●世界観B創世記・星の終わりの神様少女5

★☆4★☆

 夜もそろそろ深まりかけというのに、チルスとクルツは鉄塔の上に立っていた。もちろん工場のである。

 腕ほどの長さがある白い筒――レンズが付いているので、それが望遠鏡であることはすぐに分かった――足場に三脚を広げ、なにやらチルスは遠くの山の方へとそれを向けている。

 夜中にこんなものを持ち出してくるのだから、てっきり天体観測をはじめるものと、クルツは考えていた。

 前かがみ気味に、接眼レンズを覗き込んでいる彼女――その背後で、なかなか良いお尻だと思いつつ、いったい何が見えるものやらと、望遠鏡が向いている方向を見てみた。

(お、なんかキラキラしてるな)

 山の中腹あたりに光が見えた。虹色に輝く……とでも言えばよいだろうか? 不規則な色の変化を見せている。肉眼では点にしか見えず、正体はわからない。静止しているので、飛行物体ではなさそうだが……

「チルスが見てるのってあの光だよな? 何があるんだい?」

 尋ねてみるとチルスは、

「あ……もう……生まれそう」

「えっ?」

 クルツは思わず眉をひそめる。額に一筋の汗が流れた。

(な、何が生まれそうなんですかねぇ?)

 彼女のお腹の辺りに視線を移し――いや、そっちなわけないだろうと、山の方へ戻す。

 やはり、どんなに目を凝らしても、肉眼では光の点しか見えなかった。

(うーん?)

 自分にも見せてほしいところだが、どうにもチルスは夢中だった。これでは頼みづらいものがある。そもそも声が聞こえているのかどうかすらも怪しい。

 とりあえず、彼は両腕を組んで、待つことにした。

「…………」

 そのまま数分がたつ――

 虫の奏でるリンリンとした合唱だけが響いていたが、

「あっ! あっ!」

 突然チルスが声を上げだした。

「すごいすごい! でてきたでてきた!」

 珍しく甲高い声を上げて興奮している。

(生まれるってことは生き物なのか? だとしたら……もしかして竜か? でも、何で光輝いてんだ?)

 ここに来てから、それなりに竜の姿を見ているが、光る竜だけはお目にかかったことはない。

 首をひねり、自身のあごを撫でまわしながら、チルスと山の方を交互に眺めていると、

「ほら、クルツも見てよ!」

 そう言って上体を戻し、彼女がこっちに顔を向けてくる。

 目があったクルツは、一瞬うろたえた。短く鋭い呻き声を漏らす。

(な……なんだ……こんな顔もできるんじゃないか)

 いつも疲弊したような表情と声音だった彼女が、嬉しそうに目を輝かせ、笑顔を浮かべている。

「あ、ああ……見せてくれるのかな?」

 はしゃいでいるチルスに苦笑を返すと、場所を譲ってもらった。接眼レンズを覗き込む。

 そうすると、

「うぉぉすげぇ! なんだこいつ!」

 間髪を入れずにクルツは声を上げた。

 真っ先に目に入ったのは、巨大な魚のような生物だった。光を放つ長い胴体に、羽衣のようなヒレ。オスとメスのつがいなのだろう――二匹で優雅に佇むその姿は、どこか誇らしい。

 それから、その生物の視線の先――三個ほどの白くて丸い物体、一つが割れているが卵だと思う――その割れた殻の中から、小さな生き物が顔を出していた。

 これはもう一発でわかる。その生物の赤ちゃんであろう。一丁前に、親譲りの七光りを放っていた。

「ふーん、クルツは見るの初めてか。宙の御使いっていう珍しい竜だよ。今、赤ちゃんが卵から生まれたところ」

 と、チルス。

「ああ、初めて……いや、これってアレだろ? チルスの部屋に飾っていた絵のやつ」

 この竜の絵が、チルスの部屋に飾ってあったのをクルツは思いだした。あの時は、空想上の生き物だろうと、たいした関心をもっていなかったのだが。

「はー、マジでいたんだな」

 頭を起こして、感嘆する。

「うん、マジでいる」

 場所を入れ替わり、チルスが再び望遠鏡を覗き込んだ。

「親はあんなに大きいのに、子供は凄く小さい」

「そうだな、チルスと同じくらいの大きさだ」

「む、それは私がチビって言いたいの?」

「さあね」

 とぼけた調子で口にすると、望遠鏡を覗いたままの格好で、チルスが不服そうに唸った。

 背が小さいことは、意外と気にしているのだろうか? それはともかく、なんとも熱心なものだ。

「わっ! また生まれた! あああっ! こっちも!」

 残りの卵も孵化したのだろう ――さらにも増して、はしゃぎだすチルス。

(うーむ……俺って今……ひょっとして相当レアな現場に遭遇してんのかな?)

