三章・還らぬ日々の先に
霊柩車が、道の中央で横向きに停まっていた。ボンネットがえぐられたように凹み、運転席ごと潰れている。ぐちゃぐちゃになった金属の隙間から、青白い粒状の光が漏れ出していた。地面には、黒っぽい液体がこぼれ落ちている。
「これは、なんということでしょう」
クレネストが嘆きの言葉をこぼし、口元を手で覆う。
少し離れた道路脇には、もう一台の星動車。こちらも運転席が同じように潰れていた。
トリスタン市中央へ続く幹線道路での悲劇。
「事故……ですね」
苦々しくエリオは呟いた。
住民の殆どが避難している閑散とした街中で、おそらくは油断があったのだろう。
ダイエルの星動車は、現場のすぐ後ろに停まっていた。こちらは無事のようだ。当のダイエルは道端で、途方にくれたように突っ立っている。
エリオは、その少し後方で車を停めた。二人は車を降りる。
「……な、何故君達が? どうしてここに?」
ダイエルは戸惑いの色を浮かべつつ、そう聞いてきた。
「それは後で説明いたします。それよりも救助しなくては」
クレネストの言葉を聞きながら、エリオは既に駆け出していた。一般車両の方へ。
運転席側へ近寄り、恐る恐る中を覗き込んでみる。
(うわ……)
呻くしかなかった。
中には運転手がひとりだけ――潰れた車体に体を挟まれている。衣服はべったりと赤に染まり、顔面が斜めに深々と切れていた。目は見開かれ、瞬きをしていない。念のため脈を計ってみるが、やはり既に事切れているようだった。
エリオは星導十字を示す印を切り、短い黙祷を捧げる。それからクレネストのいる方――つまりは霊柩車の方へ目を向けた。
なにやらダイエル司教が、助手席側のドアをこじ開けようとしている。おそらくは、車体がひしゃげてドアが開かないのだろう。クレネストは運転席側へ回っているようだ。
星痕杭を一本取り出し、エリオはそこへ駆け寄った。
「窓を割ります。よろしいですか?」
「あ、ああ……」
声をかけると、ダイエルは生返事を漏らして後ろに下がる。
エリオは星痕杭を逆手に握り、星動車の窓めがけて思いっきり突きたてた。
窓ガラス全体が、細かい粒状となってあっさりと砕けちる。
「ぐ、うぅ……」
中から男の呻き声が聞こえた。どうやら生きているようだ。
「クレネスト様、こっちの人は生きています」
「そうですか、こちらは残念ながら」
向かい側からクレネストの沈鬱な声。
エリオは壊した窓から中を覗く。運転席どころか、後部座席近くまで潰れていた。乱雑な塊となっている金属の隙間に、千切れたのであろう手首がぶら下がっている。体は埋もれていてよく見えないが、ひと目でわかる――これはどう見ても絶望的だ。
それに引き換え、助手席の方は比較的無事である。乗っていた男も、顔に多少擦り傷がある程度だった。
「しっかりしてください! 聞こえてますか?」
「ぐ、あ……」
男はぐったりとしている様子だが、エリオの呼びかけに、目をこちらへ向けて反応を示した。エリオはひとまずほっとする。
「エリオ君、あれから二十分近く経っています。急いで引っ張り出してください」
いつの間にか、クレネストがこちらへ回ってきていた。
エリオは了解して、窓から上半身を突っ込む。シートベルトをバックルから外そうとするが、
(くっ、外れない)
バックルがつぶれて変形しており、中で変な風に引っかかっているようだった。
(仕方がない星痕杭で)
体勢が悪く、少々危険ではあった。しかし、他に方法が思い浮かばない。
難しい体勢ながら、エリオはバックルに狙いを定め、そして星痕杭を射出する。
ばぎんっ! という硬い金属音。
バックルが根元から吹き飛んだ。
「いって!!」
はじけた何かの金属片が、右手に刺さってしまっていた。トゲ状のそれは、さほど大きなものではないが、小さくもない。引き抜くと、血が吹き出てきた。それを煩わしく思いつつも、外れたベルトを脇に退ける。男の体を掴んで、外へと引っ張り出した。
「エリオ君、治療を」
「いいえ、僕は大丈夫ですので、一刻も早く高台へ戻りましょう」
