27歳(続き)
2003年11月2日に、通っているギター教室を開講してくださっている楽器店主催のもと、発表会が行われるということが決まる。
その会に向けて、 5人のバンドが出来、集まって練習し始めるようになる。
9月20日、5人のバンドメンバーが集まっての初の顔合わせ。
ボーカル一人(女性)、ベース一人(男性)、ドラムス一人(男性)、そしてギター二人(男性)というメンバー構成で、
非常に和気藹藹と楽しみながら練習する機会に巡り会える。
2003年10月3日、僕にとっては初のスタジオ練習を、集まったパワフルなメンバーの人たちと行う。
一つの楽器店の中に存在している練習スタジオの中でも、何といちばん大きくて豪華な部屋での練習。
メンバー一人一人、練習に気合が入り、コピーしている曲たちへの思いが強くにじみ出ていて、
絶対に納得がいくような形に完成させようという情熱が込み上げる、本当有意義な練習時間となった。
バンドメンバー一人一人の中にみなぎる、音楽への熱い思いはもちろんのこと、それ以上に、
「お互いのメンバー一人一人への思いやり」に感動し、練習会から帰宅することも増えていった。
その後、10月11日、10月16日、10月21日、10月25日、10月30日、そして発表会前日の11月1日という日程で行われた各練習会に勇んで集うようになる。
練習スタジオの部屋は、全練習会とも、楽器店の中でもいちばん広い部屋だったので、かなり快適な環境での音合わせをしていくことが出来た。
(実は、10月18日も行われたのだが、よりより個人の所用で出席出来なかったのである!!)
練習会を重ねていくごとに、発表会で演奏する曲たちをだんだんと我々なりに作り上げていくために、バンドメンバー全員が探究心を燃やしながら練習を重ねていった。
よりより自身は、最高の音を聴いていただきたいと思い、マルチエフェクターなどの音作りについても追求していったつもりなのだが。
そして、5人が一つになり、最高の演奏をすることが出来たのが、2003年11月2日である。
11月2日、京都四条烏丸に在るライブハウス、 "MOJO" にて、ワタナベ楽器店、ポピュラーミュージックスクール (PMS) 主催で行われた発表会に、
よりよりが「ハニーハンズ」という5人のバンドの一員として出演する。
僕にとって、ライブハウスでの初演奏。
ついに、「大勢の人の前に立って、バンドで演奏がしたい!!」という、長年の夢が適い、ライブハウスでのデビュー??を果たしたわけである。
お得意の「ギター2本を引っ提げての舞台出演」をまたまたやらせていただいたのだ!!
演奏曲2曲のうち、1曲目は相川ななせの「♪夢見る少女じゃいられない♪」をエレキギターで演奏。
かなりテンポが速い曲であったことも在り、観客全員が乗っているようで、会場全体が盛り上がった。
そして2曲目には、同じアーティストの「♪恋心♪」を、アコースティックヴァージョンで演奏。
ここで、エレキギターからエレアコに交換。
アコースティックの音楽らしく、しみじみとギターのメロディーを奏でながら、さびの部分ではコーラスを入れさせてもらった。
聴き入ってくださっていた、別のギター担当の先生や、ベースとウクレレの先生、そしてキーボードの先生、などなど、教室の先生方から、そして大勢の観客の皆様からも、
我が「ハニーハンズ」の演奏に対し、沢山の好評をいただける結果に終わった。
いろいろな方からいただいたお言葉の中には、こんなのも登場していた。
「アコギの演奏、良かったよ!!」とか、「ハモりを入れた所がすごかったよ!!」、
そして何といっても感動的だったのが、「ハニーハンズの5人が、いちばん仲良くて、元気だった!!」というお言葉だった。
などなど、賞賛の声は止まなかったほどだった!!
発表会全部を通しても、「ハニーハンズ」の5人がいちばん輝いていたのではなかったのでは……と、現在みんなで語り合っている最中である。
このすばらしき我がバンド、「ハニーハンズ」のメンバーがこれからも仲良く音楽活動を続けられ、「ハニーハンズ」のバンド自体も存続し続けることを願うばかりである!!
そして、このように大勢の人と友情を作るというすばらしいきっかけを作ってくれる、ワタナベ楽器店主催のもとでの、
「とても幸せなPMS発表会」のようなイベントが行われる機会に巡り会えれば、個人としてはもちろんそうだけれども、
これからも一歩ずつ成長し続ける「ハニーハンズ」というバンドの形でぜひとも出演させていただきたいとも、強く強く願っている。
機械による自動伴奏に合わせて、ギターやベースと一緒に演奏したいと思うようになり、キーボードを探し求めるようになる。
どこかから、パナソニックのキーボードの中古品が存在しているという話を聴きつけ、情報をもとにそれを拾い上げることが出来た。
しかし、フロッピーディスクや、内蔵ハードディスクなどがなく、この楽器では録音や自動伴奏は不可能だと知り、また新たに探し求めるようになる。
そこで、2003年暮れに我が家にお迎えしたのが、ヤマハの高級ポータブルキーボード、 "PSR2100" という、かなり響きの在る音のするキーボードである。
もっか、リズムパターンや音色の変更のやり方を習得している最中である!!
そんな中、人の集まる場所に出向くとなれば、この "PSR2100" と共に行動するような習慣が身についてしまったようである!!
とてもいい音のするキーボードなので、今ではすっかり良きパートナーとして活躍してくれている!!
