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窓の外は――なんとなくそうなるような予感がしていたのだが――今日も青い霧が町を覆っているようだった。
もともと、単なる自然現象的な霧とは異質な感じはしていたのだ。多発するゴースト現象も、無関係とはいえないのかもしれない。
「はぁ、ステラの波ですか?」
右手に持ったサンドイッチに、男らしい大きな歯形を残してから、エリオが聞き返してきた。
ゴースト現象が多発する原因として、クレネストもレネイドと同じ説明をしたところである。教会宿舎の食堂で、朝食を取りながらのことだった。
テーブルを挟み、彼の対面に座っているクレネストは、紅茶を飲みながらうなずく。
「水ほど速くはありませんが、ステラも流動していますから」
ゴーストへの対処で、少々疲れが残っているせいだろう。声音が重く、憂鬱さが混じってしまった。
加えて朝だと言うのに、濃霧のせいで薄暗いため、星動灯がついている。こんな状況で気分がよくなろうはずもなく……周囲で食事を取っている人々も、どことなく陰気さに飲まれているようで、奇妙に静かなものだった。
「何故にそのような、大波が起きるのかの?」
こちらは隣で、元気な声のテス。場の空気に対して無頓着なおかげで、少しは気がまぎれてくれる。
クレネストは笑みをこぼして口を開いた。
「密度の違いと、密度が高くなりすぎることによる部分的な飽和で、ステラがかき乱されることもあるのです。ただ普通は、これほどまでに長引くものでもないのですが――」
「むむぅ」
これだけでも難しかったらしく、テスは眉間にシワを寄せて、口を尖らせた。
「問題は、長引く原因の方ですか……」
エリオはあごに手を添えて――たぶん何も思いつかないのだろうけど――思案顔の構えである。
「それなのですが……いえ、先に食事を済ませましょう」
何か言いかけて、話を後回しにするクレネスト。視線を動かして、周囲を気にする素振りを見せた。
「あ、はい」
彼女が人目を気にしていることを察したのだろう。エリオが聞き返してくるようなことはなかった。
空になったティーカップを置いて、クレネストは窓の方へ顔を向ける。
「ゴーストの件はともかくとしまして、この天候が続くのは、少々困りものですね」
「なんでしたら、湖を東へ迂回しながら南下しましょうか?」
エリオが提案してくる。
「はぁ……そうすると、六〇〇セル近く遠回りになりますね」
できないわけではないが、考えるだけでも気が重いクレネスト。運転するエリオにも、そこまで負担をかけたくはない。それを聞いているであろうテスの方も、額を青くしながら露骨に表情を歪めて、両肩を落としていた。
「……困りものではありますが、焦るものでもありません。今しばらくは様子を見ておきましょう」
サンドイッチにかぶりつくエリオを見据えながら、クレネストはひとまず、そう伝えておいた。
朝食の後、クレネストの寝室へ集まった直後の出来事であった。
ゆらゆらと宿舎が揺れていた。最初クレネストは、自分が揺れているものかと思った。
少し遅れて、それが地震であるということに気が付く。これまでの地震から比べれば、随分と穏やかなものであるが――この地方も、地震とは無縁の地であったはず。
「あ~え~っと?」
この困った感じの声はエリオのもの。彼が見下ろす視線の先に、クレネストはいた。
つまるところ、彼の右腕に身を寄せている彼女は、きょろきょろと辺りを見回しながら口にする。
「おさまりました?」
「え、ええ……もう大丈夫かと」
「そうですか」
声音こそ淡泊に言いつつも、おそるおそる身を離すクレネスト。
安堵したのか、エリオは深い溜息をついた。その彼の顔を見上げてみれば、まだ少し表情が硬い気がする。うろたえた様子こそなかったが、やはり自分と同じく地震に対する恐怖心は消えていないのだろうか?
