一章・星の竜が住まう場所
病室のドアが見えた。廊下の左右に二つずつ、右手前のドアが開けっ放しだった。その向こう側から、三人分の気配が伝わってくる。そこ以外に人の気配はない。
ふっと薄笑いを浮かべたエクリアは、そーっと開いてるドアの方へ近づいていった。
部屋のネームプレートには『クレネスト・リーベル』と書かれている。間違うと非常に恥ずかしいので、間違いがないことを確認してから壁に張り付いた。息をひそめつつベストなタイミングを計る。どういうタイミングがベストなのか? その根拠は自分でもよくわからなかったが――数秒の後、なんとなくそんな時が訪れた気がした。
口を半開きにしながらにんまりと、これでもかというほど目をむきつつ、エクリアは顔だけをヌっと覗かせる。
「ぷっふぉっ!」
目が合ったテスを、ひとまず吹かせることに成功。
赤毛の――たしかエリオという青年が、物凄いマヌケ面になっている。
そして、ベッドで横になっている青髪の娘。あれはクレネスト。口元を押さえて体を震わせていた。翠緑の瞳をきつく閉じて、
「え、エクリアさん……そ、そ、その顔は反則です」
クレネストの言葉に、ようやく満足げな笑顔に切り替えるエクリア。
クールでドライでアイスな娘かと思っていたが、なかなかどうして、良い反応をしてくれる。
ベッドの方へ歩きつつ、
「おはろー。なんだか倒れたそうだけど、大丈夫?」
「はい、悪くもならなければよくもなりませんが……」
挨拶の声をかけ、近づいて顔色を見てみれば、クレネストの頬はぽーっと赤く、だるそうだった。
「あのジイさんはいないのかい?」
と、出入り口の方へ顔を向けながらエリオ。
「あ? ゼクターなら車の整備してるよ。何か用事でもあるの?」
「用ってほどでもないけど、あの技について聞きたくて」
「あの技?」
「金色の光が出るやつ」
「あー、『
「へ~コンコウっていうのか」
エリオが感心したように言う。
「もしかして、その……君もコンコウについて詳しいこと知ってる?」
「や~全然わっかんねー!」
手を左右に広げて即答してやると、エリオがズルっと足元を滑らせた。まぁ、実際よくわからないのだから仕方がない。
「そんなことよりも、リーベルさんが倒れた原因のが重要でしょ」
ふっと一息吐いて、エクリアはクレネストの額に手を置く。
顔を覗き込むと、翠緑の瞳がこちらを見た。
(ほんと不思議な色……)
なんでこうなったのか? と思いつつ、やはり額から伝わってくるぬくもりは、平熱よりも明らかに熱い。
触ってみたかったので、ついでにクレネストの髪の毛をなでつつ、
「倒れた直後の状況は思いだせるの?」
聞いてみる。
クレネストの瞳が左上の方へと泳ぎ、
「ええと確か……最初は視界が微妙にブレました。あの時は気のせいかと思っていたのですが、その数秒後に耳を圧迫するような音が鳴って、視界が大きくブレだしました。同時に呼吸ができなくなって足の力も入らず、たぶん……そのまま倒れたのだと」
「音がして視界が? じゃあそれより前……体が火照るとか、なんとなく元気がでないとか、気怠いといった感じはなかった?」
「はぁ……セレストから随分と長旅をしていますので、疲れは感じますが」
もしかしたらと思っていることがあるのだが、これだけでは判断できないかと――軽いため息をついて、エクリアは別の質問を考える。
しばらくの間、くるくると人差し指をまわし――
ぴっと指を止めて、
「先日の三馬鹿」
「え?」
「あの、くっさい禁術使ってた奴等」
「ええ、はい……」
「あなた、あいつら取り押さえるのに随分強力な法術を使っていたけど……なにか体に違和感なかった?」
クレネストは小首を傾げて疑問符を浮かべた。
「術の感触が違ったとか、些細なことでもいいんだけど」
重ねて尋ねると、クレネストは目を伏せて――やがて口を開く。
「そういえば、術後のステラコントロールが上手くいかず、体内のステラ循環を乱してしまいました。意識して修正したら、すぐ正常に戻りましたが」
「普段はそんな失敗とかしない方?」
「はい、最後に失敗したのがいつだったか覚えていませんし、今では意識しなくてもできていることですから」
