●世界観B創世記・星の終わりの神様少女5

★☆5★☆

 クレネストは大いに悩んでいた。

 このままでは、巡礼を中止させられてしまうかもしれない。

 ステラの使い過ぎでこのような状態になろうとは、思いもよらなかった。

 三日、四日と、時間だけがいたずらに過ぎていく。何もできない。

 自分の知識不足を深く後悔し、強い焦燥感に苛まれた。

 そんな中――

 定期的に病室へと会いに来るエリオの様子が、

(……変です)

 クレネストは率直にそう思った。

 歩けばまるで、足を怪我している人みたいである。

 椅子に座る時も立つ時も、何かが変形するかのような、段階的動作になっていた。

 その度に、表情が強張っているように思えるのだが――

(まさか、また何か無理を)

 そんな彼女の心配を――やはりエリオは、全く気がついていない様子で、

「えーと、耳長の件につきましては、クレネスト様の説明を元に正式な発表がありまして、大きな混乱や問題は起こらなかったようですね」

 なかなか冷静な報告をしてくれる。

「そ、そうですか……」

 上手くいっていることは良いのだが、どうにも腑に落ちない。

 変な挙動になっているくせに、怖いくらい彼は落ち着いている。

 こちらに気をつかい、柱の話題を避けている――そんな雰囲気でもない。

 むしろ晴ればれとしていて、どこか嬉しそうでもあった。

「で、エリオ君……その……」

 クレネストは、聞いてもよいものかと迷いつつ、おずおずと尋ねる。

「なんだか随分と動きづらそうにしていますが、どうしたのですか?」

 その言葉にエリオは一瞬きょとんとするが、すぐに苦笑を漏らした。

「いやーはは……新しいトレーニングのし過ぎであちこち痛くなっちゃいまして、たぶんただの筋肉痛でしょう」

 特に言い訳を考えていたような素振りも見せず、後ろ頭をかきながら、すらすらと答える。

(本当にトレーニング?)

 勘ぐってはみるものの、嘘をついているかと言えば、そういう様子もなく――彼はいたって自然体。

「いささか不格好で申しわけありませんが、この程度はすぐ治りますから、ご心配には及びません」

「はぁ……」

 体を壊さない程度に――という言葉を言いかけて止めた。

 今の自分がそれを言っても、まるで説得力がないだろう。

 クレネストは仕方なく、というほどでもないが、別の話をする。

「ところでテスちゃんはどうしてます? さぞかし退屈しているのではないかと思いますが」

「あのデカイ爺さんと一緒に、朝早くから釣りにでかけましたよ」

 それを聞いたクレネストは、驚いたように目蓋を上げた。

 エリオの言うデカイ爺さんというのは、おそらくゼクターのことだろう。

「あの方達はまだ、この村にいらっしゃるのですか?」

「はい、わりと観光できる場所があるみたいなので」

 そういえばそうだった。

 北方地方は雄大な自然環境に恵まれていて見どころは多く、観光客も結構多い。

 折角遠出したのだから、ただ帰るのも、もったいないのだろう。

「まだいらっしゃるのでしたら、なんとか治す方法を教えてはもらえないものでしょうか」

 ぽそぽそと、クレネストは呟くように漏らした。

 するとエリオは、

「……実は、僕が交渉していまして……その、望みがありそうなんです」

「えっ!?」

 それは予想外だった。それを頼もうかと、迷っていたことでもある。

 同時にらしくもなく、降ってきた希望に心が湧きたつのを感じた。

 それが本当であるのなら、彼が冷静にしていられるのも合点がいく。

 もちろんエリオは、そんな嘘や冗談を言うような柄でもない。

「それは……聞いてませんよ私?」

「すみません。結果が出るまではと思ってましたので」

 そう言って照れくさそうに、エリオは後ろ頭をかいた。

(……もう、しょうがない子です)

 クレネストは詳細を聞こうと口を開きかけたが、思うところがあって言葉を飲み込む。

 数日間、エリオが何も伝えなかった理由――それはおそらく、結果がでなかった時に落胆させたくないのと、後で驚かせようと思っていたに違いない。

 なにより彼は、自分の意思と責任で、この問題を解決しようとしているのだ。

「わかりました。エリオ君にお任せします」

 クレネストがそう伝えると、エリオは軽く頭を下げた。

(寝ているだけなら、この病室にいてもあまり意味はないかもです。病気ではないのですから、そろそろ宿舎の方へ移動して、今後のことについてエリオ君と相談を……)