クレネストは、とりあえずベッドの上に腰を下ろした。
ほっと息をついたその時、
「エリオ殿~、もっとクレネスト殿に抱きつかれていたかったんじゃないかぇ~?」
からかうように口にしながら、自分の右横に座るテス。そのままこちらの腕に抱きついてきた。
反射的に首をかしげたクレネストは、
「そうなのですか?」
などと聞いてしまってから、変な気恥ずかしさが沸いてきてしまう。そういえば、結構きつく抱きついたので、胸が当たってしまったかもしれない。彼の右腕のたくましい感触が、その辺りに残っていた。
どう思われてしまったのだろうか? フェリスのことを思いだして感触を想像してはみるものの――あれは自分とは規格が違いすぎるので全く参考にならない。感触などなかったのかもしれないので安心……と考えると、それはそれで情けなくなる。
「ああいや、なんといいますか……その……」
わたわたと手を振って、あからさまに狼狽しているエリオの声。
少なくとも、嫌がられている様子がないので、不安はないが複雑である。きっぱり否定されたとしても、それはそれで残念な気分になりそうな自分がいた。
クレネストは咳払いを一つ、
「変なこと考えてたら嫌ですよ?」
どちらかといえば、自分の方が変なことを考えているなと思いつつ、一番無難そうなクギを刺しておく。
「滅相もございません」
しかしというか……まるで謝罪するように頭を下げるエリオであった。
「はぁ……それはともかくとしまして、まずは波についてのことですね」
嘆息で間をとってから、クレネストはそう話を切り出す。なぜかエリオは、その場で正座した。
どうせなら椅子を持って来ればよいのにと思ったが、まあいいかとクレネストは続ける。
「あくまで私の想像ではあるのですけど……大きな波が起きた原因は、世界の柱がステラを固定化した影響だと思います」
「あ~そういうことですか」
「どういうことじゃ?」
あっさり納得した様子のエリオと、疑問符を浮かべるテス。ちょっと考えればわかることで、難しい話でもない。
「世界の柱は仮起動状態にあります。急速に膨大なステラを集めて固定化していますので、星内部のステラ密度に大きな影響をもたらしていると考えられます」
説明するクレネスト。
「ふむ、なんとなくわかったのじゃが……そんなことをして、星は大丈夫なのかぇ?」
抱きついていた腕を解いて、心配そうにこちらを見上げるテス。
「はい。世界の柱はステラを固定化するのであって、消費するものではありません。あれは地中深くにも届いてまして、星の崩壊を早めたりするようなことはありませんよ」
微笑みかけて、クレネストはそう伝えた。ついでに頭を撫でてみる。サラサラとした涼しい感触。
「ふひゅ」
可愛らしい吐息をもらしたテスは、安堵の表情をうかべた。しかも満足気である。
「ですがクレネスト様。ステラの波はわかりましたが、暴走した術式の方はいかがなものでしょうか? そんなにポンポンと湧いてくるものなので?」
床に座っているので、エリオはこちらを見上げながら聞いてきた。
「そうですね……昨日はかなりの量を消去したのですが……」
クレネストはうんざりと頭を抱える。消しても消してもイタチごっこだったことを思いだしながら、
「どうにもこの霧が原因であると考えているのですよ」
「霧……ですか?」
「ただの霧とは雰囲気が違うといいますか、気になって一応”星渡ノ義眼”で確認してみたのです」
振り返り、窓の外を見やりながらクレネスト。すぐに体を戻して続ける。
「霧というのは、ようするにただの水粒ですから、その術式――と言いましても粒が細かいので、光のモヤのように見えるはずなのです。見えないようにしようと思えば、見えないようにもできます。ですがこの霧は、術式らしき光も見えなければ、見えないようにもできませんでした」
「ええとつまり……実は霧ではなく、元々が霧状になるほど細かい術式とか……ですかね?」
「ほー正解です――なんだかエリオ君、最近妙に冴えてませんか?」
感心したというよりも、不思議そうに口を丸くするクレネスト。身を乗り出して、彼のことをマジマジと観察する。
「そ、そうでしょうかね? いえ、これだけ長距離移動してきたのに体は疲れてないといいますか、何故かバツグンに体調が良いのは確かですが」
自分でも、よくわかっていなさそうな戸惑い顔でエリオは応える。旅慣れただけかもしれないが……
と――クレネストは身を引いて、
「はぁまぁ、そういうわけでして――霧状に充満している今の状態では、意味をなす術式を形成してしまう確立が、相当高いと考えられるわけです」
厄介な状況だというのに、どこか得意げに解説する。