 珍しい竜と言っていたし、その幼竜が孵化するところなんて、滅多に見られるものではないのかもしれない。もっともクルツにとっては、今のチルスの喜びようの方が新鮮だったが。

(ま、何でもいいか)

 こうして彼女がはしゃいでる姿を見つめていると、なんだかとても嬉しい気分になる。今夜は彼女が飽きるまで付き合おう――そう思いつつ、クルツは鉄柵に寄りかかった。

 そこへ一陣の夜風が通り過ぎていき……

 ふわりと、めくれ上がりそうになったスカートの後ろを、チルスが慌てて両手で押さえた。

 こちらを振り返り、

(見た? とでも聞いてくるのかな?)

 クルツは、そう呑気に考える。

 が、その時――

 虫の声が急に止んだ。

 いや、音そのものが聞こえてこない。

 何だろうと訝しる暇もなく。

 既視感がして、体が勝手に身構える。

「ぐっ!」

 辺りは突然、強烈な白光に覆われた。

 時間の進みが極度に遅くなり――世界の色が徐々に失われていく――

 意識ははっきりとしているようで曖昧。思考まで引き延ばされているようで、考えることができない。

 おそらくはその状態で、十数秒ほど立っているのかもしれないが……

「んはぁっ!」

 クルツは息を吐きだして、なんとか回復する。それから声を上げて、

「こいつぁ、まさか!」

 周囲の展望がきく鉄塔にいたおかげで、ほんの少し首を回せば、すぐにそれが見つかった。

「こここここんなところにも出やがったってか!」

 激しくどもりながら、コントラフルト巨大生体保護区の方角を遠望すれば――そこには現実感を無視したような、超絶に天を貫く巨大な柱がそびえていた。

 輪郭だけが紫色に光っているそれは、距離がかなり離れているのか、細部はわからない。ただ、以前見た物とは大きく違うようである。

「あれはまさか! 破滅の使者のうち、闇を司どる眷属か!」

 その発想はともかくとして、クルツの言葉通り、闇属性っぽい雰囲気ではある。

 どういう仕掛けなのかわからないが、手前に遮るものでもあるかのように、輪郭以外は漆黒だった。

「ううう、何が……」

 こちらはチルスの呻き声。遅れて気を取り戻したようで、気持ち悪そうに頭を抱えてふらついている。

 慌ててそばに寄り、クルツは彼女の肩を掴んで支えた。

「おい! しっかりしろ!」

 顔を覗き込み、声をかければ、チルスはすぐに反応をみせる。ゆっくりと頭を上げ……

「クルツ? 今のは一体?」

 しっくりこない様子ではあるものの、はっきりとした声音で、そう聞いてきた。

 とりあえず、ほっとするクルツ。

 それから、

「あれを見ろよ」

 言って、巨大な柱の方を指さした。

 チルスが左側へ、つまり柱のある方へ体を向ける。

 その途端、ズザっと足を擦って後ずさった。

「……なに……あれ?」

 さすがにびびった様子で、愕然と彼女は口にした。

「あれが最近、世間を騒がせている”破滅の使者”って奴だな」

 胸をはり、自慢げに解説するクルツ。目を丸くしたチルスが、首を傾げて聞いてくる。

「はめつのししゃ?」

「生で見るのは二回目だけどな、あちこちに出現して、国中こいつのことで大騒ぎになってるだろ」

「……そうなの? 知らなかった」

 いくら辺境の地でも噂くらいは立っていたが、チルスの耳には入っていなかったらしい。

「で……どうなるの?」

「あの中で奴は眠っている。すべての眷属が揃った時に目覚めて、世界を滅ぼすと言われている!」

 これを言っていたのは、どこぞの滅亡主義者であって、相当適当な情報なのだが、クルツは大真面目に語る。

「そっか、滅亡の時が迫っているってことかな?」

 本気にしているのやら、いないのやら――そう呟いて、チルスはまた望遠鏡を覗き込んだ。

「怖くはないのかな~?」

「私、滅亡主義者だし、今更かな……」

 ピントがズレたようで、ダイヤルを回して調整しながらチルス。

 今は柱のことより、竜の様子の方が気になるらしい。

 適当に流されたような気がして、クルツが肩をすくめていると、

「……あれ? 二匹いない」

 チルスが困惑した声を発した。

 察するに、いないというのは幼竜のことだろう。

