★☆2★☆
ダイエルは運転しながら、バックミラーに映るマシアスを見て、鼻を鳴らした。
(まったく、こっちはこれからが大変だというのに、子供は呑気なものだな)
時計は夜、十一時を回ったばかり――
マシアスは後部座席で丸まって、すっかり眠ってしまったようだった。
他には誰も乗っていない。直属の司祭達は、別の星動車に乗せてもらっている。とても他人を乗せるような気分になれなかったからだ。
この星動車の前後には、他の教会員達の車が連なっている。クレネストという巡礼者も、列の何処かにいるだろう。彼女の提案で、あの高台に避難してきた星導教会員は、一度近場の町へ移動することとなった。
向かう先は、トリスタン市より内陸側へ一〇セルほどにあるポロネッサという町。
(あの娘、人の気も知らずに好き勝手言ってくれる……あの若さで司祭になって、大層な星導名をつけられて、少々思い上がっているのではないか?)
頭の中で、ダイエルは独りごちた。
マシアスのことをあれこれ言っていたが、大きなお世話だ。言われなくても、保護者としての責任を放棄するつもりはない。だが、実際に嫌がらせも多いのだ。あの長い耳が原因で――
ある日、そのことで妻に愚痴をこぼした。初めは軽い冗談のつもりだったのに、大喧嘩になってしまった。マシアス自身にも嫌悪感を抱くようになり、子供を庇う彼女との仲は次第に冷え込んだ。
(私だって、なんとかしたかったんだ)
もちろん、それでも妻のことは愛している。失ってしまった今でもだ。
マシアスが無事に産まれた時は、きっと家族を幸せにできるだろうと信じていた。
(なのに――なんで、こんなことに……)
家を出て行かれたと知った時、失意で頭がどうにかなりそうだった。懸命に行き先を探し、なんとか突き止めたまではよかったのだが、まさか自殺してしまうほど思いつめていたとは、考えもしなかった。
今日、家も失った。津波に呑まれた妻の亡骸も――おそらくは取り戻せないのだろう。
せめて、自分の手で埋葬してやりたかった。それも叶わなくなってしまった。
(この先、どうしたらいいのだろうか)
連なる星動車の列と、行く先に見えてきた町灯かりを見やり、ダイエルは暗然とした。
トリスタン市の復興へと国は動くだろう。司教として、自分もやらなければならないことが山ほどある。その責務は果たさなければならない。上に立つ者としての勤めだ――けれど、自分はもう、あの街へ戻る気にはなれない。仮に時間を巻き戻してやり直すことができたとしてもだ。
とはいえ――
人々から忌み嫌われる奇形の息子を抱えて、いったいどこへ行けばよいのやら。
考えても答えがでなかった。
かすかに漂ってきた花の香りに気がついて、ダイエルは顔を上げた。
日の光で霞んでいる廊下の向こう――風の気配の中、青銀の髪をなびかせながら歩いてくる娘がいる。
「おはようございます」
「君か……」
両手を揃え、恭しく挨拶をしてきたのはクレネスト。
彼女は旅装束ではなく、司祭服を着ていた。この姿を見るのは初めてだ。
「その服は、中々さまになっているな」
「はぁ……ありがとうございます」
とりあえず、といった感じの反応でクレネストは言った。
まぁ、あまり好かれてはいなさそうだし、下手な世辞だとでも思われてしまったのだろうか。
ダイエルは唸るような咳払いの後、罰が悪そうに口を開いた。
「あーその……昨夜は取り乱してすまなかったな」
「……いえいえ」
これもまた、とりあえずといった感じであった。
(ど、どうにも話しにくいな)
おそらく……これが地顔なのだろう。にこりともせず、むすっともせず、ただ眠そうにぼーっとしている。
どうにも愛想というものがないが、黙ったまま立ち去ろうとしないのは、こちらの言葉を待っている――のだろうか?
