四章・傷痕の多い大地
「海がどわぁっと広がって、街が飲み込まれたのじゃ。クレネスト殿はさすがに冴えておって難を逃れたのじゃが、それはそれは恐ろしい光景じゃった。その後、別の町へ移動したのじゃが、マシアスと同じく耳の長い子供がいっぱいいて驚いたのじゃ。テスも耳が長くならんのかのぅ? それと、今度は宝石みたいなデッカイ柱が出たぞ、なんたら火山のある場所だそうじゃ――めぼしいことはそのくらいじゃが~……そうそうクレネスト殿はこれからもっと北へ向かうらしいのじゃ。巡礼とやらも大変なのじゃ。それじゃ、ま・た・の~」
最後の三文字を可愛らしく発音するレネイド。ゼクターの背筋に悪寒が走った。
短く呻いて、たばこを灰皿の上でねじり潰す。
テーブルを挟んで座っている、ちょっと頭のおかしい小僧に一瞥をくれてから、ゼクターは口を開いた。
「ボルベイド火山だろ。今朝の新聞に書いてあった通りだな」
「というかさ……偶然かもしれないけど、リーベルちゃんの行く先々で超巨柱が出現している? ような」
「ふむ」
レネイドの意見に、小さくうなずく。それについては、つい先日から気になりだしていた。
彼の言う通り、偶然という可能性もなくはない。それにしても、タイミングが良すぎであると思う。
「クレネスト・リーベルのやっていることとは、やはり超巨柱に関係した何かなのかもしれんな」
「で、なんだけど……もう一通、こんな手紙が届いた」
そう言ってレネイドは、スーツの内側から封筒を取り出した。
飾り気が全くないそれは、開封されていなかった。
受け取り、裏返して差出人の名前を確認してみると、
「黒い子と奇跡の星……なんだこれは? しかも南大陸の古い言語ではないか」
「おお、さすがおじいちゃん! 素で読めるのか! これリーベルちゃんのことだよ。クレネは星導教で奇跡、ストは星だそうだ。ま、用心深そうだしな、あの娘」
「ああ、そうなのか?」
「たぶんテスちゃんの手紙から連絡先をつきとめたんだろうけどね~……まぁ、とりあえず開けてみてよ」
言われるままに開封し、中身を取り出してみる。
これもまた、何の変哲もない手紙が一枚出てきた。流れるような筆跡で、文章が書かれている。
とりあえず、目だけで読んでみたのだが、
「……ぬ……むぅ……んむ? ぬぬぬぬぬ?」
読み進めるうちに、ゼクターは怪訝そうに顔を歪めていった。
これを一体、どう受け止めてよいものやら。
「どしたの? なんて書いてあったの?」
きょとんと眼を丸くしているレネイドを睨みつつ、無言で手紙を差し出す。
彼はそれを受け取ると、軽く手首を振るって広げ直した。声に出して読み始める。
「……これを読んでいる方々が、先日お会いした人達なのかどうかは存じませんが、テスちゃんが信頼している方々の手に渡るものと考えて送りました。あの子は今、私のやっていることを承知の上で同行しております。そのことを、そちらにどう伝えればよいのか? 大変悩んでいる様子でした」
「全然似とらんし、その気色悪い女声をやめろ。脳天かち割るぞ」
わざとらしい抑揚をつけて読み上げる彼に、怒りを押し殺しつつゼクターが警告する。
ごまかすように、数回の咳払いの後――レネイドが続けた。地声で、
「あの子にいつまでも、私のために隠し事をさせておくのはしのびないので、少しだけこちらの情報を開示したいと思い、手紙にしました――へぇ情報か」
そこまで読むとレネイドは、眼鏡の中央を指で持ち上げて、位置を直した。ついでに座り直している。目には好奇の色が宿った。さらに続ける。
「ですが、信じてもらえるとは思っていません。ひとまず、私の個人的解釈と思って聞いていただければ、今回はそれで十分です」
少々の間が空いた。そこで大きく改行されていたからだ。そして、その先に書いてある文章――それが問題である。信じる信じない以前に、一体どう解釈してよいものやら。
「テスちゃんから話をうかがいましたが、星動力の消費によって星が崩壊する危険性は、存じて……いま……す? だと?」
さすがに目を疑ったのか、レネイドはもう一度小声で読み直した。
