●世界観B創世記・星の終わりの神様少女5

二章・緊張と弛緩の隻影

 早朝から一通りの雑用を終えたエリオは、セネナの病院へと足を運んだ。

 特にクレネストの容態に変化があったわけではないが、こまめに経過を報告するようにと言われていた。

 場所は教会の敷地内。というわけで、歩きで十分。

 太陽が雲に隠されて、少しだけ薄暗くなった道を進んでいると、すぐに病院が見えてきた。

(あれ? 何かあったのかな)

 その玄関前に、人が集まっていた。

 人数は――人垣というほどでもないが、何らかの様子をうかがいつつ、ヒソヒソ話をしているように思える。

(もしかして急患かな?)

 だとすれば、出直すしかない。

 そう考えながら、一応確認するべく、エリオは病院の方へと近づいていった。

 すると、

(え? 泥棒?)

 人々が注目しているのは玄関扉。その状態を見て、人々と同様にエリオも眉をひそめる。

 扉は二重構造の分厚いガラス板で作られていて、縁には鉄製のフレームがついていた。

 それが斜めに切られていて、三角形になった下半分が、律儀にもすぐ横の壁に立てかけられている。

 おそらく、その穴から賊が侵入したと考えて、

(いやまて、どうやって切ったんだよこれ!)

 先入観念で、ただの泥棒と決めつけてしまうところだったが、この扉の状態は普通じゃない。

 二重構造のガラス板を綺麗に揃えて、フレームごと真っ二つ――工場ならともかく、この場でそんなことが可能だろうか?

 時間をかければ可能としても、ただ物を盗むにしては酔狂がすぎるだろう。

「お金は盗られてなかったし、特に無くなった物もないけど……」

 知っている声が聞こえた。目を向ければ病院の脇で、セネナが軍警察に事情を説明していた。

 エリオは小走りで駆け寄って、声をかける。

「セネナ先生」 

「あらエリオ君おはよう」

「あ、はい……おはようございます」

 さしたるショックも受けてなさそうなセネナの態度に、少し拍子抜けする。

 ひとまず頭を下げてから、エリオは口を開いた。

「これ、何があったんですか?」

 尋ねると、

「それを調べてもらってる最中なんだけどね。犯人の目的がはっきりしないみたい」

 セネナが言うには、扉が切られた以外は、特に荒らされた形跡もないらしい。ただ、何者かが院内に侵入したことだけは確かとのこと。

「悪戯にしては中途半端だしね~。まぁ、後のことは軍警察に任せるしかないかな……それよりクレネスト司祭の様子はどう?」

「はい、特に変わりがありません。微熱も続いていますし、つらそうです」

「ん~、ステラの使い過ぎでああなるなんて聞いたこともなかったけど、厄介なものね。薬で症状の緩和くらいはできても、根本的な治療にはならないみたい。今はそれで我慢してもらうしかないわ。でも万が一、急に悪くなるようなことがあったら、すぐに知らせてね」

「……はい」

「それにしても、昨日のうちに宿舎へ移動してもらってて幸いね。もしここに残っていたら、彼女達が犯人に襲われていたかもしれないし」

 エリオは呻いた。

 クレネストが目覚めてから、彼は宿舎の方で寝泊りしていたが、テスは同じ病室のベッドを借りていた。襲ったところで並の相手なら返り討ちになるだけだろう。むしろ、あっさり犯人を逮捕できたかもしれない。

 それを知る由もないセネナの言葉に、思わず残念そうな表情を見せてしまいそうになる。

「ですね……よかったです……ほんと」

 エリオはうつむき、声音を低くして、不幸中の幸いを装った。

 エクリアに叩き起こされた。

 今日はついに、悶絶してしまったらしい。

 どうにか周囲を見渡してみると、さっきまで見物していたはずのゼクターの姿が消えていた。

 ここは彼女が泊まっている宿屋の一室――自分はその床に転がっていたようだ。

「ぎぎっ……」

 歯を食いしばりながら、全身の筋肉が引きちぎれたような痛みに耐え、エリオは身を起こそうとする。

 ひとまず四つん這いになったまま、荒くなっている呼吸を整えることに専念した。

「はい、すこし休んだら術式の練習ね」

 なんとか体を起こそうとするエリオを、一応エクリアも気遣って、肩を貸してくれる。

「ああ、ありがとう」

 軋む足に力を込め、痛みに体を緊張させながら、上体をゆっくりと起こし、

「ん?」

 その時エリオは、自分の体に違和感を感じた。

 肩から胸の辺りで、何かがざわめいている。

(な、なんだ?)

