●世界観B創世記・星の終わりの神様少女5

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 エクリアの施行した法術は、部屋に入り込んできた一体のゴーストを仕留めた。

 形作られていた”青白い像”が崩れていき、光の粒子となって虚空へと霧散していく。

 その光景を見たレネイドが、何やら悲痛な表情で声を上げだした。

「なんてこった! 貴重なおっぱいが!」

 これだけ聞くと、まるきりアホなことを言っているように思える――いや、事情を説明したところで、どのみちアホなのかもしれない。というのも、先ほどまで空中をただよっていたゴーストは、女性の胸部を形作っていたのである。

「そ、空飛ぶおっぱいなんて気持ち悪いだけでしょ……しかも青白いし」

 印を組んでいた指をほどき、笑い声を立てつつエクリアは言ってやった。

「いやいや~……デカいだけじゃなくて、ちゃんと乳揺れまで再現するとは――ゴーストとは侮れませんな」

 腕を組んで、何度もうなずいているレネイド。彼を唸らせているという点では、確かに侮れないのかもしれない。

「それにしても、なんなんだかね~」

 とりあえず聞き流したエクリアは、そうボヤきながら窓の傍へ歩み寄った。彼女の背丈よりも大きく、幅も広い大窓から外の状況を見やる。

 空は暗いだけで何も見えず、地上の方はかろうじて、霧の中にボヤけた街灯りが見えていた。

 この部屋は、レグニオル本社の十二階――つまりは最上階にある。ビル自体も丘の上に建てられているため、この霧さえなければ、オーランズピーク市の贅沢な夜景を堪能できるのだけど……

「霧といいゴーストといい。まったく収まらないって――何がどうなってるのかな?」

 そう口にしていくうちに、先日エリオに伝えられた、”クレネストの言葉”が脳裏をよぎる。

 一年以内――

 思いだすたびに背筋が寒くなり、吸い込んだ空気が胸の内で重くなっていく――そんな感覚を味わう。

 いつもは陽気なエクリアも、次第に表情が曇っていった。

「ゴーストの方はですね。一因としてステラの流動説があげられます」

 こっちの不安感をよそにレネイドは、いかにも理系的で、あまり面白くなさそうな説明を開始しだした。

「ステラの流動?」

 心配事はそちらではないのだが、ひとまず振り返り、聞き返すエクリア。

「ゴーストっていうのはですね――自然現象の中で偶発的に組まれてしまった術式とされてますが、術を施行するにはステラが必要になりますよね」

「ふんふん」

「そのステラは一体どこからくるのか? ということなんですけど……」

「ほほぉー」

 何を思ったのか、説明の途中で下唇をつきだすレネイド。エクリアは、首を傾げて見せる。

 彼は咳払いをしてから、二本の指で眼鏡の位置を直し、真顔に戻った。

 どこか不服そうな表情にも思えたのだが――何かを指摘するわけでもなく、文句を言うでもなく、そのまま続けてくる。

「星が蓄積しているステラというのはですね、どの部分も一定の密度を持っているわけじゃないので、濃い部分や薄い部分があります。その密度差によって、絶えず流動するものなんですよね」

