●世界観B創世記・星の終わりの神様少女4

★☆4★☆

 ボルベイト火山は、裾広がりの美しい円錐形をしていた。標高も、付近の山に比べて頭一つ飛びぬけており、絶景との評判から登山する人も多いらしい。

 山頂にある火口からは、常に火山ガスが噴出していて、白煙を上げている。

 日中であれば、そんな姿を見ることもできるのだったが、やはり夜ともなれば、星空の中に黒い影を残すのみ。

 であったが――

 そんなボルベイト火山の日常は、彼女の言葉ひとつによって打ち砕かれた。

「術式……第二段階、解放」

 クレネストの言葉と共に、山頂から球状の光が膨れ上がった。

 それは瞬く間に火山全体を覆いつくす。

 少々の間をおいて、地面からの強烈な振動が伝わり――耳鳴りと共に風圧が、背後より襲ってくるのを感じた。星動車が煽られて、バタバタと揺れる。エリオが心持ち速度を落とした。

「……はぁ」

 風が治まった後、ゆっくりとクレネストは息を吐き出す。特に意味があったわけでもなく、なんとなく。

「さすがに疲れましたね」

 と、これはエリオ。

 クレネストは頷いて、

「はい……でも、ポッカ島の時よりは……ですね」

 そう答える。

 何合目かまでは、車が通れる道があった。山へ入ってからの経路も登山シーズン中のためか、それなりに整備されていた。天候にも恵まれた。

 結構な標高があるものの、あの時から比べれば、体力的な消耗は少ない。

「いや、まったくです。あの時は酷いどしゃぶりでしたし、道はありませんし」

 苦笑まじりにエリオが言った。

 クレネストも同感といった表情で頷いた。

「そうでしたね……ですが、夜間の登山で火口付近に近づくというのも、それはそれで大変危険なのでしょうけど」

 ボルベイド火山の山頂から吹き上げているのは、有毒なガスである。風向きにもよるが、火口に近づけば濃度も上がり、吸い込めば命にかかわるだろう。立ち入り禁止区域に入って、実際に命を落としたという事例もあるらしい。

 防毒マスクを使えば防げるのだろうが、口元を覆ったままでは、術式を組むのに必要な『音声』を上手く発音することができない。膨大な術式を組まなければならないのに、それは致命的であった。

 そこでクレネストは、有毒ガスのみを術式として分解することで、空気を正常化した。さらに微弱な風の法術で、ガスが流れ込んで来るのを防ぐ――それをエリオに任せることで、安全性を確保したのだった。

「はは、クレネスト様が行くというのなら、僕はどこへでもお供しますよ」

 軽い笑い声を上げつつ、エリオがそう漏らす。

(そんな気軽に……)

 言うことではないと思う。

 横目を使ってちらりと、彼の様子を盗み見た。

(…………)

 すがすがしいまでに、迷いがなさそうな表情。それでいて集中している。

 適度に張り詰めた空気の中で、信頼と責任感が伝わってきた。決して能天気で言っているわけではなさそうだ。

 そう感じた途端、言葉の重みが増したような気がして、なんだか気恥ずかしさが込み上げてくる。

「そ、そうですか……頼りにしています」

 呻き気味になってしまったのを、居住いを正すふりをして誤魔化した。

 そうこうしているうちに――

 ひとまず星動車は山間部を抜ける。そこはまた、広々と寂しい荒野だった。

「十時半……そろそろですか」

「そろそろですね」

「うへぇ~、またアレかえぇ」

 時を告げるエリオにクレネストが答え、それを聞いたテスが、眉間にシワを寄せて目を細めた。

 随分と時間がかかってしまった。山間部は道が曲がりくねっていたために、思ったよりも距離が離れていないので仕方が無い。

 エリオがゆっくりと、星動車を道路脇に寄せて速度を落としていく。

 完全に止まるのを待ってから、クレネストは大きく呼吸を整えた。

 これで第五柱目――

 封印を解除した時の、異質な感覚にも慣れきってしまったのか、クレネストは最後まで意識を保つことができた。

 それはエリオも同じようで、こちらの様子をうかがっている。

 後ろのテスは、相変わらず目を回したままだった。そろそろ慣れてもいい頃であったが、この子の鋭敏な感覚が仇となっているのだろうか?

