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こうも遊んだのは久しぶりだ。海で遊ぶのも初めてのことで、山育ちのクレネストにとっては、かなり新鮮な体験だった。
着慣れていない水着は露出も多く、体の線が見えてしまって、男性からの目線が今更ながらに恥ずかしい。
エリオだって、あんなにも自分のことを見ていた。もしかしたら、とてもいやらしいことなのかもしれない。
でも、たとえそういう目で見られていたのだとしても、不思議と後悔するような気分が沸いて来なかった。胸中はむしろ、充実していた。
「ええー! なんでクレネスト司祭って水着の跡がついてないの?」
前へ後ろへ下から上へ――フェリスがクレネストの白肌をながめ回しながら言った。
喉元でタオルを握りしめつつクレネストは、その動きを目で追う。
フェリスの肌にはくっきりと、日焼けによる水着の跡が残っているようだ。
「わははははー」
テスも、自身についた日焼け跡を見まわして、バカ笑いをしている。
「私の肌は日差しに弱いので、最初から太陽光に対する防御法術をかけてました。それでも少し跡がついてしまいましたが、それも法術で治したのです」
「なるほどー流石の法術少女っぷりよね。私じゃ精々痛みを治す程度だね。でも、水着の跡に興奮する人もいるのよ?」
「いえ……興奮させなくてもよいので」
変な豆知識を吹き込もうとするフェリスに、軽く眩暈がしてしまう。
クレネストは深く溜息をついて、辺りを見回した。
ここは星導教会の沐浴場。あたりには白い湯気が立ち込めている。
(随分と豪華に)
以前、巡礼で訪れた時は、浴槽もなく、ただ身体を洗えればよい程度の場所だった。
それが今はどうだろう――わざわざ温泉を引いてきたらしい。大きな浴槽を備え、床、天井、柱、全てが木造。木の香りが立ち込めていて、心安らぐナチュラルな空間に変貌していた。しかもまだ出来たばかりなのだろう、新しくて綺麗だ。
これならば、他の温泉宿にも負けない。しかも無料ときている。プライベートにもかかわらず、フェリスとレイオルが、星導教会宿舎にわざわざ泊っているのは、おそらくこのためだろう。
さすがにゴラムパレスほど広くはないが、窮屈というほど狭くも無い。
そろそろ夕方に入ろうかという、沐浴するには早目の時間。それでも沢山の人がいて、結構な賑わいを見せていた。
「さて、さっそくはいろうかなー」
フェリスが早足に浴槽へ向かう。クレネストはゆっくりとその背についていった。さらに後ろからはテス。
浴槽の縁でしゃがみ、かけ湯を済ませ、フェリスは湯の中へ足を踏み入れようとした。
その様子をなんとなく眺めて――ふとクレネストの脳裏にあることが閃く。急いで声をかける。
「あっ、少々お待ちくだ……」
言葉半ばで、盛大な水しぶきがあがった。クレネストはびくっとして、きつく目を閉じる。周囲の人達に、どよめきが広がり、テスも目を丸くしている。
やはりというか、なんというか……
目を開ければ、思ったとおりフェリスの姿が消えていた。湯面に大きな波紋が生じている。
あわてて縁へ駆け寄って、クレネストが浴槽の中を覗き込むと、
「ぷはぁっ!」
すぐにフェリスは湯の中から顔を出した。縁にしがみつき、突っ伏して、乱れた呼吸を整えている様子。
「お怪我はありませんか?」
クレネストが声をかけると、フェリスは涙目で、
「はう~びっくりしたぁ~」
どうやら大丈夫そうなので、ほっと胸を撫で下ろす。
クレネストはテスを縁にしゃがませて、一緒にかけ湯を済ませた。
「西岸地方の温泉は、立位浴で有名なので、もしかしたらと思いました」
ゆっくりと慎重に、湯の中へと身を沈めながら、クレネストが口にする。
「そういえば旅行ガイドに書いてあったような? すっかり忘れてたよー」
フェリスは自分の頭をこつんと叩き、下唇を上げた情けない顔で声を出した。
そう、この浴槽は深い――湯面はフェリスで肩より少し下、クレネストで顎のあたり、テスにいたっては足がつかない。身長が足りない二人は、縁にへばりついて足を浮かせていた。
「そんな深そうには見えなかったし」