「えーと、マシアスの事が気になるのかな?」
とりあえずそう尋ねると、クレネストはかすかに顔を上げた。半開きの口が小さく動きだす。
「はい、昨夜は随分と怯えていましたので……具合悪そうにしていたりはしませんか?」
「ぐっすり寝ていたし、朝食も残さず食べていたよ。顔色も悪くなかったな。今は部屋で大人しくしているように言ってある」
「そうですか……司教様はこれから教会の方へ?」
「ああそうだ。いろいろと忙しくなるが仕方が無い」
それを考えると億劫になり、声までくたびれた感じがでてしまった。
トリスタン市から移動してきた星導教会員は、ひとまずはここ――ポロネッサ公民館を借りることになったのだが――いつまでかかることやら。
「はぁ……ではマシアス君は部屋でお一人なのですか。少々心配ですね、ひとまずここの保育所へ預けてみては?」
「おいおい、あのような子なんだぞ? 気味悪がられて嫌がらせを受けるに決まっている。知らないわけじゃないだろ?」
クレネストの意見に、ダイエルは嘆息してから答えた。
いまさら何を考えているのやら――と。
「ええ、そのことなのですが、たぶん大丈夫だと思いますよ」
なんの自信があるのやら、あっさりと言い放ってくる。
ダイエルは思わず片眉を歪めて、口をへの字にした。
そういう楽観的な娘とも思えないが、
「大丈夫? ……なにを根拠に?」
念のため聞いてみた。
すると彼女は数秒の間――ぼけっとしているのだったが――やがて口を動かす。
「そうですね……そろそろ開園時間ですので、その理由は直接ご覧になられるとよろしいかと思います。園舎は教会のすぐ傍ですので」
言って、細くて小さな人差し指を窓の外へ向けた。
それに釣られてダイエルは窓の外を見てみるが、殺風景な田舎町が映るだけ。どうやら正確な方向を示したわけではないらしい。むっと呻いて顔を戻す。
「どういうことだ?」
「園舎までおいでになれば分かると思います。では、失礼しました」
一礼して、クレネストは通り過ぎていった。
呼び止めようと反射的に上げてしまった右手を、ダイエルは静かに下ろす。これ以上、何も教えてくれなそうだ。
彼女の姿が、廊下の曲がり角に消えていく。
(いったいどういうつもりなのか……)
ああ言われてしまっては、どうしても気になって仕方がない。
会議の始まる時間までは、まだ十分な余裕もある。
ダイエルは足早に廊下を歩きだした。
公民館を出たダイエルは、両側三車線づつの、奇妙に広い道路を横断し始めた。車など、こうして周りを見てみても、殆ど走っている気配がない。今歩いている場所は、一応は横断歩道なのだったが、あってもなくても簡単に渡れそうな気がする。実際そうだろう。
無駄な歩数を歩かされている気分になり、それに呆れつつ、前を見やれば教会が見えた。これもまた、敷地は非常に広く鉄柵に囲われている。にも関わらず、肝心の教会は非常に小さい――四角い箱に、三角の屋根を乗せただけみたいなそれは、随分と投げやりな造りに思えた。しかも、かなり奥の方にある。
(やれやれ)
嘆息する。
さらに見回すと、門を入ってすぐ右手の方に、ピンク色の建物があった。こちらの方が教会よりも大きく、奥の方へ長い。おそらくこれが、園舎なのだろう。
(まったく、いい運動だな)
そんな皮肉を思い浮かべながら――ようやく横断歩道を渡り終える。
辺りには、子供連れの親達が歩いていた。
子供達の元気な喧騒が聞こえてくるが、マシアスのことが頭にチラついて、目を向ける気になれない。ダイエルは真っ直ぐ前を向いたまま、門を通り過ぎていった。
(さて、あの娘は行けばわかると言っていたが……)
園舎の前で立ち止まり、それをしげしげと眺める。
左右対称の、台形の屋根がついた二階建て。玄関の上の方に、丸い大きな時計が掲げられている。特になんの変哲もない園舎。
(八時か……気になって来てはみたものの、どうしたものやら)
時計を見上げながら、ダイエルが考えていると――
ばたっという音が後ろから聞こえた。
反射的に振り向いてみる。
すると子供がひとり、すぐ目の前でうつぶせに転んでいた。
これもまた反射的というか、ダイエルは当たり前のように声をかけ、
「おお君、大丈……夫……」
目に映ったものに、息を呑んだ。
黄色いツバつき帽子が転がってきて、一応はそれを拾い上げる。ただ顔は呆然としたまま、
「ああ、どうもすいませんね~、ほら立ちなさい」
栗毛の女性が、愛想笑いを浮かべて言った。この子のお母さんなのだろう。たぶん。
子供を立たせ、ダイエルの手から帽子を受け取ると、頭の上にかぶせた。
頭を下げながら去っていく女性と、子供の方を交互に見比べて――そのあとダイエルは、周囲の子供達を見回した。
呻き声を漏らす――
(み、耳が長い子供がこんなに?)
