●世界観B創世記・星の終わりの神様少女5

第四章・追想の鏡像

 クレネスト・リーベル――星導教会の司祭にして孤児。苗字は無い。

 ヴェルヴァンジー村は、そんな彼女の生まれ故郷である。

 旅の途中クレネストは、故郷の様子を眺めておきたいと口にしていた。エリオには無論、反対する理由はなく、むしろ興味もあった。

 場所は、トーザス町の東側に位置しており、近くはないが、物凄く遠いいわけでもない。巡礼の道すがら、立ち寄ったとしても不都合はなかった。

「お、着きましたね」

 今日も平常どおりに運転をしているエリオが呟く。

 万緑の、山奥へ向かうかのような狭い道を進み――しばらくすると、ちらほらと家屋を見かけるようになってきた。ヴェルヴァンジー村と書かれた標識が、道の脇に立っているのが目に入る。

 さらに星動車を進めていくと、山林が少しづつ開けてきた。その先に現れたのは、山間の平地。殆どの土地が畑となっているようで、今は野菜の緑でいっぱいに埋め尽くされている。その合間――点々とある家屋はどれも、茶色か赤の三角屋根が特徴だった。

「ほほぅ、のどかじゃのぉ~」

 テスの言う通り、何の変哲もなく、実に田舎らしいのどかさであった。午前の空気は澄み、空の青は深く――小鳥も鳴いているし、葉擦れの音もすがすがしい。

 ゆったりとしていて、平穏そのものの情景なのだが、

(クレネスト様……やっぱりお辛いかなぁ)

 彼女は故郷を懐かしむというよりも、どこか悲しげであった。エリオとテスの声にも、短く喉を鳴らして反応する程度で、まるきり上の空である。

(昔のことで、色々な思いが沸いてきてるんだろうな、きっと)

 そう、わかった風なことを考えるエリオ。

 彼女の気持ちが整理されるまで、そっとしておくことにした。

「はぁ、これは……殆ど変わっていないようですね」

 村の中ほどまで来たとき、やっとクレネストが言葉を発した。

 ここまでくれば、わりと民家や商店が密集していて、立派な教会もある。道行く人や星動車も、それなりには見かけた。

 それらと古い記憶を照らし合わせているのだろう――熱心にクレネストは、村の様子を眺めている。

「どこか行きたい場所はございますか?」

 エリオがそう尋ねると、彼女の肩が一瞬震えた。息を飲む音も聞こえる。一度こちらを見て、それから顔を前に戻すと、目を瞑ってうつむいてしまった。

(クレネスト様……)

 本当は聞くまでもなく、エリオは察していた。おそらくは、行けば辛い思いが沸いてくるであろうその場所――本来ならば、彼女がもっと大人になり、心の面でも成熟したころに訪れるのが理想だったのだろうが。

「もう七年になりますか……たぶん、無くなってしまっているのでしょうけど、私の家があった場所へ行きたいです」

 胸元に手を添えつつ、うっすらと目を開き、クレネストが静かに言った。

 エリオはうなづいて、

「道は覚えてますか?」

「はい。このまま真っすぐ行くと、右手に森が見えてきます。その森に入る小道の、一番奥です」

「右手の森ですね。かしこまりました」

 いつの間にか落ちていた星動車の速度を、徐々に戻していく。

 村の中央を少し外れるだけで、畑と農家が点々としている風景に逆戻りする。多少違うところもあった。白い二階建ての大きい建物が、場違いにポツンと見えている。その隣に、半円状の青い屋根で、中の広そうな建物――体育館だろう――が、あるので、一目で学校だとわかった。グラウンドでは子供達が元気に走りまわっていた。

 その横を通り過ぎる時――クレネストが呆けたように息を漏らしながら、向こうを食い入るように眺めているので、エリオは聞いてみる。

「ひょっとして、そこの学校に通っていたのですか?」

「はい……ここも変わっていないですね」

「懐かしいですか?」

「ちょっとだけ」

 前に向き直り、膝の上で両手を重ね、彼女は小さく笑みを浮かべながら言う。

「私、突然いなくなってしまいましたから、みんなに死んだと思われていそうですね」

「え? あ……あーあ」

 何のことを言っているのか、すぐには理解できず、変な呻き声を返してしまった。

 エリオは咳払いをしてから口を開く。

「ええと、その当時のクレネスト様は、現在どういう扱いになっているのですか?」

「行方不明者扱いです。私の社会的立場を考えて、アルトネシア様が気を回してくださったのですよ」

 と、クレネスト。まるで世間話をするように教えてくれた。悲しいことだと思うのだが、そのことを憂えている気配はなかった。

(社会的立場か)

