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エクリアは上機嫌だった。
天気は快晴。午前の空気はすがすがしく、透き通っているとはまさにこのことだ。湿気の多い南大陸とは、水と粘液くらいの違いがある。
周囲には木造の古民家が立ち並び、雪が降る地方独特のもので、非常にがっしりとした佇まい。丸みのある三角屋根のそれらは、太くて大きくて見るからに頑丈そうだった。
もの珍しそうに、エクリアは周囲を見回しつつ、
「意外といい服が売ってるものね、食べ物も美味しいし」
「だからといって買い過ぎだろう」
この呆れた声の主はエリオ。
エクリアとは対照的に、憮然としながら村道を歩いていた。
その原因は――誰がどう見ても、両腕に抱えている大量の”名産品”である。
村とはいっても、土産物屋が密集しているところには密集していて、二人はそんな商店をハシゴ歩きしていた。
「王道的なデートっぽいシチュエーションで、どきどきって感じで楽しいでしょ?」
妙にリズミカルなエクリアの言い様に対し、エリオの方はげんなりとして、
「どういう王道だよ……それにあの爺さんはどうしたんだ? 護衛なんだろ?」
そう、今は彼と二人きりなのである。
「なんか朝から腹痛で、あの病院で薬だけもらって宿で寝てるよ」
「……意外だな」
「まぁ、ゼクターも齢だからねぇ」
しみじみと言うエクリア。
別に彼女が、この状況を作るために、何かを盛ったということはない。
ともあれ、デートといったような、乙女な体験には恵まれない立場なので、彼女は多少浮かれ気味でもあった。
「そっちこそ、テスちゃんはどうしてるの?」
「ええとな……クレネスト殿の傍におれば、奴が現れるかもしれぬ……とか言って、宿舎で見張ってるよ」
「あ~例の赤コートの男か」
デート――もとい買い出しに出かける前に、彼に昨日の出来事を伝えられていた。
さすがのエクリアも、その話をされると心が沈む。
とくにテスは、ローデスを親兄弟のように慕っていた。あの子にとっては、家族を奪われたようなものだ。カタキを討ちたいという気持ちが、最も強いはず。
エリオがその話をしてくれたのは、こちらも無関係ではないからだろう。
「滅亡主義者の組織について、色々と調べてるんだけどね」
タチの悪いことに、滅亡主義者というくくりで、彼らは組織を作っているわけではない。主義主張、見解等の違いから、数多くのコミュニティーが存在しているようなのだ。
組織といえるほど規模が大きい集団に、的を絞ってみてはいるのだったが――未だ特定には至らなかった。
表立って活動していないのだとすれば、完全にお手上げである。
「顔はわかっているんだけどな」
と、エリオ。
ふむっとエクリアはうなずいて、
「軍警察に通報はしてないの?」
「幼児に暴行を加えたということで、マジキチ扱いで通報しておいたよ。これで嗅ぎまわれなくなるだろ」
「禁……っと、アレのことについては?」
「クレネスト様が、おおごとになって旅に支障がでるといけない……とのおおせでね。説明にも困るし、テスちゃんのこともあるし」
「なるほどね――」
ようするに、余計な足止めを食らいたくないという話なのだろう。
それだけ重要――すくなくとも、クレネスト達はそう思っている旅であることは間違いない。
星動力変換施設を襲撃した件でも、なぜ見逃されたのか、ようやくこれで合点がいった。
「ほんと君たちは何をしているのやら、すごく気になるけど教えてくれるわけないよね」
「俺に聞いても、なおさらそうだな……あのお方の許しがない限り、この件に関しては口外できないし、するつもりもない」
「……私の体あげるっていったら教えてくれる?」
エリオが足を滑らせた。
ぎりぎりで踏ん張って、なんとか体勢を立て直し――意地でも荷物の安全は確保するのだから、なかなかよい仕事人である。
それから、
「バカいうな」
予測しやすい答えに、エクリアは悪戯っぽく笑みを浮かべた。
左右に手の平を広げ、首を小さく横に振りながら、彼女はしみじみと言う。
「ま、君があの娘を裏切るわけないもんね」
「まさにその通りだし、それ以前の問題だ」
「それ以前?」
「単なる罠としか思えん」
「あ~……それもそうだね~」
棒読みでエクリア。エリオが口をへの字に曲げた。
「えええ、エクリア様……」
エクリアが思わず飛びのいた。エリオも目を丸くする。
宿に戻り、彼女が借りている部屋のドアを開けた途端――現れたのは、なにやら顔中の皺を総動員し、苦悶に呻くゼクターの姿であった。
腹痛は治っていないのか、蒼白な上に汗が浮かんでいる。
「ちょっと大丈夫? というかなんで私の部屋にいるの」
「た、大変なことになりまして……」
と、彼が震える右手で――なにやら文章の書かれている数枚の用紙を掲げた。
エクリアは憮然としながらも、それを受け取って、目を通す。
「なんて書いてあるんだ?」