 目をあわせたエリオとクレネストは、互いに頷いて車を下りる。

 下りるなり――

「うわぁ! すっげぇ!」

「はぁ……とても綺麗です」

 エリオが目を剥いて声を上げ、クレネストも思わずうっとりと、自画自賛の声を漏らした。

 推進力の機能を宿した世界の柱――

 それはまるで、宝石で作られた巨大な建造物だった。

 深く透き通ったマリンブルーの結晶によって、規則正しく天まで積みあがっている。星空にも劣らぬ膨大な粒子が、優雅な曲線を描きながら内部で渦巻いていた。ぽつぽつと、周囲に光球が現れては上昇していき、やがて消える。

 圧倒的な存在感と美麗さでありながら、世界は奇妙なほどに静かだった。

 クレネストは無音の余韻に、しばし陶酔する――

「先日見せていただいたローステラムと似ていますね。ポッカ島の時から気になっていましたが、術式分解したものによって特徴や材質が決まるんですか?」

 と、エリオ。

「材質はローステラムではありませんが、術式分解した物質の特徴を元に、構築することが可能なのです。画材によって、描かれたものにも特徴が表れるような感じで」 

 クレネストは、星動車のボンネット越しに答えた。

「なるほど……いやそれにしても、宝石商がこれを見たら、卒倒しそうですね」

 説明を聞いたエリオは、冗談交じりにそう言って、肩をすくめた。

 実際この柱に、そういう値打ちはないと思うのだが、宝石の山と勘違いして盗掘しようとする輩はいるかもしれない。

(まぁ、それは不可能ですけど……)

 軽く考えていると、目の前で後部座席のドアが開いた。

 中からでてきたのはテス。道路にちょこんと下り立って、体をひねり調子を確かめている。

 が――

「……ふおぁえ~!!」

 すぐに頭を抱えて仰け反った。世界の柱が目に映ったのだろう。

 悲鳴とも感嘆ともつかない、奇妙な声を発し――しばらくそれを観察して――まあよいかと、クレネストは口を開く。

「さて、とりあえず近場の村まで行って宿を探しましょう」

「宿……見つかりますかね?」

 エリオの疑問に、クレネストは嘆息する。

 本来ならば、町の多い西海岸沿いから北上する予定だった。もちろん夜遅くまで開いている宿も調べてあったのだが――今は津波によって、おそらく壊滅していることだろう。予定が大きく狂ってしまった。

 手持ちの地図によれば、このまま北上すると村があるらしいのだが、

「見つからなければ、今夜は野宿です」

「……そうなりますか」

 高確率で、そうなる予感しかしない。

 顔を見合わせると、二人は申し合わせたように肩を落とした――

 それから、

「あ、あれはなんなのじゃ!?」

 今更ながらに、テスが声を上げる。

 何度か世界の柱を見てきたこの娘でも、やはりこれは衝撃的だったのだろう。

「はい、今回の世界の柱ですが、ローステラムの術式を元に構成していますので、大変綺麗でしょう」

 クレネストは端的に解説した。

 するとテスが振り返る。なぜか怪訝そうな面持で、

「うんにゃ、そうじゃのうてだな……」

 言って柱の方向へ……いや、大分上だろうか? 指を向けた。

「あそこに浮いておる黒いのはなんじゃ?」

(黒いの?)