クレネストの言う”ステラコントロール”とは、体内に保持しているステラの動きを制御する技術のことだ。法術を使う者にとっては基礎中の基礎である。
これができていなければ、術式を組むどころか、ステラの補給すらできない。そして、ステラ循環とは――体内に保持したステラ濃度を均一に保つため、血液のように循環させておく技術である。
「もしかしたらと思うけど、ちょっとだけ、ゆっくりでいいからステラを体外に放出してみて、”保存振動”を与えずに外部に出すだけでいいからね」
術式を組むときには、特殊な発振を与えておかないと、即座にステラが星に吸収されてしまって式が維持できない。振動している間は、ステラが星に吸収されないので、そうやって式を維持するのだ。今は術式を組むわけではないので、それはどうでもよい。
クレネストは、いぶかし気な表情を見せつつも、人差し指をすっとたてた。
そこからステラを放出しようとしているのだろうが――
「んぁっ!」
びくっと体を震わせて、頭を押さえながらうずくまる。
「クレネスト様っ!」
慌てて身を乗り出そうとしたエリオを、エクリアは右腕で遮って、
「……あー、こりゃ結構重症かも」
呻くように言って、気の毒そうに口元を歪める。
「こ、このことについて……なにかご存じ……なのですか?」
「うん、その前に大丈夫?」
「はい、ズキっときましたが」
痛みはすぐに収まったようで、体を元に戻しつつ、クレネストは言った。
「まず原因は、極度にステラを消耗する法術を頻繁に使ったことね。昨夜みたいな法術を頻繁に使っていたなら、限度を改めた方がいいよ」
「は、はぁ……」
「あなたたち星導教会は、体内でステラを保持しているものと考えているようだけど、本来ステラを保持している場所というのは、”魂に張り巡らされた術式回路”とでも言うべき場所なの。あまり負荷をかけすぎると、回路がそのものが損傷してしまう。今のあなたがそうなんだよ。下手すると魂そのものが焼かれて取り返しのつかないことになるからね」
ひととおり説教をして、ふぅっと、エクリアは一息ついた。
クレネストはというと、それを見て固まっている様子。もともとがぼーっとしているだけに、呆気にとられたようにも見えた。
ややしばらくしてから考えがまとまったのか、
「そうなのですか、それは知りませんでした……それで、治す方法があるのでしょうか?」
困り顔で、おそるおそる尋ねてくる。
「……あるにはあるけど、教えられない。別にそんなことをしなくても、そのうち自然に治るけどね」
「それはその、どのくらいかかるものなのでしょう?」
「まともに動けるようになるのは一ヵ月程度。その様子だと、完全に元に戻るには三カ月はかかりそうね」
「それは困ります」
「そんなの知らんよ……ま、自業自得なんだからおとなしくしていなさい。無理に法術なんて使ったらあなた、今度は本当に死んじゃうからね」
ぴしゃりと言ってやる。
するとクレネストは押し黙り――かと思えばじわじわと懇願するように――今にも泣きだしそうな表情でこちらを凝視してきた。
今まで冷静というか、感情的とは無縁そうに思えていたのに、あまりのギャップで思わず呻いてしまうが、
「……そ、そんな顔しても、だめなものはだめだからね!」
心を鬼にしてクギをさすエクリア。
クレネストはただ、悲愴な呻き声を上げるしかできなかった。
セネナという女医に、クレネストの状態について説明したあと、エクリアは病室を出た。
(なんで私が、星導教会の娘の面倒をみているのかな~?)
個人的な興味と先日のことで、一目おいている……というのもあるのかもしれない。それになにより、テスの命の恩人でもある。このくらいの借りは返して当然――と、自分を納得させて、
(それにしても、あの娘が知らないってことは、やっぱ星導教会では知られていない症状なのか)
ステラの消耗が激しい術を、頻繁に繰り返すと体に変調をきたす。このことを知っているのは南大陸の裏社会――禁術といったステラを大量に消費する術を使う者たちの間では、わりと知られた症状である。
星導教会みたいな普通の法術しか使わない集団では、これまで問題が起きたことがないのかもしれない。
(あの娘は天才が故に、通常の法術でも相当に強力。その代わりステラの消費も大きく……だからかな?)