覗くなと言いたいところだったが、南大陸の文字なので、どうやらエリオには読めないらしい。なら、問題ないだろう。
彼の問いにはまだ答えず、二枚、三枚と読み進めていった。
(まさか……そんな)
冷や汗が浮かんでくる。
肺の中の空気が、どんどん重たさを増していく感じがした。
顔面が強張っていくのを自覚して、それが余計に恐怖の症状を強めた。
「……な、なんか良くない事でもあったのか?」
エリオが――やはりネガティブな状況を察したのだろう。尋ねる声音には、緊張の色を滲ませていた。
ひとまず、気持ちを落ち着けるために、エクリアは深呼吸を繰り返す。
「ゼクター……これ、本当?」
「はい、大本からの通信なので」
「……なんてこと」
頭を抱えて脱力し、思わずその場に倒れこみそうになる。
「お、おい」
手に持った荷物を床へ下し、エリオがエクリアの体を支えた。
「どうしたんだよ、大丈夫か?」
「ああ、ごめん……ありがとう」
言って、なんとか気力を保ちつつ、
「とりあえず中、はいりましょ……」
「いや、もしアレだったら、俺はしばらく外で待ってるけど?」
遠慮するエリオに、エクリアは首を横に振った。
「いや、別にいいわ……気になるでしょうから話してあげる。あながち関係がないわけでもないし、別に極秘でもないから」
「関係? いやまぁ……話してくれるなら有り難いが」
床に置いた荷物を拾い直しながらエリオ。
「エクリア様、すぐに戻らなくてよろしいのですか?」
ゼクターの方は、そうは言っても苦しさ丸出しである。腹を押さえながら、まるで絞り出すようなしゃがれ声。
エクリアは嘆息した。
「そんな状態で何言ってんの。お前は体を治すのが優先事項! 話は後でいいから、自分の部屋でおとなしく寝てなさい!」
「うぅ……面目ありませぬ……」
それ以上は、口を開くのも辛いのだろう。すごすごと元気なく、ゼクターは自分の部屋へと戻っていった。
「……よ、予想以上に酷そうだったな」
部屋の中へ移動した後、エリオがこそこそと口にする。
「ただの腹痛なんて明日くらいには治ってるでしょ……それよか、今日中にあなたの方を仕上げるよ」
もう少し余裕を見せて、軽口を叩きたかったが、エクリアも気分が良くない。疲れたような声音で続けて言う。
「ゼクターの体調が回復したら、すぐこの村を出て本社へ戻らなくちゃならないからさ」
「……そうか、それで何があったんだ?」
「とりあえず荷物はそこに置いてちょうだい」
言って、部屋の奥角を指すエクリア。
「あ、ああ」
言われたとおりに、エリオは荷物を置いた。
それを見やりつつ、エクリアはベッドの上に座り、
「で、なんだけど……」
話を切り出そうとすると、彼が振り返る――きょろきょろと、部屋の中を見回しているようだが、
「ここ座っていいよ」
ぽんぽんと、右手でベットを叩きながらエクリア。
断られるかと思ったが、意外と素直にエリオが従った。身ひとつ分開けて、隣に腰を下ろす。それを待ってから、再びエクリアは口を開き始めた。
「ええとね、私の住んでる国が、ちょっとやばいことになってるみたいで」
「やばいこと? 君の国って南大陸にあるんだよな」
「うん、ノースランドから比べれば小さな国なんだけどね」
故郷を思い浮かべながらエクリアは話す。
「……その、私達の国も含めた南大陸広域で、火山が一斉に噴火したらしいの」
「噴火?」
「詳しい数は不明らしいけど、私の国だけでも十ヶ所以上」
「そんなにか!」
身を飛び上がらせるようにして、驚きの声を上げるエリオ。
「危険すぎて、近隣の村や町の詳しい状況はわからないみたい。それに、あちこちで酷い地震も起きてるらしくて」
話しながら、報告があっただけでも奇跡に近いのではないかと、エクリアは思った。
それはエリオも同じことを考えていたらしく、
「よくそんな状況で、こんな離れた場所まで連絡がついたな」
「うん、詳しいことは教えられないけど、物凄く便利な連絡手段があるの」
「そういえば、テスちゃんもそんなことを言っていたな。君たちのことだから星動力は使わないんだろうけど……だとしたら、新動力を利用した何かかな?」
あごに手を添えながら、エリオがそんなことを言った。エクリアは頷く。
「うん、それでも四日ほど前の話らしくてね。相当混乱しているみたい」
「……君の家族とか、もしかして向こうにいるんじゃ?」
「はは……そんなこと心配してくれるんだ。父上と母上がいるけど、早々に避難したって書いてたから、きっと大丈夫だよ」
内心の動揺を悟られないように、彼女は笑顔を作って見せた。
「そうか……南大陸でもそんなことが……」
呟きながら、エリオが口元を手で覆う。何かを思慮しているようで、眉間に力が込められた厳しい表情。
その横顔を眺めつつ、エクリアは尋ねてみた。
「星が壊れてきているから、こんなことになっているって……星導教会の奴等は普通、そんなこと認めないし怒るんだろうけど……君やリーベルさんなら、ひょっとしてそう考えたりする?」
これは、星導教の信者に対してならば、物凄い挑発的な言い方となるのだが、