クレネストにそう言葉を返し、エリオは引きずり出した男を、そのまま背中に背負う。
「は? なんだと? なんで今更高台へ戻らなくてはならないんだ?」
ダイエルが戸惑う――というよりも、不満気な表情で口を挟んだ。
「津波が来ているからです。私達はダイエル司教様を呼び戻しに来たのですよ」
「何を言っている! バカも休み休み言え! 津波などいくらまってもこな……」
クレネストに食ってかかろうとしたダイエルは、途中で言葉を詰まらせた。
まるで見計らったかのように、それは現れる。
真っ直ぐに続く道路の向こうで、蠢く黒い塊が見えた――かと思えば、一瞬でそれが巨大に迫り上がる。辺りの建物を瓦礫に変え、押し流し、巻き込みながら這うように、
「うわぁ! なんだあれは!」
かなりの速度で迫ってくるそれに、ダイエルは指を差して悲鳴をあげた。
「ダイエル司教様! お急ぎください!」
クレネストが声を張り上げる。
「し、しかし妻が……」
「残念ですが運び出している時間はありません。私達まで巻き込まれてしまいます」
クレネストはそう告げて、乗ってきた車の方へ走っていく。
彼女に後部座席のドアを開けてもらい、エリオは背負っていた男を中へ押し込んだ。ドアを閉める。
「ダイエル司教様! お急ぎください!」
未だ突っ立っているダイエルの背中に、クレネストが大きめの声をかけた。
彼はうなだれる。悔しそうに顔を歪ませながら、すごすごと自分の星動車へ戻っていった。
「エリオ君、お願いします」
さすがに言われるまでもない。エリオは素早く運転席へと乗り込んだ。クレネストも助手席に座る。
もはや瓦礫だけではなく、大洪水のような濁流が迫ってきているのがはっきりと分かった。あれに巻き込まれればひとたまりもないだろう。
エリオは車を発進させる。いつもより強めにアクセルを踏み込んだ。
グンっという反動と共に、星動車が力強く加速していく。
「はぁ、なんとか間に合いましたね」
体を捻り、座席の間から後ろの様子を確認するクレネスト。
バックミラーにはダイエルの車が映っている。しっかりと、付いてきているようだ。
「時速三〇セルです。これで大丈夫でしょうか?」
と、エリオ。
「はい、余裕はありそうです――あっ……」
「どうしました?」
「いえ……今、霊柩車が飲み込まれてしまいました」
クレネストが淡々と口にした。
それを聞いて、エリオは渋い顔で呻く。
止むを得ないとはいえ、三人もの遺体をあの場に置き去りにしてしまった。なんともいえない後味の悪さが残る。
(あの司教が身勝手な行動さえとらなければこんなことには……)
エリオは思った。
いや、もっとそれ以前に――ダイエルがマシアスのことを受け入れてさえいれば……
今更考えてもしょうがないことである。それでも考えずにはいられなかった。
「エリオ君、そこまで急がなくてもよさそうなので、慎重にお願いします」
クレネストの言葉で、熱くなりかけた頭が冷やされる。
ついアクセルを踏む力が強くなっていたようだ。
「はい……」
とにかく今は、確実に高台へ避難すること。そう自分に言い聞かせて、余計な考えを頭から締め出す。
エリオは運転の方だけに集中した。
「終わった。トリスタン市はおしまいだ」
悲観する人々の嘆きの中に、ダイエルの声が混ざった。彼は膝を折り、地面に両手をついて震えている。
巨大な波は、高台の中腹までに達していた。未だに収まる気配もなく、後ろから押し寄せる波が、覆いかぶさるように打ち寄せている。激しい水流の中には多量の瓦礫が浮かび、ところどころで火の手が上がっていた。飛空艇が時々に照明弾を打つと、そこには悲惨な光景が、はっきりと浮かびあがってしまう。
かつて街があったその場所は、破滅的な波の脅威によって、完全に水没してしまっていた。
「さて……どうしたものでしょう」
クレネストがぽつりと言った。
彼女も流石に困り果てた様子。セレストの惨事すらも遥かに上回る事態に、エリオも言葉が出てこない。テスにいたっては、変な顔のまま、完全に凍りついてしまっていた。
(これも、星が壊れてきているから……か?)