廊下を歩きながらエクリアは、そのことを皮肉に思う。
と――
「わきゃっ!」
突然誰かに、後ろから手首をつかまれた。考え事をしていたので、接近に気がつかなかったようだ。
傍にあったドアが開き、その中へと引きずりこまれてしまう。
あまりの早業に、全く抵抗ができない。
「な、なにすっ! むぐっ!」
声を上げようとすると、口を塞がれた。暴れようとしてみても、簡単に抑え込まれる。単純に力だけではなく、技も相当に冴えている相手のようだ。
接触した体から伝わるたくましい感触――おそらく男。
ドアが閉まり、体ごと押し付けられ、彼女がいよいよ身の危険を感じはじめたところで、ようやく相手が顔を見せた。
エリオが口元で、人差し指をたてて「しーっ」っと歯擦音を鳴らしている。
なんだかとてもアブなそうな雰囲気。エクリアは首を縦に振って、大人しく抵抗をやめた。
するとエリオが、塞いでいた口からゆっくりと手を退ける。ただ、こちらが身動きできないように、体を密着させたまま、両手首を掴んで固定した。顔が近い。
「こ、こんなところへ連れ込んでなんのつもり?」
部屋の中は薄暗く狭い。台所に大きな四角い星動機があるところを見ると、給湯室だろう。
彼も男だ、女の子への悪戯目的ということも考えられなくはない。自慢ではないが、容姿には自信がある。彼がムラっときたとしても、それはそれでしょうがない話なのかもしれない。
「もし欲求不満で襲っちゃったのなら、私のブラあげるからそれで我慢してくれない? 誰にも言わないから」
「だから人を変態みたいにいうなと……それよりも、クレネスト様を治す方法があるんだよな? 教えられないというのは知らないからなのか? それとも知っていて教えられないのか?」
尋ねるというよりは訴えかけるように、エリオが聞いてくる。
状況はともかく真摯なまなざしで見つめてくる彼――どうやら、エクリアの体目当てというわけではないらしい。
内心、彼女は少しだけほっとして、
「知っていたとしたら、強引にでも吐かせるつもりでこんなことを?」
「俺もできればこんなことはしたくはない。けれど、クレネスト様のためなら……」
脅しではなく彼の本気を感じる。エクリアは思わず息をのんだ。
「彼女があなたに……こうしろって頼んだの?」
「いや、俺の独断だ。どんな手段でも尽くす覚悟があるぞ」
どうやらこの男――クレネストの事となると見境がつかなくなるようである。
しかしエクリアは、睨み返して口を開く。
「ふーん、どんな手段でもね。ずいぶんと軽々しく言うけど、あなたにそんな度胸があるの?」
「……それは、どういう意味だ?」
声に戸惑いと、緊張の色をにじませるエリオ。
「言えないのには、ちょっとした理由があったんだけどさ」
「理由?」
ぐいっと、エリオの腕に力がこもり、押し付ける体の力が強くなった。
エクリアはどきっとして、顔色を変える。
「ちょっ! へ、変なことはやめてよね! 教えないとは言ってないんだから」
「なら、もったいぶらずに早く言ってくれ」
はーっとエクリアは息をつく。それからゆっくりと息を吸って、口にした。
「その方法はね……」
「…………」
「禁術をつかうの」
彼が一瞬、ぴくっと身を震わせた。密着しているので、その感触が容易に伝わってくる。
動揺したのだろう。無理もない。禁術の施行は、この国では重罪だ。
これで諦めてくれるだろうと、エクリアはそう思ったのだが、
「なんだ、そんなことか」
あっさりと言葉を漏らすエリオ。しかもなぜか、「ほっ」とされてしまった。
「そ、そんなことかって……あなたその……この国じゃ”アレ”は重罪ってことくらい知っているよね?」
「もちろんだ」
「なんでそんなに平然と」
「君の仲間が禁術を使っていたしな。そのくらいはありえると思ってた」
エクリアは目を丸くした。そんな報告は受けていない。
「……は? なにそれ? マジ? 誰が使ってたの?」
困惑風味の彼女に、エリオは呆れた調子で、
「なんだ知らないのか……あの眼鏡のいけすかない奴。ネレイドっていってたかな? あいつテロ事件の実行犯だったろ。その時に禁術を使ってたんでね。クレネスト様と戦って、あっさりと防がれてたけどな」
「ネレイドじゃなくてレネイドだよ。リーベルさんと接触したのは聞いてたけど、禁術を使ったなんて報告はしてやがりませんわ。くそー! 帰ったらあいつ、ギリギリコースの刑だ!」
「いや、それはよーわからんが……禁術だろうと構わない。教えてくれ」
なんか色々と、こちらも聞きたいことがあるのだが――エクリアは悩むように呻いて、
「教えてもいいけど、その術を誰が使うつもり? 言っとくけど、私はやりたくないし、リーベルさんはあんな状態じゃ使えない。仮に使えたとしても犯罪者になっちゃうでしょ……って! 耳に息ふきかけないで!」
いきなり耳元でため息をつくエリオに、小声ながら抗議する。
「もちろんそれは俺がやる」
「はぁ~わっからないなー。だまって大人しくしていれば自然治癒するのに、なんでわざわざ? だいたい彼女にはどう説明するつもりさ」
「クレネスト様の話を聞いただろ? あのお方にはそれ以上に大事な使命があるんだ。俺が禁術を使ったとしても、あのお方はそれを飲み込むだろう。それに、あんなにもつらそうな顔をされたら俺は……たまらないんだよ」
声のトーンが低くなっていく彼――ともすれば、白熱しそうになる感情を必死に抑えこんでいるようだった。
もはやそれは、単なる忠義というよりも、すでに愛の領域なのではないだろうか? と、思わずにはいられない。
エリオのまなざしは――変な話だが、自分までドキドキさせられてしまうほどだ。
(はぁ~これが私の王子さまみたいな、そういう展開ならな~)
胸中で残念に思いつつ、エクリアは納得せざるを得なかった。
「しょうがないなぁ……あなたの熱意に免じて今回だけ特別だよ? でもバレないように上手くやりなさいね。私が教えたとか言われても困るから」
「恩に着る」