 世間的に見て彼女の父親は重罪人である。その娘と知られれば、周囲から誹りを受けても不思議ではない。

「では、古い友人とばったり会ってしまったら、まずいのでは?」

「んー、七年前のことですし、今の私の姿を知っている人はいませんので、大丈夫だと思います」

 人差し指を立てて、こちらに顔を向けながらクレネスト。

 元の姿をエリオは見たことがなかったが、黒髪黒目の彼女を想像してみた。印象は――確かにだいぶ違うだろう。ただ、眠そうな特徴はいかがなものかと、少しだけ心配もする。

「あ、見えてきました」

 立てていた人差し指を、そのまま右前方へクレネストが向けた。

 見やれば、野菜畑の向こう側が森になっている。少し進むと、森へと続く小道があった。舗装はされておらず、ただの砂利道である。

 エリオは方向指示機を下げると、ハンドルを右へきって、その小道へ入る。ガタガタと騒がしく、星動車が揺れだした。

「ああああああああ」

 ふざけて変な声をだしているのはテスである。振動で声がぶれぶれになっていた。

 ほどなくして森の中に入る。少し暗くなり、周囲の気温が下がったような気がした。

 真っすぐな幹の針葉樹が、棒を立てているみたいに並んでいる。さほど鬱蒼とはしておらず、道を外れて歩いても大丈夫なほど、草の背丈が低かった。

 丘になっているようで、緩くて長い坂道が続いていく。おそらくこの森は、向こうの山まで続いているのではないだろうか?

 と――

「は……」

 クレネストが肩を緊張させて、鋭く息を飲みこんだ。

 道の向こう側が明るくなっている。木がそこだけ生えていないのだろう。

 遠目には光がまぶしくて、ただただ真っ白だった。おそらくここが、昔クレネストが住んでいた場所。

 近づくにつれ、光の向こうから染み出すように光景が現れてくる。

「お?」

「おぅ?」

 エリオと、いつの間にか座席の間から身を乗り出していたテスが、同時に声を上げた。

「クレネスト様、あれって?」

 そう言って、彼女の方をチラっと見てみると――

「う……うぅ」

 口元を両手で押さえて、彼女が呻いている。珍しく瞳を大きくして、言葉を失っている様子。

 光の中から現れたのは、小さな家だった。

 薄汚れた白い壁に、さび付いた赤い屋根――所々塗装がハゲていて、窓には板が打ち付けてある。

「どうやら残っていたようですね」

 声を明るくして、エリオは言った。

 あちこち小枝も絡まっているし、庭であろう場所は草で荒れている。傍目には、非常に不気味な廃墟に見えるだろう。道の終点には、立ち入り禁止の看板と、侵入防止の柵もあった。

 今はもう、ボロボロになってしまっているその家――

 こんな姿になっても、まるで彼女が訪れることを待っていたかのように、そこにひっそりと立っていた。

 エリオは柵の手前で星動車を停める。

「クレネスト様」

「は……はい……あっ」

 声をかけるとクレネストは、シートベルトを外すのも忘れて車を降りようとしていた。

「クレネスト様、慌てずとも家は逃げませんから」

 苦笑を浮かべてエリオ。

 切なそうに瞳を細めた彼女は、黙ってうなずいた。彼もうなずき返す。

 星動車を降りた三人は、柵越しに並んで、クレネストの旧家を眺めた。

「…………」

 陽光に包まれて、とても眩しいその場所は、暖かく静かなものである。

 この村の家屋は、どこも三角屋根のようで、この家も例にもれなかった。左右対称で、玄関はその中央にある。両隣には小さい窓があった。

 クレネストは呆けたように、黙ってその光景を眺め続けた。

 そのままで数分――

(う……うーん)