我が家の近所にお住まいの、かなり親しいお医者さんのご紹介により、京都四条大宮に在るジャズスポット、「フラットホーム」というお店に足を運び、演奏活動の場を広げ始めることが出来た。
2004年1月31日が第1回目の演奏会。
NSPの「夕暮れ時は寂しそう」、「線香花火」の2曲を演奏。
「フォークソングであるNSPの曲たち」が、ジャズ風に変化していったことには、驚きを隠せなかった。
しかし、初めての場所で、しかも初めて出会う人たちと共に演奏させていただけることで、緊張は在ったものの、とても楽しい演奏が出来たと実感している。
その場所での演奏は、その後、2月28日の第2回、そして4月11日の第3回、へと続いていった。
これからも、音楽を通じて、多くの人との出会いを大事にし、友情を結ぶきっかけを積極的に作っていきたいと願う今日この頃である。
そんな、 "Network Service Provider (NSP)" になり続けていく決意である!!
28歳。
2004年5月29日、大阪サンケイホールで行われた、「NSP大阪コンサート2004」に参加。
「初めまして」の曲が数曲あったが、そんな中でも「NSPの奏法」というものを、少しずつ深く研究することが出来たと実感し、帰宅する。
同年10月9日にも、「秋ツワー」の一環として行われた、大阪でのコンサートに参加した。
「作曲をしている時にテーマを意識しておられるのか、それとも意識しておられないのか」、
「スタジオ録音版の音源とライブでの演奏とでは、異なったギターのひき方をされているけれども、曲の演奏に対する思い入れをお持ちなのかどうか。」
という質問をさせていただくなど、この時も感動の連続だったと実感している。
同年6月4日から6日にかけて行われた、「楽器挫折者救済クリニック、イン、河口湖」(第5.5回)に初参加。
講師の皆様方に、ピックの正しい持ち方、曲のコードの進行をいかにスムーズに運ぶか、などについて救済していただく。
「一期一会」というバンドにて、エリック・クラプトンの "Tears In Heaven" を演奏。
余興では、村下孝蔵さんの「初恋」、NSPの「線香花火」、ならびに「汗」を演奏。
「22歳の別れ」をコーラス付きで熱唱。
新しい人とお友達が出来、美味しい食事に囲まれるなど、音楽面以外でも救済していただける、本当すばらしい合宿なので、自分自身が参加していくことはもちろんのこと、多くの皆様にも参加して欲しいと願っている。
2004年3月ぐらいから、ホームページなどで情報を集めていた、「エスワンスイッチ」付きのギターを購入。
京都の楽器点ではなかなか触れる機会に恵まれなかったため、大阪や東京の楽器店を散策する中で見物することが出来たギターが、この「アメリカン・デラックス・ストラトキャスター」だ。
試奏を繰り返しさせていただく過程で、音のヴァリエーションに魅了され、ひけばひくほど我が家のギターたちの仲間入りをして欲しいなあ、という思いが芽生えるようになる。
そんな一途な願い適って(って大げさすぎるかな!!)、10月1日から、新たな場所で仕事をさせていただけることが決まった直後、購入に踏み切る。 (2004年10月6日)。
家の自室で、もちろん生でひくこともあるが、音のヴァリエーションの多彩さを楽しみながら、アンプに繋いで演奏することも時々出てきたかなあ!!
本当すばらしい音の広がりを持ったギターなので、僕自身大事にしていきたいし、お一人でも多くの人に、
実際にこのすばらしいギターに触れていただき、音色の多彩さを実感していただきたいと、強く希望している。
2004年7月31日、ワタナベ楽器店、ポピュラーミュージックスクール主催、「アコースティックギターやウクレレによる1曲発表会」に出演。 (「1曲発表会」、第1回目)。
村下孝蔵さんの「初恋」、「林檎でも一緒に」をギターと共に熱唱する。
同年11月23日、ライブハウス「都雅都雅」で行われた、ワタナベ楽器店ポピュラーミュージックスクール (PMS) 主催で行われた発表会に、
この時はエレアコ1本を引っ提げて、ソロの演奏で出演する。
村下孝蔵さんの「19の秋」、「ひとりごと」、「明日あればこそ」を、またまたギターと共に熱唱する。
ヒットした曲を外しての選曲をさせていただいたが、とても沢山の人から暖かい評価をいただくことが出来た。
(関節的にギターの師匠を通じて伝えていただいたコメントや、教室担当のスタッフの方・当日他のバンドで出演されていた方と後日お会いして直接聴いたご感想も含まれています!!)
特に、「明日あればこそ」の演奏への好評をいただいた時もあり、僕としてもとても嬉しい発表会になったと実感している。
2005年3月13日。
ワタナベ楽器店ポピュラーミュージックスクール主催で行われた、第2回の「1曲発表会」に、今度はピアノの弾き語りで出演。
オリジナルのアルバムでは、村下孝蔵さんがピアノ伴奏のみで歌われている、「きっといつかは」を、自分なりのアレンジを加えさせていただきながら熱唱する。
役3ヶ月間の練習が実り、初のピアノでの弾き語り演奏としては成功したかな、と実感している。
もっと嬉しかったことは、「きっといつかは」という曲に対して、「本当にいい曲ですね!!」との暖かいコメントをくださった沢山の方々がいらっしゃったことである。
2003年6月からお世話になっていた、ワタナベ楽器点ポピュラーミュージックスクールの「とても幸せなギターレッスン」と呼ばせていただいていたギターレッスンを、一旦終了することとなる。 (2005年3月30日)。
NSPや村下孝蔵さんの音楽などを聴いていただいたことも含め、ファンクからハードロック、ブルースに至るまでの様々なジャンルの音楽の奏法を学ぶことで、自分にとっても演奏スタイルの幅が広がった、本当に心に残る1年10ヶ月間のレッスンだった!!
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