 そう思った次の瞬間。

「おぉっ!」

 ぞくっとした感じが一気に膨れ上がり、言いしれない快感が全身へと広がっていった。

 どうしてなのかわからず、戸惑い、同時に不安も大きくなる。

 ぞくっと来るたびに、体が痙攣した。

 しかしそれは、時間にして数秒の出来事――

 どうなることかと思ったが、すぐに収まっていった。

「やっぱりまだ、動かすのは無理かな?」 

 放心していると、エクリアが心配そうに聞いてきた。

 エリオは首を横に振って、その勘違いを否定する。

「いや、いまちょっと、体の中で変な感触があったんだ」

「……え?」

「一瞬ぞわってして、凄くかい……」

 快感と言おうとして、口を止めた。なんか、気恥ずかしい。

 おかげで言葉が中途半端になってしまい、エクリアが疑問符を浮かべてしまう。

「すごくかい?」

「じゃなくて今、ものすごく爽快な感じがしてさ……すぐに収まったけど」

 言いかえても、変なことを言っているような気がするエリオ。

 ただそれを聞いたエクリアの方は、目を丸くして驚いた表情をみせた。

 口元を両手で押さえながら、

「ええ! もう?」

 出てきた言葉に、今度はエリオの方が疑問符を浮かべる。

「もうって何が?」

「いや~、そっかー、んー、ええと……気持ちよかった……でしょ?」

「……お願いだから顔を赤らめながら言わないでくれ」

「アレしたあとみたいに」

「アレ言うな!」

「女の子の口からはっきり言わせたいの?」

「あーもう!」

 エリオは髪の毛をかきむしる。

 頭がピンチな人なんじゃないかと思えてきた。言葉を選んでいた自分がバカバカしくなる。

「んっんー、まぁそれはともかくおめでとう、もうこれで術路開放は終わりだよ」

「……お?」

 一瞬、彼女が何を言ったのか理解が追いつかなかった。体の痛みのせいで、認知力が低下しているのかもしれない。

 それでも今の一言が、理解の中枢に浸透してくるまで、さほど時間はかからなかった。 

「おおおおおお!?」

 感動がじわじわとこみ上げてきて、

「本当だよな?」

「嘘」

「おい!」

「いや、冗談冗談」

 エクリアのノリに、エリオは顔をしかめて脱力した。

 人がせっかく感動してるのに、まったく意地が悪い。刹那の間だけでも、ぬか喜びかと思ってしまった。

 さすがに悪戯が過ぎたと思ったのだろうか? 悪びれた様子でエクリアが口を開く。

「ごめんごめん……でもさ、こんな短期間で大記録ね。ここまで痛いのを我慢した人も、そうそういないんだろうけど」

「記録なんかどうでもいいよ。クレネスト様を一刻も早く治してさしあげたい……それだけさ」

 感心しているエクリアにそう言い返しながら、ゆっくりとベッドへ腰を下ろす。

 まだ痛みが激しくて、ろくに動くことができなさそうだ。

 肩を貸していたエクリアが、少し離れて向かい合うように立った。

「音声の方は大体おっけーだから、後は術式を正確に間違わず、時間以内に組めるかどうかってだけね」

「そういえばその……まだ聞いてなかったけど、このアレに必要な物ってなんだ?」

 エリオが言わんとしているのは、禁術の代償のことである。念の為、その辺は言葉をぼかして伝えていた。

「ああ、そうだったね……」

 口にしてエクリアは、ベッド脇に置いてある大きな旅行バッグを空けた。

 代償に使う品を、既に手に入れているということなのだろうか? 

