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なぜ自分が工場長をやっているのか? チルスは疑問に感じていた。
経営や生産に興味があったわけではない。機械に興味があるわけでもない。
当面の生活の為、ただの工員として働いているのならまだわかる。それなのに、なぜかリギルはチルスを工場長として任命した。
理由を聞いてもあの性格。彼のことだから、いきあたりばったりということも無いだろうが、全く答えてはくれなかった。
仕事の方は、人に物に金と――管理が多くて大変ではあったが、それほど難しくはない。
発注が来れば、人と機械を動かして生産する。特に重要な事はそれだけ。
(でも、困ったなぁ……)
この工場だけでは、高効率・星動力変換装置の需要がまかなえない。
故障した機械の修理中ということもあって、稼働率も著しく低下している。
トリスタン市の工場さえ無事に完成していれば、このようなことにもならなかったのだが――どうやら、被害が相当に大きかったようで、復旧までには何カ月もかかるという話だった。
「へぇ~上手いもんだな」
後ろからかかったのはクルツの声――チルスは振り返らずに言葉を返す。
「みんなそう言う。でも別に、すごい絵じゃない」
目の前には大きなキャンバスがあった。彼女の背丈よりは小さいが、下においても胸のあたりまではあるかもしれない。絵の内容は、『ケンカしている飛竜』で、互いに火球を炸裂させあう迫力ある姿だった。もっとも今時間の飛竜たちを見やれば、のんびりと休憩中の様子ではあったが。
チルスは、カラフルに汚れたエプロン姿だった。その下に着ているのは、安物の白いシャツと、紺のスカート。
右手に握っているのは絵筆。左手に持っている木製のパレットには、十二色の油絵具がたっぷりと乗っていた。既にパレットの大部分が、混色された絵具に占領されている。
ここ最近はこのように、工場の屋上にイーゼルを置いて、竜達の姿を描くことが多い。
「え~? 十分凄いと思うんだけど」
クルツは声を上げて褒めてくれる。それでもチルスは、もやもやとした物足りなさを感じた。
「小さな頃からずっと描いているけど、入選はしても入賞はしたことない」
「それはつまり、チルスは絵描きになりたいのか?」
「…………」
答えてやらない。何も知らない男だし、知らせてやる必要性もない。そもそも滅亡主義者にそんな質問するなんて、ただのアホとしか言いようがない。
「そんなことよりも、頼んでおいた修理の方は?」
今度は振り向いて尋ねる。どこか気の抜けたような彼のマヌケヅラが見えた。だらしなく着込んだ作業着姿で、脇には大きい巻紙を抱えている。
その巻紙を、
「これ見てくだされ」
ばっと広げて、
「なにコレ」
チルスが一気にジト目になった。
「これは闇のステラによって呪われた鎧で、この剣はケイオスブリンガーという禁術の……って、こっちじゃなくて!」
クルツは慌てて裏返す。
それは機械の構造図だった。細かくて複雑な線で描かれているが、チルスはすぐに把握する。
いくつか赤丸が書き込まれているようだが。
「故障個所の前に、故障原因を先に直さないとまたすぐ壊れるよ。冷却ポンプに使ってるインペラが相当に摩耗していたし、他も経年劣化が酷くて……動くことには動くけど性能がガタ落ちしちまってる。そうそうボイラーも内部が腐食してひん曲がっていたし、一体何年使ってるのか知らないけど、もう交換しないと」
「私の生まれる前からかも……」
ポソっとチルスがいうと、クルツが目をむいた。
「は? マジ? どんだけ頑丈なんだよそれ!」
信じられないといった様子の彼。
他の機械を知らないのでよく分からないが、
「そんなに頑丈……なんだ」
「頑丈なんてもんじゃないぞ! その辺に売ってる製品なら精々もっても十二、三年ってところだ!」
「へー、最低でも二十年以上は稼働していると思う。普通の倍は頑丈ってこと?」
「あれ作ったの師匠だよな? やっぱすげぇなあの人、頭おかしいレベルですげぇわ」
苦笑まじりに声を上げる彼は、相当に熱を込めて感動している様子。
チルスはぽか~んとその姿を見つめた。
(そうだ……私の絵には、こういうのがない)
さきほど感じた物足りなさは、今の彼が見せているような熱意を感じなかったからだろう。
リギルも世間から認められなかった人間だったが、それは創作においてのアンモラルさが原因である。『高効率・星動力変換装置』のように、世間に有益な物だけを作りさえすれば、いともあっさり認められる存在だろう。
それに引き換え自分は、
(いくらやっても、いくら頑張っても認められない。結果がだせない)
今ではもう、完全に失望している。自分自身というものに――
失望して尚、こうして絵を描き続けていた。
未練だろうか?
ただの惰性だろうか?