「ええまぁ、なんとなく習ったような気がする」

 勉強嫌いというわけではないけれど、理科にはあまり興味がなかったので、うろ覚えのエクリアであった。

「で……ステラにも稀に、大きな波のような物が発生することがありまして、地表上……もしくは地表近くまで盛り上がってしまうことがあるわけです」

 手の平をくねらせて波を表現しながら、レネイドが説明する。そこまで言われれば、彼女にもなんとなくピンときた。

「なるほど、そのステラが術式に流れ込んで、術が暴走しだすってわけだね」

「まぁ、簡単に言えばそんなところですが――問題は、長引いている理由の方ですね。星導教会が動いている以上、半日もかからずに鎮圧できるものとばかり考えてましたが」

 言いながら、レネイドも窓の傍に歩み寄り、霧に沈んだ街並みを眺める。

 エクリアは、その彼の横顔を見上げて、

「物凄いビックウェーブでもきてるの?」

 冗談めかして言ってはみるものの、あながち的外れでもなかったらしく、レネイドは首を捻って呻いた。

「うーんですが~、ステラを吸収しようとしても出来ませんので、地表上まで届いているわけではないかと――いやまてよ……高さじゃなくて幅の方か?」

 なにやら気が付いたようで、考え込み、

「こう……じゃなくて……こーいう具合に……」

 指先を使って、最初は高く短く――二回目は、低く幅広い波を描いてみせながら口にした。

「もしそうだとしたら、広範囲に影響が及んでいるのかもしれませんね」

 彼の説明は、要領がいまいちだったが、とりあえず言いたいことは分かる。 

「ふーん、なるほどね――そーいえば、低地に比べて高台や上の階ほどゴーストが少ないようだけど。それはその……波から遠ざかるからかな?」

 と、あごに人差し指を添えつつエクリア。

 ここより低地にあるオーランズピーク市よりも、やや離れた丘に上にあるこの場所の方が、ゴーストの発生量が明らかに少なかった。それでも下の階では、今日だけで十数件は目撃されていたが。

「でしょうね――それに自然発生する術式も、地上よりは上空の方が少ないのでは?」

 レネイドの言葉に、根拠なくそんなような気がして、エクリアはうなずいてみせる。彼の方は、別にこちらを見ていないようであったが、なんにせよ続けて口を開いた。

「とはいっても、ゴーストの発生点である術式の方を除去してしまえば収まるはずなのですけど……この分ではおそらく……」

「おそらく?」

「星導教会も、術式の除去くらいやっているはずですから――多分、それが追いつかないほど沸いてきてるんじゃないですかね?」

 お手上げといった感じのポーズで口にするレネイド。

 むぅっとエクリアは、眉をひそめて呻いてしまった。

「そんな頻繁に発生するものなの?」

「いえ……そんな話は聞きませんけど、解明されていない部分も多々ありますから、絶対とは言えないですね。現に頻発しているわけですし」

「えーとそれは……なかなか頭の痛い話ね」

 頻発する原因を聞こうとしたが、止めた。少しボヤいただけで、そっと窓から離れた。彼の口ぶりからすると、原因なんてわかっていないのだろうから……

(収まるのを待つしかないのかな)

 考えながら、部屋の中央に置いてあるソファ――そこにエクリアは腰を下ろす。頬杖をつき、眼前の黒テーブルに視線を落とせば、憂鬱そうな自分の顔が映っていた。

 星導教会が配布している星動機を使えば、とりあえずの侵入を阻止できるのだろう――しかしそれは、星動力を廃すという目的がある以上、教示として使えない。地道に侵入してきたゴーストを駆除するしかなく、結構な苦労を強いられていた。

「南大陸から避難してきた人員が加われば、少しは駆除作業も分担しやすくなると思われます」

 と、こちらの胸中を察したようにレネイドが言ってくる。だが、それも喜べたものではない。火山噴火によって、本国の状況が悪化しているらしいのだ。

 祖国はノースランドのような大国ではない。この国最大の湖の方が、まだ面積が広いかもしれない。数十の火山が同時に噴火したともなれば、避難所も限られてしまうだろう。隣国とも協力はしているのだろうが、どこも似たような状況らしく、あまり余裕はないそうだ。

