●世界観B創世記・星の終わりの神様少女4

★☆4★☆

 エリオが戻ってきたのは、門限ギリギリの時間だった。

 少々遅れたところで鍵を閉められることはないが、九時を回る前には戻っていないと怒られる。

 買い物袋を片手に、戻ったことをクレネストに告げるべく、彼は廊下を歩いた。

 すると――

「あ、クレネスト様」

 廊下の先に、彼女の後ろ姿が見えたので、エリオは声をかけた。髪の毛の色のおかげで分かりやすい。

 クレネストも直ぐに気がついたようで、こちらの方へ振り返る。

(あれ?)

 彼女の顔が、妙に赤いような気がした。

 こちらを見つめる瞳が丸みを帯びていて、のぼせた感じである。

 もしかしたら熱があるのではないかと懸念しつつ、エリオは足早に歩み寄った。

「ただいま戻りました」

「おかえりなさい」

 挨拶を返すクレネスト。こうして近くで見ると、やはり顔が赤い。

 とはいえ、特別元気がなさそうな様子でもないし、柔らかな物腰で向き直る様は、体調不良のようにはとても見えない。むしろ、まるで何かをやりきった人のように思えた。

 理由など、もちろんエリオには知るよしもない。

 そんなクレネストが、チラっと視線を下げた。

「それはなんでしょう?」

 尋ねてくる。

 エリオは買い物袋を掲げて、中からレシートを取り出した。

「必要になりそうな物を買い揃えてまいりました」

「あらまぁです……」

 エリオからレシートを受け取り、クレネストが目を通す。

 それを黙って見ていると、徐々にクレネストの顔から赤みが抜けていった。

 運動でもしていたのだろうか? ――と、エリオは怪訝に思うも、ひとまず口を閉ざしておく。

 クレネストは手を下げた。

 いつもどおりの顔で、こちらを見上げて言う。

「はい、ありがとうございます。今日はもう休んでください。明日からは奉仕……」

 彼女が口を止めた。

 エリオも異変に気がついて、辺りを見回す。

 カタカタという音が鳴りだした。眩暈にも似た感覚で、体が揺れる。いや、揺れてるのは建物ごとか。

 緊張にざわつく心身。異質な不安感――予感――

「ま、まさか……」

「地震です」

 クレネストがそう呟いた途端、鳴動が急速に強くなっていった。

 宿舎が激しく軋み、窓がバタバタと不快に騒ぎだす。

 何処かで物が倒れ、転がり、ぶつかる音がした。乱雑に重なり、硬いノイズが反響していく。さらに混じって、女性の悲鳴が聞こえてきた。

 歩けないほど大きな揺れではないが、安心できるほど優しくもない。

「あ……」

 よろけたクレネストを、エリオは腰を落として素早く支えた。

 足を広げて踏ん張りながら、辺りの様子を確認する。

 幸い天井には、落下物になりそうな物はなかった。激しい揺れの中でも、宿舎は強靭な粘りをみせ、びくともしない。窓の外を見ても、倒壊しているような家屋は見当たらなかった。

(そうか、耐震構造)

 助祭になったあの日、クレネストが言っていた言葉をエリオは思い出す。

 西岸地方は地震が多い。だから、それに耐えられるよう、構造的な工夫がされている。

(とはいえ)

