★☆5★☆
男の子の名前は、マシアス・パストリア――彼の耳は長く尖がっていた。今は教会医院の病室で、安心したように寝息を立てている。
「トリスタン市のダイエル司教のご子息だ。母親のパストリア婦人とも何度か面識がある」
夕焼けに染まる病室で、司教の法衣を着た女性が、声をひそめて言った。
エリオはその傍らで、口元を手で覆いながら呻いている。
自殺する人を目の当たりにして、彼としても動揺を隠せなかった。背筋が寒いのに、首筋の辺りは妙に熱い。肺の中がもやもやとし、その空気が喉を通る。嫌な感覚だ。
「カテラ司教……ご婦人は何故、心中など」
「それは後で、この子に聞いてみるしかないと思うが、おそらく――」
「この長い耳……ですかね?」
「ああ、考えてみろ――こんな姿では色々とあるだろう……色々と……」
ぼかすようにしてカテラが言った。
それに納得して唸り、エリオは苦い思いで男の子を見やる。
(差別、偏見、苛め……世間の人々も気味悪がるというわけか)
自分も赤毛のことで、苛められそうになったことはあった。それでも赤毛は、得体の知れない現象ではない。せいぜい子供同士の喧嘩ですむ。だが耳が長いともなれば、あらゆる方面から心無い者による加害があってもおかしくはない。
カテラが動じないのは、それだけ彼女が出来た人物だからであって、世間の人間全てがそうではないのだ。
「ただ分からないのは、ご婦人が何故、我が教会まで出向いて自殺したのかだな。トリスタン市にいたのではなかったのか……」
「ダイエル司教にご連絡は?」
「先ほど話をしてきたが、ショックを受けてた様子だったな」
「……そうですか」
星動力が復旧したおかげで、ひとまず連絡は迅速に行えたのだろう。
気の毒なことであるが、子供だけでも助かったのは、せめてもの救いだった。
他に何か出来ることはないかと考えて――
「ところで、お前の彼女はどうした?」
エリオは足を滑らせた。深刻に考えてるところへ、思いもよらない不意打ち。
「か、カテラ司教様……ご冗談を」
呻いて、エリオは苦笑いを浮かべた。
なんだかポッカ島でも似たようなことを言われた気がする。
「ははは、いずれそういうことも無いとは限らんではないか。しかしまぁ、あの娘が司祭とはね――初めて会ったのはかれこれ五年前……だったかな? 巡礼者なんてわんさか来るから、普通は顔なんて覚えちゃいない。でも、あの娘だけは忘れようったって忘れられん。星の妖精が現れた! と思ってたまげたもんさ。ま~今でもちっこいけど、当事はもっとちんちくりんで可愛くってなぁ」
その当事のことを想起しながらなのか、目を細めてカテラが話す。
「ということは、その頃からずっとこの教会に?」
「それよりもっと昔からだ――こんな田舎町だし、進んで司教をやりたがる奴なんて中々いない。私はここが、生まれた育った場所でな。ふるさとに貢献したいと思ったのさ」
「なるほど、感服いたしました」
かしこまってエリオが言うと、カテラは肩を竦めた。
「で、話を戻すけど……クレネストの司祭ちゃんはどうしたんだい?」
「大変お疲れの様子でしたので、部屋でお休みになっています。長旅の疲れがでたのかと……」
「そうか、ちょっと頼みごとをしたいと思っていたのだが」
カテラはしばし唸り――考え込む。やはり、近場に世界の柱が出現したこともあって、なにかと忙しいのだろうか。
「あの、差しさわりがなければ、僕の方から伝えておきますけど」
「うーんそうだな……頼めるかね?」
「なんなりと」
エリオはそう言って頷いた。
目を覚ますと、いきなりクレネストの顔が見えた。何故かその姿が九十度、傾いている。
(なんだこれ?)
