★☆2★☆
豪雨の後は、空気中の塵が洗い流されて、遠くの景色がすっきりと見えるようになる。
飛空艇の窓にへばりつき、流れていく山々を眺めながら、チルスはそのことを思いだしていた。
「お~いチルス~、着陸中だからシートベルトしてないと危ないよ~」
間延びした声で、お節介なのはクルツ。隣の席に座っている。
いつもは一人で外出しているのだが、今日は彼までついてきてしまった。
チルスは嘆息して、
「わかってるよ」
誰にも聞こえないくらいの小声で言う。
前を向いて座り、シートベルトを締めて――それから頬を膨らませた。
トーザス町。そこは北方地方の中心地である。
位置的にも中心で、大陸の東側とも西側とも言えない場所にあった。
とはいえ、所詮は狭い盆地の田舎町。中心地といっても、賑やかな街並みというわけではない。そこかしこは古びていて、妙に風格のある商店と民家が建ち並んでいる。道行く人は、それなりには見かけた。それなりというのは、見える範囲に数人は常にいるということだ。車通りも似たようなものだった。
飛空艇に乗ってまで、チルスがここを訪れる目的は、主に画材を買うためである。工場から一番近い場所で、まともな画材店はここしかない。飛空艇という交通の便があるだけ、まだ上等ともいえる。
空港で昼食を取った後、星動バスで移動し、トーザスの商店街で降りた。
リュックサックを背負い直し、大きな買い物バッグを右手に持ち――チルスは目的の店を目指して歩いていく。
「ほほう、あれが噂の耳長児童」
その途中、クルツが変なことを言い出した。彼がもともと変なのはともかくとして、チルスは彼の向いている方向――つまりは向こう側の歩道を見やった。
「うぁ、本当だ」
思わず声にでた。
クルツの言う通り、そのまんまの生き物が歩いている。
歳は5才前後くらいだろう。四人中、三人の耳が長く尖っていた。うち一人が女の子で、他の二人は男の子。いずれも栗色の髪の毛で、耳長ではない女の子だけが黒髪だった。
唇に人差し指を添え、不可解そうに首を傾げるチルス。
「あれは、つけ耳的なお洒落?」
「いや、あの耳は本物らしいな。ここ数日で、そういう子供が急激に増えたって話さ」
クルツの話に目を丸くして、
「本物! 触らせてくれないかな?」
「事案になるからやめて」
物欲しそうに身を乗り出したチルスの肩を、クルツが掴んで止めた。ふくれっ面をしてみても、彼はしみじみとした様子で首を左右に振る。
「ぐっ……わかった……後で作戦練る」
奥歯をかみしめて、この場は一端諦める。クルツがなぜか、肩をコケさせていたが。
それはさておき、ひとまず用事の方を先にすませよう――と、チルスは歩き出した。クルツも横に並んで歩いた。
道は何度も通っているので、慣れている。アルビノである自分が、道行く人に注目されるのも、恒例行事みたいなものだ。あまりよい気分ではないが。
ほどなくして、店についた。『ベニー画材』という看板が掲げられている。丸太づくりの三角屋根で、山小屋そのものの佇まい。入口には、楽器を構えたフクロウの彫刻が沢山置かれていた。
重そうなのに、意外と軽い木の扉をあければ、カランと乾いた鈴の音が鳴る。
「いらっしゃいませ」
すぐに挨拶の声が聞こえた。若い女性の声だった。稀におじさんだったりするが、大抵は、来店するたびにこの声を聞いている。
店内に足を踏み入れて見渡すと――チルスがやっている油彩に限らず、様々なお絵かきの道具が大量に並んでいた。
「あ、チルスさんだ。毎度どうもです」
店の奥から顔を出したのは、声のとおりの女性。麻色のシャツと、草花の刺繍が入ったベストにスカートという、どこぞの村娘風の姿。全体的には赤色っぽい。背格好は、チルスより頭一つ高く、栗毛の巻き毛がチャーミングである。
名は看板どおりでベニーという――彼女は笑顔を見せた後、すぐにきょとんとして、こちらを覗き込むような動作をした。
「あれ~? もしかして、彼氏さんです?」
「違うよ。工員Aだよ」
「どーも、工員Aです。絶賛彼女募集中です」
尋ねられて、クルツもなかなかアドリブの利いているセリフで答える。
