●世界観B創世記・星の終わりの神様少女5

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 紅茶を入れつつゼクターは、二人のやりとりを見て首をひねった。二人というのはエリオとエクリアのことである。

 ここは村宿の一室――広い部屋にベッドが二つ。古ぼけた壁に、しみのある天井、使い込まれたカーペット。さして珍しい事はない。

 太い木枠の二重窓から、未だ差し込む光の中で、

「この印ができたら、音声認識確立法おんせいにんしきかくりつほうを教えるからね」

「お、おんせいにんしきかくりつ?」

「いいから先に印を組む練習」

「あ、あぁ」

 なんのつもりか分からなかった。エクリアともあろうお方が、星導教会の小僧相手に術式の指導をしている。教団始まって以来の珍事だった。

 クレネストが倒れたという話は聞いていたし、これは彼女を治療するために必要なことらしい。

 とはいえ、そこまでするような義理は、

(いや、テスの命も助けられているし、そういうことかもしれんか)

 ゼクターは壁に寄りかかり、紅茶を一口すすりつつ、そう思い当たる。

 とりあえず、彼女を星導教会の男と二人きりにさせておくというわけにもいかないので、こうして控えているわけだが、

「ほら、もっとよく見てよ! ここの角度が随分と違うでしょ?」

「くっ……こうか?」

「あーもうっ!」

 イライラムードのエクリアが、エリオの背後にまわって両腕を伸ばした。彼の手をとり、指の形を矯正しようとしている。

 ゼクターにはよくわからないが、たぶん印が間違っているのだろう。とはいえ、これでは背中に抱きついているようにしか見えない。なんと嘆かわしい光景なのだろうか。

「おいおい、胸当たってるって!」

「ちょ! やらしいこと考えてないで集中しなさい!」

「そうは言うけど君は気にならないのか?」

「……さ、触っているのと当たってるのとは違うの! へんなこと考えてないで集中!」

 わかるような、わからないような、エクリアの主張。

 そう言って離れようとはしないのだから、熱心なものである。

(やれやれ、小僧の方も変な気を起こせるほど余裕もないと見えるな) 

 渋々といった感じのエリオの表情に色欲はなく、少しでも集中を乱されたくないという意思の表れに思えた。それほどまでに厳しく、切羽詰まった目をしている。その点では、信頼して見守っていることができた。あの”変態メガネ”みたいな態度なら、即座にボコボコにしているところだ。