 エリオは、何度も彼女の横顔を盗み見ているうちに、とてつもなくもどかしい気分にさせられた。

「クレネスト様、いっそのこと中に入っちゃいませんか?」

 折角ここまで来たのだ。どうせならと、エリオは思い切ってそう提案してみる。

 もちろん彼女は、驚いた顔を見せた。

 はじかれたようにこちらを向いて、眉根を寄せながら。

「……うぅぅぅううぅぅ」

「大丈夫です。バレなきゃいいんですよバレなきゃ」

 変に葛藤しているクレネストへ、エリオはこそこそと返す。

 もっともバレたところで、自分が怒られればいいだけの話だ。そんなことを惜しみはしない。

「ほいっとじゃ」

 先にテスが、いとも簡単に柵を飛び越えていく。

 柵とはいっても、子供の背丈程度のショボイもの。テスでなくとも、またいでしまえば簡単に通れる。

 それを見てクレネストは、諦めたようにため息をついた。

「はい、そうします。正直に言えば、中に入ってみたいのです」

 そう言ってスカートの両端を、膝が見えるくらいまでたくし上げる。

 柵をまたごうとして、

「え、エリオ君……ちょっと向こうを向いてくださいね」

 こちらの視線に気が付いたクレネストが、恥ずかしそうに言った。

 慌ててエリオは、あさっての方向へ顔を向け――その状態を維持したままで、彼も柵をまたぐ。

 中に入ってみれば、玄関まで真っすぐに、石畳の道が続いているのが分かった。その隙間を沿うように、草が生えている。庭の方にはレンガ造りの花壇があり、雑草に交じって白や黄色の小さな花が咲いていた。

「この家に住んでいた時のこと、今でもよく覚えています……なのに、今こうして眺めていると、夢か幻であったかのように感じてしまいます」

 ゆっくりと歩きながら、クレネストは想いを口にしていった。

「私は確かに、ここに住んでいたはずなのに……」

 玄関扉へ近づき、そっと手を添える彼女。それから視線を落とし、

「鍵、かかってますよね」

 ぽつりといって、期待をしていない感じで取っ手に手をかけた。

「開きましたね」

「…………」

 言ったのはエリオ。クレネストの方は、唖然としている。

 窓には板まで打ち付けてあったのに、なかなか杜撰なことだ。しかし、嬉しい誤算でもある。

「ああ……」

 感極まったのかクレネストは、よろよろと家の中へ足を踏み入れた。エリオとテスは顔を見合わせてから、それに続く。

 中は薄暗く、ホコリまみれだった。玄関から真っすぐに続く短い廊下があり、右手には階段があった。左手には二カ所にドア――雰囲気からしてトイレや風呂場、洗面所なのだろう。そして廊下の先に、開きっぱなしのドアがあった。その向こうには広そうな部屋が見えている。居間だろう。

 クレネストはふらふらとした足取りで、居間の方へ近づいていった。

 板張りの廊下が、足を運ぶたびに軋む。ホコリの中に足跡が残った。壁紙は灰色にくすみ、何かの模様があるようだが、よくわからない。

 そのまま居間の中に入る。そこには家財道具の類は一切なかった。

 広々としているだけの居間――

 クレネストは目を瞑り、深呼吸をしてからしばらく――うっすらと目を開ける。

「そこに食卓がありました。そこにソファがありました。ストーブはそこにあって、あの丸い穴から煙突を通してました。お父さんったら、よく大きな椅子の上でいびきかいてたんですよ。床には大きくてふかふかなカーペットがひいてあったのですが……あ、そこがキッチンです。もう、こんなに汚れてしまって……」

 急に饒舌になりだした彼女。足を向けて指先で示しながら、一つ一つ言葉にしていった。表情を動かさず、淡々とした口調で――それがかえって切ない。

「……二階も見ておきたいです」

 急にそう言いだすと、きびすを返すクレネスト。二人の返事を待たないまま、階段のあった方へ向かった。

(クレネスト様のお好きなようにさせておこう)

 そう考えながらテスに目配せをする。テスもそれを察したようで、神妙な顔つきでうなずいた。

 彼女の背中についていき、二階へ上がる。

 階段を上りきったすぐ目の前と、廊下奥の方に向かい合ったドアがあった

「ここが私の部屋で、もともとはお母さんの部屋でした。向こうの左側がお父さんの部屋で、右が書庫」

 クレネストはそう説明しながら、階段前のドアを開ける。

 と――

「あ……」

 彼女が小さく声を漏らす。

 部屋の右奥に木の机があった。

 おそらくは何もないだろうと思っていただけに、少々意外である。その上には、小さな額が置かれていた。フレームの部分を入れれば、ハガキ二枚分より、若干大きいだろうか? 

