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「おいいいい、いねーどー! だれもいねどー! いないからいねーどー!」
「まぢがいがーへやがーまぢがえだ……じゃーへやー?」
「ああ! なんだか人がいっぱいでできたお!」
ひどく濁った声質で、誰かが会話をしているのが聞こえてきた。
「な、なんだあれ!」
先頭に立って、部屋を出たエリオは、早速それを見て狼狽する。
既に外に出ていた人々も、彼と似たような声を漏らしていた。
彼が星動灯を向けた先――右手のフロントがあった方向なのだが――五部屋ほど向こう側の辺りに、異様な生き物が二匹いる。熊のように大きいが、熊は会話などしない。
よく見れば、その形はほぼ人型である。大型猛獣並みの重量はありそうな筋肉に、赤黒い肌。足や指の爪は禍々しく発達し、口にも大牙が生えていた。
「クレネスト殿、あれはもしや」
「いえ、ジルという人ではないと思いますが、あの時の術と同じですね」
(あの時の術?)
テスとクレネストは、どうやらあれの正体を知っているようだ。
エリオは全く見たことがないが、なんとなく頭の隅に引っかかっているものがある。
それが何であったか、解消されるより早く、
「あー!!」
一体何がどうしたのだろう。いきなり叫びだすエクリア。
「私の部屋がー!」
と、悲鳴混じりに言って、頭を両手で抱える。
見やれば、化け物達のすぐ目の前にある宿の壁が、玄関ごと抉りとられていた。
その穴からもう一匹、同じ化け物が姿を現す。ふと、こちらに目を向けて、
「あれだ、いだ! あいづ! あの! あれ!」
指さして声を上げた。他の二匹も顔を向ける。
自分とは目が合わなかった――と、すると、
「どうやら、我々が狙いのようだな……」
「なんだかよくわからないし、混乱風味の喋り方でご苦労さまだけど、中々いい度胸ね」
ゼクターとエクリアが、そうと察して前に出た。テスも前に出ようとして、クレネストに後ろから抱きつかれる。
「うぬ?」
「人目がありますのでいけません」
「ふにゅう」
気の抜けた声を発してから、テスは後ろに下がった。
「エクリア様もお下がりください。代わりに小僧、お前が戦え」
「ちっ……あんたが命令すんなよ」
不満げに、エリオがゼクターへ言葉を返すと、
「エリオ君、頑張ってみますか? それとも私が」
「頑張ります。お任せください」
クレネストに言われた途端、不満感が一瞬で霧散する。
どっちにしても、ここで見ているだけというのは、あまりにも情けない。そろそろ良いところも見せたいし――
星動灯をクレネストに渡す。
「あなた、死んだら指差して笑うからね」
エクリアの嫌味に少々ムっとしつつ、入れ替わりでエリオは前に出てゼクターと並んだ。
「では」
と、クレネストが左手を閃かせれば、エリオは全身に力がみなぎってくるのを感じた。
「おお、これがクレネスト・リーベルの強化法術か」
「え? はっや! しかも二人分!」
ゼクターが感嘆の声を漏らし、エクリアの方は、印を組む途中で固まっていた。おそらく彼女も、強化法術を組もうとしていたのだろう。
「はぁ、それはともかく、きます」
クレネストの言う通り、化け物達がこちらへ向かってきていた。
徐々に加速してくるが――
(試してやるか)
エリオはゼクターの前に躍り出て、腕を交差させる形でローブの中に両手を突っ込んだ。
ばっ、と引き抜いたその指に、大量の星痕杭が現れる。
「こ、小僧!」
「見てろよ」
不敵に言い返して、にわかには数えきれない星痕杭を、目の高さで交差して構える。
最初の頃は、これを構えるだけでもキツかった。
今では余裕をもって相手を狙える。
「ふっ」
必要以上の力を入れない、軽い気合いの呼気を鳴らす。
同時に――じゃっ! と、擦るような音。
鳥が翼を広げ、一瞬の羽ばたきを見せたかのように腕を振るい。
「星痕十二閃!」
言葉通り、十二条の青い光が、エリオの両手から放たれた。
化け物達は足を止め、反射的に回避を試みるが――
「うごぁ!」
到底、避けきれるものではない。
容赦なき光の怒涛の中で、悲鳴を上げる化け物達。
闇夜に火花が激しく舞い散り、金属の衝撃音が鳴り響く。
荒々しい風が通り過ぎたあと、あえなく穿たれた三匹は、仰向けにふっ飛ばされていた。
周囲で見ている人々から、どよめく声や称賛が聞こえてくる。