「ふーん、ゴツゴツしてるけど、意外と指関節、柔らかいね」

「そうか? にしても星導教会の印とは、随分と勝手が違うなぁ」

「そりゃそうだよ。違う言葉の文字を練習しているようなもんだしね。できれば印や術式の意味も理解するべきなんだけどさ」

 エリオはゆっくりと順番に印を切り――間違っている部分があれば、エクリアがそれを修正する。

 何度もそれを繰り返して、印を体に叩き込む作業。訓練とは実に単調なものだ。

 数十分、ゼクターはその様子を眺め、

「んんん! ……いつまでくっついておられるのですかな?」

 喉の奥で唸るような咳払いを交えつつ、さすがに苦言を漏らす。

「え? わわっ!」

 ようやく自覚したのだろう。慌ててエリオの背中から身を離すエクリア。そして、侮れない物でも見るかのような目つきで、彼の背中を睨み、口にする。

「な、なかなか居心地のいい背中ね、油断したわ! 女をダメにする背中ね」

「どういう背中だよ」

 彼女の言い様に、脱力気味の呆れ声で返すエリオ。ゼクターも思わず嘆息する。

 彼等の反応に顔を赤らめて、

「それはともかく! その術式を十秒以内に淀みなく出来るようになったら、音声認識確立法を教えてあげる。それが終わったら”術路開放”を行うよ」

 びしっと彼に指をつきつけながら、そう告げるエクリア。

「なんだか知らない単語が出てきてるんだけど、それは難しいのか?」

 その指を睨みつつ、眉をひそめてエリオが聞き返してきた。

 彼女は小首を傾げ、あごに人差し指をトントンと当てて――つまりはそういう思案顔で、

「……そーねぇ、あなた歌は得意?」

「歌? 得意と言うほどじゃないけど、それなりには……あ……そういうことか」

 エクリアが言わんとしていることに気が付いたのか、ぽんっと手を打つエリオ。

「”アレ”を使う時には、何か歌みたいな音を出してたな。クレネスト様の高速法術でもたまにやってるけど」

「そうそれ」

「なるほど、音声認識確りちゅ法ってのは」

「かくりちゅほう」

「うるさいな……確立法ってのはあれのことか」

 舌が上手く回らず言い直したエリオに、口元を押さえながら子馬鹿にする笑顔でエクリアが頷いた。

 彼が理解した様子なので、それ以上は説明がない。ようするに、音痴だと厳しいということだろう。

「それで、術路開放ってのは?」

 彼女の反応に憮然としながらも、エリオが尋ねる。

「”アレ”を使えるようにするために、体内に新しいステラコントロールの経路を作らなくちゃならないの。今練習している印がそうなんだけどさ」

「ってことは、さっきからやってるのは治療のための術式じゃないのか?」

「そんな都合よく簡単に使えるようになるわけないでしょ~」

 考えが甘いとばかりに人差し指を、ちっちっちっと左右に振る彼女。

 エリオはため息をついて、

「別に先に言ってくれてもいいじゃないか……で、どのくらいで使えるようになるんだ?」

「ステラコントロールが出来る人でも、本来は一週間くらいかけてゆっくりと……なんだけど~? あなたの場合はそんな悠長なことしてらんないよね?」

「それはつまり……短時間で済む方法があるのか?」

「方法じゃなくて、力押し。ようするにぶっ続けでやるの」

 自身の横髪をかき上げながら、気取った調子でエクリア。

「ただし、ものすっごーく痛いと思うけど……でも、君はもちろんやるんだよね?」

 法術や禁術に疎いゼクターでも、そのことを知っていた。なにせ、昔レネイドが、それをやろうとして自爆したことがあったわけで――しかしエリオは、

「ああ、よろしく頼む」

 躊躇いなく答える。緊張した面持ちで、決して軽く見ているという感じではない。強い怯えの気配も感じられた。それでも今の彼には選択の余地がないらしい。

「んふふ……”どんな風に痛いのか?”とか聞かないのね」

 エクリアの言葉に――なんだろうか? 表情は微笑みともつかないが、どこか嬉しそうな気配を感じる。彼の潔さが気に入ったのだろうか?

 エリオの方は顔を上げて、何かを思い浮かべている様子で、そして言葉にしていく。

「……なんて言えばいいかな? このところ色々と身の回りで痛いことがあり過ぎてさ。セレストの震災で瓦礫に潰された人達。酷い怪我で、いま正直言えば、絶対に助からないと思っていたテスちゃん。親を化け物に殺された子供。耳が長いというだけで迫害された子供とその母親の自殺。大きな街を一夜で飲み込んだ津波……」

 言葉がそこで途切れる。ただ、彼はまだ何かを言いたそうだった。

 その気配がエクリアにも伝わっているのか、彼女は真面目な顔。いや、どちらかといえば教団の上に立つものとしての、光背強く輝く威厳のある態度で彼の言葉を待っている。

「今更だけど、君等の教団だって村の人たちを薬で操って、セレストの星導教会や星動力変換施設を襲わせた。君たちにとってノースランド国民は罪深い存在なのかもしれないけど、あんなに大量の人の死体なんて見たことなかったよ。しかも正当防衛とはいえ、それらの人々を葬ったのが、あのクレネスト様さ……」

 暗い影を背負っている姿。激情でもなく、ただ淡々と言葉を連ねていく。

「……レネイドの奴が言っていたが、大量の星痕杭を空から降らせるという戦術をとったそうだな。それはアルトネシアの仕込みではないかと言っていたが違うのか?」

 ゼクターがそう漏らすと、

「ああ、あれは全部あのお方が一人でやったことだ」

 エリオの答えに、思わず呻いて絶句する。あれだけの人数を一人の少女が壊滅させたというのか。

「それで?」

 と、促すこれはエクリア。

「……それで、星の崩壊のこともそうなんだけど、いつもあのお方ばかりが苦慮し、痛い思い、痛い目にあって、ついにはあんなことに……俺がそれを見ているだけなんてのはなんというか……上手く言えないけど、スジが通らない? いや、都合が良すぎる? ちがうな……なんだろ?」