 どこか、不穏な気配を感じたその刹那。

「え、ええ!?」

 困惑のそれが、焦りに変わった。

 肩をこわばらせ、総毛だった様子で、

「あっ! あっ! あー!」

 彼女は悲鳴にも近い、ひときわ大きな声を上げた。

 その有様に寒気が走り、クルツは思わず叫ぶように問う。

「なんだ! どうした!?」

 直ぐに答えは返ってこない――望遠鏡から離れ、後ずさりし、口元を押さえているチルス。その背中が、小刻みに震えていた。

「こここ、子供――食べちゃった」

 そう漏らすと、彼女は鉄網の足場に、ガランっと音を立てて座り込む。

「な、なんだってぇ!?」

 あまりといえばあまりの内容に、クルツもさすがに悲鳴を上げた。

 急いで望遠鏡を覗き見れば、

(なにも見えねぇ!)

 レンズ越しの視界は、生き物の姿どころか、ただただ真っ暗である。これではレンズ蓋を閉めているのと変わらない。

 顔を上げ、あの竜がいたはずの山を見やれば、やはり光が見当たらなくなっていた。望遠鏡がズレたわけではなさそうだ。

(どこだ!)

 見失って一瞬焦ったが、それはすぐに見つかった。

 星にまぎれ、七色に輝く点が二つ――保護区の方へ移動していくのが見える。

「なんてこった……」

 肩を落としてクルツ。

 折角生まれたばかりの幼竜――それを食い殺した挙句、巣まで放棄したというのか。

(もしかして、破滅の使者のせいか? それでパニックおこして……)

 痛恨の呻きを漏らしつつ、へたりこんでいるチルスの方へ視線を落とした。

 彼女は呆然としたまま動かない。眼差しはどこか虚ろで、額が青ざめている。

「チルス……」

 口にできたのはそれだけで、クルツは途方にくれた。細い息を震わせている彼女を前に、慰めの言葉が見つからない。

 ついさっきまで、あれほど嬉しそうにしてたのに――

(くっそ……折角あんな……あんないい笑顔を……)

 あのチルスが素直に表情をみせたのだ。この日を、物凄く心待ちにしていたのは用意に想像がつく。

 それが一瞬で壊されてしまった。

 あの”破滅の使者”の出現によって――

(なにも今でてくるこたぁねぇじゃねーかよ! 空気読めよクソゴミが!)

 クルツは拳をきつく握り、聳える漆黒の柱を忌々しく睨んだ。

 心中、あれを罵ったところで、どうとなるわけでもないが、

「私、もどるね」

 チルスがふと口にする。

 目を戻せば、彼女は立ち上がろうとしていた。

 足腰はしっかりと、体の震えもなく――先ほどまでと打って変わり、落ち着いた様子。

 思ったよりも、ショックを受けてはいなかったのだろうか?

 クルツが眉をひそめていると、

「ちょっと驚いた。でも、どうせ星は滅ぶんだし、どっちにしても生まれた意味なんてないから」

 ぞわっとする。

 チルスの言葉が、悲しいくらい空虚に響いていた。

 摂理めいた言葉で感情をあっさりと殺し、冷静になる彼女の姿に、息が詰まりそうになる。

(そ、それでいいのかよチルス……)

 いや、決して良いわけではないのだろう。

 彼女はただ、そうやって自分が壊れないように防御しているだけだ。

 世の中の理不尽から逃れ、滅亡に心の安住を求める者の論理――滅亡主義者の虚無観。最初から意味も価値もないのだから、嘆く必要性も、そこには存在しない。

 それは一つの真実なのかもしれないが、クルツは思う。

(でも俺は、君に滅亡主義者でいてほしくない)

 悲しいなら泣けばいい、苦しいなら苦しいと言ってくれればいい。チルスはまだ引き返せるはずだ。本当に虚無へ落ちたものに、あんないい笑顔ができるわけがない。

「…………」

 しかしクルツは、それを言葉にはできなかった。

 彼女が冷静なのは上辺だけで、心には相当大きな穴が開いていることだろう。無理に否定すれば、逆に虚しさの海へと引きずり込まれかねない。立ち直るにはきっかけが必要だった。

(今日は良い日になりかけていたのに――

 クルツは悔しい気持ちを押し殺し、深く息をつく。

 望遠鏡を片づけ始めたチルスを、今はただ、見守っているしかない。

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