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正午をだいぶ過ぎた頃――
ケトルカント村に到着したクレネストは、その光景に愕然とした。
「み、耳長だらけですね……」
「そうじゃの」
エリオとテスも、目を丸くしながら言葉を漏らす。
そう――彼の言う通り、耳の長い子供達と、その親達が、教会前に殺到していた。
皆一様に、困惑の表情を浮かべてざわめいている。
「はぁ、少し時間を空けた方が良さそうですね」
嘆息まじりにクレネストが言った。
人が多すぎて、これでは礼拝どころではない。同じ目的の人々が、村中から集まってきているのだろう。ここで目立つのも面倒である。クレネストは人混みを避けて、宿舎の方へ向かうことにした。
教会本堂の東側は緩やかな丘になっており、針葉樹の並木の先に、宿舎が見えていた。敷地はまるで、自然公園みたいに広くてのどかだ。
「やはり、あれは耳長騒動なのでしょうかね?」
「耳長騒動?」
「子供の耳が長くなってしまったので、教会を頼って集まってきたのかと」
「はぁ多分……もしそうだとしたなら、この村ではつい最近の出来事なのかもしれませんね。でも、このようなことは非常に稀なケースのはずなのですが……」
後ろ手を組み、並木の道を歩きながら、クレネストは首をひねる。
「テスは栗毛じゃないから耳長にはならんのかのー? そういえばミイファ殿は栗毛じゃったな」
「はぁ、ミイファちゃんですか」
そういえばと――ミイファの姿を思い浮かべた。ついでに、耳が長くなったところを想像してみた。
(ぅ……可愛いです)
一瞬呑気に考えてしまう。
ただ、もしそうなっていた場合、迫害されたりしていないかは心配である。
「あの子、おとなしい子でしたし、大丈夫でしょうかね?」
エリオも同じことを考えていたのか、心配そうに言った。
「はい、アステナ司祭がついてますので、大丈夫だとは思います」
「うっ……た、確かに……」
プライドが高くて気性の荒い――もとい、自信家で気の強い女性なので、世間の荒波を相手にしても、そう簡単に折れることはないだろう。下手に睨まれでもしたら、逆に世間の方が折られそうである。
これもまた、同じことを考えているのだろう。エリオが苦笑いした。
「ですが念の為、アステナ司祭とカシア司教様に手紙をだします」
「はい、僕もそうされた方がよろしいかと思います。状況を知らせれば、色々と対応しやすくもなるでしょうし」
「そうですね……ん……?」
クレネストは歩みを止めた。
ぽーっと、辺りに視線を走らせる。
特に風景に異常があったわけではない。何かの気配を感じたわけでもない。
なんだか今――微かに視界がブレたような気がしたのだ。
「…………」
どこかしっくりこない気持ちの悪い感覚に、両目を手で覆う。そのまま顔面をなでおろしながら、息をついた。
「どうしました?」
「あ、いえ、なんでもなかったようです」
後ろ手を組み直してクレネスト。
多分気のせいであろうと考えて、再び歩みを進めた。
「それよりもです。教会前のあの様子では相当忙しいことでしょう。荷物を置いて昼食を頂きましたら、私達も奉仕活動の手伝いに向かいます」
「はぁ……わかりました」
少し腑に落ちないような気配を残しつつ、エリオが了承した。
「まずは司教様とお話して、それから……」
と、
ブンっと、奇妙な耳鳴り――
今度ははっきりと、視界がブレた。
その途端、
「っ……」
息が詰まり、声がでない。
体に悪寒が走り、支える足の感覚が消失した。
「クレネスト様!」
エリオの大声が聞こえたが、答える余裕もなく視界がひっくり返ってしまう。地面が近づいてくるのが見えた。
(なに……が……)
平行感覚がおかしい。自分は倒れてしまったのだろうか?
