんな気など、毛頭あるわけもない。もっとも、彼がその気になるのであれば、それはそれで構わなかった。
「面倒臭いからいい。先にメシ食ってくる」
予想通りのぼやきを聞いてから、ティルダは浴室へと入っていった。
(面倒面倒と言うが、本当に面倒だと思っているのだろうかな)
そんなことを考えつつ、シャワーを浴びること数分――
ティルダは浴室をでた。
台に置かれた籠の中に、彼女の服と新しい下着が畳んで置かれている。さきほど脱ぎ捨てた下着はなくなっていた。
温風の出る星動機で髪を乾かしてから、衣服を身につける。最後に後ろ髪をリボンでしばった。
本日はスーツではない。黒いブラウスにスカートだった。
(ほう、下着だけはピンクか……珍しい)
服の選択は、勝手に誰かがやってくれているようであった。それが誰なのかは未だに知らない。自分で服など買ったこともなかった。運んでくれているのはジルのようだったが、彼に女服を選ぶようなセンスはない。
(ふむ、可愛いな)
そのことが特別気に入ったわけでもない。ただ、漠然と自分の感覚がそう告げる。
ティルダは脱衣所を出ると、今度は玄関へと向かった。
またもやジルがいた。夏だと言うのに赤色のコートを着ているが、暑くはないのだろうかといつも思う。彼は片手に小箱を抱えていた。
そのジルが、小箱をティルダに渡すと、浴室の方へ去っていく。
開けて中を覗いてみると、サンドイッチにから揚げ、緑豆、赤くて丸い野菜が入っていた。
(面倒臭がりのくせに面倒見はよい。なぜか料理の腕もよい)
それをパクつきながら、空腹を埋める――ティルダは小箱を片手に散歩を開始した。
周囲は不毛な岩山だった。標高が高く、風が冷たい。空の彼方を見やれば、火山の白い煙が上がっている。その一角を削って作ったこの場所。滅亡真理教の中でも中核をになう者しか入ることを許されていない。ようするに隠れ家である。
建物を出てすぐに、停泊しているトライ・ストラトス号が見えた。
闇夜に溶け込む漆黒の機体。
この形状を詳しく何かに例えるのは難しい。あえて言うのであれば、海に住むヒレのついた怪獣がいたとしたなら、このような形なのだろうと思う。船首に向かって細く、船尾に向かって滑らかな曲線を描く船体は、空気抵抗を最小限にとどめようという設計思想がうかがえる。
当然、国に許可を得て作っているわけではなかった。それ故に、このような場所に隠す必要性がある。
普段はカバーを掛けているのだが――
「おい、ここがまだ汚れてるぞ! 手抜きするんじゃない!」
ドスのある怒号が聞こえた。
ブラシとバケツを両手に持ち、幹部連中の尻を蹴っ飛ばしているのはリギルであった。
白髪と髭のせいで老齢にも見えるが、彼は老人というわけではない。滅亡真理教という組織の中では珍しく、異常なほどエネルギーに満ち溢れている。彼はそういう男だった。
「リギルよ、随分と綺麗になったではないか」
トライ・ストラトス号を見上げつつ、ティルダが声をかけると、リギルがパンパンと手を打ちならした。耳の奥まで響くデカイ声で、彼が号令をかける。
「おまえらー! 我等のお姫様がおいでなすったぞ! 挨拶せんかー!」
「おはようございます! ティルダ様!」
「滅亡真理教ばんざーいっ!」
本来、この場にいる幹部連中に、リギル以外で陽気な性格の者はいない。むしろ陰気である。そんな燃えないゴミのような性格の人間でも、彼にかかればこのとおり――無理やりにでも燃やされる。
ともあれ、それなりに熱の帯びた幹部達の挨拶には、一応の体裁は整えなければならない。これも組織の仕組みというものであった。
ティルダは手の平を頭上に掲げて言った。
「星は滅ぶ運命である。全ての価値は消失し意味を失う。星が終わるその時まで、せめて嘲笑の宴を開こうではないか。お前達を笑った者共を逆に笑ってやるのだ。愚かなる勝ち組きどりの星導教会を!」
派手な反応こそ無いものの、それなりに彼等の心は捉えたようだ。まばらな拍手もあった。陰気な彼らにしては上々。
(ティルダ様か……そこまで縦型の組織にするつもりもないのであるが……まぁ所詮は余興みたいなものだ)
頭の中で独りごちる。
ティルダは手を下げると、リギルに話しかけた。
「工場の方はいいのか?」
「そっちはクルツの奴に任せてる」
「クルツ? 誰だったか?」