さっきまで全然気がつかなかったが、注意深く見てみれば、結構な割合で混ざっている。耳の長い子供が。
(……これはいったい? それに、耳が長い子供は……)
すぐにそのことに気がついた。マシアス同様、耳が長い子供達は全員が、何故か栗毛である。
(そういうことか)
クレネストの言葉にようやく合点がいった。
朝っぱらから司祭服を着こんで、何をしていたのかと思えばなんのことはない。マシアスのことで、保育所へ相談しにいってきたのだろう。
ダイエルは、呆れとも嘆息ともつかない、曖昧な溜息をついた。それから天を仰ぐ。
(こんな近場に……なんてこった)
知るのが遅すぎた。もっと早くに知っていれば――いいや、
ダイエルは顔面を手で覆う。
(ちょっと探せば見つかったはずだ!)
強烈な後悔の念が押し寄せてきた。
できるだけ問題に触れたくない。他人に知られたくない。その思いが情報を集めたり、人と相談することを拒絶していた。相談をもちかけてくる妻にさえ、余計なことをするなと怒鳴りつけていた。
なんと愚かなことか――
「ダイエル司教様」
かかった声に顔を下ろす。
いつの間にそこにいたのか、クレネストが立っていた。
そしてもう一人、
「……マシアス……」
不安げな表情を浮かべている我が息子。
ダイエルは歩み寄り、ゆっくりと腰を降ろして、その顔を覗きこんだ。
こうしてじっくりと顔を見るのは、何ヶ月ぶりだろう。くりくりっとした大きな瞳に丸いほっぺた。男くさい自分とは似ても似つかず、女の子と見まごうばかり。
頭を隠しているフードを後ろの方へ下ろしてやると、中からフサフサの髪の毛が出てきた。長い耳も、ぴんっと左右に伸びている。
「……お父さん」
「ふぅ、やっぱりお前はお母さん似だな。もう耳は隠さなくてもいいから、みんなと仲良くして良い子にしているんだぞ。父さんはこれから忙しくなるからな」
「う、うん!」
戸惑い気味に返事をするマシアス。その頭を軽く撫でてやると、嬉しそうに顔をほころばせた。
ダイエルは立ち上がり、
「クレネスト司祭、君は本当にお節介が過ぎるな」
溜息まじりに口にする。
「君はたしか、セレストの司祭だろ? 聞けばあちらも相当ひどかったそうじゃないか。こんなところで余計なことしてないで、さっさと巡礼済ませてセレストへ戻りなさい」
まるで、厄介払いするかのように言ってしまったが、本心としては、一人でも多くの手伝いが欲しい状況。
ただ、何時までかかるのか分からない問題に、彼女を縛り付けておくのは気が引けた。
「……はい、わかりました」
意図を察しているのか、意外と素直に頭を下げるクレネスト。
これでこの話は終わり――と思って、ダイエルは息をつこうとしたが、
「ですが、もう一つだけ……」
即座にでた彼女の言葉で、思わず息を詰まらせる。
まだ何か問題があるのかと、緩みかけた表情が強張った。
むせてしまわなかったのは幸いだが――
「な、なにかね?」
「昨夜もお伝えしましたが、マシアス君は津波の接近を感じとることができるようです。いま、海岸線は非常に危うい状況にあり、再び津波が押し寄せてこないとも限りません。ですからダイエル司教様……マシアス君の助言には、しっかりと耳を傾けて頂ければと思います」
「あ……あぁ……わかったよ。約束する」
ややこしい問題ではなくて、ほっと胸をなでおろした。彼女の方も、心なしか安心した様子で息をついている。
「さて……それではマシアス君、これでお別れですね」
名残惜しそうに微笑んで、クレネストはマシアスの頭を撫でた。
「うん、妖精さんばいばい」
そんな彼女を見上げながら、マシアスが手を振って笑顔を返す。
まだ舌足らずなこの子は、クレネストの言う「お別れ」の意味を理解しているのだろうか?
「それではお元気で」
ダイエルに一礼を残し、去っていく彼女の姿を、しばらくの間見送って、
「マシアス行くぞ」
「うん」
我が子の手を取りダイエルは、園舎の方へと歩いていった。