 クレネストは誰もいない病室の中で、ひたすら考えにふけっていた。

 そう――希望が湧けば思考も巡り始める。

 殆ど横になっているだけなので、なおさらそうだ。これはまるで、瞑想にも似た感覚だった。

 夕方になっても気がつかないほどに、

「クレネスト殿~凄いの釣れたのじゃ~!」

 近くで聞こえたテスの声に、クレネストの意識が現実へと引き戻される。

 反射的に顔を向ければ、

「ひぁ!」

 ビクっと体を震わせて、思わず変な声を上げてしまった。

 口元で拳を作り、クレネストはその正体をよく確認する。

 テスがご満悦の様子で、右手に掲げているそれは――

「あ……ええと……すごく立派なお魚さんですね」

 流線型で、三角の背ビレに三日月型の尾ビレ――形だけみればいかにも魚という感じである。

 問題はその鱗。くっきりとしていて大きく、しかも魚体の中央が黄金色に輝いていた。

「ジジイ共が大盛り上がりだったのう。しかもこいつは美味いらしい。せがまれて沢山魚拓をとってしもうたが、今晩はこれを食べるのじゃ~」

「ふふ、そうでしたか」

 これだけ立派だと剥製にしたがりそうなものだが、テスは食うことしか頭にないらしい。

 クレネストの胴体ほどには体長があるので、三人で食べたとしてもかなりの量だ。

 どこで借りたのか知らないが、テスは大きくて頑丈そうな箱の中に魚をしまった。その箱にはベルトもついていて、持ち運びに便利そうだった。おそらく鮮度を保つための保冷箱だろう。

「てっきり退屈しているものと心配していましたが、大丈夫そうですね」

「結構面白いものがいっぱいあるのじゃ。そうそう、帰りがけに初めて竜というものを見たぞ」

「ははぁ、竜ですか……」

 前回の巡礼の時に、何度かクレネストも見たことがあった。

 竜は滅多に人里へと近づかないが、このような村でも、飛竜であればたまに目撃されることもある。

 テスが見たのも、おそらくそういった飛竜の類――と、考えたのだが、

「長くて平べったくて、ひらひらを沢山動かしておったな。まるで空を泳いでるみたいでの、やたらと派手な奴じゃった」

「はい?」

 クレネストの目が点になった。

 それはなんというか、どう言えばよいのか――

 奇跡にも近い話を、あっさりと伝えられたみたいな、そういう感覚。

「南にも奇妙な生き物は沢山おるが、あれほど奇抜で凄い奴は見たことがない。しかも大きかったのじゃ」

 テスは瞳を輝かせながら、身振り手振りで興奮気味に伝えてくる。

 どうやら聞き間違いではないらしい。

 具合の悪さを無視して、クレネストは重そうに半身を起こした。寒気がくすぶっているので、布団をたぐり寄せる。

「それは本当に凄いです。おそらく、”宙の御使い”というとても珍しい竜ですね。人里には滅多に姿を現さないはずなので、テスちゃんはとても運がよいのです」

 私も見てみたかった――と、少々の残念さを胸に、苦笑を漏らしながらそう伝えた。

「はぇ~そんなに珍しい竜なのかえ? それで皆があんなにも騒いでおったのか」

 あんぐりと口を広げながらテス。

「それはもう、一生に一度、見ることができるかどうかという幻の竜だそうです。ここから北東にある、コントラフルト巨大生体保護区までいけば、もう少し出会える機会があるのかもしれませんけど」

「お、おぉぉ……」

 クレネストがそう教えると、テスは両こぶしを握りしめ、唸り声を上げはじめた。

 今更になって、猛烈に感動がこみ上げてきたのだろう。

「はぁ、私も早く自由に動けるようになりたいです」

 クレネストは、窓の外を見つめながら口にする。

 体を洗う時と用を足す時以外は、殆どこの場から動くことがない。

 本を読んだりはしているが、運動も散歩もできないのでは、いくらインドアなクレネストでも怠かった。

「そうじゃろうなぁ~、早く治ってもらわんとエリオ殿の方も心配じゃし」

「はぁ」

「なんぞしておるのか、連日エクリア様にしごかれて、あのザマじゃからな」

「エクリアさんにですか?」 

 クレネストは、ぽやっと疑問符を浮かべた。

(エリオ君が痛そうにしていたのは、この体を治すことと関係が?)

 単なる自主トレーニングのやり過ぎと受け取っていたが、今のテスの話だと、そんな気がする。

(まだ何かを隠して?)

 思案顔で眉根を寄せるクレネスト。

 しばし沈黙し、

「……いや、浮気なんぞしておらんから心配することではないぞ。エリオ殿はクレネスト殿ひとすじみたいじゃし」

 何を勘違いしたのか、テスがエリオのフォローを開始する。

 からかう風でもない不意打ち気味の言葉に、一瞬でクレネストの頬が高揚した。

「いえいえ、エリオ君とはそういう関係ではありませんし、そんな心配も……です」

 小声で言い返しつつ、ずるずると布団の中へと身を沈めていく。

 それを眺めるテスは、不思議そうな表情を浮かべて、

「ふむ? しかしまぁエリオ殿は、完全にぬしのことでしか頭が回っておらぬぞ、あれは」

 腕組みをしながら、人差し指を立てて、真顔でそう伝えてくる。

(うぅ、それは私の助祭で、仕事熱心なので)

