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クレネストは大いに悩んでいた。
このままでは、巡礼を中止させられてしまうかもしれない。
ステラの使い過ぎでこのような状態になろうとは、思いもよらなかった。
三日、四日と、時間だけがいたずらに過ぎていく。何もできない。
自分の知識不足を深く後悔し、強い焦燥感に苛まれた。
そんな中――
定期的に病室へと会いに来るエリオの様子が、
(……変です)
クレネストは率直にそう思った。
歩けばまるで、足を怪我している人みたいである。
椅子に座る時も立つ時も、何かが変形するかのような、段階的動作になっていた。
その度に、表情が強張っているように思えるのだが――
(まさか、また何か無理を)
そんな彼女の心配を――やはりエリオは、全く気がついていない様子で、
「えーと、耳長の件につきましては、クレネスト様の説明を元に正式な発表がありまして、大きな混乱や問題は起こらなかったようですね」
なかなか冷静な報告をしてくれる。
「そ、そうですか……」
上手くいっていることは良いのだが、どうにも腑に落ちない。
変な挙動になっているくせに、怖いくらい彼は落ち着いている。
こちらに気をつかい、柱の話題を避けている――そんな雰囲気でもない。
むしろ晴ればれとしていて、どこか嬉しそうでもあった。
「で、エリオ君……その……」
クレネストは、聞いてもよいものかと迷いつつ、おずおずと尋ねる。
「なんだか随分と動きづらそうにしていますが、どうしたのですか?」
その言葉にエリオは一瞬きょとんとするが、すぐに苦笑を漏らした。
「いやーはは……新しいトレーニングのし過ぎであちこち痛くなっちゃいまして、たぶんただの筋肉痛でしょう」
特に言い訳を考えていたような素振りも見せず、後ろ頭をかきながら、すらすらと答える。
(本当にトレーニング?)
勘ぐってはみるものの、嘘をついているかと言えば、そういう様子もなく――彼はいたって自然体。
「いささか不格好で申しわけありませんが、この程度はすぐ治りますから、ご心配には及びません」
「はぁ……」
体を壊さない程度に――という言葉を言いかけて止めた。
今の自分がそれを言っても、まるで説得力がないだろう。
クレネストは仕方なく、というほどでもないが、別の話をする。
「ところでテスちゃんはどうしてます? さぞかし退屈しているのではないかと思いますが」
「あのデカイ爺さんと一緒に、朝早くから釣りにでかけましたよ」
それを聞いたクレネストは、驚いたように目蓋を上げた。
エリオの言うデカイ爺さんというのは、おそらくゼクターのことだろう。
「あの方達はまだ、この村にいらっしゃるのですか?」
「はい、わりと観光できる場所があるみたいなので」
そういえばそうだった。
北方地方は雄大な自然環境に恵まれていて見どころは多く、観光客も結構多い。
折角遠出したのだから、ただ帰るのも、もったいないのだろう。
「まだいらっしゃるのでしたら、なんとか治す方法を教えてはもらえないものでしょうか」
ぽそぽそと、クレネストは呟くように漏らした。
するとエリオは、
「……実は、僕が交渉していまして……その、望みがありそうなんです」
「えっ!?」
それは予想外だった。それを頼もうかと、迷っていたことでもある。
同時にらしくもなく、降ってきた希望に心が湧きたつのを感じた。
それが本当であるのなら、彼が冷静にしていられるのも合点がいく。
もちろんエリオは、そんな嘘や冗談を言うような柄でもない。
「それは……聞いてませんよ私?」
「すみません。結果が出るまではと思ってましたので」
そう言って照れくさそうに、エリオは後ろ頭をかいた。
(……もう、しょうがない子です)
クレネストは詳細を聞こうと口を開きかけたが、思うところがあって言葉を飲み込む。
数日間、エリオが何も伝えなかった理由――それはおそらく、結果がでなかった時に落胆させたくないのと、後で驚かせようと思っていたに違いない。
なにより彼は、自分の意思と責任で、この問題を解決しようとしているのだ。
「わかりました。エリオ君にお任せします」
クレネストがそう伝えると、エリオは軽く頭を下げた。
