●世界観B創世記・星の終わりの神様少女4

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 男の子の名前は、マシアス・パストリア――彼の耳は長く尖がっていた。今は教会医院の病室で、安心したように寝息を立てている。

「トリスタン市のダイエル司教のご子息だ。母親のパストリア婦人とも何度か面識がある」

 夕焼けに染まる病室で、司教の法衣を着た女性が、声をひそめて言った。

 エリオはその傍らで、口元を手で覆いながら呻いている。

 自殺する人を目の当たりにして、彼としても動揺を隠せなかった。背筋が寒いのに、首筋の辺りは妙に熱い。肺の中がもやもやとし、その空気が喉を通る。嫌な感覚だ。

「カテラ司教……ご婦人は何故、心中など」

「それは後で、この子に聞いてみるしかないと思うが、おそらく――」

「この長い耳……ですかね?」

「ああ、考えてみろ――こんな姿では色々とあるだろう……色々と……」

 ぼかすようにしてカテラが言った。

 それに納得して唸り、エリオは苦い思いで男の子を見やる。

(差別、偏見、苛め……世間の人々も気味悪がるというわけか)

 自分も赤毛のことで、苛められそうになったことはあった。それでも赤毛は、得体の知れない現象ではない。せいぜい子供同士の喧嘩ですむ。だが耳が長いともなれば、あらゆる方面から心無い者による加害があってもおかしくはない。

 カテラが動じないのは、それだけ彼女が出来た人物だからであって、世間の人間全てがそうではないのだ。

「ただ分からないのは、ご婦人が何故、我が教会まで出向いて自殺したのかだな。トリスタン市にいたのではなかったのか……」

「ダイエル司教にご連絡は?」

「先ほど話をしてきたが、ショックを受けてた様子だったな」

「……そうですか」

 星動力が復旧したおかげで、ひとまず連絡は迅速に行えたのだろう。

 気の毒なことであるが、子供だけでも助かったのは、せめてもの救いだった。

 他に何か出来ることはないかと考えて――

「ところで、お前の彼女はどうした?」

 エリオは足を滑らせた。深刻に考えてるところへ、思いもよらない不意打ち。

「か、カテラ司教様……ご冗談を」

 呻いて、エリオは苦笑いを浮かべた。

 なんだかポッカ島でも似たようなことを言われた気がする。

「ははは、いずれそういうことも無いとは限らんではないか。しかしまぁ、あの娘が司祭とはね――初めて会ったのはかれこれ五年前……だったかな? 巡礼者なんてわんさか来るから、普通は顔なんて覚えちゃいない。でも、あの娘だけは忘れようったって忘れられん。星の妖精が現れた! と思ってたまげたもんさ。ま~今でもちっこいけど、当事はもっとちんちくりんで可愛くってなぁ」

 その当事のことを想起しながらなのか、目を細めてカテラが話す。

「ということは、その頃からずっとこの教会に?」

「それよりもっと昔からだ――こんな田舎町だし、進んで司教をやりたがる奴なんて中々いない。私はここが、生まれた育った場所でな。ふるさとに貢献したいと思ったのさ」

「なるほど、感服いたしました」

 かしこまってエリオが言うと、カテラは肩を竦めた。

「で、話を戻すけど……クレネストの司祭ちゃんはどうしたんだい?」

「大変お疲れの様子でしたので、部屋でお休みになっています。長旅の疲れがでたのかと……」

「そうか、ちょっと頼みごとをしたいと思っていたのだが」

 カテラはしばし唸り――考え込む。やはり、近場に世界の柱が出現したこともあって、なにかと忙しいのだろうか。

「あの、差しさわりがなければ、僕の方から伝えておきますけど」

「うーんそうだな……頼めるかね?」

「なんなりと」

 エリオはそう言って頷いた。

 目を覚ますと、いきなりクレネストの顔が見えた。何故かその姿が九十度、傾いている。

(なんだこれ?) 

 彼女はいつもどおり、ぽやっとした眠そうな顔でエリオのことを見つめていた。なのに、なんだか様子というか、そもそも空気がおかしい。とはいっても嫌な感じではない――むしろ、今まで感じたことのない心地よさが、胸の中を満たしている。

(クレネスト様、いい香りだなぁ……)

 と、呑気に考えて――どうにも寝ぼけているせいなのか、上手く思考が定まらない。

 彼女の向こう側は真っ白な壁が見えて、丸い星動灯が等間隔に埋め込まれている。

 ここはいったい何処だ。

(カテラ司教様と話をしてて、その後は病室で……)