 しばらくして、

「ん、はい」

 エクリアが手に取ったのは、紙でできた小箱。

 それを手渡そうとする。

 エリオは反射的に手を上げようとして、

「すまん、ちょっと動かすのはきつい」

 ビリっとくる痛みに顔をしかめた。

「はい」

 エクリアが箱を開けて、中の物を取り出す。

 掌の上にのせて、エリオへと差し出した。

「これは、ローステラムか」

 正確には、それの原石の方である。

 以前クレネストに見せてもらったような、綺麗なものではない。

 藍色の半透明で、ごつごつと角ばっていた。

「ふーん、まぁ星導教会の犬だし、それくらいは知ってるか……」

 ひどい言われようであるが、あえて抗議の言葉は飲み込む。

「術式回路を作る材料が、魂の回路を治す術式を有す……意味ありげだと思わない?」

「ああ、なかなか興味深い話だけど、とりあえずローステラムを用意すればいいんだな? もしかしてそれ、売ってくれるのか?」

 とくにおかしいとも思わず、エリオは当前のようにそう尋ねた。実際おかしくはないだろう。

 だがエクリアは、きょとんと不思議そうにエリオを凝視しだす。

 しばしそうして沈黙し――

 吹いた。

「何言ってんの君は? 別にいいよ! あげるってば!」

 大笑いしながら、ぱたぱたとエクリアが手を振る。

「いやでも、なんか悪いかな~って」

 エリオは首の後ろに手を回し、遠慮がちに口を開いた。

 笑いを収めたエクリアが、今度はどこか挑発するように――両腕で自身の胸をよせ、上目遣いでこちらを覗きこみながら口を開いた。

「もう、変なところで律儀だね。靴下もパンツもブラもチューも水着も拒否ったくせに」

「いや普通、それらは律儀な方が拒否ると思うが……それとパンツはなかったような?」

「欲しい?」

「欲しいって言ったらくれるのかよ!」

「ん~、一枚くらいなら」

 冗談めいておらず、体の痛みがなければ頭を抱えたい気分だった。

 こめかみを引きつらせつつ嘆息してエリオは、

「まぁその、ありがとう」

「ん? パンツいるの?」

「そっちじゃなくてローステラムな!」

 いい加減、疲れてくるエリオだった。

 もくもくとした雲が、ちぎれた綿あめみたいに沢山浮かんでいる。それらは赤と紫のグラデーションに染まってた。

 遠くの山々は、燃えるような輪郭を残しつつ、黒色へと変化していく。

 空は夕焼けに、黒い幕を下ろしはじめていた。群れを成した鳥たちが、山の方へ飛び去って行く。

 一日は早いものだなと、いささか年増なことを考えながら、 エリオは帰路についていた。

 並木で飾られた田舎道を通り、教会のある方へと向かう。

(初めて気絶したけど、何故か治りは早い感じがするな)

 歩いているだけでも、体の調子はそれなりにわかるものだ。

 悶絶する前の痛み具合は尋常ではなく、今日はもう、まともに動けないことくらいは覚悟していた。

 それがどうだろう。

 痛みはまだくすぶっているが、歩みを阻害するほどのことはない。

 ほんの数時間で、ここまで回復したのは初めてのことだった。

(それになんだろう? むしろ調子がいいような?)

 術路が解放されたせいだろうか? 体が軽く、五感が妙に冴えている気がする。

 エリオは自分の掌を見つめながら、握って開いてを繰り返した。

 その時――

「……ん?」

 わずかばかりの違和感がした。掌のことではない。体のことでもない。

 エリオは顔を上げて、違和感がした方向へ目を向けた。

 今まで感じたことのない、警告にも似た感覚――それが十数歩先にある並木の中にまぎれている。

「そこに誰かいるのか?」

 エリオは立ち止まり、声をかけてみた。

 すると、

「はぁ、この距離でバレるのか。思っていたよりも面倒臭いな」

 不貞腐れてがっかりした感じの、ボソボソと暗い声が聞こえてきた。

 ゆっくりと――並木の影から、幼い子供を連れた青年が現れる。

 エリオは息を飲んだ。

 まず第一印象として、とてつもなく嫌な目つきだった。光を宿さず、淀み、腐っているかのよう。全身に覇気がないどころか、精気があるのかすら疑わしい。

 白髪で、服は赤いコートを着込んでいた。

「……お前は、まさか……」

 直接面識はないが、クレネストから聞いていた特徴そのものだった。

 間違いない。

(テスちゃんを瀕死に追いやった奴!)

