●世界観B創世記・星の終わりの神様少女4

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 こうも遊んだのは久しぶりだ。海で遊ぶのも初めてのことで、山育ちのクレネストにとっては、かなり新鮮な体験だった。

 着慣れていない水着は露出も多く、体の線が見えてしまって、男性からの目線が今更ながらに恥ずかしい。

 エリオだって、あんなにも自分のことを見ていた。もしかしたら、とてもいやらしいことなのかもしれない。

 でも、たとえそういう目で見られていたのだとしても、不思議と後悔するような気分が沸いて来なかった。胸中はむしろ、充実していた。

「ええー! なんでクレネスト司祭って水着の跡がついてないの?」

 前へ後ろへ下から上へ――フェリスがクレネストの白肌をながめ回しながら言った。

 喉元でタオルを握りしめつつクレネストは、その動きを目で追う。

 フェリスの肌にはくっきりと、日焼けによる水着の跡が残っているようだ。

「わははははー」

 テスも、自身についた日焼け跡を見まわして、バカ笑いをしている。

「私の肌は日差しに弱いので、最初から太陽光に対する防御法術をかけてました。それでも少し跡がついてしまいましたが、それも法術で治したのです」

「なるほどー流石の法術少女っぷりよね。私じゃ精々痛みを治す程度だね。でも、水着の跡に興奮する人もいるのよ?」

「いえ……興奮させなくてもよいので」

 変な豆知識を吹き込もうとするフェリスに、軽く眩暈がしてしまう。

 クレネストは深く溜息をついて、辺りを見回した。

 ここは星導教会の沐浴場。あたりには白い湯気が立ち込めている。

(随分と豪華に)

 以前、巡礼で訪れた時は、浴槽もなく、ただ身体を洗えればよい程度の場所だった。

 それが今はどうだろう――わざわざ温泉を引いてきたらしい。大きな浴槽を備え、床、天井、柱、全てが木造。木の香りが立ち込めていて、心安らぐナチュラルな空間に変貌していた。しかもまだ出来たばかりなのだろう、新しくて綺麗だ。

 これならば、他の温泉宿にも負けない。しかも無料ときている。プライベートにもかかわらず、フェリスとレイオルが、星導教会宿舎にわざわざ泊っているのは、おそらくこのためだろう。

 さすがにゴラムパレスほど広くはないが、窮屈というほど狭くも無い。

 そろそろ夕方に入ろうかという、沐浴するには早目の時間。それでも沢山の人がいて、結構な賑わいを見せていた。

「さて、さっそくはいろうかなー」

 フェリスが早足に浴槽へ向かう。クレネストはゆっくりとその背についていった。さらに後ろからはテス。

 浴槽の縁でしゃがみ、かけ湯を済ませ、フェリスは湯の中へ足を踏み入れようとした。

 その様子をなんとなく眺めて――ふとクレネストの脳裏にあることが閃く。急いで声をかける。

「あっ、少々お待ちくだ……」

 言葉半ばで、盛大な水しぶきがあがった。クレネストはびくっとして、きつく目を閉じる。周囲の人達に、どよめきが広がり、テスも目を丸くしている。

 やはりというか、なんというか……

 目を開ければ、思ったとおりフェリスの姿が消えていた。湯面に大きな波紋が生じている。

 あわてて縁へ駆け寄って、クレネストが浴槽の中を覗き込むと、

「ぷはぁっ!」

 すぐにフェリスは湯の中から顔を出した。縁にしがみつき、突っ伏して、乱れた呼吸を整えている様子。

「お怪我はありませんか?」

 クレネストが声をかけると、フェリスは涙目で、

「はう~びっくりしたぁ~」

 どうやら大丈夫そうなので、ほっと胸を撫で下ろす。

 クレネストはテスを縁にしゃがませて、一緒にかけ湯を済ませた。

「西岸地方の温泉は、立位浴で有名なので、もしかしたらと思いました」

 ゆっくりと慎重に、湯の中へと身を沈めながら、クレネストが口にする。

「そういえば旅行ガイドに書いてあったような? すっかり忘れてたよー」 

 フェリスは自分の頭をこつんと叩き、下唇を上げた情けない顔で声を出した。

 そう、この浴槽は深い――湯面はフェリスで肩より少し下、クレネストで顎のあたり、テスにいたっては足がつかない。身長が足りない二人は、縁にへばりついて足を浮かせていた。

