★☆3★☆
クレネストは、鏡に映る自分の姿を見つめていた。
部屋にあった鏡台は、まぁまぁおおきい。椅子に座って向き合うと、上半身がすっぽりと映りこむ。 今は、ひらひらワンピースのねまき姿。うす水色で、胸元にピンク色のリボンが付いている。それは、以前フェリスから貰ったものだ。まったく趣味ではなかったが、それでも少しは着なれてきた――ような気がする。
髪の毛は、ちょっとだけ湿っていた。先ほどまでシャワーを浴びていたせいだ。おかげでクシを通せば、クセ毛がハネたようにならない。乾いてしまえば、元にもどるのだろうけど。
最後に、とろんとした感じで、眠そうと言われる反目を睨む。
(これで、普通にしているつもりなのですが)
クレネストは、ぱっちりと目を見開いてみた。黙っていると、つい半開きになってしまう口元も閉じる。
ちぱちぱと数回の瞬きをして、微笑んでみるが、
(変な顔)
クレネストは、短い嘆息を漏らした。
力を抜くと、すとんとまぶたが元の位置に落ちる。こうして比較してみると、確かに眠たそうなのかもしれない。
「どうしたのじゃ?」
クレネストの背中から、ひょっこりと顔をのぞかせるテス――鏡越しに、その姿が映っている。この子もまた、ねまき姿だった。
ひらひらワンピースなのは、クレネストと同じく。ただ、色味は全体的に黒っぽい。この子がいつも来ているドレスに合わせているだけなのだが、やはり黒髪によく似合う。その黒髪も、いまはリボンをつけておらず、まっすぐ腰の辺りでそろっていた。
「ん……目の中にゴミが」
クレネストがそう言ってごまかすと、「ふむ」っと短く声を漏らすテス。納得したようだが、なにやら嬉しそうである。
そんなに面白い顔をしていたのだろうかと、恥ずかしくも思いつつ――鏡台の脇に置いてある小さな時計の方へと目を移した。
時計の針は、エリオと約束した六時半まで、あと五分ほどの位置を示している。
(そろそろです……)
小物入れの中にクシをしまってから、クレネストは立ち上がった。
部屋の中を、今更になって見回す――というわけでもないが、外から見た時の印象よりも、意外と広かった。奥には二つのベット、その手前に丸いテーブルが置かれている。三人で囲うには、十分な大きさもあった。でも、椅子が二つしかない。
(これでいいですね)
考えて、クレネストは鏡台用の椅子を運ぼうとした。
と――
「……む」
テスがいち早く察知して、玄関の方へ目を向ける。クレネストもいったん椅子を置いて、同じ方向へ目を向けた。
「エリオ君……ではありませんね」
「そうじゃな、二人おる」
部屋の外から伝わってくる気配は、テスのいうとおり二人。それらが、部屋の前で立ち止まっている。
なんだろうと思っていると、咳払いの音が聞こえてきた。
こんこんとノックする音が鳴り、
「クレネスト・リーベルさん、テスちゃん、そこにいるんだよね?」
聞き覚えのない、少女の声が聞こえてきた。しかし、なにやら向こうはこちらを知っているようだが――
「こ、この声は……エクリア様じゃと!」
「お仲間ですか?」
尋ねると、テスが小さく頷いた。とても戸惑っているようである。
「私達がこの場所にいることを、連絡したのですか?」
クレネストは続けて聞いてみるが、テスは首を左右に振った。
「そうですか」
おそらく嘘はついていないと思う。
(と、すれば……なぜ、ここにいることがわかったのでしょう?)
山道にある小さな旅宿。普通なら、そのまま通り過ぎてしまいそうだ。テスも知らされていない、仲間の位置を探る方法でもあるのだろうか? だとすれば――
(私達の行動が、漏洩している危険性が……)
緊張の色を滲ませつつ、クレネストは玄関の方へと近づいた。
ドアから二歩ほどの距離をとって口を開く。
「はい、私がクレネスト・リーベルですが、あなたは?」
「うわっ! ほんとにいた! どうしよう?」
外から聞こえてきた、いささかマヌケともいえる言動に、クレネストの左肩がコケた。
(これはひょっとして……ただの行き当りばったりですか?)