 思い出した。

 やはり昨夜は寝足りなかったせいだろう。カテラ司教が退室した後、つい眠ってしまったようだ。

 とすれば、ここは病室のはず。

「エリオ君、目は覚めましたか?」

 クレネストが小首を傾げつつ聞いてくる。意識が徐々にはっきりとしてきた。

 壁だと思っていたのは天井。自分は寝そべっていて、彼女はこちらを上から覗き込んでいたようだ。頭の裏には柔らかくも張りのある、異様に心地のよい感触――

「くくくくくく、クレネストさまぁ!」

 ようやく自分がどういう状態にあるのか、それを理解した瞬間、顔が真っ赤に燃え上がる。思わず飛び起きようとして、エリオは椅子から転げ落ちてしまった。

「? マシアス君が起きてしまいます。お静かに」

 不思議そうに疑問符を浮かべながら、とりあえずという感じで注意をするクレネスト。

 よく見れば、椅子を三つ並べてて、その真ん中にクレネストが座っていた。向こう側からは、テスが顔を覗かせている。彼が寝込んだ後にやってきて、椅子を隣に並べていったのだろう。

「エリオ殿~、クレネスト殿の膝枕は心地よかったかえ?」

 悪戯っぽい笑みを浮かべてるテスに憮然としながら、気だるさが残る自分の体をエリオは持ち上げた。

 服を整えてから、深々と頭を下げて、謝罪の言葉を口にする。

「申し訳ありません。つい居眠りを……」

「いいえ、良いのです。休めましたか?」

「お、おかげさまで」

 エリオは気恥ずかしそうに呻いた。クレネストに寝顔を見られてしまっていたのだろう。 それを思うと、顔が熱い。

 ひとまず部屋の壁に掛かっている時計を確認する。

 短針は六の字を差していた。カテラが退室してから一時間少々――か。

「いつ、こられたのですか?」

「三十分ほど前です」

 つまりは三十分も、クレネストの膝の上で眠りこけていたわけだ。

 なんたる恐れ多いことか――エリオは顔面を両手で覆った。

 もちろん、それが嬉しくないわけではない。彼の友人に知られたら、寮の壁を突き破って発狂しそうなほど、男にとっては夢であろう。とはいえ、なんとなく情けない気持ちと、彼女に気を使わせてしまったことで、複雑な気分だった。

「はぁ、本当にすいません。マシアス君の様子はどうでしたか?」

 話題を切り替えて、ベッドで眠るマシアスへ目を向ける。

「安らかにお眠りになったままですよ」

「……ですか」

 死んでるみたいに聞こえて一瞬焦ったが、口には出さず、勘違いにエリオは苦笑する。クレネストはエリオの反応がよく分からなかったのか、吐息をもらして首を傾げた。それだけで無言のまま。

 ――とりあえず、特に何もなさそうだ。体力が戻れば、じき動けるようになるだろう。

「あ……それとクレネスト様」

「なんでしょう?」

「カテラ司教様から言伝を頼まれまして」

「……どうぞ」

「マシアス君を、トリスタン市におられるダイエル司教様の元へ、送り届けて欲しいとのことです」

「?」

「そのお方のご子息だそうです」

 エリオが言うと、クレネストはしばし、マシアスの寝顔を凝視する。再びエリオを見上げて口を開いた。

「ダイエル司教様は耳長?」

「いえ、知りませんけど……」

「はぁ……わかりました。書状を書きますので、事務の方へ渡してきてください」

 クレネストは了承すると、脇においてあったバッグの中から、紙とペンを取り出して書状を書き始める。

「私はここにいますので、エリオ君はついでに汗を流してこられるとよいでしょう。あと、四人分のお弁当を買ってきてください」

「かしこまりました」

 書状とお金を受け取り、軽く頭を下げてから、エリオは病室を後にした。

「おい、奇病の子供の母親が自殺したってよ」

「マジかよ。子供はどうしたんだ?」

「噂じゃあ心中したらしいぜ~、これで町が綺麗になったな!」

 弁当屋で弁当を買っていると、そんなことを囁く声が耳に入ってきた。何が面白いのか、へらへらと笑っている。見れば相当にガラの悪い連中だ。エリオは強く拳を握りしめた。

 腹立たしいが、反論したところで余計に問題が大きくなるだけだ。四人分の弁当が入っている袋をぶら下げて、エリオは素直に店を出る。

 近場だったので、星動車には乗ってこなかった。そのまま歩いて帰ろうとすると――

「おい、そこの赤毛」

 後ろから声が掛かった。高確率で自分のことであろうと判断し、エリオは振り向く。

 さっき噂話をしていた三人組みが、こっちに向かって近寄ってきた。

「お前だよお前、お前のその頭も病気なんだろ? 気持ちわりぃから店ン中歩き回るんじゃねーよヴォーケ!」

 威圧するように――いや、実際威圧しているつもりなのだろう。顔面のあらゆる筋肉を歪ませて、不良特有の顔芸で、こっちをびびらせようとアピールしている。他の二人はへらへらと嫌な笑いを浮かべて、その様子を観察していた。

「ああ、そいつぁ悪かったな」

 適当にあしらって、その場を立ち去ろうとするものの、へらへら男二人が先回りしてこちらの道を塞ぐ。

「なめてんのかアァ? こっちの精神的苦痛に対する慰謝料くらい置いてけや、ついでにその弁当もな」

(ショボいなぁ)