 それをわかっていて尚、恐怖の感情が沸きあがるのを禁じえない。それはクレネストも同じなのか、こちらの腕にすがりついて、じっと身を硬くしている。

「結構長いですね」

「じき収まるはずです」

 クレネストの言うとおり、やがて揺れが収まってきた。

 無言のまま、その状況をしばらく見守り。

 十分弱まったところで、二人はゆっくりと体を離した。長い安堵の溜息をつく。

「この地方では、これでも珍しいことではないのかもしれませんね」

 胸元を押さえながら、クレネストが先に口を開いた。エリオは少し考えて言葉を返す。

「うーん、そうなんでしょうか?」

「特に騒ぎが起きている気配もありませんので」

「悲鳴が聞こえましたが?」

「それはフェリス司祭です」

「あ~あ……」

 納得の声を漏らし、エリオは目蓋を上げた。

「はぁ……ですが、私もこればかりは慣れそうにありません」

 窓枠に手を置いて、外の遠くを眺めつつクレネスト。エリオも頷いて同じ方を見た。

「同感です」

 地震に対する恐れは、未だに払拭できない。最初の体験が凄烈すぎたせいだろう。

 クレネストは窓枠から手を下ろした。

「さて、特に問題もないようなので部屋に戻りますね」

「あ、はい。おやすみなさいませ」

 エリオが一礼すると、クレネストは自分の部屋へ戻っていった。

 二十分後――

 クレネストと分かれてから、エリオは部屋でしばらく――参考書を睨みながら、必死に難問を解いている最中、誰かがこの部屋のドアを叩いた。

 なんだろうと思いつつ、参考書をベッドに放る。ドアを開けにいった。

「ええとこれは……いったいどうされましたか?」

 外にいたのは眠そうなクレネストと、眠そうなテス。それにもう一人、フードを目深に被った小さな子。

 顔は見えなかったものの、服装からすぐにそれが、マシアスであると察した。クレネストに手を引かれている。

「エリオ君、いつでも出発できるよう準備してください。説明は後です。私はレイオル司祭とフェリス司祭を説得しなければなりませんので」

 困惑しているエリオに、クレネストがそう告げてきた。

(なんだかよく分からないけど)

 彼女の様子からして、どうやらただ事ではなさそうだ。もう片方の手には、バッグが握られている。

「わかりました」

 了解すると、クレネストは頷いて、そそくさと立ち去っていった。

 言われたとおりエリオは、急いで荷物をまとめる。それから部屋を出た。

 ひとまず部屋の前で待ち――数分後、クレネストが二人の司祭を連れて戻ってくる。

「エリオ君、移動しますのでついてきてください」

「どちらに行かれるのですか?」

「確証性はありませんが、警告をしなければなりません。万が一に備えて私達も避難します」

(避難? 警告?)

 クレネストは確かにそう言った。速足で歩きだす彼女にエリオはついていく。

 どういうことなのか想像もつかない。そもそも、何故ここにマシアスがいるのだろうか? 小さな子供が出歩くような時間帯ではないのだが。

 まだ消灯されていないので、廊下は明るかった。歩き、階段を下りて、向かった先は事務室。

「レイオル司祭、さきほどお伝えしましたこと、よろしくお願いします」

「では、少し待っていてください」

 クレネストの言葉に応えて、レイオルは事務室のドアをノックする。

 少々の間を置き、中から返事が聞こえてきた。

 レイオルは事務室の中へ入り――

「さて、エリオ君にも説明しますが」

 ドアが閉まったところで、クレネストがそう切り出してきた。

 深刻そうな彼女の声音に、エリオも身構える。フェリスは何故か、随分遠くに離れていった。

「この地方では六十年ほど前、ある恐ろしい災害により、多くの死者を出したということが伝えられています」

「災害ですか……それはいったい?」

 エリオが呻くように聞くと、クレネストが顔を上げた。こっちを真っ直ぐに見つめて言う。

「津波です」

 エリオには全く聞き覚えのない単語だった。

 ここが海に面している街でもあることから、海の波のことだろうか? だが、それが災害になるというのは想像がつかない。波など、地面に上がればすぐに崩れて引いていくイメージしかなかった。

「申し訳ありません。全く聞き覚えのない言葉なのですが、海でおきる波の何かですか?」

「ええ……ですが普通の波のように、海水の流れや風によって生じるうねりではありません」

「と、いいますと?」

「……エリオ君とは以前、レネピン町の視察で、巨大な地割れを調査してきたことがありましたよね」

「え? ああ……はい」

 忘れるわけもない――セレストで起きた大地震の原因。地割れによる人智を超えた衝撃が、あの日の惨状を招いたのだ。

「もし、あれと同じようなことが、海底で起きるとどうなると思いますか?」

「ええと、海底に急激なズレが生じるのですから、水面にも高低差ができて……あ……」

 イメージしながら言葉にしていくうちに、エリオは気がついた。ポンっと手を打つ。

「なるほど、それで波が発生するわけですね。それが津波ということでしょうか?」

「はい、そのとおりです」

「ということは、先ほどの地震が原因なのでしょうか? セレストの大震災から比べればたいしたことがなかったように思えますが、この程度でも危険が……」

 エリオはそこで言葉を止めた。

 クレネストも気がついたようで、目をパチパチとさせて合図を送ってくる。

 不気味に――重圧を伴って響く金属のような音――それが、耳の中でわだかまるように鳴っている。

 まるで人間の、根源的な恐怖心をくすぐるように、背筋がぞわぞわとする。

 陰鬱なる鐘の音……

 二ヶ月ぶりに聞いたその音に、エリオはただならぬ事態が起きる予感がした。

 他の者達には、やはり聞こえている様子が無い。

「セレストの地震でも、震源地から離れた場所では、それほど被害はありませんでした。ですから、ここでは振動が弱くても、遠方で強く揺れている可能性は、否定できないのです」