そう思えてならない。
警戒していた分、溜めていた肺の中の空気が、一気に漏れ出してしまった。もっとも、相手の素性がわかっているのだから、そこまで警戒しなくてもよいか――と、クレネストは鍵を外し、そっとドアを開いた。
「はぁ……ええと」
察したとおり、そこには二人――うろたえている白いドレスの少女と、すぐ後ろに見覚えのある老紳士の姿があった。
その老紳士が口を開く。
「久しぶり、というほどでもないが、あの夜以来か」
「ゼクターさん、でしたっけ?」
クレネストがそう尋ねると、彼はうなずいて、「そのとおりだ」と答えた。
(やはりあの時の……)
顔には出さないようにしたが、なんというか、とても複雑な気分だ。
テスタリオテ市の星動力変換施設でおきた襲撃事件――その実行犯が今、こうして目の前にいる。
あの時は黒装束姿だったが、今は真紅のスーツに白いシャツ、黒いネクタイできめていた。まるで、社交ダンスにでもでかける貴族のような装い。こうして間近で見ると、体つきも相当に大きく、威圧感があった。
「それで、ええと……」
クレネストは、少女の方へ視線を移す。
いまだ目を丸くしたまま固まっているエクリアに、ゼクターは咳ばらいを一つして、
「エクリア様」
「えっ? ああ、そうね……はい」
慌ててエクリアは、姿勢を正した。それから口を開く。
「初めましてリーベルさん、私はエクリア・ロードと言います」
「エクリア……ロードさんですか」
はて? と、クレネストは思う。その名はたしか――
「グラディオルの妹君じゃよ。テスたちの教団で、かなり偉い人じゃ」
彼女の疑問を察して、いち早く答えたのはテス。
いつの間にか、クレネストの右横に立ち、人差し指をぴっと立てつつ、得意げに胸を張っていた。
「ははぁ、なるほど……」
納得する。だから二人とも、「様」をつけて呼んでいたのだろう。
クレネストは――ご褒美というわけではないが、なんとなくテスの頭に手を乗せた。
「くひゅっ」
っと、テスが息を漏らす。それを可愛く思いながら、クレネストは続けた。
「……それにしましても、よくここに泊っていることがわかりましたね」
「ええ、星導教会の巡礼路を調べて追いかけてきたのだけど……たまたまこの宿に泊まろうとしたら、宿帳にあなたの名前があるんだもの……まさかと思ったけど、驚いちゃった」
両手を広げ、苦笑しながら答えるエクリア。
(やはり、単なる偶然でしたか――)
そんな気はしてはいたが、一応の確認である。クレネストは態度に出さず、胸のうちでほっとした。
「それでその、高い地位にあるということですが、なぜそのような方がここに?」
「ふふ、大体察しては、いるのでしょう?」
「はぁ……多分ですが、手紙のこと、でしょうか?」
「ま、そんなところだけど……個人的にあなたにも興味があったからね。ほんとに髪が青いし、目も緑っぽいし――想像していたのとは大分かけ離れているけど、これはこれで私好みかな? うん、こうして見ると、なかなかいけるかも……でもなんで寝間着?」
「ええ、はぁ……ええとです」
じろじろとこちらを見回しながら、なにやらぶつぶつ言い始めたエクリア。その動きを目で追いつつ、クレネストは困った声を漏らした。
どこから話を切り出せばよいものやら。
迷っていると、
「貴様っ! ここで何してやがる!」
いきなりな横手からの怒声。そして駆け出す音。
左側を見やれば、ゼクターにつっかかっていくエリオの姿があった。
クレネストが声をかける間もなく、肉薄する。
「むっ」
エリオが繰り出す左の突きを、ゼクターは上体をひねってよけた。続けて繰り出される右の拳――なかなか鋭いが、これは手のひらで止められる。
「エリオ君! 落ち着いてください!」
「ちょっとあなた! なにしてんの!」
クレネストが静止の声を上げ、エクリアが割って入る。
「……あっ? えっ?」
拳を引いて、きょとんとするエリオ。
ゼクターは、何事もなかったかのように、襟元を正した。
「いきなり殴りかかってくるとか頭の中味は大丈夫? 私の靴下あげるから、あっちで好きなだけ匂いでもかいで落ち着いてきなさい!」
たじろぐエリオの胸元に、人差し指をつきつけながら言いつのるエクリア。高貴な容姿とは裏腹に、言うときは結構な毒舌のようである。わけはわからないが。