 率直に言ってそういう感想だった。

 絡んできた男は、上背がエリオと同じ程度。体は鍛えているようで自信があるのだろう。手の骨をぼきぼきと慣らしながら、べたな威嚇をしている。他の二人は背も低く体重も軽そうで、さほど鍛えていないようだ。ようするに、この男の力を笠に着ているだけだろう。

 エリオは、道端に落ちている犬の糞でも見るような目つきで見返した。

「なんだそのツラ、文句あんのか?」

「別に何もありませんが~? 強盗みたいな真似はやめていただけませんか~? 犯罪ですよ~?」

 いかにも”馬鹿にしています”的な棒読み口調で、エリオがねちねちと言い放った。

 一触即発の緊張感すら意に介さない挑発的態度に、男達は顔が真っ赤になる。

「あぁ? お前何年だよ!」

 すぐに殴りかかってくるのかと思いきや、何故か突然、年数を聞いてくるその男。多分、学校の何年生か? ということであろうが、意味不明である。

 ただ学生ではないので、とりあえずエリオは反論した。

「は? 俺は学生じゃねぇよ。星導教会の助祭だ」

「ど、どこの星導教会だよ!」

 わけがわからない。何処と言われても、星導教会は星導教会だ。ただ、あえて言うならば、

「首都セレスト星導教会本部から巡礼中の助祭だ。つーか俺は忙しいんだが!」

「あ? 星導教会? 星導教会の癖になめてるのか?」

 ああなるほど、頭が悪いんだ――と、エリオは納得した。

 すぐにかかってこないのは、言葉でこっちを脅そうとしたが、あてが外れたからだろう。だから、言葉でなんとか優位に立とうと必死なのだ。

「いや、なめてるとか意味わかんないから」

「バカなのか?」

「ぷっ……んー? じゃあそれでいいよ。話はそれで終わり?」

 ちょっと噴出しつつ、苦笑を浮かべながらエリオは言う。男はそれ以上の言葉が思い浮かばないのか押し黙った。

「何もないなら、俺は帰るからな」

 そう宣言すると、エリオはくるりと背を向ける。

 取り巻き二人が迷いを見せている中、早足で通り過ぎた。

「おいこら、ちょっと待てや」

 なおも食い下がろうとする男の声が聞こえる。

 それをあえて無視していると、走り出した気配を感じた。

(一、二、三、四っ!)

 エリオは近づいてくる足音を数え、四歩目で右足を前に踏み出す。次の五歩目に合わせて、左足を心持ち右前方へ踏み出した。同時に、体幹を使って鋭く右回りに反転しつつ、持っていた袋を左手へ持ちかえる。

 男はエリオの左肩を掴もうとしていたのだろう。掴み損ねて、右腕を伸ばしたまま上体が泳いでいた。

 そうなるように四歩目で布石を打っていたのだ、右足を出せば必然的に左肩が後ろへ傾く。

「おわっ!」

 体勢を崩した相手の腕を取り、間接を極める――つもりだったのだが――男は勢いがありすぎたのか、勝手に地面へ倒れてしまった。

 呆れた目で見下ろし、それから取り巻きの二人へ顔を向ける。完全に腰が引けていた。

「くっそ!」

 男は憎悪の目でエリオを睨みながら、急いで立ち上がってくる。エリオは少し間合いを取り――

(おいおい)

 起き上がった男の手に、小型のナイフが握られているのを見て、エリオは顔をしかめた。

 いったい何処までクズなのか。

「そんなものを出したら、ただじゃすまないぞ?」

「あぁ? お前死ぬぞ?」

 エリオの警告を無視し、ナイフをちらつかせる。腰を落として、形だけは一丁前であった。

 とはいえ、刃物を向けられたとあれば、こちらも黙ってはいられない。

 エリオは内心嘆息しながらも、左脇の辺りから斜め上へ向けて、右手を振り払うように動かした。

 ローブがその勢いで広がったかと思えば、彼の右手に三本の星痕杭が出現する。まるでそれは、手品のように鮮やかだった。

「え……?」

 流石に相手の表情が固まる。

 本気で発射する気はないし、いささか大げさだったが、脅しとしての効果は絶大だろう。

「だから助祭だと言っただろう。お前達こそ星導教会を舐めているのか?」

 エリオがすごむと、男は青ざめた。ナイフを畳み、両手を上げながら、ゆっくりと下がっていく。

「ああ、いや……そう、冗談だ! 冗談なんだよ! すまなかったな」

 そう苦しい言い訳を吐くと、男達はすごすごと退散していった。

 彼等の姿が遠ざかってから、エリオは星痕杭をローブの中に戻す。

 袋の中身を確認すると、弁当が少々崩れてしまっていた。エリオはムっとして奥歯を噛みしめる。

(ったく、ボンクラ共が)

 胸中で毒づいて――エリオは再び帰路についた。

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