 夜空で黒いのと言われても――と思いつつ、顔をゆっくりと上げていく。

 案外あっさりと、それは見つかった。

 普通ならその姿は見えないのかもしれない。背景にしている世界の柱が巨大すぎるため、そこに黒丸を打ったかのように存在している。それは飛翔している何か。

 こうして見ている間にも大きくなり、音もなくこちらの頭上へと近づいてきた。徐々に高度を落としながら。

(これは飛空艇……まさか)

 何故この機体がここへ現れたのか、その理解は後まわしにするとして、ともかく見覚えがあった。

 海を泳ぐ海獣を思わせる、滑らかな流線型の機体。夜の闇に溶け込み、無音で空を翔る。そんな機体などそうそう他にあるわけがない。

 間違いなく、赤コートの青年を乗せていったあの飛空艇だ。

 かなり良質の術式制御回路を使い、重力緩和をしているのだろう。付近まで降りてきたかと思えば、ピタリと動きを止めた。微動だにしない。こんなに接近されて、ようやく風の流れる音と駆動音が聞こえてきた。

 三階程度の高度を保ちつつ――こちらへ向かって星動灯を照射してくる。

「ぬぅ! ついに現れおったか!」

 テスは銃剣を抜いて、犬歯を見せた。

「く、クレネスト様!」

「あれはテスちゃんを襲った滅亡主義者の飛空艇です。気をつけてください」

 うろたえているエリオに注意を促して、クレネストは印を切りはじめた。

(テスちゃんを追ってきて? まさか見られた?)

 そのように考えるのは早計なのだが、もしもということもある。ともかく、相手がどういった意図をもってここに現れたのか……そこが問題だ。

 防御法術を張って様子を見ていると、

「どこかで見た顔だと思えば、クレネスト・リーベル司祭? か……」

 聞き覚えの無い男の声が、飛空艇から聞こえてきた。どこの誰なのかはともかく、とりあえず会話はできそうだ。

 クレネストはさらに印を切り、拡声の法術を使う。左手の甲を口元にかざした。

「あなたの声には聞き覚えがありませんが、その飛空艇には見覚えがあります。ポッカ島で私を攻撃してきたでしょう? 聞こえてますか?」

「聞こえているに決まってるだろう! わざわざそんなデカイ声にしなくてもな! でなければ話しかけたりしない! それに私はポッカ島へは行ってない! お前の顔は新聞の挿絵で見ただけだ!」

「……そ、そうですか」

 相手が急に怒りだした気がしたので、律儀にクレネストは音量を下げた。

「ふんっ、それにしても、まさかお前がいるとはな」

 鼻を鳴らし、男がそう漏らす。クレネストは十分に警戒しつつ、口を開いた。

「特別私に用があった――というわけでもなさそうな口ぶりですね」

「挙動の怪しい光が見えたからな。関係があるかもしれないと思って、駄目もとで接触したまでだ……」

「関係? ですか」

「あの建造物が出現する少し前に、星動車を停めただろう? まるで、そうなることを知っていたかのようにな」

 声のトーンを一段低くして、探るように男が言う。

(たったそれだけのことで?)

 クレネストは呆れた。なんという目ざとさか。

 確かに辺りは暗くて、他の星動車も走っていない。上空からでも、星動車の灯かりを見つけることはできるかもしれない。けれど、相当の注意を払っていたとしても、普通は見過ごす。