「そんな深そうには見えなかったし」

 続けて言ったフェリスに、クレネストはこくりと頷き、縁を枕のようにしながら口を開く。

「屈折のせいもありますけど、底が見えませんからね」

 多少の透明度はあっても、底の方が白く濁っていて見えない。完全に距離感を見あやまったのだろう。

「今度から、いきなり足を突っ込むのだけはやめておくわ」

 と、フェリス。賢明だと思う。

(ついでに安全対策の提案も……いえ、意味がないかもですね)

 考えて、すぐにそれを否定する。

 普通なら、今みたいな勘違いが生じないよう工夫する必要性がある。ただ、近い将来壊れると分かっている物の対策をしても仕方がない。

「ところで、巡礼の方はどう? エリオ君とは上手くいってるのかな?」

 ふと、フェリスがそんなことを聞いてきた。

 世間話のつもりだろう。クレネストは今までのことを思い浮かべつつ口を開いた。

「はい、未熟な点もありましたが、それなりにおかげさまで……」

「そっか~、ゴラム市では大変だったみたいだね。新聞に乗ってたよ?」

 それを聞いて、クレネストは嘆息交じりに呻く。

「でもね~、あまり危険なこと、しちゃだめだよ?」

「はぁ……そうですよね。私もできれば避けたいのですが」

 声も眠そうにクレネスト。ついでに言うなら、あまり目立ちたくはない。

 こんな時に限って、不穏な動きばかりで、頭の痛い思いではあった。

「ほらほら、謎の巨大建造物も、あれから二つほど増えてるみたいだし、もしものことがあったら大変だよ。ゴラム監獄の方は絶望的って書いてたし」

 声のトーンを落としてフェリスが言う。

 正確には三つ。どうやら世間的にマーティルの大樹だけは、同じ物とみなされていないようだ。青白い霧という現象だけは共通しているのに、誰かしら気がつかないものなのだろうか。

(まぁ、それはそれで、よいかもしれません)

 クレネストは思う。巡礼路順に柱が立っていくのを、少しでも誤魔化せているのなら好都合だった。

「もしもと言われましても、それは防ぎようがありませんから」

 とぼけるように、そう口にする。

 するとフェリスが、なにやら怪訝そうな顔をした。おそるおそるといった風に、頬を引きつらせながら聞いてくる。

「ええと~それってどういう意味かな~?」

 意外と想像がつかないものなのだろうか。とりあえずクレネストは少し考えて、実際には有り得ないのだが、有りえそうな感じで答える。

「いえ……自分の今いる場所、例えばこうしてくつろいでいるところへ、運悪く出現するかもしれないと思いまして」

 ひくっという一瞬の引きつった悲鳴が聞こえた気がした。

 湯の中にいても青ざめるものなのか、フェリスの顔色が悪くなっていく。

「あはは、そ、そうよね、あははは、そういうことも」

 言いながら、クレネストが首を傾げている前で、ずるずると彼女は湯の中に沈んでいった。

 夕食の後――昼間、海ではしゃぎすぎたせいなのか、テスが急にうとうとし始めた。

 クレネストは仕方なく、一旦部屋へ戻った。テスを寝巻きに着替えさせ、寝かしつけてから、再び部屋の外に出る。

 エリオの姿も傍にはない。いつも自分に付き合わせてばかりでは、彼も息苦しいことだろう。そう思い、自由行動を許可してある。たまにはハメを外して、遊んでくればよい。

(今頃、マシアス君のお母さんの『夜の儀』が始まっている頃でしょうかね)

 それは人が死んだ時、夜に行われる祈りの時間。クレネストは、廊下の窓から街を眺めつつ考えた。

 あのダイエルという司教は、とても人格者とは思えず、かなりの不安が残る。やむを得ずアルトネシアの名を持ち出すこととなったが、根本的な解決にはなっていないだろう。

(普通の巡礼であれば、もう少し良い形に収めたいのですが)

 さすがにそのような、込み入った問題に関わっている時間はなかった。

「あれ~、クレネスト司祭どうしたの~?」

 声がした方を見やる。

 廊下の向こうから、フェリスがこっちへ向かって歩いてくるのが見えた。

「エリオ君の姿が見えないようだけど」

「今は自由にしてもらってます。外へ出てるかもしれません」

「あらま、一人で寂しくない?」

「いえ、別に……」

 素っ気無く返して、再び街の方へ目を向けた。

 フェリスはなにやら、こちらの顔をじっと見て――

「ひょっとして暇?」

 呻いて、クレネストは目線を下げる。

 テスも寝てしまったし、エリオもいない。やるべきことは特になく、夕食を終えたとはいえ、まだ七時も回っていない。かといって、今から奉仕活動の手伝いをするにも、中途半端な時間であった。

