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教会本部は、片側が大きく崩れてしまっていた。元は左右対称の三角屋根だったのだろう。周りに瓦礫が堆積し、中へ入ることもできない。それでもクレネストは、教会の前を清掃して場所を作ると、そこで礼拝の儀を執り行った。
ポロネッサ町を出てから二日目の昼――次の巡礼地であったこの町も、西海岸沿いに位置していた。トリスタン市からは北へ、最短でも半日ほどの距離がある。それでも津波は猛威をふるったらしい。瓦礫と残骸で埋めつくされた、陰惨な大地が遠方まで広がっていた。
瓦礫の撤去と捜索を進める人々から話を聞き、地図を睨みながら、地道に探すこと数時間――なんとか教会本部を見つけることができたのだが――
クレネストはその時、ただ静かに肩を落とすだけであった。
もちろん不測の事態であるし、なにもここまでしなくてもよいだろうとエリオは思う。けれど、無表情で淡々と教会を探そうとするクレネストを見ていると、何も言えなくなってしまった。
目的のために、ただ巡礼制度を利用しているだけだと思っていたけれど、それはどうやら勘違いだったようだ。
(星導教会の司祭として、しっかりしていたいんだな)
滅んだ町の壊れた教会の前で、星導聖歌を歌っているクレネスト――その横顔を盗み見て、エリオは思った。
(でも、この旅が終わったあとはどうなされるのだろう?)
今更ながらに気がかりでしょうがない。仮に新世界の創造が成ったとしても、彼女の将来像が見えてこなかった。もちろん、彼女なりに考えているとは思うのだが。
(……不憫なことにならなければいいんだけど)
やがて、歌が終わった――うっすらと目を開けるクレネスト。うっすらとしたまま、こちらを向いた。目が合う。
「こんなことになってしまったのは残念です。でも……この場所を見つけられましたので」
視線を横に反らし、どこか切なそうにこぼした。
助祭として、なにか気の利いた言葉をかけられないものか――エリオが迷っていると、
「終わったのかぇ~、ここは風が強いのぅ」
横手からテスの声。退屈だったので、その辺を散歩していたのだろう。風に煽られる黒いドレスを、うっとうしそうに押さえながら、こちらへと歩いてくる。
周囲にさえぎる物がないせいか、先ほどから海風がきつい。鋭い風切り音によるノイズで、辺りは騒々しくもあった。
「そうですね、髪の毛が少々……ですので、早く星動車にもどりましょう」
クレネストは、顔にからみつく横髪を払いながら、むず痒そうに言った。後ろ髪をリボンでまとめてはいたが、これも風で大きくなびいている。はためくスカートにも手を添えて、彼女は歩きずらそうに足を動かした。
星動車はすぐそこに停めてある。道は確保されていたので、近場まで乗ってこれたのだ。
三人は小走りに――車内へと逃げ込むように乗り込んだ。
「ふぇ~はげしいのぅ……クレネスト殿なら風なんぞ、ちょちょいと法術で防げるのではないのかえ?」
「はい、そうですね……でも、安易に法術に頼るものではありませんので」
テスにそう答えつつクレネストは、寝起きの人みたいになってしまった髪の毛を、もさもさと手ぐしで整えた。
何かのネズミ系の小動物が、ちょうど今の彼女みたいな仕草をするのを思いだしつつ、とりあえず車内が暑い――
風が入り込みすぎない程度に窓を開けておく。それからエリオは星動車を発進させた。土で薄汚れた道路を、ひとまず引き返すとして、
「一体、どこまで広範囲に被害がでたんでしょうかね?」
「……西海岸……全域……なのかもしれません」
エリオの言葉に、少し間を取りながら答えるクレネスト。はっきりと言うには、口につらそうに。
「恐ろしい光景じゃったが……これも星が壊れかけておるからかのぅ?」