「しかもクレネスト・リーベルは、星動力の消費量をゼロにしたとしても、星の崩壊は止まらないと、そう主張している」
「ど、どういうことだ? いや、どういうつもり……なのか?」
「ようするに手遅れだと、書いている」
「…………」
言葉を失ったレネイドは、再び手紙に目を落とすと、その先を黙読していく。
素早く左右に往復する彼の視線。それを見据えながら、ゼクターは口を開いた。
「根拠は書かれていないが、あの娘が適当なことを書いているとは思えん。個人的解釈ということは、星導教会がその事を把握しているわけでもない……か」
もしくは、星導教会内における秘密裏の情報だろうか? 一瞬そんなことを考えたが、すぐに否定する。いくらテスのためであっても、教会内部の情報を漏らすとは思えない。
――と、読み終えたらしいレネイドが、手紙をテーブルの上に置いた。足を組み、思案顔で言う。
「もしかして、リーベルちゃんがやっているすごい事ってのは、その……星の崩壊を防ぐための何かってことか?」
「そのあたりのことは、テスに聞いてみないとなんとも言えないが……どうにも躊躇っているように思える」
「うーん、リーベルちゃんに気を使ってるのかなぁ?」
「星導教会を嫌悪しているあの子だが、クレネスト・リーベルには一目置いているようだしな」
ゼクターがそう言うと、レネイドは肩を竦めて短く息をついた。
「ま、テスちゃんの方は、気が済むまでやらせてみたらどうかな?」
「……お前にしては、随分と悠長だね」
と――これはゼクターではない。女性の声だった。
二人は反射的に、椅子から立ち上がる。見やった先は窓の方。風に揺れる白いカーテンの前に、ひとりの少女が佇んでいた。
白いドレスに身を包み、プラチナブロンドの長い髪の毛をなびかせている。瞳の色は深い青色。可愛らしいというよりも、凛々しく端整な顔立ちで、目つきは鋭い。場違いに若い娘だが、威厳に満ちた表情で二人を見据えていた。
「ゼクター、レネイド、久しぶり」
「え、エクリア様!?」
意外な人物の登場に、ゼクターとレネイドの声がハモった。二人は目を見開いて驚く。
「……おこしになっていたのですか」
ゼクターが呻くように漏らした。
「いつからこちらに?」
「最初からいたよ」
「こ、これは……申し訳ございません。まさかこのような場所においでとは――」
言葉にしながら感服する。カーテンの裏側にいたのだろうが、まったく気が付かなかった。二人を驚かせるために連絡もよこさず、わざと気配を殺して待ち構えていたに違いない。
エクリアという少女は、してやったりとばかりに笑みを浮かべつつ、ゆっくりとこちらへ歩いてきた。
「祖国にいても、あまりやることがね。こっちで指揮を取ることにした。とりあえず、お前たちの顔でも見ておこうとおもって――そうそう、ゴラム市で兄様とコルネッタにも会ってきたよ。いやはや、兄様のスーツ姿は傑作だったね」
「はぁ……本社からご連絡をくだされば、こちらから参上いたしましたのに」
ゼクターは頭を下げつつ、そう言葉にした。レネイドもつられたように頭を下げる。
「はは、ついでにこの国を見てまわるのも悪くないし、お前達も何かと忙しいよね?」
「恐縮です……」
「そうかしこまらないで……高々小娘の気まぐれだし」
「いえ、めっそうもございません」
少女相手に頭が上がらない――ゼクターの態度が示しているとおり、彼女は教団にとって、『尊きお方』の一人だった。グラディオルのことを兄様と呼んでいるが、彼女は腹違いの妹である。
「お父上……いや……教祖様にお変わりはありませんか?」
と、レネイド。
「母上共々元気にしているよ……」
どこか呆れたような口調でエクリアが、両手の平を見せつつ答える。
「むしろ元気すぎて、お盛んなのが困りものなんだけど……まぁ、それよりも……ね」
テーブルの上に置かれているクレネストからの手紙――彼女はそれを拾い上げて、
「クレネスト・リーベル……以前、報告書に書かれていた名前だよね。お前達の話を聞いた限りでは女の子のようだけど、この娘にちょっと興味ある」