「ん? そりゃまぁ、今まさにそれを考えていたところだよ」
エリオは即答してきた。拍子抜けするほどあっさりと。
「君もそう思う……か……」
全身から力が抜けた。自覚なく緊張していたらしい。自虐気味に笑みを浮かべ、エクリアは続ける。
「リーベルさんの言っていたこと……現実味がでてきたように感じてね。ちょっと怖くなっちゃってさ」
「手遅れって話か?」
「うん」
星動力を根絶してしまえば、星の崩壊を食い止めることができる――今でもこの考えを信じたい。否定されたからといって、素直に自説を曲げることは難しかった。根拠は聞いたが、証明してもらったわけでもない。
ただ――
(……そもそも星動力を根絶する前に、星が崩壊してしまったり、逃げ場のない災害が起きたりしたら)
ふと、そんな考えが浮かんできた。
「ねぇ……この星って、あとどのくらいで崩壊すると思う?」
エクリアが尋ねると――いつの間にか、うつむき加減になっていたエリオが、ゆっくりと顔を上げた。
「それは、俺を説得する時にクレネスト様が言ってたよ。おそらくは一年以内だって」
一年以内――
その言葉が、急速に頭の中へと染み込んでいった。
何かを考える余裕はなく、体の奥底から再び恐怖がこみ上げてくる。
呻き、思わずエリオのローブを両手で掴んでいた。
「おい!」
「ごめん、ちょっとでいいからこうさせて」
彼が黙り込む。その肩口に額を当てて、呼吸を整えるエクリア。
体の震えが収まるまで待って――やがてゆっくりと額を離す。
顔を上げれば、エリオと目があった。
「あ……」
こちらの心情を察してくれているのか、真剣で力強い目をしていた。
さすがに気恥ずかしい。掴んでいた手を離し、エクリアはすっと身を引いて縮こまる。
「落ち着いたか?」
「う、うん……」
エリオの声を聞くと、不思議と恐怖感が和らいでいった。
居住まいを正し、エクリアは口を開く。
「あの娘、そんなことまで言ってたんだ」
「まあな……俺に打ち明けるまで、ずっとそのことを抱えていたのかと思うと、不憫でならないよ」
「そ……そうだね……」
星導教会に身を置く者が、そんなことを吹聴すればただではすまない。そのくらいは部外者のエクリアでも容易に想像がついた。
「でも、君には打ち明けたんだ」
そこのところを不思議に思う。いくら信頼していても、踏み出せない領域というものもあるだろう。
エリオは少々の間、何かを考えている様子で――やがて、「まあいいか」と呟いた。
「……言って信じてもらえるかどうか分からないけどな。俺とクレネスト様には、ある共通点があったんだ」
「共通点?」
「時々さ……遠くから重く響く、鐘みたいな音が聞こえてくるんだ。最近ではセレスト大震災の時と、西海岸の津波の時だったけど……君はそういうのを聞いたことないか?」
「いや、全然」
答えると、エリオが軽くため息をついた。
「だろうな。クレネスト様も、俺以外であの音が聞こえるという人は知らないらしい」
それはとても奇妙な話である。しかし、彼が嘘を言っているかといえば、そんな気は全くしなかった。
エクリアは、膝の上に両手で頬杖をつきながら、
「もし、それが本当だとして、星の崩壊とどういう関係があるの?」
「その音が鳴ったら手遅れってことだ。クレネスト様は事細かに説明してくれたよ。俺にも鐘の音が聞こえるから、物凄く説得力があったんだ。彼女もたぶん、それを見越して話す気になったんだろ」
「……そういうことか」
細かい部分とやらは、絶対に教えてくれないのだろうが、理由にはとりあえず納得する。
エクリアは、悩ましくなってきた。
クレネストの説が正しければ、星動力を根絶している時間など残されてはいない。
暗い考え、絶望の未来が、一瞬脳裏に浮かんでくる。
(私達のやってきたことは無駄なのかな?)
いや、そう考えるのは早計。
あくまでそれは、クレネストの説が正しければの話なのだから。
とはいえ、真っ向から否定する要素もなく、星の余命について教団は、全く把握できていない。
エクリアの口から嘆息が洩れた。
数秒の沈黙が流れ――
「なぁ……やれるだけのことをやってみようってんだから、無駄もなにもないだろ」
と、エリオがなにやら話し始める。
エクリアは、しばらくの間きょとんとして、
「あ、あれ? 今の声に出てた?」
慌てて顔を上げ、エリオの方を見る。彼は二回頷いた。
「あ、はは……」
エクリアは苦笑い。
教団の上に立つものとして、どうにも情けないものがあった。
「俺とクレネスト様も、滅亡を回避するために頑張ってるんだ。もっと希望をもってくれよ」
ようするに励ましてくれているのだろう。彼はそう言って微笑む。
普段はそっ気ない態度をするくせに、少々こちらが弱気になっただけで随分と優しいものだ。
エクリアはうつむいて、
「……ちょっとだけ、リーベルさんがうらやましいかな」
「え?」
「なんでもない……じゃ、そろそろ最後の練習始めようか」
そう言って、エクリアは立ち上がった。