 苦悩の表情をみせながら、必死に言葉を探しているエリオ。

 ふっと、息の漏れる音が聞こえた。

 エクリアの嘆息と気が付いて、ゼクターは顔を向ける。

 彼女は、仕方ないなという表情で微笑みを漏らし、

「まったく君は、彼女のこととなると、ほんと訳が分からなくなるんだね」

 そう言って、エリオの頭に両手を伸ばした。

 彼はそれを、戸惑いの表情で見返して――少しの膠着。

 意を決したように鋭く息を飲むエクリア。その呼吸が聞こえた次の瞬間、ゼクターが目をむいた。

 あろうことか、自身の胸元までエリオの顔面を引き寄せたのだ。

 当然、柔らかそうな二つの胸の中に彼の顔が収まっていることになる。

 危うくアゴが外れるところであった。

 言葉探しに気を取られていたエリオは――というより、誰もこの行動を予測はできなかったし、理解もできないだろう――まるで何が起きているのかわかっていない様子。抵抗する間もなかったに違いない。

「ええええええええ、エクリア様ぁー!!」

 ゼクターが思わず悲鳴のように叫んだ。

 止めさせようと身を乗り出すが、

「ゼクター、かまわないから控えていろ!」

 突然がらりと変わる彼女の口調。少女の物とは思えない強烈な眼光で睨まれて、ゼクターは硬直した。

「し、しかし」

「かまわないと言っているのが聞こえないのか?」

「う……わ、わかりました」

 口答えは許さないというエクリアの態度。これは紛れもなく命令である。

 逆らうことができないゼクターは、渋々ながら引き下がった。

 それから、

「必死になるのはわかるけどね、もう少し力は抜いて落ち着きなさいよ。上手く出来ることも出来なくなっちゃうから。気持ちが熱いのは男の魅力だけど、頭は常に賢く冷静でいなさい」

 胸の中に抱いてる男を慈悲の眼差しで見下ろして、諭すようにエクリアは言う。

 あの姿、やさしさ、まるで聖母のようである。さすが、我らが教団における導き手が一人。

 なれど――

(ああされて、冷静でいられる男の方が少ないと思うのだが……)

 ゼクターは冷や汗をだらだらと流しながら、とにかくそれを見守ることしかできなかった。

 左右の指先を熊手のように曲げて、ピクピクと痙攣させているエリオの姿。

 彼は今、一体どんな気持ちなのだろう? やはり――と、思ったところでゼクターは、不埒になりかねない想像を止めた。

 やがてエクリアが、彼を解放する。

「どう? 落ち着いた?」

「だ……だから、人を変態みたいに扱うなよ……」

 問いかける彼女へ言葉を絞りだし――どうにも困った感じのエリオ。ふらふらと視線が泳いでいて、当然のごとく顔が真っ赤である。

 しかしエクリアは、不思議そうに首を傾げた。

 丸めた人差し指を唇の下にくっつけて、彼の顔を下から覗き込むようにしながら言う。

「ふーん、もうちょいうろたえるかと思ったんだけどなぁ」

 ようするに自分の悪戯が、思ったよりも効果が出ていない――そのことを残念がっている様子。

 エリオは気まずそうに視線をそらしつつ、

「はぁ……それはたぶん耐性が……」

 ボソっと、何やらこぼした。

「?」

「あ、いや、なんでもない」

 疑問符を浮かべたエクリアに、彼はげんなりとして言った。

「なんだかよくわからないけど、私がここまでしたんだから、しっかりやるんだよ? ちゃんとやらないと私の胸に顔つっこんだってリーベルさんにバラすから、エロオ君」 

「だ、誰がエロオか!」

 すかさず抗議するエリオだったが、 

「ほら、いつまでお喋りしてんの! モタモタしてらんないんでしょ?」

「ぐっ……」

 エクリアに軽く流されて、言葉を詰まらせてしまった。

(いやはやなんとも理解しがたいが)

 それでも小僧の方は、随分と余計な力みが抜けたようだと、複雑な気分でそう見る。

 ただ本来、敵対組織である星導教会の助祭などに、エクリアがそこまでするなどありえない話。

 まさに前代未聞、言語道断。

 されど――

(クレネストのしていることにそこまで興味があるのか、それとも小僧のあの熱意か……)

 そうでもなければ、納得が――いや、これでも納得していいものだろうか? ゼクターは一人首をひねった。

「上手くいったら、ほっぺにチューしてあげるから頑張ってね」

「いらないよそんなの」

「ぬ……どういう意味なのそれ」

 即答されて、ジト目で肩を落とすエクリア。

「それはさすがに、お立場というものも考えてくださらないと……」

 横からゼクターも、ささやかな小言を挟む。

 すると彼女は、不満気に口を尖らせながらも、考えるそぶりを見せて、

「なら、代わりに私の水着あげるから、頑張ってね」

「だから君は、なんでそういうものをホイホイあげようとするんだ」

 引いているエリオに同意しつつ、ゼクターも頭を抱えて今の状況を苦慮するのであった。

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