●世界観B創世記・星の終わりの神様少女4

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 正午をだいぶ過ぎた頃――

 ケトルカント村に到着したクレネストは、その光景に愕然とした。

「み、耳長だらけですね……」

「そうじゃの」

 エリオとテスも、目を丸くしながら言葉を漏らす。

 そう――彼の言う通り、耳の長い子供達と、その親達が、教会前に殺到していた。

 皆一様に、困惑の表情を浮かべてざわめいている。

「はぁ、少し時間を空けた方が良さそうですね」

 嘆息まじりにクレネストが言った。

 人が多すぎて、これでは礼拝どころではない。同じ目的の人々が、村中から集まってきているのだろう。ここで目立つのも面倒である。クレネストは人混みを避けて、宿舎の方へ向かうことにした。

 教会本堂の東側は緩やかな丘になっており、針葉樹の並木の先に、宿舎が見えていた。敷地はまるで、自然公園みたいに広くてのどかだ。

「やはり、あれは耳長騒動なのでしょうかね?」

「耳長騒動?」

「子供の耳が長くなってしまったので、教会を頼って集まってきたのかと」

「はぁ多分……もしそうだとしたなら、この村ではつい最近の出来事なのかもしれませんね。でも、このようなことは非常に稀なケースのはずなのですが……」

 後ろ手を組み、並木の道を歩きながら、クレネストは首をひねる。

「テスは栗毛じゃないから耳長にはならんのかのー? そういえばミイファ殿は栗毛じゃったな」

「はぁ、ミイファちゃんですか」

 そういえばと――ミイファの姿を思い浮かべた。ついでに、耳が長くなったところを想像してみた。

(ぅ……可愛いです)

 一瞬呑気に考えてしまう。

 ただ、もしそうなっていた場合、迫害されたりしていないかは心配である。

「あの子、おとなしい子でしたし、大丈夫でしょうかね?」

 エリオも同じことを考えていたのか、心配そうに言った。

「はい、アステナ司祭がついてますので、大丈夫だとは思います」

「うっ……た、確かに……」

 プライドが高くて気性の荒い――もとい、自信家で気の強い女性なので、世間の荒波を相手にしても、そう簡単に折れることはないだろう。下手に睨まれでもしたら、逆に世間の方が折られそうである。

 これもまた、同じことを考えているのだろう。エリオが苦笑いした。

「ですが念の為、アステナ司祭とカシア司教様に手紙をだします」

「はい、僕もそうされた方がよろしいかと思います。状況を知らせれば、色々と対応しやすくもなるでしょうし」

「そうですね……ん……?」

 クレネストは歩みを止めた。

 ぽーっと、辺りに視線を走らせる。

 特に風景に異常があったわけではない。何かの気配を感じたわけでもない。

 なんだか今――微かに視界がブレたような気がしたのだ。

「…………」

 どこかしっくりこない気持ちの悪い感覚に、両目を手で覆う。そのまま顔面をなでおろしながら、息をついた。

「どうしました?」

「あ、いえ、なんでもなかったようです」

 後ろ手を組み直してクレネスト。

 多分気のせいであろうと考えて、再び歩みを進めた。

「それよりもです。教会前のあの様子では相当忙しいことでしょう。荷物を置いて昼食を頂きましたら、私達も奉仕活動の手伝いに向かいます」

「はぁ……わかりました」

 少し腑に落ちないような気配を残しつつ、エリオが了承した。

「まずは司教様とお話して、それから……」 

 と、

 ブンっと、奇妙な耳鳴り――

 今度ははっきりと、視界がブレた。

 その途端、

「っ……」

 息が詰まり、声がでない。

 体に悪寒が走り、支える足の感覚が消失した。

「クレネスト様!」

 エリオの大声が聞こえたが、答える余裕もなく視界がひっくり返ってしまう。地面が近づいてくるのが見えた。

(なに……が……)

 平行感覚がおかしい。自分は倒れてしまったのだろうか?