(寝ているだけなら、この病室にいてもあまり意味はないかもです。病気ではないのですから、そろそろ宿舎の方へ移動して、今後のことについてエリオ君と相談を……)
クレネストは誰もいない病室の中で、ひたすら考えにふけっていた。
そう――希望が湧けば思考も巡り始める。
殆ど横になっているだけなので、なおさらそうだ。これはまるで、瞑想にも似た感覚だった。
夕方になっても気がつかないほどに、
「クレネスト殿~凄いの釣れたのじゃ~!」
近くで聞こえたテスの声に、クレネストの意識が現実へと引き戻される。
反射的に顔を向ければ、
「ひぁ!」
ビクっと体を震わせて、思わず変な声を上げてしまった。
口元で拳を作り、クレネストはその正体をよく確認する。
テスがご満悦の様子で、右手に掲げているそれは――
「あ……ええと……すごく立派なお魚さんですね」
流線型で、三角の背ビレに三日月型の尾ビレ――形だけみればいかにも魚という感じである。
問題はその鱗。くっきりとしていて大きく、しかも魚体の中央が黄金色に輝いていた。
「ジジイ共が大盛り上がりだったのう。しかもこいつは美味いらしい。せがまれて沢山魚拓をとってしもうたが、今晩はこれを食べるのじゃ~」
「ふふ、そうでしたか」
これだけ立派だと剥製にしたがりそうなものだが、テスは食うことしか頭にないらしい。
クレネストの胴体ほどには体長があるので、三人で食べたとしてもかなりの量だ。
どこで借りたのか知らないが、テスは大きくて頑丈そうな箱の中に魚をしまった。その箱にはベルトもついていて、持ち運びに便利そうだった。おそらく鮮度を保つための保冷箱だろう。
「てっきり退屈しているものと心配していましたが、大丈夫そうですね」
「結構面白いものがいっぱいあるのじゃ。そうそう、帰りがけに初めて竜というものを見たぞ」
「ははぁ、竜ですか……」
前回の巡礼の時に、何度かクレネストも見たことがあった。
竜は滅多に人里へと近づかないが、このような村でも、飛竜であればたまに目撃されることもある。
テスが見たのも、おそらくそういった飛竜の類――と、考えたのだが、
「長くて平べったくて、ひらひらを沢山動かしておったな。まるで空を泳いでるみたいでの、やたらと派手な奴じゃった」
「はい?」
クレネストの目が点になった。
それはなんというか、どう言えばよいのか――
奇跡にも近い話を、あっさりと伝えられたみたいな、そういう感覚。
「南にも奇妙な生き物は沢山おるが、あれほど奇抜で凄い奴は見たことがない。しかも大きかったのじゃ」
テスは瞳を輝かせながら、身振り手振りで興奮気味に伝えてくる。
どうやら聞き間違いではないらしい。
具合の悪さを無視して、クレネストは重そうに半身を起こした。寒気がくすぶっているので、布団をたぐり寄せる。
「それは本当に凄いです。おそらく、”宙の御使い”というとても珍しい竜ですね。人里には滅多に姿を現さないはずなので、テスちゃんはとても運がよいのです」
私も見てみたかった――と、少々の残念さを胸に、苦笑を漏らしながらそう伝えた。
「はぇ~そんなに珍しい竜なのかえ? それで皆があんなにも騒いでおったのか」
あんぐりと口を広げながらテス。
「それはもう、一生に一度、見ることができるかどうかという幻の竜だそうです。ここから北東にある、コントラフルト巨大生体保護区までいけば、もう少し出会える機会があるのかもしれませんけど」
「お、おぉぉ……」
クレネストがそう教えると、テスは両こぶしを握りしめ、唸り声を上げはじめた。
今更になって、猛烈に感動がこみ上げてきたのだろう。
「はぁ、私も早く自由に動けるようになりたいです」
クレネストは、窓の外を見つめながら口にする。
体を洗う時と用を足す時以外は、殆どこの場から動くことがない。
本を読んだりはしているが、運動も散歩もできないのでは、いくらインドアなクレネストでも怠かった。
「そうじゃろうなぁ~、早く治ってもらわんとエリオ殿の方も心配じゃし」
「はぁ」
「なんぞしておるのか、連日エクリア様にしごかれて、あのザマじゃからな」
「エクリアさんにですか?」
クレネストは、ぽやっと疑問符を浮かべた。
(エリオ君が痛そうにしていたのは、この体を治すことと関係が?)
単なる自主トレーニングのやり過ぎと受け取っていたが、今のテスの話だと、そんな気がする。
(まだ何かを隠して?)