彼女はいつもどおり、ぽやっとした眠そうな顔でエリオのことを見つめていた。なのに、なんだか様子というか、そもそも空気がおかしい。とはいっても嫌な感じではない――むしろ、今まで感じたことのない心地よさが、胸の中を満たしている。
(クレネスト様、いい香りだなぁ……)
と、呑気に考えて――どうにも寝ぼけているせいなのか、上手く思考が定まらない。
彼女の向こう側は真っ白な壁が見えて、丸い星動灯が等間隔に埋め込まれている。
ここはいったい何処だ。
(カテラ司教様と話をしてて、その後は病室で……)
思い出した。
やはり昨夜は寝足りなかったせいだろう。カテラ司教が退室した後、つい眠ってしまったようだ。
とすれば、ここは病室のはず。
「エリオ君、目は覚めましたか?」
クレネストが小首を傾げつつ聞いてくる。意識が徐々にはっきりとしてきた。
壁だと思っていたのは天井。自分は寝そべっていて、彼女はこちらを上から覗き込んでいたようだ。頭の裏には柔らかくも張りのある、異様に心地のよい感触――
「くくくくくく、クレネストさまぁ!」
ようやく自分がどういう状態にあるのか、それを理解した瞬間、顔が真っ赤に燃え上がる。思わず飛び起きようとして、エリオは椅子から転げ落ちてしまった。
「? マシアス君が起きてしまいます。お静かに」
不思議そうに疑問符を浮かべながら、とりあえずという感じで注意をするクレネスト。
よく見れば、椅子を三つ並べてて、その真ん中にクレネストが座っていた。向こう側からは、テスが顔を覗かせている。彼が寝込んだ後にやってきて、椅子を隣に並べていったのだろう。
「エリオ殿~、クレネスト殿の膝枕は心地よかったかえ?」
悪戯っぽい笑みを浮かべてるテスに憮然としながら、気だるさが残る自分の体をエリオは持ち上げた。
服を整えてから、深々と頭を下げて、謝罪の言葉を口にする。
「申し訳ありません。つい居眠りを……」
「いいえ、良いのです。休めましたか?」
「お、おかげさまで」
エリオは気恥ずかしそうに呻いた。クレネストに寝顔を見られてしまっていたのだろう。 それを思うと、顔が熱い。
ひとまず部屋の壁に掛かっている時計を確認する。
短針は六の字を差していた。カテラが退室してから一時間少々――か。
「いつ、こられたのですか?」
「三十分ほど前です」
つまりは三十分も、クレネストの膝の上で眠りこけていたわけだ。
なんたる恐れ多いことか――エリオは顔面を両手で覆った。
もちろん、それが嬉しくないわけではない。彼の友人に知られたら、寮の壁を突き破って発狂しそうなほど、男にとっては夢であろう。とはいえ、なんとなく情けない気持ちと、彼女に気を使わせてしまったことで、複雑な気分だった。
「はぁ、本当にすいません。マシアス君の様子はどうでしたか?」
話題を切り替えて、ベッドで眠るマシアスへ目を向ける。
「安らかにお眠りになったままですよ」
「……ですか」
死んでるみたいに聞こえて一瞬焦ったが、口には出さず、勘違いにエリオは苦笑する。クレネストはエリオの反応がよく分からなかったのか、吐息をもらして首を傾げた。それだけで無言のまま。
――とりあえず、特に何もなさそうだ。体力が戻れば、じき動けるようになるだろう。
「あ……それとクレネスト様」
「なんでしょう?」
「カテラ司教様から言伝を頼まれまして」
「……どうぞ」
「マシアス君を、トリスタン市におられるダイエル司教様の元へ、送り届けて欲しいとのことです」
「?」
「そのお方のご子息だそうです」
エリオが言うと、クレネストはしばし、マシアスの寝顔を凝視する。再びエリオを見上げて口を開いた。
「ダイエル司教様は耳長?」
「いえ、知りませんけど……」
「はぁ……わかりました。書状を書きますので、事務の方へ渡してきてください」
クレネストは了承すると、脇においてあったバッグの中から、紙とペンを取り出して書状を書き始める。
「私はここにいますので、エリオ君はついでに汗を流してこられるとよいでしょう。あと、四人分のお弁当を買ってきてください」
「かしこまりました」
書状とお金を受け取り、軽く頭を下げてから、エリオは病室を後にした。
「おい、奇病の子供の母親が自殺したってよ」
「マジかよ。子供はどうしたんだ?」
「噂じゃあ心中したらしいぜ~、これで町が綺麗になったな!」
弁当屋で弁当を買っていると、そんなことを囁く声が耳に入ってきた。何が面白いのか、へらへらと笑っている。見れば相当にガラの悪い連中だ。エリオは強く拳を握りしめた。
腹立たしいが、反論したところで余計に問題が大きくなるだけだ。四人分の弁当が入っている袋をぶら下げて、エリオは素直に店を出る。
近場だったので、星動車には乗ってこなかった。そのまま歩いて帰ろうとすると――
「おい、そこの赤毛」
後ろから声が掛かった。高確率で自分のことであろうと判断し、エリオは振り向く。
さっき噂話をしていた三人組みが、こっちに向かって近寄ってきた。
