●世界観B創世記・星の終わりの神様少女5

第三章・対の柱

 今日は朝からどしゃぶりだった。

 星動車を、凄まじい勢いでバチバチと雨が叩いている。走行中ともなれば、なおさらそれは激しい。

 フロントガラスは水滴にまみれ、ワイパーがせわしなく通り過ぎては、あっという間に水滴で埋まる。そういうイタチごっこのおかげで、視界は最悪――エリオのアクセルを踏む力も、自然と緩くなっていった。

 道の先は白く霞み、ぼやけ沈む民家や畑が流れていく。遠くの山々もおぼろげに、色を失い黒ずんでいた。

「彼女の国の方で、大規模な災害が発生したそうで」

 エリオが話している相手は、もちろん助手席に座っているクレネスト。

 昨夜のうちに話しておきたかったが、さすがにあの状況では気まずくて、会話どころではなかった。

 今は気持ちの整理がついたのか、クレネストはいつもどおりの物腰で口を開いてくれる。

「はぁ、災害ですか……」

「なんでも、複数の火山が同時に噴火したらしい……とのことでして」

「それでは仕方がありませんね。直接お礼を言いたかったのですが……」

 心残りを言葉にするクレネスト。エリオも同感である。

 遅れていた礼拝を終え、セネナに復調したことを伝え、それから宿へ向かったのだが――エクリアとゼクターは既にいなかった。宿の主人によれば、数分前に発ってしまったとのこと。

(出発するついでに挨拶……って考えてたのが失敗だったな)

 今はまだ、昼には遠い時間――やることをやった後でも、余裕があるかと思っていたのだが。

「あのお方もせっかちじゃからのぅ~」

 後部座席の方で喋っているのは、いつもどおりのテス。話を聞いていたわりに、意外と呑気な物言いである。

「テスちゃんはその……心配ではないのですか?」

 そう尋ねるクレネストも、同じように思ったのかもしれない。

 バックミラーに映るテスの様子はというと、腕組みをして首を傾げ、口の右端を上に曲げている。

 軽く唸ってから、

「火山噴火というのをよく知らないのでの。お主らの様子から、深刻さは伝わるのじゃが」

 との答え。

 クレネストが短く喉を鳴らし、小さく頷いた。

 エリオの方も、似たような動作を彼女とシンクロさせてから、口を開く。

「実感わかないって奴かな? まぁ僕も学校で習っただけだし、直接噴火するところなんて見たことないから、あまり実感はないけどさ」

「そうじゃなぁ、実感というか想像がつかん」

 若干の訂正を入れて肯定するテス。

「クレネスト様はいかがですか?」

 深い意味はないが、ちらっと彼女の横顔を盗み見てから、エリオは聞いてみる。

 穏やかそうに、ぽやっとしている少女は、しばしの間をおいて――

「私も絵画でしか見たことはありません。それによれば……山から噴出した黒煙が、遥か上空まで膨れ上がっていて、さながら黒い入道雲のようでした。被害の規模は、状況によって様々のようでして、一概には言えませんが……過去最大で、三万人ほどがお亡くなりになった事故もあります。複数の火山が同時に噴火したとのことですから、相当に規模が大きく、とてつもなく危険な状況にあるのではないでしょうか?」

 淡々と、静かな声音で話した。

「う、うむ……じゃがテスの仲間は皆こっちにおるしな」

 呻き混じりにテスが言う。どうやら今の話が怖かったらしい。眉間にシワを寄せ、身を震わせて――だが、気にかけているのは仲間のことだけのようであった。エクリアのように、国や故郷を心配している様子はない。