大股を開いて腕を組み、悟ったような口調でテスが呟いた。こっちは全く遠慮がない。
エリオは呻き、クレネストは吐息をもらす。
「の、残りの巡礼地は内陸側ですから、ひとまずそういう危険性はありません……よね?」
「ん……です」
静かな調子でクレネストがうなずいた。いや、静かなのはいつものことなのだが、
(さすがにクレネスト様も、少々ナーバスになられているのかな)
どうにも違和感というか、元気がないように思えた。
津波といい、先日の一件といい、心配事が増えているせいだろうか? 疲れもでているのかもしれない。
「で、また長い道のりになるのかの?」
「あぁ、次の巡礼地……ケトルカント村だけど、九時間くらいかかるかな」
だぅ~んっとテスが表情を曇らせた。かくいうエリオ自身も、それを考えるとさすがに億劫である。体力はもとより精神的にも。
「はぁ、四時間ほど走ったら、宿を探しましょう。そのまま行っても、夜遅くになってしまいますから」
ため息混じりに、クレネストがそう口にした。
彼女の様子が少々気がかりであったし、エリオとしてはそれに異存はない。
「そうですね。僕もそれがよろしいかと思います」
「では、そういうことで――」
「あー時に、主らに聞きたいのじゃが」
突然、横から割って入るようにテス――バックミラーごしに見やれば、なにやらもじもじと、股の間で両手をすり合わせていた。
「どうしました?」
うしろを向いてクレネストが尋ねると、テスは上目づかいで、おずおずと口を開く。
「と、トイレのある場所までは……どのくらいかかるのかぇ?」
テスの言葉に彼女は沈黙した。思考中なのだろう。ただ、それほど長い時間はかけずに口にする。
「ん……それは町を出て、どこか近場のお店を見つけて」
「あの~、町を出るだけで、あと三十分ほどかかりますが?」
エリオが横からそう伝えると、クレネストが呆然とする。
彼女はまた、何かを思案しなおしているのかもしれないが――
「ひきゅっ!」
甲高い、警告的な悲鳴があがった。前席の二人に緊張が走る。
「の、の、の、の、のぉ」
なんだか、こう――顔色も青ざめてきている。冷や汗というのは、こんなにも流れるものなのか。
「もももも、もれっ! もれっ! ぬぉっ! ぬぐおぉ!」
テスが目をむいて、激しく身もだえしはじめた。
「て、ててて、テスちゃんこらえて! こらえて!」
「その辺! その辺でいいですからエリオ君!」
「そそそそその辺じゃとぉー!」
テスが抗議してくるものの、そうも言ってられる状況ではない。
結局――
テスはクレネストに連れられて、「その辺」で用をたすのであった。
北方地方は、その殆どが不毛の土地だ。
血管状に張り巡っている山脈に、途方もない数の湖が散在する。くぼみだらけの複雑極まりない地形のため、陸路は極端に少なく、大きな街などはない。冬は寒さが厳しく多量の雪も降る。最北端ともなれば、夏でも気温が低く、永久凍土に閉ざされている地域もあるらしい。
「おお、涼しい~」
「ほうじゃな~」
「ん……です」
エリオは背伸びしながら、テスは欠伸をしながら、クレネストは眠そうにしながら――つまりは平常通りに、それぞれ口にした。
星動車を降りて辺りを見渡せば、そこは見事に山だらけ。雪がどっさり降る地方らしく、針葉樹の森が続いている。ところどころに、小さな池や水たまりも見え始めていた。まさに、大自然まっただ中のような場所――
しかし、そんな場所にも宿屋はあった。
初めに見えたものは、奥へと傾斜のある緑色の屋根。一階建ての、長屋のようである。赤茶色の壁には、白いドアが沢山並んでいた。屋外から部屋の中へ、直接入れるという仕組みなのだろう。部屋の目の前が、すぐ駐車場になっていて、出入りが楽そうである。
(こういう宿に泊まるのは初めてだなぁ)