 名前も聞き覚えがある。確かジルと言っていた。

 だとしたら、相当に危険な状況だ。エリオはまず、自分を落ち着けるために呼吸を整えていった。

 連れている子供は人質だろう。怯えて涙を流しているのは、耳の長い女の子。

 ジルはその子の頬を撫でながら、ぼそぼそと言う。

「……クレネスト司祭が入院していたらしいが、病院にはいなかった。どこへ行った?」

「扉を切ったのはお前か? クレネスト様ならとっくにご退院だ! はた迷惑な真似するな!」

「何処へ行ったか聞いてるんだ。言葉が通じないほど頭が悪いのか?」

 ぐりっと、女の子の首に指を食いこませるジル。その子は苦しそうに喘ぎだした。

「くっ!」

 エリオは奥歯を噛んだ。

 この距離なら、星痕杭を抜き打ちしても必中させる自信はある。

 しかし――

(妙な物がありやがる。迂闊にしかけるのは危険……か……)

 ジルの前方に、何と言えばよいのか――目に見えない何かがある。

 はっきりと言葉にはできないが、そこだけ密度が高く、モヤモヤとした違和感があった。

(あ、あれ? なんで俺、そんなことがわかるんだ?)

 自分で自分を不思議に思った。目に見えないものを知覚することができている。

 理由が分からなくて、少々戸惑うが、

(いや、今はこの際どうでもいい。おそらくあれは、何らかの防御とみて間違いない。禁術を操る奴なんだ、それくらいの備えは当然か)

 あれが星痕杭を防げるほど強固なのか、それはわからないが、今ここで試すにはリスクが高い。

(どうする)

 考えあぐねていると、

「他にも質問があるんだ。早く答えないと、この子死ぬぞ?」

 ぎりぎりと、食いこませた指先に力を込めていくジル。女の子は悶え始め、痛々しく喉を鳴らした。

(くそったれが!)

 葛藤するも、この男にクレネストの居場所を教えるわけにはいかない。

 憎悪の表情でジルを睨みつつエリオは、

「なら……さっさと殺してみろよ」

 覚悟を決めて口にする。

 ジルは掴んだ首ごと、女の子の体を片手で持ち上げて見せた。

 強がりと見てのアピールのつもりなのだろうが、

「けどな」

 かまわずエリオは続けた。

「こいつはその防御で防げるか?」

 一瞬だが、ジルの片眉が痙攣するのが見えた。

 エリオは虚をついてローブをひるがえし、原始の星槍を握る。

 狙いをつけるまでの動作は完璧。

 もとより失敗するなど許されない。

 赤い禁忌の矛先がジルへと向けられて、

「!!」

 腐れた顔に、初めて人間らしい驚愕の表情が浮かんだ。

「ぬうっ!」

 ジルは急ぎ、子供の体を並木の向こう側、草むらへと放り捨てる。

 それと同時に自らも、斜め後方へ大きく飛びのいた。

 瞬間、

 赤い閃光が走る。

 目に焼き付いたように残るが、実際それは、一瞬だけの瞬きだった。

 空気の壁が爆裂し、圧が地面を揺るがす。

 猛烈な衝撃波と熱風が渦巻いた。

 放ったエリオ本人ですら、自分の腕が吹き飛んだと錯覚してしまうほどの反動を受け、体が浮き上がる。

 体勢を立て直しつつ、双眸は冷静に、その効果と状況を把握していた。

 防御と考えていた違和感が、穿った部分からゆっくりと霧散して消えていく。その向こう側でジルが、文字通り地面をごろごろと転がっていた。

 深手を負わせた様子はない。間一髪のところで躱されたようだ。

 エリオは舌打ちして、急ぎ星痕杭を取り出そうとしたが、右腕が痺れるように痛くて上がらない。

(くっそ!)

 一呼吸動作が遅れてしまった。

 その間にジルは、無理に吹き飛ばされた勢いに逆らわず、体を丸めて転がったまま遠ざかっていく。勢いが弱まったところで、不健康そうな容姿に似合わず、体操選手並みのしなやかさで跳ね起きた。そのまま背中を見せて走り出す。

「待ちやがれ!」

 エリオは左手で星痕杭を構えるが間に合わない。

 既に有効射程距離から外れたジルは、並木を盾にしながら逃走していった。

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