「ええと、なにがどうなって?」
「はぁ……みなさんとりあえず、周りのご迷惑になりますから、中でお話しましょう」
困惑するエリオに嘆息しつつ、クレネストはそう提案した。
「小僧、だいぶ腕を上げたようだな」
「気安く話しかけるな 、クレネスト様にケガさせたことは、絶対に忘れないぞ」
「ふむ、忠義というやつか……その真っすぐな精神は嫌いではないがな」
エリオとゼクターの、そんな会話が聞こえてきた。男二人で壁によりかかり、弁当を立ち食いしている。
一方こちらは――
三つの椅子とテーブルを、少女達だけで占領していた。
「さて、話してもらえる? どうして星動力を廃しても星は壊れるのか……あらま、これおいしい」
と、エクリア。話をきりだしつつ、鳥の唐揚げを口にしている。
クレネストは、紅茶をひと飲み、
「そうですね、例えるなら――病気の治療も、処置が遅ければ間に合わなかったりと……話としては、その類のことなのです」
「ええ、それはわかるけど、”間に合わなかった”という根拠は?」
問われて、クレネストは視線を落とした。食事をすすめていた手が止まる。
少し考えて、
「それは……この星が、既に壊れすぎているということです」
「んー、壊れすぎている……ね」
腑に落ちないという表情でもう一個、鳥の唐揚げにフォークを突き刺すエクリア。少し持ち上げた状態で、ぷらぷらと振りだした。
「まぁ確かにここ最近、大きな災害が続ているし、実感あるけど……星動力の消費量が減れば収まるんじゃないの?」
反論してくるエクリアに、嘆息が洩れそうになるのを堪える。やはり禁術抜きで、納得してもらうのは難しい。だからといって、ここで禁術を使って見せるわけにもいかない。
もっともエリオの時のように、完璧に説得する必要性はないだろう。
クレネストは息を吸い込んで、
「ステラの枯渇により、星に歪みが生じてしまうと、その歪みはステラが戻っても直りません。柱が折れて、歪んでしまった家の、柱だけを直しても意味がないのと同じことです。家ならば、適切な補強や再構築もできるでしょうけど、いびつになってしまった星を、元に戻せる大工さんなんていると思いますか? 星動力の消費量を減らしてできることは、あくまで延命だけです」
一気に言葉にすると、エクリアが呻いた。
難しそうな顔で唐揚げを食いちぎり、かといって不機嫌そうな様子ではないのだが、
「その理屈は正しいのかなぁ? わからないけど、否定できる材料もないしねぇ、うーん」
困ったように口にして――続ける。
「星動力はステラに戻らず、やがて枯渇して星が壊れるという情報――私たちは滅亡主義者共の根城を潰した時に入手したのだけど、リーベルさんの方は、どうやってその情報を入手したの?」
「ある人から教えてもらいました。おそらくこちらも、滅亡主義者から情報を入手したものではないかと――」
「なるほど――で、ある人って?」
「残念ですが、そこまでお話することはできません」
ぴしゃりと言ってクレネストは、弁当の中で華麗にフォークを回す。一瞬で、麺状の食べ物が巻き付いた。乳白色で、ミートソースのかかっているそれを、口の中へと運ぶ。
エクリアはその様子をじっと見つめ、何かを考えている様子だったが――結局、諦めたように息をついた。
「そう……なら無理には聞かないけど――でも、あなたは星導教会の司祭でしょう? 星が壊れるなんて話をよく信じたね」
「私はその人のことを、この世の誰よりも信頼していますので」
父親の笑顔を思い浮かべつつ、クレネストは口にした。
自然と顔がほころぶ。ただ、少しだけ寂しそうに、微かな影を帯びて――
「ふむ、そうなの……それはわかった。で、仮に”間に合わない”として、リーベルさんには何か秘策でもあるの? テスちゃんによれば、あなたが何かをしているそうだけど」
「ごふっ」
エクリアに細い目線をぶつけられ、テスが食べ物を吹いた。口元を抑えつつ、困った顔でうつむく。
やはりそうくるかと、クレネストは遮るように口にした。
「はい、考えています。ですが秘策というのは、人に知られてはいけないから秘策というのであって、まだ現段階では秘密です。途中で邪魔が入っても困りますから」
「邪魔……ね」
エクリアは、顎に手をあてて考え込むそぶりを見せた。なにか、思うところがあったのだろうか?