ベニーが面白そうにくすくすと笑い。
「そうですか、ゆっくり見ていってくださいね」
そう言って、カウンターに頬杖をついた。
「うん」
こくっと頷いてチルスは、レジ傍に置いてある、木製の買い物カゴを手に取った。
絵具の棚から順番に、必要な物を放り込んでいく。消耗が激しい絵具や溶剤は、どれも一番大きなものを選んだ。キャンバス用の木材と丸められた布は、カゴには入らないので、左腕に抱えておく。場所が遠いいだけに、常にまとめ買いになる。カゴの中身はどんどん増えて、重たくなっていった。
クルツの方はというと、気に入った物でもあったのか、いくつかの製図用具を買ったようだ。それから、本が置いてあるコーナーへ寄っていく。適当に立ち読みをはじめていた。
だいぶ遅れて、チルスもカウンターで支払いを済ませる。
「相変わらず凄い量ですね。それとこれ、オーランズピーク展の募集です。チルスさんのことですから、出せそうな作品なんて、いっぱいあるんじゃないですか?」
と、差し出されたチラシを受け取った。
(もうそんな時期か……)
毎年行われる、ノースランド最大の公募展である。毎年何百人という参加者が集まってくる。プロ画家への登竜門でもある。
「入賞したことないけどね」
自虐気味に笑みを漏らし、小さく首を振りながらチルス。
「でも毎年入選してるじゃないですか、それでも凄いことですよ」
「ははは……」
ベニーの言葉に乾いた笑いを返す。あまり嬉しいことではないので、困った。
持ってきた買い物バッグに商品をつめてもらい、それを受け取る。木材と巻布はロープで縛ってもらい、腕に抱えた。
それからチルスは、クルツの方へ顔を向ける。彼はまだ、本のコーナーにいた。一冊の本を手にしているが……
「んー、これは実にマズイ、これは実にマズイ芸術だなぁ」
なんだかボソボソと、感心した様子で独り言を言って、しきりに頷いている。
近づいて、後ろから何を読んでるのか覗きこんでみると、
「……えっち」
真顔でチルスは、ボソっと声を出していた。クルツが慌てて本を閉じ、そっと棚に戻す。
読んでいたというよりも、見ていたと言ったほうが正しいだろう――それは女性のヌードポーズ集だった。
「か、買い物は終わったのかい?」
ひきつった笑顔のまま振り向いて、クルツがそう聞いてくる。
チルスは頷き、
「終わったよ。これ持ってくれる?」
「あ、ああ……」
買い物バッグを差し出して頼むと、クルツは要望に応えてくれた。
考えてみれば、こうして荷物を持ってもらえるのは助かる。結構な重さがあるので、毎度のことながら、持ち帰るのは一苦労なのだ。ついてこられると煩わしいと思ったけれど、荷物持ちをさせれば悪くない。
「ありがとうございました~」
店を出ようとすると、微笑ましそうにこちらを見て、明るく声をかけるベニー。
チルスは小さく手を振り、
「またよろ」
と、軽い調子で返した。
★☆
公園近くの路上に陣取って、チルスは似顔絵師をやりだした。わらわらと、ちびっこ達が彼女を囲みだす。
(なるほど、これが作戦か)
クルツは彼女の発想に恐れおののいた。どさくさに紛れ、寄ってきた子供達の長い耳に触れている。感動的に口を丸くしながら。
それを見ていた周囲の大人達や、若い男女も集まってきた。
「おぉ、斬新なファッションだね君ぃ」
「可愛いー」
「あら上手ねぇ、私の子も頼もうかしら?」
口々に、そんな言葉が聞こえてくる。
あざといくらい、白ロリスタイルをきめている彼女は、とにかく目立ってもいた。白髪や、淡い瞳が偏見の目で見られないのは、奇抜なファッションの一部だと思われているからだろう。
そんな珍獣のような娘が、路上で似顔絵を描いている。あっという間に人垣が出来上がってしまうのも、道理なのかもしれない。
「はいはい並んで並んで」
クルツはとりあえず、客の整理を始めた。
自分の手荷物から、チップ入れになりそうな物を探す。帽子くらいしかなかったが、それを裏返して、チルスの横に置いた。
それから、