「は、はぁ……」
ゼクターとレネイドは生返事を漏らして、顔を見合わせた。
「その娘、歳はいくつ?」
「十五だそうです」
答えたのはゼクター。
「ふーん、私と同じか……どんな娘?」
「寝ぼけ顔で髪が青くて、瞳が緑色という風変りな容姿をしておりまして」
「……それは人間なの?」
眉をひそめ、ジトっと見つめてくるエクリア。ゼクターが続けて答える。
「はい、まぁ一応……星導教会の司祭でありながら、すさまじい法術を操る娘です。グラディオルの金光をも防いだとか」
「兄様の? ますます想像しているものが人間ばなれしていくんだけど」
「ああいや……色的にアレなだけで、見た目は年齢よりも幼い感じの娘でして」
頭を抱えだした彼女を見て、横からレネイドがボソっと付け足した。
エクリアはその姿勢のまま、
「ということは、兄様と戦ったの?」
「いえ、奴個人の興味本位で力を試してみただけのようです。テスが仲介してるので大事にはなっていません」
ゼクターがそう言うと、エクリアは姿勢を正して咳払いを一つ、
「そ、そう……まぁ、それはともかくね……星動力を廃しても、星の崩壊は止まらないという根拠の方は、ぜひとも教えてもらいたいな」
「そうですよねぇ~」
レネイドが腕を組んで相槌を打つ。
(確かに……星動力と星の崩壊は関係がないという主張ならば、星導教会の戯言として済ませられる。だが、今更何をしても星は崩壊するというのなら話は別……しかし)
どうにも引っかかることが一つ。
(クレネスト・リーベルは、一体どこからそんな情報を手にいれたのだ?)
たとえ情報があったとしても、星導教会の司祭があっさり信じるとも思えなかった。つまりあの娘には、確信めいた別の何かがあるはず――と、
「それじゃあゼクター、早速よろしく」
「……えっ?」
考えこんでいるところに、エクリアから肩を叩かれて、目を点にするゼクター。
「護衛なら、レネイドよりお前の方が向いてるからね」
「あ、いやっ……あのっ……まさか直接お会いになられるのですか?」
「そのとおりだけど、なぜそんなにも意外そうな顔をするの?」
「いえ……かなりの遠出になりますが?」
「んー北方地方でしょう?」
言いつつ、エクリアは後ろを向いた。
彼女が目を向けたその先――部屋の壁に大きなタペストリーがかけられている。そこに描かれているのは、北大陸全土の地図だった。
「トリスタン市がここだから、今いる場所は……ここか」
エクリアは独りごちながら、トリスタン市の東側にある平野部に指を置く。へんぴな場所だが、新動力生成所を建設するのにちょうどよかったのである。
「で、北方地方のどのあたり?」
「西海岸付近を北へ三〇〇セルほどですね」
レネイドが答えた。
「いや、今から追いかけるとなれば、さらに北に向かうことになる」
と、こちらはゼクター。
レネイドが、「そうだった」と言って、後ろ頭を書いた。距離的には、その倍はかかりそうだ。
「ですから、わざわざエクリア様の方からお会いに行かなくても……後日場を設けるか、テスがそのうち話してくれるでしょうし」
そう尋ねてみるが、エクリアは渋い表情で、
「お前達を手玉にとり、テスの命の恩人で、兄様の金光も防いだ女の子。青銀の髪に、緑色の瞳。星の崩壊についても知っている星導教会の司祭――そんな特殊性だらけの娘に興味を持つなという方が無理あるでしょう。どうしても早く会いたいの。私の特性高級チョコレートあげるからお願い!」
上目をつかって睨んでくる。さきほどの威厳はどこへやら。
「さ、左様ですか……」
こうなると、結構この人は頑固で面倒だ。ゼクターは、仕方なしにそう漏らした。
「……しかし、やみくもに追いかけても迷うだけですな」
「じゃあ僕が、星導教会の巡礼路を調べてきますよ。そんなに時間かからないと思う」
レネイドが申し出ると、満足げな表情でエクリアはうなずいた。
「なるほど、じゃー調べがつき次第出発する。それと、給油ついでに北方地方側の新動力生成所も視察するからね。準備しといて」
「かしこまりました」
後でこっそりと、ゼクターはため息をついた。