「へー、ただの沸点低いヤサ男だと思ってたけど、案外やるじゃない。ご褒美に私のパンツあげるから、好きなだけ……」
「いや、人を変態みたいに言わないでくれ」
冗談か本気かわからないが、とりあえずエクリアに苦情を言っておく。
「いでぇ! なんで? いでぇ!」
「ぐらっぢまっだ! あなあいだぁ!」
「もう! ゆるじてあげまっぜん!」
杭は全部命中したものの――それでも元気に騒々しく、三匹の化け物達は起き上がってきた。
その体には星痕杭が数本、煙を上げて突き刺さっている。刺さりきらず、潰れてしまった星痕杭は、地面にぽろぽろと落ちて軽い音を立てた。
「か、硬いやつらだな」
星痕杭ですら貫通できない強靭な肉体に、エリオは驚きと呆れの声を漏らす。
致命傷をあたえるどころか、戦闘不能という様子ではない。
「だが、効いてはいる。次は私の番だな」
静かに言って、化け物と対峙するゼクター。
老人の手には、とくに武器らしきものは見当たらない。いかにも素手で戦う構えを見せている。
対して化け物の方は、宿の外側に向かって扇状に広がりつつ、ゼクターを取り囲むような形で間合いを詰めてきた。直ぐに飛びかかってこないところを見ると、予想外の攻撃を食らって、かなり警戒しているようだ。
(どうやってあの化け物と戦うつもりだ?)
かなり大柄であるはずのゼクターも、化け物に比べれば子供のような背丈にしか映らない。全身が筋肉の鎧で覆われていて、体重の方も相当なものだろう。いかにクレネストの強化法術があるとはいっても、素手で痛痒を与えられるとは思えなかった。
(まさか、テスちゃんと同じってことはないだろうな?)
エリオの疑問に答えるかのように、ゼクターの体が、まるで水面を進むアメンボのような唐突さで前進する。
真ん中にいた化け物が、肉薄するまで全く反応できずに突っ立っていた。
「なんぞぉ!」
化け物がようやく声を上げる。
同時に――
「喝っ!」
強烈なゼクターの気合い。
ばくんっと化け物の体が震えた。
老人の掌底が、化け物のみぞおちに……軽く触れているだけのようにしか見えないが――
「うっ!」
エリオは目を見張った。
化け物の背中から、光が波紋となって吹き出したのだ。
すさまじい衝撃が、体内を通って突き抜けたかのように――
その色は、眩いばかりの金色。
広がりきった波紋は、やがて粒子となって夜空に散り消える。
残心するゼクターの前で、がくっと化け物の膝が落ちた。
しかし、
「ぐ、ぐぎっ!」
腹部を押さえつつ、何とかギリギリで堪え、倒れない化け物。
苦悶の呻きを上げながら、一歩、二歩と、後ろによろめいていく――
残りの二匹は、呆気にとられた様子で硬直していた。
「倒れないか……ならば」
ゼクターは、またもや唐突に前進する。一体どのような歩法を使っているのか、まるで予備動作が見えない。
体が沈んでいる化け物の、鎖骨の辺りに手を触れた。
瞬間、
「ヅァァァァっ!!」
ゼクターの爆発的な呼気。
打った場所が閃光を放ち、金色の粒子が飛び散った。
岩同士をぶつけたような凄まじい衝突音が鳴り響いて、地面が小刻みに揺れる。
はじかれたように化け物の体が後ろへ傾いた。
と――
今度は完全に意識を断ち切られたのだろう。抵抗する様子もなく、ゆっくりとそのまま倒れていった。
見れば、鎖骨の下あたりに穴が開いて、血液が流れだしている。
(あれは)
確か、星痕杭が突き刺さったままになっていた場所だ。
つまりゼクターは、杭の上から技を打って、化け物の体内へ押し込んだというわけである。
これでは、いかなる猛獣であってもひとたまりもない。白目をむいて、あれで生きているのかどうか。
「シュゥゥー!」
息吹を上げ、悠然と構え直すゼクター。
ガードは無意味と判断してるのだろう。両手は腰の位置まで下げていた。
一方、あっさりと仲間を倒されたことで、うろたえ気味の化け物達。
「星痕杭ならまだまだ沢山あるぞ、もう一度食らいたいか? それともおとなしく投降するか」
ジャキっと音を立てて、エリオはこれ見よがしに十二本の杭を構える。
化け物に話しかけるというのも奇妙な話かもしれないが、人間の言葉をしゃべるのだから、それなりの知性があるのだと思う。
ゼクターも、全身から強烈な殺気を立ち昇らせていた。
冷や汗のようなものを浮かべつつ化け物は――エリオ、ゼクター、そして倒れている仲間に目をむけて、
「ひ、ひぐぞ!」
さすがに不利と悟ったのだろう――さっと身をひるがえす。
(……どうする?)