 テスとエリオが、なにやら騒いでいる様子だが、声が遠くなってきて聞こえない。

 視界が揺れはじめ、感覚がはっきりしないことに焦り、恐怖を感じた。

 原因を考察するも、思考が閉ざされていく。

(あ、ぁ……)

 暗い谷底へ落ちていくかのように、次第に目の前が暗くなっていき……

 星動灯の灯りが見えた。

 直管のそれは、すぐに天井照明だとわかる。どうやら、仰向けになって寝ていたようだ。

 いったいどうなってしまったのであろうか? クレネストは顔を横に向けた。

 開けたままの白い仕切りカーテンに、簡素なベッド。独特な消毒液の臭いがする。頭の後ろには、どうやら氷枕があるようだ。ひんやりとしている。

(病室)

 いまだ頭のなかが不鮮明であるが、それだけ情報があれば察するのには十分だった。

(私は倒れて? ……それで?)

 体はどうにか動くようである。起き上がろうと思えば起き上がることはできそうだ。しかし、非常に気怠い感じがするので、クレネストはとりあえず安静にしていることにした。

 すると――

「エリオ殿、そんなに落ち込むではない。きっと目を覚ますと思うのじゃ」

「でも、もしも目を覚まさなかったら? いや、そもそもクレネスト様が倒れられたのは、きちっと見ていなかった僕の責任だ」

「じゃから、そこまでぬしに責任はなかろうて」

 エリオとテスの話し声が近づいてきた。

 そちらの方へ首を回すと、開けっぱなしの入口が見える。

 その奥から、

「あのお方は、こんなところで終わっちゃいけないんだ。それなのに僕は……」

 悲愴な表情を浮かべているエリオが姿を現した。

「気に病みすぎて、ぬしまで倒れたらどうするのじゃ。ここは辛抱じゃよエリオ殿」

 彼を励ましつつも、困り果てた様子のテスも顔をだす。

 そして、

「あっ……」

「おっ……」

 ものすごく深刻そうな二人と目があった。

 寸秒の膠着――

「ふぁぁぁぁ~」

 エリオとテスは、空気が抜けていく風船みたいに息を吹き出しながら、そのままヘナヘナと床にへたりこんでしまった。お互いが背中を合わせていなければ、ズルズルと寝っ転がってしまいそうである。

(わ、私……そんなに酷い状態だったのでしょうか?)

 原因がわからないだけに、少々不安になる。

 よろよろと立ち上がったエリオとテスは、足元を乱れさせつつも、速度だけは足早にこちらへと歩いてきた。

「ああ……よかった、星に感謝します……よかった」

「だーから言ったであろうてー」 

 まるで、絶体絶命の戦場から、無事に生還できたかのような安堵っぷりのエリオ。

 ベットの横でひざまづいて、祈るように合掌している。

 どう声をかけてよいものやらと、クレネストが迷っていると、

「クレネスト様。苦しいとか痛むとか、そういうことはございませんか?」

「あ、はい……そうですね。少し頭が痛いです。体も気怠くて、気分もまだすぐれませんが」

「それは大変です! すぐに先生を!」

 血相を変えて立ち上がり、身をひるがえすエリオ。

 クレネストは慌てて、

「あっいえいえ! そこまで酷くはありません。それよりもです――今は何時ですか?」

「夜七時じゃな……」

 これにはテスが答える。クレネストは思わず息を飲んだ。

 倒れた直前の記憶がぼやけているが、ケトルカント村に着いたのは正午過ぎだったはず。

 だとすれば――

「私……つまりは六時間以上も眠っていたのですか」

「んっ? ……のう」

「いやえっと」 

 どういうわけか、テスがエリオに、なにやら目配せをした。

 エリオの方も、気まずそうな視線を返し。

「あの?」

 怪訝に思い、クレネストは眉をひそめた。

 二人の間に流れているものは――もやもやとした何か。戸惑いの気配?

 どことなく言い難そうな雰囲気が伝わってくるが、やがてエリオが口を開く。

「いやそれがですね……今日はあれから二日目でして」

 しばしの静寂――

 秒針の音だけが、妙に大きく聞こえた。

 なにか今、聞き違いでもしたのだろうか?