「こちらにおわす可愛い子ちゃんは、若手ホープのチルス画伯。本日は特別に、路上似顔絵コーナーを設置し、皆様に楽しんでもらおうという趣向でございます」
派手に盛り立ててやると、拍手喝采がおこった。
「ちょ、クルツ」
「いいからいいから、サポートすっから頑張ってみなよ」
慌てるチルスに、そっと耳打ちをしてやる。
彼女は細い声で呻いてから、行列を見やり、溜息をついて、
「……どうぞ」
肩を落としながらも、覚悟を決めた様子で言った。
(ファイトだチルス)
静かに絵を描いている彼女を、心の中で応援するクルツ。
見る限り、危なげもなく順調そうだ。
「しっぽしっぽ」
小さな女の子の声がした。チルスのツインテールを興味深げに撫でている。彼女の後ろへ集まり、抱きついてみたりする子もいた。
(大丈夫……か)
もふもふと、髪の毛を玩具にされていたが、当の本人は、そのことに気が付かないほど集中していた。
真剣で、それでいて幸せそうで……
耳長に触れるための作戦だったのだろうけど、似顔絵の方も、しっかりとこなし続けていく。
(なんつーかこの娘って、こうしてる時だけは滅亡主義者らしくないなぁ)
近場から眺めていて、クルツは思う。
普段のチルスは冷たく素っ気ない。褒めてもヒネた言葉が返ってきたりする。工場で絵を描いている最中も、どこか重そうな雰囲気があった。まるでそれは、苦行をしているようにも思えた。
ところが今の彼女は、ちゃんと楽しめている――そう思えてならない。そのことが、純粋に嬉しい。
「お姉ちゃんありがとう」
似顔絵を受け取って、喜びの笑顔を浮かべる人々。
チルスは笑顔で答えはしないものの、次々に差し出してくる子供の手を、優しく握っていた。
宿屋の一室にて、時刻は夕方の終わり、飯前といったところ。
帽子の中は、お金でいっぱいになっていた。それをテーブルの上に出すと、チルスが口を丸くする。
「こんなに儲かると思ってなかった。手伝ってくれたから二割あげる」
「さ、さすが工場長。生々しい数字ですな。でもありがと」
クルツは後ろ頭をかきながら礼を言った。
まだ集計はしていないが見る限り、平均的な日給を遥かに超えているだろう。
「耳を触りたかっただけなんだけど……ちょっとだけ面白かった……かな?」
ベッドに腰を下ろし、足をぱたぱたとさせながらチルス。うつむいて口にする様は、戸惑っている風にも感じられた。呆けて、思い返しているのだろうか? 初めて彼女の口からポジティブな言葉を聞いたような気がする。
「そっかー、あの時の君は、すごく輝いていたしな。みんな君を褒めてたよ。お兄さんも惚れなおしちまったぜ!」
きどった調子で親指を立て、ウィンクを交えながらクルツは口にした。
「……つまり、普段は輝いてないんだ」
チルスはいつものように、ヒネた言葉を返してくる。まったく素直ではない。
虚しさがしみついているその半目は、それでも楽しかったことを否定し、冷めることを選ぼうとしてるのだろうか?
いやいやと、めげずにクルツは、
「四六時中、無意味にビカビカと輝かれてもウザいだけだろ? 人間はここぞというときの輝きが大事なのさ! つまりチルスたん可愛い! チルスたん最高!」
人差し指をビシっと彼女へ向け、我ながらナイスな理屈――と思っている――で、熱烈に言い返してやった。
チルスは呻いて、唇を尖らせる。それから、ぷいっと顔を背け、
「わけわかんない」
頬をふくらませながら口にした。どうやらスネてしまったようである。
「まぁまぁ、とりあえず美味い物でも食ってさ~、折角だからもっと楽しもうぜ?」
勢いにのってクルツは、どさくさ紛れに誘ってみた。
ふてくされたチルスの横顔を、じっと食い入るように見つめていると――彼女がチラっとこちらに視線を動かす。それから少々の間をもって、観念したのか、嘆息した。
「ほんとクルツって、頭の中味がお子様ランチみたい」
「これまたえらいもんに例えられたな……それで?」
呆れ混じりのチルスに、クルツは苦笑を返し、返事を促す。
少々の間を置いて、
「ん……わかった。美味しいもの、食べにいこ」
クルツは思わずガッツポーズ。なんというかこれは、『勝った』という気分であった。