「それよりもじゃ、こんなどしゃぶりで大丈夫なのかの?」

 話を変え、車窓へ身を寄せつつ、外を眺めるテス。

 聞かれて、クレネストも億劫そうに肩を落とし、

「そうですね。夜までに止むなり、せめて小雨になってくれればよいのですが」

 こればかりは仕方がない、という空気を出しながら言った。

 その頃には、コントラフルト巨大生体保護区のまっただ中にいるだろう。

 結局、夜になっても雨は止まず、風も出てきた。星も見えないし、遠くの景色も見えない。星動灯の範囲外は、道の先も見えなくなるはず――と、エリオは思っていた。

 ところがいざ、コントラフルト巨大生体保護区に入ると、青い光の点々が見え始めた。それは、道の両側に沿って、等間隔に連なっている。

 道に刺さっているようで、高さにして膝ほどにもない。形状はなんとなく筒状に見える。さきっぽだけ、ガラスと思われる透明素材になっていて、そこから光を発していた。

「巨大生体から、周遊道を保護するための獣避けですね」

 と、クレネストが説明してくれた。光だけではなく、人の耳には聞こえない音も発しているらしい。

 おかげで、はっきりと道の先が分かる。車一台分の狭い道であっても、車輪を踏み外す心配はなさそうだった。

 もっとも、今は停車しているが……

「大丈夫ですか?」

「ええ、問題ありません」

 天候が悪い。それを心配するエリオに、黒装束を羽織りながらクレネストが答えた。

「それは、あの時に着ていた奴じゃな」

 言いつつテスが、前座席の間からひょっこりと顔を覗かせる。

 あの時といえば一ヵ月前のこと――マーティルの大樹へ向かった時も、激しい雨が降っていた。この黒装束は、闇夜で姿を隠すだけではなく、雨具にもなる。

「はい、そうですね。あの時は顔を隠してましたが」

 フードをかぶり、クレネスト。今回は、顔を隠すようなこともない。

「雨降ってるし、テスちゃんは車の中で待ってるかい? 一応、傘はあるけど」

 声をかけて、エリオも黒装束を着る。それから、血液の入っている採血管を慎重に抱えた。

「服が濡れると嫌じゃし、そうさせてもらうかのぉ」

「では、ここでいい子にしていてくださいね」

 テスにそう言って、クレネストが車の外へ出た。それに続いてエリオも外に出る。

 その途端。どっかりと吹き付けてくる重たい風に、黒装束が音を立てて暴れた。

(こ、これ、本当に大丈夫か?)

 エリオのそれを、即座に否定するかのごとく、ふっと風が止む。

 不思議に思い、きょろきょろしていると――

「これでしばらくはもちます」

 星動車の前方に進み出て、辺りを見回しながらクレネストが言った。

(ああそうか……)

 いささかマヌケに呻いて、エリオは納得する。法術で、一定範囲の風を止めているのだろう。雨はそのまま落ちてくるが、今は邪魔になるほどでもない。

「私は術を組んでいますので、その間にエリオ君は、適当な場所へトイレを設置してください」

 と言って、彼女は道の外を指さした。

 星動灯を向けてみると、どうやら草むらになっているようである。

「あっ、はい……かしこまりました」

 いつもなら見守っているところだが、術の効果が切れる前に、作業を終わらせた方がよいだろう。

 クレネストに採血管を渡してから、エリオは星動車の後部へとまわった。

 トランクを開け、

(んー、っと……これか)

 取り出したのは、一抱えほどの分厚い布袋。この中には、トイレ用に持ってきた小型のテントが入っている。

 それと一緒にスコップを担いで、エリオは道路から出た。

 クレネストの美声が響き渡る中、草むらに穴を掘り、

 数分後――

「エリオ君、この通りの天候ですから、私も車の中で休みます。術の効果も、そろそろ切れますし」

 大きい方のテントを運び出そうとしたエリオに、クレネストがそう提案してきた。

「よいのですか? テントを張るくらい大丈夫ですけど」

「はい、かまいません」

「わかりました」

 エリオがトランクを閉め、二人は星動車へ戻る。

 と――

「あらまぁです」

 クレネストが、後部座席の方を見て声を漏らした

 そこには、可愛らしい寝息を立てているテスの姿。座席をベッド代わりにして、横たわって丸まっている。身体が小さいので、すっぽりと収まっていた。

「疲れちゃったみたいですね」

 言いながら、エリオは前照灯を落とした。

 同時に、術の効力が消失したらしい。強風が再び、星動車を撫で始めた。あのままテントを張る作業をしていたら、ちょっと大変だったかもしれない。

「ところで、原始の星槍はどこへ?」

 暗くなった道の先には、青い光の点々が見えてるだけだ。いつもなら、術式を組み込んだ原始の星槍が宙に浮かんでいるはずなのに、それが見当たらない。疑問に思い、エリオが尋ねてみると、