「……はい?」

「今は二日目の夜七時です。クレネスト様は高熱で、ずっと昏睡状態でした……」

「…………」

 言葉を失う。なんとも言えない冷え冷えとしたものが、じんわりと全身に広がっていった。

 と――

「おや、目をさましたのかな?」

 入口の方から女性の声がした。

 そちらを見やれば、眼鏡をかけた白衣の女性が一人。カールした栗毛が特徴の、たぶん医師だろう。チャーミングな見た目の中にも、知的な光が宿っている。

 彼女はするすると、音も静かに歩いてきて、それを見たエリオが場所を開けた。身を乗り出して、クレネストの顔をのぞき込む。

「クレネスト司祭ね。私は院長のセネナです。具合はどう?」

「はい、お世話になっているようで――具合はその……気怠くて軽い頭痛があります。少々息苦しいかもです」

 その女医セネナは、クレネストの額に手を触れた。さらに下のまぶたをめくり、口の中も「あーんして」、と言って確認してから、少し難しそうな表情を浮かべる。最後に懐から体温計を取り出して、クレネストの脇の間に差し込んだ。

「一応計るけど、まだ随分と熱いかな」

「病気でしょうか?」

「うーん、今はただの風邪みたいな症状だけど、はっきりとしないのよね――けど、聞けば長旅の間に色々とあったそうだし、かなり疲れがたまっているんじゃないのかしら? それが引き金になっちゃった可能性も考えられるわね」

「そうですか……」

「ご飯は食べられそう?」

「ん……はい、少しくらいなら大丈夫そうです」

「じゃあ出しておくけど、もし気分が悪くなったら残していいからね」

 そう言ってセネナがほほ笑む。クレネストは無言で頷いた。

(原因はわからず……ですか)

 念のため、星渡ノ義眼で自身の体を調べてみるが、それでも異常は見られなかった。

 ひとまず五分ほど経ってから、体温計を外す。

 水銀糸が示す温度は、平熱から比べて二度ほど高かった。

「うん、まだまだ高いわね。巡礼中だそうだけど、しばらくここで様子をみたほうがいいかな」

 体温計を目の高さにかざしながら、セネナが言った。見終えたそれを、大きく振って元に戻す。

「わかりました。よろしくお願いします」

 予定が遅れてしまうが仕方ない。下手にこじれてしまったら、旅どころではなくなる。

「それじゃ助祭君。食事作るのと運ぶの手伝ってくれるかな?」

「あ、はい! 喜んで!」

 セネナに頼まれたエリオは、さきほどまでの悲愴な表情はどこへやら――とても嬉しそうに、表情を輝かせながら引き受けた。

 もしかして、美人な女医相手に、鼻の下を伸ばしているのではないか?

 一瞬、クレネストはムっとしそうになるが――

「よし、ちょっと待っててね」

 エリオを連れて、さっさとセネナが病室を出ていく。

 それを見届けて、

「ふぇ~、それにしてもよかったのぅ」

 テスがベッド脇に腰をかけてそう言った。

「心配かけてしまいましたね」

「んむ……とにかく無理してはいかんのじゃ。これ以上おぬしに何かあったら、今度はエリオ殿まで倒れてしまいかねん」

「ははぁ」

「必死も必死じゃったよ。痛々しくて見ておられんかったわ」

「……ですか」

「あの女医も、相当手をやいておったしの~。しかしまぁ、何もできないのが歯がゆかったんじゃろうて」

 大人びたように――とはいっても、元々がおじいちゃん口調の『のじゃ娘』ではあったが――テスが言う。

(では先ほどのは純粋に……役に立てるのが嬉しかっただけなのですか)

 ちょっとばかり気恥ずかしい。

 具合の悪さとは違う種類の熱がこみあげてきた。

 これではまるで、ムっとしそうになっていた自分の方が、よっぽど不純ではないか。

「……もう……しょうがない子です」

 何がしょうがないのか自分でもよくわからないが――それだけ漏らすと、クレネストは口元を布団で隠した。

 テスの方は、そんなクレネストの様子には気が付かず、マイペースに続ける。

「それとじゃ。エクリア様にも手紙でこのことを伝えておいたのじゃが。新動力生成所の視察が終わったら、見舞いに寄ると言い出してのぅ」

「はぁ、それはそれは――でも何故ですか?」

「いやのぅ~、気まぐれなお方じゃから、そこに突っ込まれても深い意味なんぞないのじゃよ」

 苦笑しながらテスは、ぱたぱたと手を振った。

「ええとです。生成所というのはここから近いのですか?」

「んむー、近からず遠からずといったところかのぉ」

 曖昧な回答。

(まぁ、よいですか……)