思案顔で眉根を寄せるクレネスト。
しばし沈黙し、
「……いや、浮気なんぞしておらんから心配することではないぞ。エリオ殿はクレネスト殿ひとすじみたいじゃし」
何を勘違いしたのか、テスがエリオのフォローを開始する。
からかう風でもない不意打ち気味の言葉に、一瞬でクレネストの頬が高揚した。
「いえいえ、エリオ君とはそういう関係ではありませんし、そんな心配も……です」
小声で言い返しつつ、ずるずると布団の中へと身を沈めていく。
それを眺めるテスは、不思議そうな表情を浮かべて、
「ふむ? しかしまぁエリオ殿は、完全にぬしのことでしか頭が回っておらぬぞ、あれは」
腕組みをしながら、人差し指を立てて、真顔でそう伝えてくる。
(うぅ、それは私の助祭で、仕事熱心なので)
という内容の言葉を、布団で口を塞ぎながら、クレネストはもごもごと言った。
おそらく、テスには呻き声にしか聞こえなかっただろう。
まるで言い訳をしているみたいで、余計に気恥ずかしくなって、後悔した。
彼は仕事とか、そんなことは関係なしに尽くしてくれている。それくらいは、クレネストもとっくに理解していた。
熱くなった吐息を漏らし、
「……お礼くらいは、考えておかなきゃならないですね」
「そうじゃのう~それがよいと思うのじゃ」
にっこりと、テスがクレネストに同意する。
「はぁ、何がよいでしょうかね?」
彼の功績を高く評価して、社会的地位の向上へ繋げる――というのが本来なら妥当であるが――片道キップの旅をしている以上、これは意味がない。
月並みだが、何か贈り物をする、美味しい食事をおごる。自分にできるとしたら、精々そんなところだろう。
とはいっても、エリオが喜びそうな物となると難しい。
「おぬしの気持ちが伝われば、なんでもよいと思うがの」
テスは気楽に言うが、その伝わるものというのが、クレネストにはよくわからないのである。
「いざ考えてみると、なかなか難しいものですね……」
思案して――
「待合室に何かそういう……参考になりそうな雑誌とか置いてませんかね?」
「ふむ、ちょっと見てくるのじゃ」
そう告げるとテスは、足早に病室を出ていこうとする。
クレネストは、「走っちゃだめですよ」と声をかけ、その背中を見送った。
数分後――
テスが両手に抱えてきたそれらは、恋愛関係ばかりを特集している雑誌だった。
診療時間が過ぎたあと、クレネストはセネナに話をつけ、すぐに宿舎へと移動した。
飾り気のない白壁に、緑色のダサい床。ベッドと鏡台、小さな星動灯が置いてあるだけの小部屋。
掃除はされているようだが、くたびれた感じはぬぐえない。
星動灯の出力も弱く、夜の闇を振り払うには力不足。静かなことは静かなのだが、一般的には不気味と言われそうである。
にもかかわらずクレネストは、
「落ち着きますね」
布団の中で、ぽーっと天井を見つめながら呟いた。
「そ、そうかのぉ?」
テスの方は例に漏れず、どうにもお気に召さない様子。
ベッドの脇に座り、気味悪そうに部屋を見回していた。
もちろんクレネストも、このような部屋が気に入るほど、歪んだ精神状態ではない。
「あちらにいるよりは、気を使わなくてすみますから」
「ふむ……そういうことかの」
テスはクレネストの言葉に、納得したというよりも理解したという表情で口にした。
その横顔を見つめながらクレネストは、
「これで今夜は、テスちゃんを抱っこして眠られますね」
「ふぇっ?」
「病室では別々でしたから」
「……え、えへへ、そういえばそうじゃったの」
もじもじとしながら――しかしテスは、まんざらでもなく嬉しそうな表情を見せる。
「久しぶりなので、思う存分補給させてもらいます」
「な、なにをじゃよ!」
冗談に聞こえないクレネストの冗談に、テスが音を立てて身を引いた。
一息ついて――
(さて、後はエリオ君の方が上手くやれてるかどうかですが……)
エクリアにしごかれているらしいので、教えてもらっている段階であることは想像に難くない。ただそれが、どのくらい難しいことなのか、今のクレネストには判断がつかなかった。
それだけに、人任せというのがどうしても歯がゆく感じてしまう。重大かつ自分の事ともなれば、なおさらそうだ。
もちろんエリオのことを信頼していないわけではない。エクリアも、見込みのないことを教えようとしたりはしないだろう。だから、安心して待っていてもよいはずだった。
(どうにもいけませんね)
今更ながらに自覚する。以前エリオが言っていたのは、このことなのかもしれない。
一人でいる時間が長すぎたせいか、できる限り他人を頼りたくないという感覚がくすぶっていた。
(せめてエリオ君にだけは、そのような意識を向けないようにしないとです)
もっとも、こんな旅につき合わせている時点で、頼り過ぎているくらいだとは思う。
だが、エリオの言う”頼る”というのは、おそらくそういうことではなく――この旅の中で、もっと全面的に頼ってくれという話なのだろう。
そう、クレネストが真摯に考えていると、
「うっ」
テスの軽い呻き声――それから気の抜ける濁音が鳴り響き、クレネストの思考が寸断された。
見れば、
「は、腹の虫がの……」
情けない顔で、お腹を押さえながら訴えてくるテス。
クレネストは微笑をもらしつつ、口を開いた。
「エリオ君が、あのお魚さんを料理して持ってきてくれますよ」
「おっ、おぉそうじゃった! 楽しみじゃのう!」
ぱっと顔を明るくして、無邪気に喜ぶテス。
(そういえば、最近ご飯もエリオ君に任せっきりでしたっけ)
食事については人頼りでも、何故かあまり気にはならないクレネストであった。