エリオは道路脇に立っている、「二十四時間営業」と書かれた看板を見上げながら、今更ながらに思った。
郊外の幹線道路や、星導教の巡礼路を通っていれば、このような形式の宿を見かけることも珍しくはない。気軽に寝泊りできるため、星動車で旅をする人々に、それなりの需要があるのだ。
(先日は、こんな宿すら見つからなかったけど)
あの時は、巡礼路から外れていたので、仕方がないといえば仕方がない。
「フロントは……あちらのようですね」
クレネストがそう言って、宿の左側へと歩いていく。
彼女の行く先を見やれば、左端に一つだけ両開きの扉が見えた。「営業中」と書かれた木製のプレートが吊るされている。その一画だけ、中も広そうだった。
とくに感想もなく、エリオとテスも彼女のあとに続き――
クレネストがその扉を開けると、軽やかな鈴の音が鳴った。
中に入ると、小さなカウンターが右側に、左側には四つほど丸テーブルが置いてあり、椅子も二つづつ置いてある――それらが余裕をもって置けるほどの広さがあった。
そして、カウンターには一人の男……たぶん、この宿の主人。
「ごめんください」
「いらっしゃいまっ……ふほっ!?」
案の定――主人と思われるその男が目を丸くした。彼女の容姿に驚いたのだろうが、
「二部屋、大人二名、子供一名、宿泊でお願いしたいのですが?」
何事でもないかのように、クレネストが淡々と伝える。
が、
「……えっ?」
きょとんとされている。
しばし、クレネストと主人の視線が交錯し……
「あ……あぁ、失礼……それではお名前と住所、星動車ナンバーをここに」
ようやく本来の仕事――宿屋としてのそれに気が付いたのか、主人が口にした。戸惑い気味に、宿帳を差し出してくる。
(……子供二名でも、とれそうな)
名前を書き込んでいるクレネストの後姿を見て、ふとそんな考えが浮かんでくる。もしかすると、宿屋の主人が戸惑っていた理由は、それも含まれているのではないか?
(っと、いかんいかん)
失礼な上に、まるで思考が貧乏くさい。
エリオが自己嫌悪気味に、その考えを頭の中から追いやっていると、
「はい、エリオ君」
「どうも」
受付と支払いを済ませたらしいクレネスト。その彼女から部屋の鍵を手渡された。
エリオが受け取ると、彼女は何かを探すようにキョロキョロと首を回しはじめ――ちょうど、カウンターと反対方向――つまりは、フロントの奥へ向けたところでとまった。壁上に時計があり、時刻は五時半を示している。
「では、そうですね……六時半になったら私の部屋に来てください。エリオ君も一緒に、お弁当をいただきましょう」
夕食の弁当は、ここに来るまでの間に買っておいたのである。
この手の宿でも、食事ができたり食堂が近くにあったりというところは多い。しかし、北方地方はドがつくほどの田舎である。そんな便利な店があるとは限らない。ようするに、念のため用意しておいたのだ。
「あ……はい」
エリオはクレネストの言葉に頷いて――
「ええっ!?」
普通に納得しかけて声を上げた。
「……なにか?」
不思議そうにまぶたを上げ、首を傾げながら聞き返してくるクレネスト。
「あ……あ~いや、ちょっと……よく考えたらなんでもないです……」
両手をぱたぱたと振りながら、エリオは言葉を濁す。彼女の方から誘ってくるとは思わなかったので、少々驚いてしまったのだ。
巡礼に出てからは、常に食事を共にしていた。セレスト本部にいた時も、積極的に誘っていたので、慣れたのだろう。そういうものだと感じてくれているのなら、それはそれで嬉しい。
ただちょっと、変な声を上げてしまったせいで、クレネストが大量の「?」を浮かべてしまった様子。
「さては、いやらしいことでも考えとったんじゃ」
テスが横からボソリと言う。
クレネストが無言で後ずさり、
「いやいや考えてませんから!」
エリオは青ざめつつも、力いっぱいに否定した。