周囲には一般人も多いし、深追いせずにこのまま見逃した方がよいだろうか?
追いかけたとしてもかなりの速度であるし、周囲も暗い。まだ星痕杭の射程内ではあったが、仕留められる可能性は低そうだ。わざわざ無駄な消費をすることもない。
やはりここは見逃そうかと、エリオは考えた。
しかし――
「逃がしません」
ぞくっと冷ややかな、それはクレネストの声だった。
ズドンっと重たいものが、大地に落ちてきたかのような感覚。
二匹の化け物が、いきなり地面に倒れ――いや、倒されたのだろう。よくよく見やれば、その周囲も派手に陥没していた。
(これは……クレネスト様の重力操作か)
化け物は、逃げるどころか動くことすらできていない。
おそらくは、倍加された重力によって、相当の自重がかかっているのだろう。あの膂力を持ってすら、どうにもならないようだ。
「ステラを大きく消費してしまいますが、このまま待っていれば、いずれあれの術が解けますので」
法術を維持しながらクレネスト。
エリオは星痕杭をローブの中にしまい、ゼクターも構えを解いて襟元を正した。
ここへきて、
「あ、そうか! あのことかぁ!」
ふいにエリオはそう言って、ポンっと手を打つ。
さっきから頭の隅でひっかかっていた事――それが今になって、突然するりと出てきたのだ。
思わず声に出てしまったせいで、他の四人が疑問符を浮かべてしまったようだが。
「今の奴が、ポッカ島で戦ったという例の化け物だったんですね」
「……ええ、はい……中の人は違いますけど、術は同じです」
そのことか――という感じの表情で、クレネストが答える。
「じゃが、戦いの方はてんで未熟じゃな。バカ力でしぶといだけじゃ」
テスの方は、なんだかがっかりした様子で感想を漏らした。
「ふーん、その話も後で聞かせてちょうだい――で、どうするの? というかどうなるの?」
腕組みしながらエクリア。
「術の効果時間が切れれば元の姿に戻りますから、まずは拘束します。軍警察に連絡をとって、身柄を引き渡しましょう」
「狙われたのは私達なんだから、拉致して尋問……と言いたいところだけど、これだけ周囲の目が多いと無理か」
「軍警察が来るまでの間でしたら多少は」
「あなた、違法行為なのにさらりと流すのね……」
「はぁ……まぁ、時間です」
クレネストがそう言うと、化け物の体から煙が上がりだしていた。なんだか、みるみるうちにしぼんだ感じに皮膚がただれてきている。
「くさッ! なにこれ! くっさー!」
エクリアは、流れてきた悪臭に鼻をつまんで顔を歪めた。
「ぅっ……そういえばそうでした」
クレネストも眉根を寄せ、寝間着の袖で鼻を覆う。
掃除をしていないトイレの中で、生ごみを低火力で焼いたかのような、とにかく最低の臭いである。
「というわけでその……エリオ君とゼクターさん。あれから中の人が出てくると思いますので、捕まえてきてくださいませんか?」
びくっと、二人の男の背中が揺れた。
おそるおそる振り返ってみれば、女性陣が期待を込めた瞳で見つめている。
「え、ええと……は、はい……やります」
「あ、あれをか? その、なんだ……い、いや、やらんとは言わんが」
化け物だった物の、背中の辺りから這い出して来る影。
それを見やりつつエリオとゼクターは、互いに顔面を引きつらせるのであった。