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夜の儀は、ダイエル自らが、執り行っているそうだった。
普通、司教の家族が亡くなった場合、別の司教に夜の儀や葬儀を頼むのが、星導教会の通例である。自身が任されている教会で、家族を弔うのは珍しいことだ。
もっともそのおかげで、マシアスの幼い足でも、宿舎へ知らせに来ることができたのだろう。
ただ、”星の妖精さん”で伝わったことは、クレネストにとってかなり複雑な気分であったが――
教会本堂の方にも、放送が流れていたのだろう。
参列客と見られる人々は、既に礼拝堂から外へ、移動を開始しているようだった。助祭達が誘導を行っている。
クレネストはマシアスの手を引いて、その脇から礼拝堂の中に入り込んだ。エリオとテスも後から続く。
中央奥の壇上を見やれば、業者風の男達が、台から棺を降ろしている最中だった。その傍らには、司祭達に指示を出すダイエルの姿。
「……ダイエル司教様」
クレネストが足早に近づいて声をかけると、ダイエルはこちらへ顔を向けた。こちらの顔ぶれに、マシアスを見つけたせいか、不機嫌そのもので、彼は眉間にしわを寄せる。
「君か……それにマシアス! お前、どこでなにをしてたんだ!」
開口するなりマシアスを叱り付けた。周囲の人たちが手を止めて、一斉に顔を向ける。
「勝手にウロチョロするなと言っただろう!」
父親の怒声に怯えて、マシアスは肩をちぢ込ませ、
「この忙しい時にお前はどこまで……」
さらに勢い込んで叱咤しようとするダイエルに、クレネストはさすがにムっとくる。露骨な咳払いで遮った。
彼は眉をひそめるが、周囲の視線に気がついたようで、気まずそうに呻いて黙る。
頃合を見計らって、クレネストは口を開いた。
「マシアス君を宿舎で見かけたので連れて参りましたが……」
周囲の人々が、何事もなかったかのように作業を再開する。
クレネストはそれらを見回して、
「どうやら、司教様は大変お忙しい様子――この子の事は、ひとまず私にお任せください。責任をもって保護いたしますので」
淡々と告げる。
父親なのだから、たとえどんなに忙しくても、子供の面倒くらいは見てほしいところだ。とはいえ、今の状況で問答をしている暇もなく、この男に任せていては、マシアスの身が危うい。
クレネストの申し出に、ダイエルは少々考える素振りは見せたが――やがて、これ幸いと言わんばかりに笑みをこぼした。
「そうか、それは助かる。ならここはいいから、君達は早めに避難しなさい」
無責任さに内心呆れつつも、クレネストは頭を下げて引き下がった。
(一時間と十五分……)
それは、地震が発生してから経過した時間。
トリスタン市を一望できる高台の公道は、避難してきた人達で一杯だった。他の高台の方にも、星動車の光が連なり並ぶ。
クレネストは沖合いを眺め、それからトリスタン市の夜景の方へ目を移した。
未だに市内を、星動車らしき光が動いている。何を考えているのか分からないが、海の方へ向かっていく光も見受けられた。こんな遠くまで警報音も聞こえているというのに。
心の底からの嘆息が漏れる。
「あー、耳が……」
エリオが隣でボヤいた。頭の横を、こんこんと叩いている。クレネストも憂鬱な気分で耳をさすった。
陰鬱に響く鐘の音が、先ほどから繰り返し聞こえてくるのだ。こんなに長く続くのは初めてだった。
「クレネスト殿、マシアスが酷く怯えておるのじゃ」
後ろから聞こえたのはテスの声。クレネストとエリオは振り向いた。
いつの間に上ったのか、星動車の屋根に腰をかけ、膝の上にマシアスを乗せている。
高いところへ上らされたので、怯えているのかと思ったが、どうやら違う。マシアスは額に汗を浮かべ、青い顔でじっと沖の方を見つめていた。時折、体を小刻みに震わせて、歯をカチカチと鳴らしている。
彼の怯え方は普通ではない。
「マシアス君?」
「よ……妖精……さん」
クレネストの呼びかけに、とりあえず反応はあるようだ。マシアスはぎこちなく、こちらへ顔を向けた。
「大丈夫ですか? 一緒に車の中で休みますか?」
心配して聞いてみると、
「……ぼ、ぼくは平気です」
か細い声ながら、マシアスはそう答えを返してきた。
おそらくは、精一杯の強がりなのだろう。口元をきつく結び、眉を吊り上げて頑張っている。
クレネストは少し驚いたが、そっと笑みをこぼした。
小さくてもやはり男の子――ということか。
「では、どうしても具合が悪くなりましたら、声をかけてくださいね」
そう言い残し、クレネストは再び沖の方へ視線を移した。
空には飛空挺と思わしき光の点が浮いている。海面へ向けて星動灯を照射しているようではあった。海はあまりに広大かつ闇が色濃くて、波の様子までは確認できない。