「でも、一般的なシロモノじゃないから部品がないんだよなぁ~、ここで作るしかないかな? 一応俺の腕でも、師匠ほどではないけど、使い物になる程度なら作れると思うぜ? それでも当分は大丈夫……」
「…………」
「おーい、チルスたーん?」
「あ、ごめん。考え事してた」
聞いていなかったので、もう一度クルツに説明してもらう。
ふんふんと、頷きながら聞いて――
リギルがなぜ、彼をここへよこしたのか、それで納得できた。
「なるほど。たぶん、もうそろそろこうなることを師匠はわかっていたんだね。それであなたを」
「そりゃまー、御大自ら設計したものだしな。それくらいわかって当然だろ。全然説明されてなかったけど……」
確かにリギルは説明不足なところがある。
まぁ、行けばわかるだろ――程度にしか考えていないのかもしれない。
「ん……わかった。おっけーだよ。あなたに任せる」
「了解。じゃあ必要なモンは適当に使わせてもらうぜ~」
クルツはそう言って、巻紙をくるくる巻いて戻す。
その裏側に、先ほど見た絵の一部が見えた。
「あなたも結構、上手なのね」
「あ? え?」
「なんでもない」
訝しげな表情を浮かべる彼を無視して、チルスは再びキャンバスに向かった。
工場敷地内の一角に建ててもらったほったて小屋。それは、今のチルスの家だった。
飾り気もなければデザイン性もない、ただの板張りのそれ。物置小屋でも、もう少し可愛げがある。
広さだけはたいしたものなのだが、大量のキャンバスで埋まっていた。四方の壁には、額に入れた絵画も沢山飾っている。一応二階もあるので、部屋の隅には木製のハシゴがかかっていた。
「よいしょ」
先ほど描いていた絵は、まだ絵具が乾いていない。完全に乾くには数日かかるだろう。
チルスは、イーゼルを部屋のど真ん中に置いて、絵を乗せた。
少し離れて鑑賞してみるが、
(ちょっと幼稚すぎたかな?)
躍動感はあるのだが、純粋絵画というよりは、単なるイラストレーションになっているような気がした。
世の中、そういう需要がないわけでもないのだが、求めているものと違っている。
「はぁ……」
ため息をついてからチルスは、エプロンを外した。
壁についているフックにエプロンをかけて――それからハシゴをよじ登り、二階へと上がる。
二階は寝室だ。寝室といっても、ここには彼女しか住んでいないので、居間がそのまま寝室になっていた。
中央には四角いテーブル。奥には小さな台所と冷蔵庫。洗濯機も置いてあるし、冷房や暖房もある。トイレと風呂場は、この部屋に隣接している小部屋にあった。
この通り、こんな小屋でも生活に必要なものは、わりと贅沢なくらいに揃っていて、それほど不自由はない。
ひとまずチルスは、部屋の隅に置いてある洗濯機の前に立つと――手早くシャツを脱ぎ、スカートを下す。それ等は絵具で薄汚れていて、洗濯したところで色はとれないのだが、かまわず洗濯機の中に放り込んだ。色以外の汚れは落とさなければならない。
(お腹すいたな)
洗濯機を作動させつつ、腹の具合に気分が沈む。ちょっと絵に集中しすぎたせいで、昼時をだいぶ過ぎてしまったようだ。
開放的に、純白の下着姿のまま、チルスは冷蔵庫をあさりだす。
もちろん工員用の食堂はあるのだったが、空腹を自覚しだすと辛抱たまらなかった。
「ええっと」
牛乳をとりだし、リンゴをとりだし、分厚いハムをとりだし――たいしたものはないが、適当にテーブルへ並べる。
椅子には座らず、テーブルに直接お尻を乗せた。そしてリンゴを皮ごとかじり、牛乳パックに直接口をつけて飲みほす。
そのポーズのまま、何気なく窓の方を見やれば、竜達の姿も見えた。
チルスにとっては見慣れた光景なのだが、湖だらけの雄大な景色と、竜達の姿は何度見ても飽きない。
牛乳を置いて、分厚いハムに噛みつきながら、
(そういえば、もうそろそろか)
チルスはふと、ある事を思い出す。
視線を動かして、見やった先には――壁に掛けられたひとつの絵画。
この部屋にはこれ一つしか絵は飾っていない。自分で描いたものではなく、作者は不明だった。
そこに描かれているのは、長くて平べったい、一見魚のようにも見える生物。細いヒレのようなものが沢山生えていて、魚でいうところの胸ビレにあたる部分からは、ヒラヒラとした衣のような手が生えていた。体表には術式のような模様が浮かんでいて、白銀の光を放ち、鱗は虹色に煌めいている。それはまるで、空想上の生き物であるかのように、幻想的で非現実的な姿であった。
だが決してこれは、空想上の生き物ではない。
名は『
夜行性で、ステラを糧として生きている不思議な竜だ。
何百年という寿命があるらしいが、とにかく数が少なく、希少生物に指定されている。その原因は色々とあるようだが、その一つに卵をあまり産まないというのがあるそうだ。
もちろん、滅多にお目にかかれる竜ではない。
しかしつい最近――この工場近くの山中に巣をつくり、卵を産んでいたのを偶然チルスは目撃した。
そこは生体保護区から外れていて、工場もあるので、竜達は警戒してあまり寄り付くことはない。それを逆手にとった行動ではないか? と、チルスは考えていた。
それで……どうにも数日前から、卵が孵化しそうな様子なのだ。
つがいの二匹は、かなり神経質になっているようなので、直接近づくようなことはせず、こまめに望遠鏡を使って、遠くから観察するだけにしている。
(無事に生まれるといいな)
星は崩壊するというのに、そう考えている自分を不思議に思った。
珍しいもの見たさ、だろうか?
ぼーっと絵を見つめていると――
「ち、チルス!?」
唐突に、クルツのひきつった声が聞こえた。
反射的にそちらを見やれば、ハシゴを掴んだまま、目を丸くしている彼の顔があった。ようするに、床の穴から顔をのぞかせている。
そう言えば、鍵をかけ忘れていた。洗濯機の音がうるさくて、彼が来たことにも気がつかなかったようだ。
いや、だからといって、
「普通勝手に人の家に入るかな!」
チルスは怒りのフルスイングで、食べかけのリンゴをクルツに向かって投げつけた。
重くて鈍い振動が小屋を揺らす。
リンゴは命中しなかったものの、クルツは手を滑らせて、一階まで落ちたようだった。