「これは?」

 クレネストが傍によって、その額を手に取る。ガラスに付着しているホコリを払うと、中から小さな女の子の絵が現れた。

 年の頃は六、七くらいだろうか? 端整な顔立ちで、ぱっちりと瞳が大きい。黒い髪の毛は、背中の辺りまで伸びていた。白いドレスに身をつつみ、まるで小さなお姫様のようである。かなりの美少女といっていい。

 写実的で絵具に厚みがあり、これは油彩のようだった。こんな場所に置いてあったのに、色はしっかりとしていて、かなり堅牢のようである。

「へぇ、すごく可愛い子ですね」

 エリオは彼女の横に並び、そう感想を漏らした。

 すると――クレネストがぴくっと身を震わせる。

「え? ……か、可愛い……ですか?」

 聞き返し、なぜか頬が赤い彼女。若干身を引いているような気もする。

「はい、かなり可愛い子だと思いますが……?」

 いったいどうしたのかと、エリオは首を傾げながらも、再度そう伝えた。

 彼女は上目づかいで、こちらの表情を探っている様子だが、やがて、

「あのこれ……私、なのですけど……」

 困ったように口にした。

「…………」

 しばしの沈黙――

「なんですと!」

 エリオとテスは、同時に声を上げた。

 思わず身を乗り出して、絵の中の幼いクレネストを凝視する。

 瞳が眠そうではないのと、髪の毛がハネていないので、すぐには気が付かなかったようである。眠そうな瞳だけでも脳内変換してみれば、確かに彼女の面影が浮かび上がってきた。

「古い友人に描いてもらったことだけは覚えていますが……なぜここに?」

 ひとつ咳払いをしてから、そう疑問符を浮かべるクレネスト。

「な、なんと貴重な品じゃ……」

「とてもいいものを見せていただきました。これは大切に保管しておきましょう」

 彼女の疑問符を聞き流し、まるきり宝物でも見つけたかのような二人の反応である。 

「あ、あの……まぁいいですけど」

 クレネストは再び頬を染め、溜息まじりに呟いた。

★☆

「もう、よろしいのですか?」

 家を出ると、エリオが声をかけてきた。

 クレネストは振り返り、彼にうなずいて見せて――それから自分の住んでいた家を、もう一度眺める。

(私……)

 家族がいて、幸せだった頃の幻が、そこに重なって見えた。

 白く眩しい壁に、真っ赤な屋根。色とりどりの綺麗な花が咲いていた花壇と、その上を飛んでいる蝶。玄関の脇には小さなブランコが置いてあって、よくそこに座って本を読んだ。母が庭の手入れをして、父がその手伝いをしている。二人は仲良くお喋りをしていて、時折、本を読んでいる幼いリーベルのことを見て微笑んだ。

「私はですね……過去の自分と今の自分が、まるで別人であったかのように思えてなりませんでした」

 切なく締め付ける胸の奥。そこへ手を添えて、クレネストは言葉にしていった。

「突然あんなことがあって、なにがなんだか分からないうちに、私は家を出てしまいましたから……」

 エリオは黙って聞いている。こんな話をしてもつまらないと思うのだけど、彼の瞳はどこか柔らかだった。

 少しくらい甘えてもよいだろうか? クレネストは続けて口を開く。

「なんといいますか……幼い頃の自分を、この場所に置いてきてしまったのではないか? と」

 それは、過去と現在が繋がっていないような感覚――確かに記憶はあるのに、それと自分を同一視することができない。ずっとそのままで七年間を過ごしてきたものの、過去を感じることができないというのは、空虚にも似た想いだった。

「連れ戻すことはできましたか?」

 そんなことをエリオが聞いてくる。

 儚げな苦笑を返し、クレネストは首を傾げた。

「どうでしょうね? でも、この家が残っていたおかげで、実感が沸いてきたといいますか――もちろん悲しいこともありましたけど……」

「……クレネスト様?」

「あはは……これで、この家を見るのも最後かと思うと……やっぱりですね」

 喋っているうちに、涙が滲んでいたらしい。大粒の、というほどでもないけれど、手でそれを拭う。

「ん、でも……十分過ぎるほどです。これで心残りはありません」

「そうですか」

 短いけれど、エリオの優しい声音に、少しだけクレネストは安心感を覚えた。今は今で、彼がついてきてくれるから、決して不幸を感じているわけでもない。

 うなずき――くるりと背を向けて、星動車の方を見やった。

「さて、行きましょうか」

「はい」

「ほいじゃ」

 交互に返事をするエリオとテス。それを聞いてからクレネストは、ゆっくりと足を前に踏み出した。

 一歩ごとに離れてく――名残惜しさを胸に感じながら――

 クレネストは一言、ここで待っていてくれた家に、心の中で告げる。

 ”今までありがとうございました”、と――

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