 フェリスがポンっと手を打つ。

「だったら私の部屋にこない? 美味しいお菓子があるんだけど」

「え? それはお邪魔になりますでしょう」

 クレネストは首を傾げた。いくらなんでも、恋人同士の時間を邪魔するほど野暮ではない。

「あ~今レイオルもどっか行ってるからさ~、私も暇だから散歩してたのよね」

「はぁ、なるほどです」

 そういうことであればと、クレネストはフェリスの言葉に甘えることにした。

 フェリスの泊ってる部屋は同じ階だった。狭い部屋にはベッドが二つ、窓側から等間隔に並べられていた。その間にはナイトテーブルがあり、星動灯が置かれていた。部屋の奥には鏡台があった。

「そこに座ってもいいよ」

 フェリスの言う「そこ」、というのはベッドのことだ。

 手前にあるベッドの側面に、クレネストは腰を下ろした。窓の方を向いていることになる。

 部屋の左隅で、こちらへ大きな尻を向けているフェリスが目に映った。どうやら床に置かれたバッグの中を探しているようだ。

 クレネストは居住いを正し、

「ん?」

 ふと、左手に何かが当たる感触。

 顔を向ける。布団の間に本が挟まっているのを見つけた。

(これは?)

 その本を手に取る。手の平より二回りほどの大きさで、ピンクのブックカバーがかけられていた。

 表紙が見えないので、中身はわからない。

 法術関係の本だろうか? それにしては薄いが――クレネストは興味本位で開いてみた。

「…………」

 思考が弾け飛ぶ。

 なんというか……それは非常に過激な本だった。

 柔らかく言えば、男女の営みを描いた図画。細部が詳しく描写され、フキダシがついていて、ストーリー仕立てである。

「……あ~」

 しまったという感じのフェリスの声。

 クレネストはビクっと体を震わせて、反射的に本を閉じた。ぱすんっ、という音が部屋に響く。

 しばしの間を置いてから、おそるおそる顔を上げ、フェリスの方を見やった。

 彼女はカラフルな小箱を両手に持ったまま、真顔で突っ立っている。

 二人は見合ったまま、なんとも言えない静寂が流れた――

「お、置いてありましたので」

 耐えかねて、先にクレネストが言葉をこぼす。

 途端、フェリスの口元が猫みたいに丸くなった。目には好奇の色が浮かんでいる。彼女はもの凄い早さでベッドへ這い上がり、クレネストに体をすり寄せてきた。耳元で囁いてくる。

「こういう本は読んだことあるの?」

「ぁ……いいえ」

 顔を逸らして答えるクレネスト。

「興味はある?」

「い……あ……その」

 否定しとうよしたが、言葉に詰まる。先日、恥ずかしい思いをしたことが頭をよぎったのだ。

 性に関する知識。

 自分も、子供を産むにはどうすればよいかくらいは知っていた。もっともそれは、医学的に学んだ上での話。俗的な営みの詳細については全く知らない。

 こういう本にはそれが書かれているのだろうか? そうだとしても、とてもじゃないが自分では買えない。誰かに頼むこともできない。

 しかし、ここにいるのはフェリスと自分だけ――彼女はなんだか乗り気みたいだし、女同士なら話しやすいだろう。これは、クレネストにとって数少ないチャンスだった。

 ぐっとこぶしを握りしめて、口にだす。

「……わからないですけど」

「何が?」

「そ、その……子供を作る行為……ですが――具体的にどういう流れになるのか……とか、専門用語……とか……」

「せ、専門用語て……」

 フェリスが大きく肩をコケさせて、苦笑を漏らす。

 今の言い方も、おそらくはかなり変だったのだろう。クレネストは赤面しながらうつむいた。

「ん~分かったわ~、私の経験談とか、クレネスト司祭には特別に色々と教えてあげちゃおう」

 自信たっぷりに言って、フェリスはクレネストの肩を抱き寄せる。

 クレネストが緊張に身を硬くしている前で、ゆっくりとフェリスは、本のページをめくり始めた。

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