想像していた波とはあまりにも違いすぎた。これをどう理解しろというのだろう。
まるで海の水が、陸の方へ丸ごと逆流しているかのような、信じられない光景。
「あの、妖精さん」
この光景を目の前に、意外にも口を開いたのはマシアス。
「え? はい、なんでしょう?」
「お父さんを助けてくれて、ありがとうございました」
ぺこりと、大げさなくらいに深々と、マシアスが頭を下げた。
先ほどまで怯えていたのに、今は思いのほか落ち着いている。
「はぁ……あっ、はい、どういたしまして」
クレネストも、少し驚いた様子で返事した。
しかし――
「助けてくれて、ありがとうございました……だと? よくもそんなことが言えたな」
ダイエルが唸るように吐き出す。ゆらりと立ち上がると、憤怒の形相でマシアスに迫っていった。
「……お、お父さん」
「お前だ、お前さえいなければお母さんは死なずにすんだんだ! あんな場所に置き去りにするようなこともなかった!」
まくしたてる父親の剣幕に、マシアスが表情を大きく歪めた。
「この災厄の星の子が!」
痛烈に罵倒する言葉を叩きつけ、ダイエルが右拳を振り上げる。
反射的に身を固くし、目をつぶるマシアスだったが、
「おやめください司教様」
エリオが素早くダイエルの手首を掴んで止めた。
「何をする! 離せ!」
暴れる司教の動きを、絶妙な力加減で封じながら、エリオはクレネストの顔色をうかがう。
ぼーっと眠そうな彼女は、一見反応していないかのようで――やがて頷いた。それを見てから、エリオは手を離す。
恨みがましい目つきで睨んでくる司教に、「失礼いたしました」と非礼をわびてエリオは下がった。内心は、非常に呆れていたが。
入れ替わるようにクレネストが、マシアスの頭に手を置いて、口を開いた。
「津波のことをいち早く察知したのはこの子です。この子がいなければ、私も直前まで津波が来ていることに気がつかず、司教様を呼び戻しに行っていなかったかもしれません」
「なに?」
「司教様も、思い当たるところがあるのではないでしょうか?」
言いつつ、探るような目を向けるクレネスト。
ダイエルはたじろいて、
「……だ、だからなんだというのだ?」
警戒するように尋ねてくる。
クレネストは少し考え、短い嘆息を漏らし――それから答えた。
「この子の言うことに、少しでも耳を傾けてさえいれば、あのような軽率な行動はとらなかったはずです。違いますか?」
「ぐっ……それは」
痛いところを突かれたのだろう、彼は言葉を詰まらせて呻いた。その司教を見据えながら、クレネストはさらに続けていく。
「この子は紛れもなく、ダイエル司教様の子ではありませんか。どうして受け入れてあげられないのでしょう? そうすることができたなら、誰も不幸にならずに……」
「う、うるさい! 知った風な口を聞くんじゃない!」
半ば言い訳気味に彼女の言葉を遮って、ダイエルが語気を荒げた。
「差し出がましいことは、お詫び申し上げます。ですが、マシアス君が何か悪いことをしたわけではありませんので」
動じず、淡々とクレネストが言い返す。
ダイエルは呻いて押し黙り、水没したトリスタン市の方へ目を向けた。
それきり何かを喋りだすようなこともなく――
(さすがにこれ以上、醜態晒すほど馬鹿でもないか)
周囲では、他の司祭達もそのやりとりを見ている。彼等の制止を無視した手前、このまま言い合いを続ければ、さすがに格好がつかないだろう。
そもそも、言い争いをしている場合でもないだろうし……
マシアスを慰めているクレネストに、そっとエリオは耳打ちをする。
「クレネスト様、ひとまずは近くの町に移動しませんか?」
その提案に、彼女は頷いて、
「そうですね……もう少し考えてから、ダイエル司教と相談してみます」
「えっ?」
思わず疑問符が漏れた。何故、あの司教と相談する必要性があるのかと。
「……なにか?」
不思議そうに首を傾げながらクレネスト。寸秒の硬直の後、エリオは思い違いに気がついた。
(ああそっか……そりゃまぁ、勝手にいなくなっちゃ駄目だよな)
世界の柱という目的のことばかりが頭にチラついて、その当然のことへの理解が遅れてしまったようだ。
「ああ、いえ……なんでもありません」
エリオは思い直し――再びトリスタン市の方へ顔を向けた。