湾沿いに連なる街灯には、いまだ異常は見られず――時が刻々と過ぎていく。
「こんなに時間が経っても何も起こらないじゃないか!」
聞き覚えのある声が、道の向こうから聞こえてきた。
反射的にそちらを見やれば、軍警察に食ってかかるダイエルの姿。
道路脇には霊柩車。その手前には、ドアに星導十字が描かれた車が停まっている。
どうやら彼も、同じ高台へ避難していたようだ。
「本当に津波など来るのだろうな! こうしている間に、我が教会に賊が忍び込んだらどう責任を取るつもりだ!」
彼の剣幕に、軍警察の方も困った様子で説得しているようだった。
とはいえ、周囲のざわめきの中にも、少なからずダイエルを支持するかのような声も聞こえてくる。
これだけ時間が経っても何もおこらない――だから、もう大丈夫なのではないか? と。
「もういい私は戻るぞ! お前達!」
しびれを切らしたのか、ダイエルは居並ぶ司祭達に、教会へ戻るよう指示を出し始めた。
「し、しかし……警報はまだ解除されては」
「もしものことがあっては大変です」
数人の司祭が、不安げな表情で口にするが、
「ならお前達は歩いて帰れ!」
と、彼は全く聞く耳を持たず。霊柩車に乗っている業者の方へ動いた。
しばらく何かを話しているようだったが、やがて霊柩車が動きを見せる。狭い道路を何度か切り替えすと、坂を下る方へ車を向けた。
ダイエル自身も、手前の星動車へ乗り込む。司祭達がついてこないので、自ら運転席に座り、車を動かし始めた。
「困ったお方ですね、でも大丈夫なのでしょうか?」
エリオが声を落として聞いてくる。
「はぁ……それは分かりません。司教様の言われるとおり、これだけ時間が経てば大丈夫なものなのかどうか、それとも……」
クレネストにも、津波がくるという確証性はなかった。鐘の音も、今は止んでいる。
ここに留まるにしても、どの程度留まっていればよいのか、見当がつかない。
「行ったらだめだ」
ふと、マシアスがぽつりと言った。
「行ったらだめだよ。もう、そこまで来てるよ……お父さん」
「マシアス君?」
うわ言のように言葉を漏らしつつ、マシアスは自分の耳をきつく塞いでいる。
もう一度クレネストは、目を凝らして沖の方を眺めた。やはり何も見えない。
「エリオ君、双眼鏡を」
「はい」
エリオから双眼鏡を受け取る。もちろんそれだけでは、暗い海が見えるはずもない。
ふぅっと息をつき、クレネストは意識を集中した。
術式を暴く瞳――星渡ノ義眼――その力を発動させる。
一瞬で、夜景の全てが、青い術式の光によって埋まった。
式の光で明るくなったのは良いが、今度は眩しすぎてよく見えない。双眼鏡も術式となって見えているため、この視界のままでは役に立たなかった。
意識を制御し、余計な術式は見えないように間引いていく。その調整を終えてから、クレネストは双眼鏡に目をとおした。
沖の中ほどから、水平線の方へゆっくりと移して――
「うぅっ……」
クレネストは思わず息を飲んだ。
腹の中に冷たく重い感触――戦慄を覚え、言葉も無く後ずさりする。
視界の端から端までの水平線が、巨大に上昇しているのが見えた。海水に術式が漂っているおかげで、はっきりとそれが分かる。
「……クレネスト様?」
「なんてことでしょう。津波とはあれほどのものなのですか」
目下の街にふりかかる、理不尽極まりない破滅の予感に、クレネストは心底震えた。
視界を元に戻し、双眼鏡をエリオに返す。
沖を飛んでいた飛空挺が、ちかちかと光を瞬かせていた。光によって情報を伝達する信号だ。おそらく気がついたのだろう。
クレネストは声を上げる。
「エリオ君! 急げばダイエル司教様に追いつけるかもしれません。呼び戻さなくては!」
「えっ? あのような身勝手な人を助けるのですか?」
「……はい、それでも助けにいかないわけにはいきません」
クレネストはそう述べると、テスの方を見上げた。
「テスちゃん、マシアス君を頼みます。ここで待っていてください」
「ぬ、テスは行かなくてもよいのかえ?」
「危険になるかもしれない場所へ、マシアス君を連れて行くわけにはいきませんので」
「……んむ」
頷き、マシアスを抱きかかえたままテスは、車の屋根から飛び降りる。音も立てずに着地した。
「マシアス君、このお姉さんから離れないように、ですよ」
「でも妖精さん……」
クレネストが念を押すと、マシアスは不安げに顔を歪めた。幼いながら、身を案じてくれているのだろう。
「大丈夫です。いい子にしているのです」
そんなマシアスの頭をなでてから、クレネストは星動車に乗り込んだ。
運転席ではエリオが既に、原動機を始動している。
「クレネスト様、無理だと判断したらすぐに引き返しますからね」
「……分かりました。ではエリオ君、お願いします」