しばらくして、ちらっとテスに目配せするが、
「テスはクレネスト殿に恩義がある故に、エクリア様と言えど、今はまだ話すわけにはいかんのじゃ」
人差し指をつつき合わせ、上目づかいで申しわけなさそうにテス。
「う……うーん」
弱ったなという調子で苦笑いを浮かべつつ、エクリアは首を傾げた。
「じゃあテスちゃんは引き続きリーベルさんを監視していなさい。もし、彼女のやってることに不審な点があったら、すぐに知らせるように」
「う、うむ……わかったのじゃ」
なかなかの過保護。甘々っぷりである。
「あーそれで、リーベルさん」
「はい……なんでしょう?」
「いま世間を騒がせている例の超巨柱……っと、これは私達の間でそう呼んでるのだけど。謎のでっかい……なんというか、ほら、あれ」
「はい、わかりますが」
「あなたひょっとして、あれについて何かを知っているんじゃないの?」
再び、クレネストの食事の手が止まった。小首を傾げながら聞き返す。
「……何故ですか?」
「んー、なんとなく」
こちらは食事の手を止めずにエクリア。
とぼけているのか、それとも本気なのか――
(巡礼路から勘づかれた可能性――)
それを考えて、ふと気が付いた。
顔を上げ、寝ぼけ眼でエクリアの顔を凝視する。
「ん? 言えないのかな?」
「あ……いえ……その」
「やっぱり何か知っているようだね~」
「それは、その……」
勘違いしているエクリアに、クレネストが言葉を詰まらせる中――それは起きた。
最初にズシンっとくる振動。
それから物が砕ける音。
最後に誰かの悲鳴。
「ひきゃっ!?」
「なんじゃ?」
「お?」
「むっ」
クレネスト以外の四人が、それぞれの声を同時に上げた。
一呼吸の間をあけて、ブツっと星動灯の灯りが落ちる。
部屋は必然的に真っ暗――
「外か」
「ええ、妙な気配がありますね」
ゼクターの声が聞こえて、クレネストがそれに答える。
「なんぞ、随分殺気だっておるのぅ」
テスの言う通り、ただ気配があるだけではない。
外からじわじわと流れてくるもの――トゲトゲしく荒立つ嫌な感じ――これは明らかに殺気である。
重たい衝撃が、再び宿を揺らした。どこかで部屋を荒らしているのだろうか? 騒々しい物音がそれに続く。
「強盗かな?」
と、エリオ。
「その可能性も否定はできんが……」
言いつつゼクターが、ライターの火をつけた。少々薄暗いが、部屋の様子を確認できる程度にはなる。
「はぁ……エリオ君、星動灯を――外の様子を見てきましょう」
嘆息しつつクレネストは、疲れて重たくなった腰を、ゆっくりと持ち上げた。