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さて、これで何人目のチャレンジャーだろうか?
チルスはうんざりするでもなく、悲観するでもなく、ただ漠然とそう思った。
今は深夜。ほぼ自宅状態のほったて小屋で、延々と落書きをしていたところだった。
一階のアトリエから、誰かがハシゴを登ってくる。ここから姿が見えるわけではないが、気配を探るまでもなく音で十分。当然、呼んだお客様というわけもなく、勝手にドアか窓をこじ開けて入ってきたのだろう。
描く手を止めて、チルスは椅子から立ち上がる。
登ってきたのは、無精ひげの男だった。非常におっさん臭いが、見た目より若かったはず。顔は知ってるし、名前も知っている。なにせ、ここの工員だからだ。
彼はハシゴを上りきると、興奮した様子で荒い息をしながら、チルスを凝視した。
「レグス……なんなの?」
半眼で睨みつつ、レグスと呼んだ男に、わかりきったことを聞いてみる。
すると彼は、自分の股間をまさぐりながら、大きく口を開いた。
「お、大人しくしろ……騒がなければ無茶はしねぇから」
とまぁ、こういうわけである。
こんな辺境の地に、女一人と大勢の男がいれば、別に珍しいことではない。言いよられることも、痴漢行為をされることもしばしばである。こうして強姦目的で乗り込んでくる輩も当然いるわけだ。
チルスはもう、嘆息すらでない。やる気のない目つきで淡々と、機械的に言葉を発した。
「いちおう警告。このまま出ていけば不問にする。私に手を出すなら、それなりの措置を取る」
もちろん、うら若き女性のチルスに、大の男を退かせる迫力などあるわけもなく――レグスは両手をかざしながら、ゆっくりと迫ってきた。
逆らえないように力で押さえつけてしまえばよい。そんな考えが見え透いている。
「へへへ、脅かしたって無駄だって、こんなところじゃ誰も助けにこねぇよ」
ささやかな抵抗とみて、余計に興奮したらしい。
近づいてくる足が速くなった。
今なら好き放題できる。もはや目先の欲求にしか頭が回っていない。
そんな勘違い男に、
「いや、助けならここにいるよ」
ボソっと言って、チルスは右腕を水平に振るった。袖の中から、白い物体が飛び出す。手慣れた動作でそれを握りしめた。
形は丸い棒状で、チルスの前腕よりは短い。術式文字が大量に彫り込まれていて、まるでどこかの遺跡から出てきた骨董品であるかのようだった。
「おいで、サウラティカ」
チルスが、何かの名を呼んだ。
その途端――
棒に彫り込まれた術式文字が紫に輝き、ふわっとした風が球状に広がっていく。ツインテールが大きく煽られて、優美な曲線を描きながら揺り戻り。
レグスは足を止めていた。長い呻き声を盛らしている。目をむきながら感じているものは、おそらく恐怖。
振るえる指先でこちらを――正確には、チルスより上を指さして声を上げた。
「な、なんだそいつは!」
チルスも、”それが現れた”気配を背後に感じていた。部屋が淡く、ゆらゆらとした白い光に照らされている。
「さぁ? なんだろね?」
言いつつ、振り返って見上げてみた。
見た目は人型。その全身が、白い炎で燃え上がっているような感じだった。炎といっても、熱は発していないし、音もしない。大きさは、熊ほどある。頭が天井に届きそうだった。
これが何なのかは、自分でもよくわからない。親元から離れる以前――小さい頃に住んでいた家の、屋根裏部屋で偶然見つけたのだ。
サウラティカという名前については、この棒状の物体に書かれているらしい。自分には読めない。
小さい頃、近所に住んでいた”とある幼女”が、何故かこういうことにやたらと詳しかったので、解読してもらったのだ。扱い方まで書かれているらしいのだが、本当に動いた時は、思わずダッシュで逃げた。
「うわっ!」
レグスの場合はどうかというと――床に尻もちをついて、ガタガタと全身を震わせていた。逃げるどころではない。完全に腰を抜かしている。
チルスは、優位にかこつけて侮蔑するわけでもなく、ただ漠然と見下ろして、
(いつものようにやって)
頭の中で願望を描くと、サウラティカはその通りに動く。しかも、”空気を読んでくれる”上に、動作も正確で器用。
敏捷性が高く、物凄い速度でレグスに躍りかかった。
「ヒィッ! 化け物!」
悲鳴が上がる。大体みんな、同じ悲鳴を上げる。月並みな悲鳴でつまらない。
チルスは、もう少し気の利いた悲鳴でも上げてくれればと思いつつ、サウラティカの行為を眺めていた。
床に押さえつけられ、ズボンを脱がされて――後はなんというか、ただただ惨い光景が繰り広げられる。
もっとも死ぬ心配はないのだから、これはただの手術ともいえた。どういう仕組みなのか、死ぬほど痛いというわけでもないらしい。出血も少量で、外傷もすぐに修復されてしまう。
とはいえ、男としては死んだも同然なのかもしれない。
一時間後――
「おっおっ……」
サウラティカに去勢され、小屋の外へと運ばれたレグス。
ふらふらと歩いて、大きく体が傾くが、倒れそうで倒れない。その表情は、白目をむいて完全にイっていた。
汚い尻を丸出しで、精根尽き果てたという言葉を背に描きながら、工員宿舎の方向へ帰っていく。
「ありがとう。もういいよ」
二階の窓から見下ろして、チルスがそう言うと、サウラティカが弾けて消える。炎の残滓が宙に舞い、広がる風に、道端の雑草が揺れた。
窓を閉じ、カーテンを引き、欠伸もでて――壁上にある時計を見やれば、もう零時を回っている。
(寝るか……)
一連の騒動の後でも感想はなく、この程度の思考しか沸いてこなかった。
チルスは、寝間着に着替える。
クローゼットから取り出したのは、全身真っ黒のパジャマ――下はスカート状。まるで喪服のようだが、アルビノであるチルスの白肌が際立つ。
柔らかな布の感触を心地よく思いながら、チルスはリボンをほどいて髪の毛を下ろした。
流麗な白銀糸の髪が、ふわりと空気を受け止めながら落ちていく。
ツインテール娘から、ただの長髪娘になったチルス。どこか幼さが抜けて、大人の女性という感じになった。それでも年相応かといえば、少々疑わしい童顔っぷり。
(っと、歯磨き)
チルスは、風呂のある小部屋へ向かう。洗面台もそこにあるからだ。
いつもどおり、とことこと音を立てて、歩いていく。
と――
「んー?」
チルスは眉をひそめ、高いピッチで不満気に喉を鳴らした。
というのも突然、言葉にするなら「キンコン」という感じの音が鳴ったからだ。
別におかしな現象ではなく、これはようするに呼び鈴の音。誰かが玄関の呼び鈴を鳴らしたということだ。
(こんな時間に? まさかまたレイパー?)