続けて言ったフェリスに、クレネストはこくりと頷き、縁を枕のようにしながら口を開く。
「屈折のせいもありますけど、底が見えませんからね」
多少の透明度はあっても、底の方が白く濁っていて見えない。完全に距離感を見あやまったのだろう。
「今度から、いきなり足を突っ込むのだけはやめておくわ」
と、フェリス。賢明だと思う。
(ついでに安全対策の提案も……いえ、意味がないかもですね)
考えて、すぐにそれを否定する。
普通なら、今みたいな勘違いが生じないよう工夫する必要性がある。ただ、近い将来壊れると分かっている物の対策をしても仕方がない。
「ところで、巡礼の方はどう? エリオ君とは上手くいってるのかな?」
ふと、フェリスがそんなことを聞いてきた。
世間話のつもりだろう。クレネストは今までのことを思い浮かべつつ口を開いた。
「はい、未熟な点もありましたが、それなりにおかげさまで……」
「そっか~、ゴラム市では大変だったみたいだね。新聞に乗ってたよ?」
それを聞いて、クレネストは嘆息交じりに呻く。
「でもね~、あまり危険なこと、しちゃだめだよ?」
「はぁ……そうですよね。私もできれば避けたいのですが」
声も眠そうにクレネスト。ついでに言うなら、あまり目立ちたくはない。
こんな時に限って、不穏な動きばかりで、頭の痛い思いではあった。
「ほらほら、謎の巨大建造物も、あれから二つほど増えてるみたいだし、もしものことがあったら大変だよ。ゴラム監獄の方は絶望的って書いてたし」
声のトーンを落としてフェリスが言う。
正確には三つ。どうやら世間的にマーティルの大樹だけは、同じ物とみなされていないようだ。青白い霧という現象だけは共通しているのに、誰かしら気がつかないものなのだろうか。
(まぁ、それはそれで、よいかもしれません)
クレネストは思う。巡礼路順に柱が立っていくのを、少しでも誤魔化せているのなら好都合だった。
「もしもと言われましても、それは防ぎようがありませんから」
とぼけるように、そう口にする。
するとフェリスが、なにやら怪訝そうな顔をした。おそるおそるといった風に、頬を引きつらせながら聞いてくる。
「ええと~それってどういう意味かな~?」
意外と想像がつかないものなのだろうか。とりあえずクレネストは少し考えて、実際には有り得ないのだが、有りえそうな感じで答える。
「いえ……自分の今いる場所、例えばこうしてくつろいでいるところへ、運悪く出現するかもしれないと思いまして」
ひくっという一瞬の引きつった悲鳴が聞こえた気がした。
湯の中にいても青ざめるものなのか、フェリスの顔色が悪くなっていく。
「あはは、そ、そうよね、あははは、そういうことも」
言いながら、クレネストが首を傾げている前で、ずるずると彼女は湯の中に沈んでいった。
夕食の後――昼間、海ではしゃぎすぎたせいなのか、テスが急にうとうとし始めた。
クレネストは仕方なく、一旦部屋へ戻った。テスを寝巻きに着替えさせ、寝かしつけてから、再び部屋の外に出る。
エリオの姿も傍にはない。いつも自分に付き合わせてばかりでは、彼も息苦しいことだろう。そう思い、自由行動を許可してある。たまにはハメを外して、遊んでくればよい。
(今頃、マシアス君のお母さんの『夜の儀』が始まっている頃でしょうかね)
それは人が死んだ時、夜に行われる祈りの時間。クレネストは、廊下の窓から街を眺めつつ考えた。
あのダイエルという司教は、とても人格者とは思えず、かなりの不安が残る。やむを得ずアルトネシアの名を持ち出すこととなったが、根本的な解決にはなっていないだろう。
(普通の巡礼であれば、もう少し良い形に収めたいのですが)
さすがにそのような、込み入った問題に関わっている時間はなかった。
「あれ~、クレネスト司祭どうしたの~?」
声がした方を見やる。
廊下の向こうから、フェリスがこっちへ向かって歩いてくるのが見えた。
「エリオ君の姿が見えないようだけど」
「今は自由にしてもらってます。外へ出てるかもしれません」
「あらま、一人で寂しくない?」
「いえ、別に……」
素っ気無く返して、再び街の方へ目を向けた。