 そんなことよりも重要なのは、とにかく体を早く治すことだ。そのために何かできること、打てる手段があればよいのだが――

 窓の外を見上げつつクレネストは、重いため息をついた。

「か、怪獣ランドにきてしまった」

 クルツは、呻き混じりにそう言った。

 鉄塔から双眼鏡を構え、遥か向こうを眺めていたのだが――そこを跋扈しているのは、巨大なトカゲのような生物達。

 ”コントラフルト巨大生体保護区”

 北方地方は人類にとって不毛の地でも、適応した生物達にとっては楽園である。住まう動植物は実にたくましいものであった。

 この工場から保護区は結構距離があるのだが、土地が開けているので双眼鏡さえあればよく見える。

 スポンジ状に空いている、大小様々な無数の湖。その周りの陸地、空、おそらくは水の中にも巨大生物がすんでいるのだろう。

「おー、あれが飛竜か……こうダークドラゴン的な奴とかいないのかな? 何千年も生きている古竜とか」

「竜類を見るのは初めて?」

 聞いてきたのは、メタリックな輝きをもつ白い髪の女性。まつ毛まで真っ白で、肌も雪のようだ。淡い青色の瞳を持ち、一目でアルビノだと分かる。

 頭にはリボンが左右に二つ、いわゆるツインテールが風に揺れている。服装は、白ロリファッションという感じで、フリルとリボンだらけだ。似合ってはいるのだが、いかんせんこういう場所には似つかわしくない。

「そうですよー、もう感動っすね!」

「感動? ……別にすぐに見慣れるよ」

 なんだか随分と、可愛げもなくヒネた言葉が返ってきた。声音も抑揚がなく単調だ。

 彼女もまた滅亡主義者なので、瞳に覇気はないし、こんなものだろう。

「……あーえーっと、工場長」

「チルスと呼んで構わない」

 やる気の欠片も感じられないのに、視線は真っすぐにこちらへと向けてくる。

(歳はこれで二十歳なんだよなぁ~)

 出るところは出ているのだが、いかんせん顔は童顔で相当チビ――もとい小柄である。

「チルス……さん?」

「チルスと呼んで構わない」

 しばしのにらみ合い……。

 クルツの額に一筋の汗が流れる。

「えー、じゃ、じゃあ……ち、チルス」

「なに?」

「……北方地方って寒いよね? あいつらって冬眠すんの?」

「小さい子なら冬眠できる。でも、大きい子は無理」

「爬虫類は変温動物なのにどうするの?」

「爬虫類じゃない。竜類は恒温動物だよ。だからホラ」

 チルスが指をさし、

「口から火を吐く」

 喧嘩している二匹の飛竜が、互いに火球をぶつけ合っていた。

 恒温動物だから火を吐くわけでもないだろうが、そんなことはどうでもよく、クルツは両こぶしを握って感動した。

「すっげー! でも……なんでこんなワイルドな場所に工場を建てたんだ?」

「未開の地だからね」

「?」

 なんだかよくわからないが、一応理由があるらしい。

 ただチルスは、そこで話は打ち切りとばかりに、すばやく鉄塔を降りて行った。

 それをポカーンっと眺めつつ、

(……あれって、下から見たらパンツ丸見えだよな? 中味はかぼちゃかもしれんけど)

 アルトネシア大司教の部屋は、ほとんどが本棚で埋まっていた。

 それ以外は小さなテーブルと椅子。上には筆記用具が置かれているのみ。

 床は――傷つけないためのカーペットが敷かれているが、必要を満たす程度の質素な物でしかなかった。

 窓からはよく光が入るようで、部屋の中は明るい。

 外の景色は、街が遠くまでよく見えている。それは悲しいことに、遮るものがあまりないからだ。

 今は崩壊したセレスト市の、復旧具合を確かめるだけとなっていた。

 そんな光景を眺めつつ、

「ほっほっ、禁術施行に殺人および器物損壊。住居不法侵入の容疑者二名を拘束か」

 白いもふもふとした髭をなでながら、感心したようにアルトネシアは柔和な笑みを浮かべた。

「一人は重体だったので病院に搬送されましたが、死亡が確認されたそうです。死因は星痕杭によるものですが、正当防衛で処理されました。しかし、滅亡主義者にも呆れたものですね。性懲りもなくまた禁術とは」