しばらく様子を見ようかと思ったが、それはそれで逆に時間がかかる。
嘆息して――
仕方なくチルスは、一階へと降りて行った。
ドアの前に立ち、
「誰?」
問いかける。
「チルス、俺だよ俺!」
これはクルツの声とすぐにわかった。
理由は分からないが、妙に気が抜けてしまう。
「何?」
チルスがドア越しに尋ねると、
「いや、変な光が見えたんでさ! つーか今そこで、ケツ丸出しでアヘってる変態とすれ違ったぞ?」
クルツが困惑気味にそう伝えてくる。
何と言ってよいものやらと、チルスは考え――とりあえず鍵を外し、ドアを開けた。
「お? おお……髪下したパジャマ姿の君は……これまた……」
こちらの姿を見るや、クルツは口をすぼめ、感嘆の言葉を漏らしてきた。
そういう反応されると、それはそれでくすぐったいものがある。
チルスは、一つ咳ばらいをしてから、口を開いた。
「こんな時間に、なんで外ウロウロしてるの?」
「仕事終えて夜風でも浴びようかーってね」
「風なんて吹いてないけど」
周囲を見回しながら、怪訝そうにチルス。
「う……まぁ、それは言葉のあやというもので、ただの散歩だよ散歩」
呻いて、クルツは苦笑を浮かべた。
「そんなことより、何かあったんじゃないのか?」
「別に……そのアヘってる男に言い寄られたんで、心を挫いてやっただけだよ」
素っ気なく答えてやると、彼の苦笑が困惑のそれに変わる。
「け、ケツ丸出しでアヘらせるほど挫いたのか? それともケツ丸出しで言い寄られたのか? いや、ケツ丸出しでアヘりながら言い寄ってきたのか?」
チルスはジトっとして、
「……その質問は重要なの?」
「い、いやまぁ、チルスに何もないならいいんだけどさ~」
頬をかきながら、今度は困り顔でクルツ。
チラチラと、こちらの顔色をうかがい――そこはなんの下心も打算もなく、純粋に心配してくれているのだろう。
仕方ないな、という感じで、溜息まじりにチルスは口を開いた。
「最初が正解。でも明日になれば、真面目に働いてくれると思うよ」
「その根拠はどこから?」
「こういうことは稀によくあるから」
「稀によくあるのか……」
納得したのかしていないのか、曖昧な雰囲気で言葉を発する彼。”アヘらせた方法”が気になっているのかもしれない。
そんなことを聞かれても面倒なので、彼が言葉を続けるより先に、チルスは話題を変えた。
「クルツこそ、朝早かったのにこんな時間まで仕事してて大丈夫なの? 明日だって早いのに」
尋ねると、クルツは少しの間きょとんとし、
「ん? あーまぁ、確かに疲れたなぁ~、頑張ったからチルスたんに癒してもらいたいわ~」
髪をかき上げ、あさっての方向へと視線を向けながら、おどけた感じで言ってくる。
期待もしていない軽口のつもりなのだろうが、疲れているのは本当だと思った。
チルスは、溜息をついて口を開く。
「癒されるかどうかは知らないけど、お茶くらい飲んでく?」
「え? マジで?」
髪をかき上げたポーズのまま、目線だけこちらへ向けるクルツ。意外そうな顔というのは、こういうのを言うのだろう。絵に描いたようなマヌケ面。
「うん、まじ」
ぽそっと言って、こくっと頷くチルス。
「お茶にアヘる薬とか入れたりしない?」
変な心配をする彼。ちょっとだけ面白くて、チルスは思わず笑いそうになった。
「そんな怪しい薬なんて持ってないよ」
ほころぶ口元を、手の平で隠しつつ言うと、
「うひょ~、女の子と二人きりでお茶するなんて初めてだよ! こりゃ疲れもぶっとぶわ~!」
クルツはガッツポーズで歓喜した。感情が筒抜けで非常に分かりやすい。とはいえ、こんな自分とでも嬉しいものなのだろうか? そこまで喜ばれると、少し照れる。
「でも、変な気おこしたら遠慮なくアヘらせるからね」
照れ隠しついでに、チルスはクギを刺しておくのだった。