フェリスはなにやら、こちらの顔をじっと見て――
「ひょっとして暇?」
呻いて、クレネストは目線を下げる。
テスも寝てしまったし、エリオもいない。やるべきことは特になく、夕食を終えたとはいえ、まだ七時も回っていない。かといって、今から奉仕活動の手伝いをするにも、中途半端な時間であった。
フェリスがポンっと手を打つ。
「だったら私の部屋にこない? 美味しいお菓子があるんだけど」
「え? それはお邪魔になりますでしょう」
クレネストは首を傾げた。いくらなんでも、恋人同士の時間を邪魔するほど野暮ではない。
「あ~今レイオルもどっか行ってるからさ~、私も暇だから散歩してたのよね」
「はぁ、なるほどです」
そういうことであればと、クレネストはフェリスの言葉に甘えることにした。
フェリスの泊ってる部屋は同じ階だった。狭い部屋にはベッドが二つ、窓側から等間隔に並べられていた。その間にはナイトテーブルがあり、星動灯が置かれていた。部屋の奥には鏡台があった。
「そこに座ってもいいよ」
フェリスの言う「そこ」、というのはベッドのことだ。
手前にあるベッドの側面に、クレネストは腰を下ろした。窓の方を向いていることになる。
部屋の左隅で、こちらへ大きな尻を向けているフェリスが目に映った。どうやら床に置かれたバッグの中を探しているようだ。
クレネストは居住いを正し、
「ん?」
ふと、左手に何かが当たる感触。
顔を向ける。布団の間に本が挟まっているのを見つけた。
(これは?)
その本を手に取る。手の平より二回りほどの大きさで、ピンクのブックカバーがかけられていた。
表紙が見えないので、中身はわからない。
法術関係の本だろうか? それにしては薄いが――クレネストは興味本位で開いてみた。
「…………」
思考が弾け飛ぶ。
なんというか……それは非常に過激な本だった。
柔らかく言えば、男女の営みを描いた図画。細部が詳しく描写され、フキダシがついていて、ストーリー仕立てである。
「……あ~」
しまったという感じのフェリスの声。
クレネストはビクっと体を震わせて、反射的に本を閉じた。ぱすんっ、という音が部屋に響く。
しばしの間を置いてから、おそるおそる顔を上げ、フェリスの方を見やった。
彼女はカラフルな小箱を両手に持ったまま、真顔で突っ立っている。
二人は見合ったまま、なんとも言えない静寂が流れた――
「お、置いてありましたので」
耐えかねて、先にクレネストが言葉をこぼす。
途端、フェリスの口元が猫みたいに丸くなった。目には好奇の色が浮かんでいる。彼女はもの凄い早さでベッドへ這い上がり、クレネストに体をすり寄せてきた。耳元で囁いてくる。
「こういう本は読んだことあるの?」
「ぁ……いいえ」
顔を逸らして答えるクレネスト。
「興味はある?」
「い……あ……その」
否定しとうよしたが、言葉に詰まる。先日、恥ずかしい思いをしたことが頭をよぎったのだ。
性に関する知識。
自分も、子供を産むにはどうすればよいかくらいは知っていた。もっともそれは、医学的に学んだ上での話。俗的な営みの詳細については全く知らない。
こういう本にはそれが書かれているのだろうか? そうだとしても、とてもじゃないが自分では買えない。誰かに頼むこともできない。
しかし、ここにいるのはフェリスと自分だけ――彼女はなんだか乗り気みたいだし、女同士なら話しやすいだろう。これは、クレネストにとって数少ないチャンスだった。
ぐっとこぶしを握りしめて、口にだす。
「……わからないですけど」
「何が?」
「そ、その……子供を作る行為……ですが――具体的にどういう流れになるのか……とか、専門用語……とか……」
「せ、専門用語て……」
フェリスが大きく肩をコケさせて、苦笑を漏らす。
今の言い方も、おそらくはかなり変だったのだろう。クレネストは赤面しながらうつむいた。
「ん~分かったわ~、私の経験談とか、クレネスト司祭には特別に色々と教えてあげちゃおう」
自信たっぷりに言って、フェリスはクレネストの肩を抱き寄せる。
クレネストが緊張に身を硬くしている前で、ゆっくりとフェリスは、本のページをめくり始めた。