「お前だよお前、お前のその頭も病気なんだろ? 気持ちわりぃから店ン中歩き回るんじゃねーよヴォーケ!」
威圧するように――いや、実際威圧しているつもりなのだろう。顔面のあらゆる筋肉を歪ませて、不良特有の顔芸で、こっちをびびらせようとアピールしている。他の二人はへらへらと嫌な笑いを浮かべて、その様子を観察していた。
「ああ、そいつぁ悪かったな」
適当にあしらって、その場を立ち去ろうとするものの、へらへら男二人が先回りしてこちらの道を塞ぐ。
「なめてんのかアァ? こっちの精神的苦痛に対する慰謝料くらい置いてけや、ついでにその弁当もな」
(ショボいなぁ)
率直に言ってそういう感想だった。
絡んできた男は、上背がエリオと同じ程度。体は鍛えているようで自信があるのだろう。手の骨をぼきぼきと慣らしながら、べたな威嚇をしている。他の二人は背も低く体重も軽そうで、さほど鍛えていないようだ。ようするに、この男の力を笠に着ているだけだろう。
エリオは、道端に落ちている犬の糞でも見るような目つきで見返した。
「なんだそのツラ、文句あんのか?」
「別に何もありませんが~? 強盗みたいな真似はやめていただけませんか~? 犯罪ですよ~?」
いかにも”馬鹿にしています”的な棒読み口調で、エリオがねちねちと言い放った。
一触即発の緊張感すら意に介さない挑発的態度に、男達は顔が真っ赤になる。
「あぁ? お前何年だよ!」
すぐに殴りかかってくるのかと思いきや、何故か突然、年数を聞いてくるその男。多分、学校の何年生か? ということであろうが、意味不明である。
ただ学生ではないので、とりあえずエリオは反論した。
「は? 俺は学生じゃねぇよ。星導教会の助祭だ」
「ど、どこの星導教会だよ!」
わけがわからない。何処と言われても、星導教会は星導教会だ。ただ、あえて言うならば、
「首都セレスト星導教会本部から巡礼中の助祭だ。つーか俺は忙しいんだが!」
「あ? 星導教会? 星導教会の癖になめてるのか?」
ああなるほど、頭が悪いんだ――と、エリオは納得した。
すぐにかかってこないのは、言葉でこっちを脅そうとしたが、あてが外れたからだろう。だから、言葉でなんとか優位に立とうと必死なのだ。
「いや、なめてるとか意味わかんないから」
「バカなのか?」
「ぷっ……んー? じゃあそれでいいよ。話はそれで終わり?」
ちょっと噴出しつつ、苦笑を浮かべながらエリオは言う。男はそれ以上の言葉が思い浮かばないのか押し黙った。
「何もないなら、俺は帰るからな」
そう宣言すると、エリオはくるりと背を向ける。
取り巻き二人が迷いを見せている中、早足で通り過ぎた。
「おいこら、ちょっと待てや」
なおも食い下がろうとする男の声が聞こえる。
それをあえて無視していると、走り出した気配を感じた。
(一、二、三、四っ!)
エリオは近づいてくる足音を数え、四歩目で右足を前に踏み出す。次の五歩目に合わせて、左足を心持ち右前方へ踏み出した。同時に、体幹を使って鋭く右回りに反転しつつ、持っていた袋を左手へ持ちかえる。
男はエリオの左肩を掴もうとしていたのだろう。掴み損ねて、右腕を伸ばしたまま上体が泳いでいた。
そうなるように四歩目で布石を打っていたのだ、右足を出せば必然的に左肩が後ろへ傾く。
「おわっ!」
体勢を崩した相手の腕を取り、間接を極める――つもりだったのだが――男は勢いがありすぎたのか、勝手に地面へ倒れてしまった。
呆れた目で見下ろし、それから取り巻きの二人へ顔を向ける。完全に腰が引けていた。
「くっそ!」
男は憎悪の目でエリオを睨みながら、急いで立ち上がってくる。エリオは少し間合いを取り――
(おいおい)
起き上がった男の手に、小型のナイフが握られているのを見て、エリオは顔をしかめた。
いったい何処までクズなのか。
「そんなものを出したら、ただじゃすまないぞ?」
「あぁ? お前死ぬぞ?」
エリオの警告を無視し、ナイフをちらつかせる。腰を落として、形だけは一丁前であった。
とはいえ、刃物を向けられたとあれば、こちらも黙ってはいられない。
エリオは内心嘆息しながらも、左脇の辺りから斜め上へ向けて、右手を振り払うように動かした。
ローブがその勢いで広がったかと思えば、彼の右手に三本の星痕杭が出現する。まるでそれは、手品のように鮮やかだった。
「え……?」
流石に相手の表情が固まる。
本気で発射する気はないし、いささか大げさだったが、脅しとしての効果は絶大だろう。
「だから助祭だと言っただろう。お前達こそ星導教会を舐めているのか?」
エリオがすごむと、男は青ざめた。ナイフを畳み、両手を上げながら、ゆっくりと下がっていく。
「ああ、いや……そう、冗談だ! 冗談なんだよ! すまなかったな」
そう苦しい言い訳を吐くと、男達はすごすごと退散していった。
彼等の姿が遠ざかってから、エリオは星痕杭をローブの中に戻す。
袋の中身を確認すると、弁当が少々崩れてしまっていた。エリオはムっとして奥歯を噛みしめる。
(ったく、ボンクラ共が)
胸中で毒づいて――エリオは再び帰路についた。