「地面の中に埋まっています」

 クレネストは――多分埋めた場所なのだろう――道路の脇に近い草むらを指さした。

 なんとなく身体を伸ばして注目してしまうエリオ。当たり前だが、草しか見えない。

「ああ、なるほどそうですか……隠したわけですか……」

 座り直して、呟く。

 今までと違い、離れたらすぐに封印を解除するわけではない。対の柱は同時にと、クレネストは言っていた。

 次の場所へ移動している間に、原始の星槍を誰かに見られでもしたら、ややこしいことになる。

 そう理解して、エリオは続けて聞いた。

「えっと、もう一つ質問よろしいですか?」

「なんでしょう?」

「竜が代償と言っておられましたけど、範囲の中に必要な頭数を巻き込むのって、確実性に欠けるというか……非常に難しい話だと思うのですが?」

「なるほど……疑問はごもっともです」

 クレネストは面白そうに――と言っても、彼女の表情はいつもどおりなのだが、エリオはなんとなくそれを感じた。

「今は暗くて見えませんけど、この辺りには、大き目の湖が密集しています」

「湖ですか」

 見えるわけもないのに目を凝らして辺りを見やる。まるで無駄な努力をするエリオ。やはり暗くて見えない。

「そこには水棲型の竜が棲息していますので、それだけでも十分な頭数は確保できるでしょう。加えて、陸上にも竜はいますので、むしろ余裕があります」

「獣避けの星動機は問題にならないので?」

「あれの効果範囲は、せいぜい五〇ルム程度ですから」

「あ、なるほど……」

 道に連なる青い光は、確かに五〇ルム程度の間隔で設置されている。

「よくわかりました。ありがとうございます」

 エリオは両ひざに手をついて、律儀な感じで頭を垂れた。

「では……明日は早いです。明るくなる前に巡礼路へ戻りたいので、私達も早めに眠ってしまいましょう」

 クレネストはそう言って、座席を後ろの方へ倒した。それから、胸の中央辺りについている留め具を弄る。

 何をしているのかと思っていたら、カチっという音とともに、彼女のマントがはらりと落ちた。素肌の両肩があらわになって、エリオは思わずドキっとする。

 周囲は暗く、はっきりとしてはいなかった。それでも輪郭だけが、妙にくっきりとわかる。そこがむしろ、妙に色っぽく見えてしまった原因だろうか……

(何考えてんだ俺は……)

 思わず見とれてしまっていた。バレないようにゆっくりと目を背け、座席を後ろに倒すエリオ。幸いクレネストには、気がつかれていない様子。

 彼女はあっちを向いて横になり、マントに包まった。

 エリオはそのまま仰向けになる。

 目を瞑るが、さすがに早すぎて、寝入るまでは時間がかかりそうだった。

 仕方なく、風と雨の騒がしさに聴き入っていると、

「うみょらー」

 突然奇怪な音声が割り込んできて、エリオは顔中の筋肉を中央へ寄せた。すっぱいものを食べた時みたいな顔になっていることだろう。

「た、くひゃんあるにょぉ」

 それはテスの発した音だと分かった。

(な、なんだ、寝言か……)

 エリオは、思わず緊張させてしまった筋肉を緩める。

一体なんの夢を見ているのだろうか? 

「きょぉはそれかえ~」

 むにゃむにゃっとした感じの声音で更に続けるテス。

(何かが沢山あって、誰かがその何かを選んだ?)

 そんなことを考えても、全く意味はないだろうなと思いつつ――あとは寝るだけともなると、つい考えてしまう。そもそも、何も考えないということ自体が難しい。

「まっしろはおうどうじゃ、くれねすとどの」

 さらなるヒントがテスの口から発せられる。

 ガサっと、助手席側から音が聞こえた。クレネストが――多分反応して身を動かしたのだろう。彼女もまだ、寝入ってはいないと思う。

(クレネスト様が白い何かを選んだ夢?)

 多分そうとして、白い物とは何だろう? エリオは次の言葉を待った。

「…………」

 長い沈黙――

(うーん)

 じっくりと待ってみても、テスが喋りだす気配はなく。

 どうやらそれで、終わりらしい。

(……なんだかな)

 中途半端になってしまい、がっかり感が沸いてくる。かといって、詳しく聞いてみることもできないし、そもそもがくだらない。

(まぁいいか)

 エリオは諦めて、再び外の騒音へ意識を向けようとした。

 その虚をつくように、

「くれにぇすとどの、ぱんつはいてないのにゃー!」

 唐突に声を上げるテス。一瞬で固まるイメージ。

 エリオとクレネストは、お互い激しくむせるのであった。

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