ノイズの正体3 

 「島っち、赤外線と紫外線って同じ種類だよね?」

 「言ってる意味分からない」

 「だからァ〜、赤いのが赤外線で紫色が紫外線でしょ?」

 「益々わけ分かんない!」

 杉原と島野はカレーショップで相変わらず物理の教科書を広げて勉強をしていた。

 その頃笑子は篠原に呼ばれ武蔵国際大学に来ていた。

 桜上水の駅から大学までの通りは良くドラマなどで使われているので初めて訪れた気がしない。

 行き来する学生たちは今時のファッションを纏い楽しそうに談笑しながら歩いている。

 笑子の学生時代には有り得なかった光景だ。

 そもそも商業科の生徒だった笑子が進学したのは偶然としか言いようの無いものだった。

 テニス同好会(テニス部は何度も全国大会に出場する名門だったこともあり練習も厳しく、とても付いていけなかったので笑子と和泉が作ったもの)で親善試合で出掛けた県下でも有数の進学校の掲示板に貼ってあったアリゾナ州と埼玉県の交換留学生の募集広告を見て応募したのがきっかけだった。

 小論文と面接のみという募集要項に笑子は「それなら大丈夫かも?」と短絡的に考えて理学部生物学科に応募したのだった。

 3年生になって卒業後の進路を専門学校か短大にでもと考えていたが勉強が余り得意でない笑子は正直決めかねていた。

 そこへ留学の広告である。

 「短期の留学なら良いかも」

 そう、のん気に考えてのものだ。

 しかし小論文は与えられたテーマに従って書くもので自由なものでは無かった。
 (これは小論文の常識であるが笑子は、そんな事も知らなかった)
 
 与えられたテーマは「消化酵素によるタンパク質の分解の化学反応式について論ぜよ」というもので笑子には分かる筈もなかった。

 そして面接は英語で行われた。

 「マイネーム・イズ…」

 と喋りだした笑子は、ものの数秒で担当試験官から「もう結構です」と引導を渡された。

 背の高い白人男性の試験官は「あなたは、どうして応募されたんですか?」と流暢な日本語で笑子に話し掛けた。

 笑子は8つの時に亡くなった妹の恵理が生きものが好きで子猫や変な虫なんかを拾ってきては母親から叱られていた事を話した。

 試験官は時々頷きながら真剣に聞いている。

 「どうします?ハッキリいって奨学生には程遠いレベルです。間違いなく不合格でしょう。でも、あなたが『どうしても留学したい』というなら一般の学生として入学できるように教授会に諮ってみましょう。でも大変ですよ。恐らく遊んでいる暇は有りませんよ。それでも良ければですが」

 彼の提案を良く理解せずに笑子は二つ返事で受け入れた。

 数週間後、笑子の通う高校にアリゾナ州立大学から笑子の合格通知が届いた。

 笑子の通う高校から大学へ進学するものは毎年数十人居たが国立大学は、ここ数年居ない。

 そこへ、いきなりアリゾナ州立大学である。

 当然笑子が初めてだ。

 笑子は校長室に呼び出された。

 そこでアリゾナ州立大学がどういう大学か笑子は初めて知った。

 次の日から笑子だけ別教室で別カリキュラムで英語を中心に物理、化学、数学といった理系の科目を朝から夕方までミッチリ叩きこまれた。

 それは卒業後も続いた。

 アメリカへ渡る一週間前まで通い続けセンター試験で平均点が取れるくらいまでになり自信満々で門をくぐった笑子だったが授業内容は、その遥か上を行きサッパリ分からない。それで笑子は予習・復習に他の学生の倍以上の時間を要した。

 そのうえ父親から退職金を前借りして用意してもらった250万円しか持ってゆかなかったので大半は入学金と下宿代に消え、入学した翌月からバイトをしなければならなかったので1日3時間程度の睡眠時間しか取れなかった。

 そしてガムシャラに頑張って来て気付いたら学者になっていた。

 「どうぞ」

 研究室のドアをノックした笑子に篠原が中から返事をした。

 研究室しは村上が居た。

 そして見知らぬ若い男性が2人居た。

 「紹介しよう、こちらが私の教え子で今年から博士課程に進んだ長沢くんで、そちらが村上教授の弟子の大田くんだ。彼は京都大学の大学院で物理を専攻している」

 「はぁ」

 笑子は気の無い返事をした。

 「聞いたよ。随分大変な思いをされているようだね。あの小野というやつは曲者で、あちこちで嫌われているんだ。どうやら国防総省の肝いりみたいで我々が幾ら訊いても詳しい話をしたがらないんで具体的協力できないが彼ら2人は何かの役に立つんじゃないかと思ってね」

 村上が言った。

 「それは大変有り難いんですけど。そんな優秀な人たちに来てもらっても将来学位を取るための研究にはならないと」

 笑子が言った。

 「それは重々承知しています。恐らく研究結果はトップシークレットでしょうから公表する訳にはいかないでしょう。だから彼らが学位を取るためには別の研究課題を並行して進める必要はあります。しかし成果だけを考えていると決して言い結果は生まれません。それは歴史が証明しています」

 篠原が言った。

 「質問していいですか?」

 長沢が言った。

 「なんだ?言ってみろ」

 篠原に促されて長沢が口を開いた。

 「定期発表会(筑波での発表)での河村さんの報告では特定の周波数のメーザー光線を照射する事によって微妙な大気の変化を観測する事が可能だと言っていますが、具体的な観測データは有るんですか?」

 笑子は返事に困った。

 例の地獄耳の核心部分だ。

 「その件については我々も確認してはいないが、どうやら事実らしいんだ。まあ、その辺りは国家機密に関る問題らしいので今具体的な説明を期待するのは無理だろう。いずれ君たちも口を閉ざす事になると思う。秘密を知れば」

 篠原が意味有りげに言った。

 「妙な話ですね。というか、如何にも村上教授が好きそうな話ですね」

 大田がニヤニヤしながら言った。

 「それと作業場所だが、なんか悲惨らしいな。そこで後輩の勤めている自動車会社に掛け合って桶川にある施設を使わしてもらえる事になった。なんでも来週から大丈夫だそうだから、そちらを使ったらどうかな?」

 村上が言った。

 願っても無い話だ。

 その頃、カレーショップでは杉原と島野が笑子に依頼された学習用の星間図をプリントアウトしていた。

 「ダメだ!印刷が滲んでいるわ」

 杉原が出力された星間図を見て言った。

 セピアカラーの単色で印刷された星間図の端っこが滲んでいた。

 「これ一昨日入れたばかりでしょ?もう壊れちゃって!」

 島野が言った。

 「そういえば横にシール貼ってあるよねサービスセンターの電話番号」

 杉原が言って電話を掛けた。

 30分くらいで来た若いサービスマンはプリンターを色々と点検して2枚試し刷りをした。

 「どこも問題有りません」

 彼は淡々と答えた。

 「ちょっと!しっかり見てよ。これ見れば分かるでしょ!」

 杉原が例の星間図を彼に手渡した。

 手渡された星間図を念入りに見た彼は

 「これは滲みではありません。データ通りに印刷してますよ。データが、そうなっているんです」

 と応えた。

 「それじゃデータ直してよ」

 島野が言うと彼は「プログラムはサービス外ですから」と言って帰って行った。

 「どうしよう?」

 杉原が星間図を見ながら言った」

 




前ページへ 次ページへ

ノイジーメニューへ   トップページへ