「とすれば、天然の術式は視認できるということですよね。それはまるで――禁術」
言葉の後半だけ、声をひそめてエリオ。
「代償がなければ発光しなかったり、視認できないというものでもないのです。そもそも、自然発生する術式自体が、術式分解で抽出した術式と同じくらい複雑なものですし……ええと……」
このことをどう説明したらよいものやらと、考えながらクレネストは口を開いていく。
「術式の中にステラが混入していくと、それは術式を伝って広がっていきます。地上までステラの波が届いていなくても、地上にある天然の術式にまで伝わってしまうのも、大体これが原因と考えられています」
「?」
「地中にも術式が発生していて、それを伝って地上に吸いだされるということです――それが、この霧のような状態の術式へ広がって、視認可能となっているのではないかと」
「ははぁ、そういうことなんですか? ですが、どうして星のステラが術式を伝ってくるのでしょう? もしかして保存振動も偶発的に起こっているのでしょうか?」
エリオの言う通り、保存振動を与えでもしない限り、ステラは即座に星へ吸収されてしまう。術式を伝って地上まで広がったりはしない。
「その可能性も考えられますけど、実際のところよくわかってない部分もあるので仮説になります。他にもそうですね――例えば、波となって盛り上がっている部分のステラは密度が高く、一時的な飽和状態になっているのかもしれませんし」
「なるほど……それで一時的に吸収力が弱くなったりということですか」
「あくまで仮設です」
納得した様子のエリオに、クレネストは念押しを付け加えておく。
「お主の術みたいに、ピカピカに光ったりはしておらぬようじゃが」
後ろからのテスの声。いつの間にかベットを降り、窓枠にしがみついて外を眺めていた。
「それはですね、私の術式に反応しているからです。このような曖昧な術式ではなく、明確に意味をもった術式ですから」
つまり具体性がでてきた場合は、天然の術式でも発光することはある――と、テスが難し気な顔をしているので、クレネストは口には出さず、心の中でつけくわえた。
「うーん……いったいどこからそんなものが発生しているのでしょうかね?」
エリオは言って、なにやら足元をこわばらせながら、ゆっくりと慎重に立ち上がろうとしている。一瞬不可解に思ったが、すぐに足が痺れたのだと、察しがついた。
それはまぁ、どうでもよいとして、
「はぁ、そこが一番の問題なのですよね――」
口元を手でおおい、首を捻りながらクレネスト。
足止めをくらっている原因は、この霧状の術式である。これさえなんとかなれば、船が運航できるようになるはず。
クレネストは、上手くいくかどうかはわからないが、頭の中で検討していたことを告げる。
「いっそのこと”霧状術式”の発生場所を探してみましょうか」
「できるのですか?」
ようやく立ち上がったエリオが、いまいち冴えない表情で言った。まだその場を動けないらしい。
「やってみないとわかりませんが、密度や流れを調査していけばあるいは……あの、足大丈夫ですか?」
彼の足元を覗き込むように、上半身を斜め前に伸ばしながら、クレネストは声をかけた。
恐々とした様子でエリオは、
「すいません……まだ動くと痺れが酷いので……このままで失礼を」
「いえいえ――」
ぱたぱたと両手を振って、別に気にしていないということを、クレネストはアピールする。
と――
「ぬしらは術式を消せるのじゃろ? ならば直接、この霧を消し飛ばすことはできないのかえ?」
再びベッドに上がり、腹這いになった状態で頬杖をつきながら、テスが聞いてきた。
「通常の法術だけでは焼け石に水ですね。だからといって、アレはちょっとアレすぎて使えません」
クレネストの言っているアレというのは、例によって禁術と代償のことである。町を覆い、湖の向こうが見えないほど広範囲にわたる”霧状術式”――これを消すとなると、重すぎる代償を払わなくてはならない。そのような禁術を、町中で施行することについても、過大なリスクが伴う。
「ふーむ、なかなか都合よくはいかないのじゃな」
今の話で伝わったようには思えないが、テスはしみじみと言った。
その小さなお尻に、クレネストはポンっと手を置き、
「では、そろそろ時間ですが――」
びくっと仰け反ったテスに一瞥をくれてから、エリオの方へと視線を移して聞く。
「動けますか?」
「え、ええと」
呻いたエリオが、おそるおそる足を浮かせ――
「……!」
半歩横へ足をついた途端、顔をこわばらせて硬直した。
しばしの沈黙――
「もう、しょうがない子です」
嘆息してクレネストは、肩を落とすのだった。