テスとエリオが、なにやら騒いでいる様子だが、声が遠くなってきて聞こえない。
視界が揺れはじめ、感覚がはっきりしないことに焦り、恐怖を感じた。
原因を考察するも、思考が閉ざされていく。
(あ、ぁ……)
暗い谷底へ落ちていくかのように、次第に目の前が暗くなっていき……
星動灯の灯りが見えた。
直管のそれは、すぐに天井照明だとわかる。どうやら、仰向けになって寝ていたようだ。
いったいどうなってしまったのであろうか? クレネストは顔を横に向けた。
開けたままの白い仕切りカーテンに、簡素なベッド。独特な消毒液の臭いがする。頭の後ろには、どうやら氷枕があるようだ。ひんやりとしている。
(病室)
いまだ頭のなかが不鮮明であるが、それだけ情報があれば察するのには十分だった。
(私は倒れて? ……それで?)
体はどうにか動くようである。起き上がろうと思えば起き上がることはできそうだ。しかし、非常に気怠い感じがするので、クレネストはとりあえず安静にしていることにした。
すると――
「エリオ殿、そんなに落ち込むではない。きっと目を覚ますと思うのじゃ」
「でも、もしも目を覚まさなかったら? いや、そもそもクレネスト様が倒れられたのは、きちっと見ていなかった僕の責任だ」
「じゃから、そこまでぬしに責任はなかろうて」
エリオとテスの話し声が近づいてきた。
そちらの方へ首を回すと、開けっぱなしの入口が見える。
その奥から、
「あのお方は、こんなところで終わっちゃいけないんだ。それなのに僕は……」
悲愴な表情を浮かべているエリオが姿を現した。
「気に病みすぎて、ぬしまで倒れたらどうするのじゃ。ここは辛抱じゃよエリオ殿」
彼を励ましつつも、困り果てた様子のテスも顔をだす。
そして、
「あっ……」
「おっ……」
ものすごく深刻そうな二人と目があった。
寸秒の膠着――
「ふぁぁぁぁ~」
エリオとテスは、空気が抜けていく風船みたいに息を吹き出しながら、そのままヘナヘナと床にへたりこんでしまった。お互いが背中を合わせていなければ、ズルズルと寝っ転がってしまいそうである。
(わ、私……そんなに酷い状態だったのでしょうか?)
原因がわからないだけに、少々不安になる。
よろよろと立ち上がったエリオとテスは、足元を乱れさせつつも、速度だけは足早にこちらへと歩いてきた。
「ああ……よかった、星に感謝します……よかった」
「だーから言ったであろうてー」
まるで、絶体絶命の戦場から、無事に生還できたかのような安堵っぷりのエリオ。
ベットの横でひざまづいて、祈るように合掌している。
どう声をかけてよいものやらと、クレネストが迷っていると、
「クレネスト様。苦しいとか痛むとか、そういうことはございませんか?」
「あ、はい……そうですね。少し頭が痛いです。体も気怠くて、気分もまだすぐれませんが」
「それは大変です! すぐに先生を!」
血相を変えて立ち上がり、身をひるがえすエリオ。
クレネストは慌てて、
「あっいえいえ! そこまで酷くはありません。それよりもです――今は何時ですか?」
「夜七時じゃな……」
これにはテスが答える。クレネストは思わず息を飲んだ。
倒れた直前の記憶がぼやけているが、ケトルカント村に着いたのは正午過ぎだったはず。
だとすれば――
「私……つまりは六時間以上も眠っていたのですか」
「んっ? ……のう」
「いやえっと」
どういうわけか、テスがエリオに、なにやら目配せをした。
エリオの方も、気まずそうな視線を返し。
「あの?」
怪訝に思い、クレネストは眉をひそめた。
二人の間に流れているものは――もやもやとした何か。戸惑いの気配?
どことなく言い難そうな雰囲気が伝わってくるが、やがてエリオが口を開く。
「いやそれがですね……今日はあれから二日目でして」
しばしの静寂――
秒針の音だけが、妙に大きく聞こえた。
なにか今、聞き違いでもしたのだろうか?