 という内容の言葉を、布団で口を塞ぎながら、クレネストはもごもごと言った。

 おそらく、テスには呻き声にしか聞こえなかっただろう。

 まるで言い訳をしているみたいで、余計に気恥ずかしくなって、後悔した。

 彼は仕事とか、そんなことは関係なしに尽くしてくれている。それくらいは、クレネストもとっくに理解していた。

 熱くなった吐息を漏らし、

「……お礼くらいは、考えておかなきゃならないですね」

「そうじゃのう~それがよいと思うのじゃ」

 にっこりと、テスがクレネストに同意する。

「はぁ、何がよいでしょうかね?」

 彼の功績を高く評価して、社会的地位の向上へ繋げる――というのが本来なら妥当であるが――片道キップの旅をしている以上、これは意味がない。

 月並みだが、何か贈り物をする、美味しい食事をおごる。自分にできるとしたら、精々そんなところだろう。

 とはいっても、エリオが喜びそうな物となると難しい。

「おぬしの気持ちが伝われば、なんでもよいと思うがの」

 テスは気楽に言うが、その伝わるものというのが、クレネストにはよくわからないのである。

「いざ考えてみると、なかなか難しいものですね……」

 思案して――

「待合室に何かそういう……参考になりそうな雑誌とか置いてませんかね?」

「ふむ、ちょっと見てくるのじゃ」

 そう告げるとテスは、足早に病室を出ていこうとする。

 クレネストは、「走っちゃだめですよ」と声をかけ、その背中を見送った。

 数分後――

 テスが両手に抱えてきたそれらは、恋愛関係ばかりを特集している雑誌だった。

 診療時間が過ぎたあと、クレネストはセネナに話をつけ、すぐに宿舎へと移動した。

 飾り気のない白壁に、緑色のダサい床。ベッドと鏡台、小さな星動灯が置いてあるだけの小部屋。

 掃除はされているようだが、くたびれた感じはぬぐえない。

 星動灯の出力も弱く、夜の闇を振り払うには力不足。静かなことは静かなのだが、一般的には不気味と言われそうである。

 にもかかわらずクレネストは、

「落ち着きますね」

 布団の中で、ぽーっと天井を見つめながら呟いた。

「そ、そうかのぉ?」

 テスの方は例に漏れず、どうにもお気に召さない様子。

 ベッドの脇に座り、気味悪そうに部屋を見回していた。

 もちろんクレネストも、このような部屋が気に入るほど、歪んだ精神状態ではない。

「あちらにいるよりは、気を使わなくてすみますから」

「ふむ……そういうことかの」

 テスはクレネストの言葉に、納得したというよりも理解したという表情で口にした。

 その横顔を見つめながらクレネストは、 

「これで今夜は、テスちゃんを抱っこして眠られますね」

「ふぇっ?」

「病室では別々でしたから」

「……え、えへへ、そういえばそうじゃったの」

 もじもじとしながら――しかしテスは、まんざらでもなく嬉しそうな表情を見せる。

「久しぶりなので、思う存分補給させてもらいます」

「な、なにをじゃよ!」

 冗談に聞こえないクレネストの冗談に、テスが音を立てて身を引いた。

 一息ついて――

(さて、後はエリオ君の方が上手くやれてるかどうかですが……)

 エクリアにしごかれているらしいので、教えてもらっている段階であることは想像に難くない。ただそれが、どのくらい難しいことなのか、今のクレネストには判断がつかなかった。

 それだけに、人任せというのがどうしても歯がゆく感じてしまう。重大かつ自分の事ともなれば、なおさらそうだ。

 もちろんエリオのことを信頼していないわけではない。エクリアも、見込みのないことを教えようとしたりはしないだろう。だから、安心して待っていてもよいはずだった。

(どうにもいけませんね)

 今更ながらに自覚する。以前エリオが言っていたのは、このことなのかもしれない。

 一人でいる時間が長すぎたせいか、できる限り他人を頼りたくないという感覚がくすぶっていた。

(せめてエリオ君にだけは、そのような意識を向けないようにしないとです)

 もっとも、こんな旅につき合わせている時点で、頼り過ぎているくらいだとは思う。

 だが、エリオの言う”頼る”というのは、おそらくそういうことではなく――この旅の中で、もっと全面的に頼ってくれという話なのだろう。

 そう、クレネストが真摯に考えていると、

「うっ」

 テスの軽い呻き声――それから気の抜ける濁音が鳴り響き、クレネストの思考が寸断された。

 見れば、

「は、腹の虫がの……」

 情けない顔で、お腹を押さえながら訴えてくるテス。

 クレネストは微笑をもらしつつ、口を開いた。

「エリオ君が、あのお魚さんを料理して持ってきてくれますよ」

「おっ、おぉそうじゃった! 楽しみじゃのう!」

 ぱっと顔を明るくして、無邪気に喜ぶテス。

(そういえば、最近ご飯もエリオ君に任せっきりでしたっけ)

 食事については人頼りでも、何故かあまり気にはならないクレネストであった。

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