 内心舌を巻きつつも、眠そうな双眸を崩さずに、クレネストは口を開いた。

「はぁ……星動車を停めたのはそこの彼ですが、その事とは全く関係ありません」

「ほう、では停めた理由はなんだ?」

「それはですね……ただ」

「……ただ?」

「急にオオカモウジウジモドキが飛び出しましたので」

「…………」

 もちろん大嘘である。

 相手の男は、それでも意表をつかれたらしく、しばし当惑の気配と呻きが聞こえた。

「お、オオなんたらモドキ? それは、その……なんだ?」

「オオカモ、ウジウジ、モドキ……です。この辺りの荒野を走り回る、気味の悪い夜行性の鳥のことですが」

 言葉を区切りつつ、それに合わせて左へ右へ、小首を傾げながら答えるクレネスト。

 これは本当である。たまに星動車にはねられた死骸が、道端に転がっていることもあるらしい。

「ああ、あの鳥はそういう名前なのか……詳しいな司祭」

 なんだか困ったように、ぶつくさと呟いているのが聞こえてくる。見たことはあるらしい。

 空気が一気にしらけていくのを感じた――

 が、

「たわけっ! そんなことなどどうでもよいわ!」

 焦れたのだろう――バンっと足を踏みならし、テスが剣先を飛空艇へ向けた。

「それよりも腐れ外道の赤コートはそこにおるのじゃろうな!」

 しばし、相手が沈黙する。

「……おいジル、あのチビスケが言ってるのはお前のことだろう?」

 唐突に聞こえてきたそれは、どこかぼやぼやとした女性の声。少々音声が遠いようだが。

「やはりそこにおるのか! さっさと下りて来い! 今度こそ八つ裂きにしてくれる!」 

――と、チビスケが言っているがどうする?」

 チビスケというのはテスのことだろう――またも少々の間、音声が途絶える――いや、微かにだが、声らしきものが聞こえてきた。内容までは聞き取れないが。

 やがて、

「ここから一方的に攻撃できるのに下りるわけないだろう。頭悪いのか? だそうだ……」

「ぬぁんじゃとぉー!」

 女性にそっけなく伝えられ、声を張り上げるテス。小さな肩を怒らせているが、それ以上はどうにもならない。ここから銃剣を投げつけたところで、飛空艇はビクともしないだろう。

 逆にこちらが攻撃されたとして、この防御法術がどの程度もつものやら――と、クレネストは考えた。

 一方的に攻撃できるというのは、いささかこちらを甘く見すぎであるものの、今ここで戦ってみようとは思わない。

「ん~あ~、なんか話の腰が砕けてしまったようだが――

 再び聞こえた渋い声。咳払いを挟んで、続けてくる。

「我々はべつに戦いに来たのではない。あの精細極まりない白銀の術式――お前達もあの奇跡を見ただろう? あれについて何か知らんか?」

 どうやらあちらにも戦意は無いらしい。ただ腑に落ちず、クレネストは首を傾げた。

(なぜ滅亡主義者が世界の柱に興味を? いえ……興味があるのは術式の方? ですか)

 何を企んでいるのか全く分からない。慎重に言葉を選びつつ、クレネストは答える。

「今のところ際立った情報などありませんけど、知っていたとしても、重要な情報を滅亡主義者に教えるわけにはいきません」

 唸る声が聞こえた。

 上空を見上げてみても、相手の顔色などわからない。静かに浮かぶ飛空艇から、とりあえずは視線らしきものを感じるだけ。

 返答を待っていると、

「そうか……できれば拉致して拷問にでもかけてやりたいところだが――

 さらりと恐ろしい言葉が返ってきた。無論、脅しなどではないだろう。

 クレネストは眠そうに見上げたまま、かくんっと首を傾げた。

「では戦いますか?」

「……ふん、ジルを圧倒するような奴を生かして捕らえる自信はないからな。今回はおとなしく退散することにしよう」

 男は嘆息混じりに、諦めの言葉を口にした。

 それを聞いて首を戻し、肩を脱力させつつ、ほっと一息のクレネスト。

「ほれ! さっさと行かんか!」

「は、はい!」

 男の叱咤と、誰かの返事が聞こえた。

 しばし何かの物音がしていたが、プツっという小さなノイズと共に音声が途絶える。

 三人が見上げている中で、飛空艇はゆっくりと上昇を開始し、

「はぁ~どうなることかと思いましたよ」

 エリオが安堵の声を漏らした。飛び去って行く飛空艇を見やりつつ、懐から手を抜く。おそらくは、原始の星槍を握っていたのだろう。

 張りつめていた空気が、ゆっくりと弛緩していくのを肌で感じた。

「彼等が私の術式に目をつけた理由がわかりません。面倒なことにならなければよいのですけど」

 法術を解き、クレネストは億劫そうに言う。

 もしもまた、同じ状況で彼らと接触するようなことがあれば、今回のような誤魔化しは通用しない。

「クレネスト様の高度な禁術でなければ出来ない何かを企んでいる……といったところでは?」

「かもですね……」

 エリオの推測に、曖昧にうなずいて、

 とりあえず――

 相当悔しかったのか、涙目になっているテスを慰めてから、車に戻した。

「はぁ……では、エリオ君……いきましょう」

「了解です」

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