「……はい?」
「今は二日目の夜七時です。クレネスト様は高熱で、ずっと昏睡状態でした……」
「…………」
言葉を失う。なんとも言えない冷え冷えとしたものが、じんわりと全身に広がっていった。
と――
「おや、目をさましたのかな?」
入口の方から女性の声がした。
そちらを見やれば、眼鏡をかけた白衣の女性が一人。カールした栗毛が特徴の、たぶん医師だろう。チャーミングな見た目の中にも、知的な光が宿っている。
彼女はするすると、音も静かに歩いてきて、それを見たエリオが場所を開けた。身を乗り出して、クレネストの顔をのぞき込む。
「クレネスト司祭ね。私は院長のセネナです。具合はどう?」
「はい、お世話になっているようで――具合はその……気怠くて軽い頭痛があります。少々息苦しいかもです」
その女医セネナは、クレネストの額に手を触れた。さらに下のまぶたをめくり、口の中も「あーんして」、と言って確認してから、少し難しそうな表情を浮かべる。最後に懐から体温計を取り出して、クレネストの脇の間に差し込んだ。
「一応計るけど、まだ随分と熱いかな」
「病気でしょうか?」
「うーん、今はただの風邪みたいな症状だけど、はっきりとしないのよね――けど、聞けば長旅の間に色々とあったそうだし、かなり疲れがたまっているんじゃないのかしら? それが引き金になっちゃった可能性も考えられるわね」
「そうですか……」
「ご飯は食べられそう?」
「ん……はい、少しくらいなら大丈夫そうです」
「じゃあ出しておくけど、もし気分が悪くなったら残していいからね」
そう言ってセネナがほほ笑む。クレネストは無言で頷いた。
(原因はわからず……ですか)
念のため、星渡ノ義眼で自身の体を調べてみるが、それでも異常は見られなかった。
ひとまず五分ほど経ってから、体温計を外す。
水銀糸が示す温度は、平熱から比べて二度ほど高かった。
「うん、まだまだ高いわね。巡礼中だそうだけど、しばらくここで様子をみたほうがいいかな」
体温計を目の高さにかざしながら、セネナが言った。見終えたそれを、大きく振って元に戻す。
「わかりました。よろしくお願いします」
予定が遅れてしまうが仕方ない。下手にこじれてしまったら、旅どころではなくなる。
「それじゃ助祭君。食事作るのと運ぶの手伝ってくれるかな?」
「あ、はい! 喜んで!」
セネナに頼まれたエリオは、さきほどまでの悲愴な表情はどこへやら――とても嬉しそうに、表情を輝かせながら引き受けた。
もしかして、美人な女医相手に、鼻の下を伸ばしているのではないか?
一瞬、クレネストはムっとしそうになるが――
「よし、ちょっと待っててね」
エリオを連れて、さっさとセネナが病室を出ていく。
それを見届けて、
「ふぇ~、それにしてもよかったのぅ」
テスがベッド脇に腰をかけてそう言った。
「心配かけてしまいましたね」
「んむ……とにかく無理してはいかんのじゃ。これ以上おぬしに何かあったら、今度はエリオ殿まで倒れてしまいかねん」
「ははぁ」
「必死も必死じゃったよ。痛々しくて見ておられんかったわ」
「……ですか」
「あの女医も、相当手をやいておったしの~。しかしまぁ、何もできないのが歯がゆかったんじゃろうて」
大人びたように――とはいっても、元々がおじいちゃん口調の『のじゃ娘』ではあったが――テスが言う。
(では先ほどのは純粋に……役に立てるのが嬉しかっただけなのですか)
ちょっとばかり気恥ずかしい。
具合の悪さとは違う種類の熱がこみあげてきた。
これではまるで、ムっとしそうになっていた自分の方が、よっぽど不純ではないか。
「……もう……しょうがない子です」
何がしょうがないのか自分でもよくわからないが――それだけ漏らすと、クレネストは口元を布団で隠した。
テスの方は、そんなクレネストの様子には気が付かず、マイペースに続ける。
「それとじゃ。エクリア様にも手紙でこのことを伝えておいたのじゃが。新動力生成所の視察が終わったら、見舞いに寄ると言い出してのぅ」
「はぁ、それはそれは――でも何故ですか?」
「いやのぅ~、気まぐれなお方じゃから、そこに突っ込まれても深い意味なんぞないのじゃよ」
苦笑しながらテスは、ぱたぱたと手を振った。
「ええとです。生成所というのはここから近いのですか?」
「んむー、近からず遠からずといったところかのぉ」
曖昧な回答。
(まぁ、よいですか……)
そんなことよりも重要なのは、とにかく体を早く治すことだ。そのために何かできること、打てる手段があればよいのだが――
窓の外を見上げつつクレネストは、重いため息をついた。