「母様もくるんだよね」

 ぽつりとエクリア。

 大事を取って避難してくるのは、彼女の母親とその側近――他、二十名ほどの教団員という連絡を受けていた。

「北大陸の南西側でも噴火が起きているらしく、迂回のため少々時間がかかるとは思いますが、明日にはお見えになられるかと」

 努めて、事務的な声音で話ているように思えるレネイド。噴火のことで、彼女を動揺させないための気遣いだろう。

 エクリアは頬杖を外し、顔を上げて口を開く。

「ねぇレネイド」

「はい」

「このほ……えっと、”星動力を廃さなかった場合”、この星って後どのくらい持つと思う?」

 言い直しつつ質問すると――やはりというか、レネイドから戸惑いの気配が感じられた。

「……はぁ……どのくらい……ですか……」

 うーんっと、困ったように呻く声を漏らし、

「星が保有しているステラの含有量が未知数なので、さすがにそこまでは計算できないです。模型かなにかで実験できれば、あるいはなんですが」

「できないの?」

 ソファ越しに振り返りつつエクリア。

 彼の方も、こちらへと身体を向けて――ぱたぱたと右手を振りつつ、申し訳なさそうに言う。

「星と同じように、ステラを固定化する方法が、僕やコルネッタさんにもわかりませんので」

「クレネスト・リーベルならどう?」

 レネイドは案の定、目を丸くした。一応……数秒ほど思案したような素振りをみせたが、すぐにかぶりを振る。

「いくら法術の天才といっても、禁術なしでそれをできるとは思えません」

 ある意味、この答えは予想済みだった。常識的に考えればそうである。

 が――

 エクリアは立ち上がり、懐疑的な目つきでレネイドに問う。

「あの娘、ひょっとして禁術も使えるんじゃないの?」

「……え?」

 再び目を丸くして、今度はそのまま硬直が続く彼。かまわずエクリアは続ける。

「彼女が高速法術を使うところを間近で見てきたけど、はっきり言って不定形にしか見えないくらい難解な術式だった。あんな技術を持っている娘が、禁術を使えないってのはおかしくない?」

「いえ、ただですら超高難易度である高速法術で、さらに禁術を扱うなんてとてもとても……星導教会の司祭が、まさかそこまでは……」

 そう、星導教会の司祭という先入観念が、これまでその考えを遠ざけていた。しかし先日、エリオに禁術を教えたことで、もしかしたらという疑念が沸いてきたのだ。

「高速法術って、そういうのがあるってことくらいしか知らないでしょ? 禁術も法術も関係なくなるような、術式の根源を知り尽くした者だけが到達できる境地……もし、そういう類のものだったとしたら?」

 ソファの上に膝を乗せ、身を乗り出しながら推論を述べていくエクリア。

 レネイドは口を開こうとしたが、短い呻き声だけが洩れた。すぐに首を捻り、思案顔であごに手を添えだす。

「あんたの禁術だって見破られて防がれたんでしょ? そんな簡単に、形式の違う術式を読み取れる能力があるんなら、そういう可能性だって高いんじゃないの?」 

 彼女がそう続けると、余計に彼は、呻き声を大きくした。苦々しい顔つきで冷や汗を流しながら、頭を下げる。

「ほ、報告漏れは、ほんとすいません……」

「ふーん、で……どう思う?」

 謝罪の言葉を軽く聞き流して、エクリアは促した。

「うーん、そんなはずはない――と言い切る自信がなくなってきました。しかしですね……仮にステラを固定する物質を彼女が作りだせたとして、何をお考えですか? まさか彼女に、星の崩壊予測をしてもらうおつもりで?」

 それがバカげていることくらいは、レネイドも承知しているのだろう。笑みを浮かべた冗談交じりの態度で言ってきた。

「いや、なんとなく聞いてみただけ……あの娘と付き添いの男の子が、ちょっと印象深かったからさ」

 苦笑して、ぱたぱたと手を振り、エクリアは適当に誤魔化しておく。もちろん真意は、印象がどうのといった曖昧なことではない。

 エリオに告げられたクレネストの予測――彼女が本当に、そういった情報を得る手段があったのかどうか?

(……そっか……模型か……)

 正解かどうかはわからないが、多分――そのような手があるのかもしれない。

 そう考えつつエクリアは、ソファから降りた。

 やはり、真相に近づくことへの恐怖感はぬぐえない。クレネストの予測を、仲間達に告げるべきか否か、酷く迷っている自分がいる。

 ふーっと深く息をつき、硬くなった顔をレネイドの方へ向けないようにしつつ――

「さてっと……私、ちょっとシャワー浴びてくるね」

「はい、ごゆっくり」

 後ろでレネイドが、深々と頭を下げたと思う――そんな気配を感じつつ、エクリアは部屋を出て行った。

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