 未だ耳にくすぶる余韻の中、クレネストはそう言葉にした。

「……とはいいましても、マシアス君が訪ねてこなければ、私もその可能性について考えることはなかったでしょうね」

「はぁ、マシアス君ですか。さきほどから疑問だったのですが、マシアス君が何故ここにいるのですか?」

 エリオは、不安げにうつむいている男の子を見下ろして、疑問符を浮かべた。

「この子が異変に気がついて、知らせに来てくれたのです。ダイエル司教にも伝えたらしいのですが、聞いてもらえなかったそうでして、それで私のところへ――マシアス君どうです? まだ聞こえていますか?」

 クレネストは膝を折り、マシアスの顔を覗きこんでそう問いかける。マシアスは顔を上げて頷いた。

「はい星の妖精さん、どんどん大きくなっています」

「やはり……」

 それを聞いて、クレネストは表情を厳しくする。強い緊張の気配が感じ取れた。

「さきほどの地震が起きてからずっと、この子には地鳴りのようなものが聞こえているそうなのです」

「地鳴りですか」

 エリオは両耳に手を当てて、注意深く聞いてみるが、そのような音はさっぱり聞こえない。

「地震直後からずっと聞こえているのであれば、普通の音……ではないのかもしれませんね」

「どういうことですか?」

 クレネストの言葉に質問を返すと、彼女は考える素振りをみせた。少々困っているようにも見えた気がする。

「……それはその……残念ながら、はっきりとしないのです。音が段々と大きくなっているということから、何かが近づいて来てるのではないかと思いまして。地震と併せて津波ではないかと推測したのです」

「万が一とはそういうことですか……」

「はい、これが私の杞憂ならば、それはそれでよいのです。ですが、もしものことがあれば、取り返しのつかないことになりかねません」

「わ、わかりました。恐れ入ります」

 一礼する――ようやくエリオは、今置かれている状況を把握した。

(とはいえ……波で街が大災害というのは、いまいち想像しづらいな)

 いくら想像してみても、荒唐無稽に巨大な波浪しか思い浮かばない。

 色々な物語の挿絵や漫画を思い出してみるが、それらしいものは一つもなかった。

 そういう、実質的に無駄なことを考えてから数分――宿舎内に警報が鳴り響いた。

 事務室からレイオルが出てくる。離れていたフェリスも駆け戻ってきた。

「防災関連の当局へ問い合わせてみたのですが、地震が起きたのは沖合いで間違いないらしいです。あちらでも、津波の可能性を考えていたところだそうで、もうすぐ避難勧告を発令するらしいです」

「そうでしたか……対策はされていたのですね」

 レイオルの言葉にクレネストは、ひとまずといった様子で安堵の息をついている。

(三十分以上も経ってから避難勧告か、なにをモタついていたのやら)

 エリオが呆れていると、放送が流れた。上の階から慌ただしく、人が動いている音が聞こえてくる。

「さて、私達も避難を開始しなければなりませんが…・・・」

 クレネストはマシアスを見下ろして言う。

「いつ波が到達するのかまでは、全くわかりません。遠方の地震だとするなら、それなりに時間的余裕はあると思いますが――フェリス司祭とレイオル司祭は早急に避難を開始してください。私達はこの子を連れて、ダイエル司教の元へ行かなければなりませんので」

「何言ってるの! つきあうよ!」

 フェリスが、両拳を胸の前で振りながら、声を上げた。

 それには首を横に振るクレネスト。

「何かあった場合に、大人数になるほど対処しきれなくなります。どうかご理解ください」

 そう告げられて、フェリスは渋々といった感じで口をつぐんだ。そのフェリスの肩をレイオルが抱いて、頷く。

「では行きましょう」

 クレネストのひと声と共に、避難が始まった。

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