「おいおい、前に会っただろう。姫様は本当に顔と名前を覚えないな」
「……んーっと、確かお前の弟子とかいうあれか? 大丈夫なのか?」
どんな顔だったかは覚えていないが、男ということだけは覚えている。印象といえば軽薄で軟派なことくらいだ。そういえば、馴れ馴れしい態度をとってきたので、軽くひねってやった気がする。
「腕はまだまだ甘いし不真面目だが、仕事が出来んほどアホでもない」
「ふむ、そうなのか? では、新しく建設してる工場の方は?」
「俺がわざわざ常駐するようなものでもないだろう。気に入らない部分があったら後で叩きなおすだけだ」
リギルの言葉に、ティルダが腕組みしながら頷く。
頷いて――彼女は考え込むように黙った。
「どうした? 何か不満か?」
リギルが器用に肩眉を上げ、首を捻りながら聞いてくる。
「いや……そっちの方はそれでいい。ただ、くだらないことを考えていただけだ」
「くだらないこと?」
「組織を運営するには資金がいる。だから何かしら働かなければならない。それこそ裏では裏なりに、表は表で普通の企業のように――工場を建てて色々と商品を作って売るようなこともしているわけだ。で、それなりに仕事に進展があるとな……ふと、いつ頃に星が壊れてしまうのだろうな? と、考えてしまうことがあってな」
「わっはっはっ! そりゃあ確かにくだらないな。来るべき時がきたら皆で仲良く消えるだけさ」
迷わず答えるリギル。ティルダは口元をほころばせて満足気に頷いた。
それから遠くの山々へ視線を移し、雄大な景色を鑑賞しつつ、から揚げを口の中に放り込む。噛むたびに、口の中が旨味で満たされた。十分に咀嚼し、飲み込んでしまっても、名残惜しい味の余韻がしばし残る。
それが消えていく寂しさではないが、しみじみとした声音でティルダは口にした。
「私はなぁ、それはそう遠い未来ではないような気がするのだよ」
女の勘――ではない。何かとこの所、天災や超常現象が多発しているのだ。もしかしたらと考えているのは、自分だけではないだろう。
「例の鐘の音は聞こえるのか?」
リギルがそんなことを聞いてきた。
ティルダには、稀に遠方から轟く不気味な音が聞こえる。鐘の音に似ているので、そのまま鐘の音と呼んでいた。どうやら、他の者達には聞こえないらしい。
最初にそれを聞いたのは七年前、次に聞いたのは――
「セレスト大震災以後は今のところないな」
そう答えると、リギルは「ふむ」とだけ漏らした。考える素振りは見せるが、それ以上は何も聞いてこない。
「さて……俺は清掃で忙しい。姫様の相手ばかりはしておれん」
「ああ、忙しいところすまないな――でも、あとひとつだけいいか?」
「ん? なんだ?」
リギルが訝しげな顔をする。
ティルダは、サンドイッチに小さな歯型を残して食いちぎってから、少し考えて――真顔でこう言った。
「滅亡する前にな、ジル相手に処女を捨てたいのだが、ジルの奴がやる気をださん。どうすればいい?」
「いや、それを俺に聞くな、それくらいは自分で考えろ」
急に落ち着かなくなった様子で、そっぽを向くリギル。
「今日のパンツは可愛いと思うのだが、これなら男的にどうだろう? やる気にならんか?」
「だからな……って、めくるな!」
スカートの前を握り締め、たくし上げ始めたティルダを、リギルの手が上から押し止める。
渋面になっているリギルの顔を、あっけらかんと見下ろして、彼女はぽつりと尋ねた。
「……どうだろう?」
「見えとらんし、見せんでいい」
「そうはいうがな……折角のスカートなのだ。スカートというのは隠しておきながら、簡単に中身が見えてしまう。ズボンの方が、隠すのには向いているのにも関わらず、わざわざこれをはくのは何故か? つまり……めくれることに仕組みの妙が」
「そういうのは風の悪戯か、運動上の偶然だけにしとけ」
「む――お……おお、なるほど! そういう仕組みがあるのか! さすがリギルだな! 私が見込んだだけのことはある」
得心がいった様子のティルダを見て、リギルが眉間のシワを、さらに深く寄せた。
それを全く気にする気配も見せず、ティルダはくるりと小気味よい足裁きで彼に背を向ける。
「では、私はその辺を散歩してくるぞ、また後でな」
そうリギルに告げると、ティルダは朝の散歩を再開した。