 そう答えた男は、クレネストの上司のパトリック司教である。

「ゴラム市でのテロや、各地の災害に乗じて、国家を混乱させることが狙いなのでしょう」

 と、推測を述べて――むすっとはしているが、滅亡主義者への不快感からというわけでもない。もともと滅多に笑顔を見せる男ではなかった。

「ふむ……偶然居合わせたとはいえ、あの娘はそれらを見事に解決してくれたわけだな」 

「助祭の青年も良い働きをしたと報告されています」

「そうか。星に使える者として誇らしいことだな……ただ」

 語尾に歯切れの悪さを含ませるアルトネシア。パトリックが小首を傾げる。

「あまり危険なことはしてくれるなよと、思わないでもない」

「ははぁ、そのように気にかけていただけるだけ、あの娘も幸せでしょうな」

 生真面目な答えを返すパトリックを見て、アルトネシアは面白そうに含み笑いをした。

「そういう君だって、心配で心配でしょうがないのではないのかね?」

 振り返り、冗談めかしてそう言うと、パトリックが呻いて咳ばらいを一つ。

「私も死にそうな目にあってますからな。むしろ連れていかれた助祭の青年の方が心配なくらいです」

「あの赤毛の青年か。そういえば、今年入ってきた助祭のリストから、随分とあの娘は入念に選んでいたようだが」

「は? 選んでいた? アルトネシア様……まさか」

「あっ! いや~……ほっほっほっ」

 口を滑らせたアルトネシアは、誤魔化すようにあさっての方向を向いた。鼻の先を、人差し指でかく。

 パトリックがそれをジト目で睨み、

「ほっほっほっじゃないでしょう。それは職権濫用ではありませんか」

「いやだってほらあの娘、微妙にコミュ障気味ではないか。適切な人選というのも難しくてな」

「それはそうですが、しかしですねぇ」

 アルトネシアの弁明に、渋い顔でパトリック。

 確かに我ながら過保護なことだとは思うのだが、いかんせん彼女の境遇は特殊すぎる。性格的にも難しいところがあるので、まずは人に慣れることが肝心と思い、二人で相談して決めたのだ。

「報告を読む限り、思っていたよりも上手くいっているようだし、結果的にはよかったではないか」

「あーそんないい加減な……」

「しかしまぁ~、こんなに早く巡礼の旅に出るなんて思わなかったよな~」

 パトリックのぼやきを聞き流しつつ、アルトネシアは独りごとのように言って、再び窓の外へ顔を向けた。

 ところどころに雲が浮いている、セルリアンブルーの深い空を見上げ、

(ふぅ、巡礼地か……)

 かつて若かりし頃の自分も、幾度か通った巡礼地。それを思い浮かべる。

 クレネスト自身は、司祭として三年ほどの実績があるので、そう考えれば早すぎる――ということはないのかもしれない。しかし、助祭の方は就任して一ヵ月ほど――現在で二ヵ月ちょっとだ。あの友人皆無のクレネストが、そんな新人を抱えて、自ら巡礼に出るとは本当に意外であった。

「急いているのではないかと、いささか心配だったのだが……」

「クレネスト君は拙速が過ぎる娘ではありませんから、あれでよく考えてのことでしょうよ……たまにおっちょこちょいですけど」

 それはパトリックの言う通りである。旅の計画書は十分に練られたものであった。

 まるでトラブルに合うことが前提であるかのような計画書で、パトリックとの巡礼での経験が、十分に活かされた形となっていたのだ。

「うむ、折角あの娘がやる気をだしているわけで……と思って、ワシもしぶしぶ了承したのだが……な」

 またも歯切れの悪さをにじませるアルトネシア。パトリックも深刻そうに目を閉じ、口を開いた。

「……はい……やはりお気づきになってましたかな?」

「ああ、どうにも引っかかることがあるのだ」

 そう言ってアルトネシアは、落ち着きなく髭を撫でるのであった。

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