三国街道を歩く(永井宿と町野久吉の墓)

 三国街道の永井宿は旧新治村(現みなかみ町)にあるが、昔は三国の難所にかかる手前で、参勤交代でも長岡藩も本陣に宿泊した。この先の三国峠を越えた所が浅川宿で、ここからは越後の国である。明治の頃も詩人が多く泊まり、若山牧水や与謝野晶子の文学碑がある。牧水の歌碑は郷土資料館の庭にあるが、晶子の歌碑は旧本陣にあるというが、今回は寄らなかった。
白虎隊町野久吉については、
「会津に告げよ武士の死を(小出島)」三国街道を歩く(大般若坂)を参照。

三国街道永井宿の碑
永井宿郷土資料館 郷土資料館の庭にある牧水の歌碑

現在地は永井宿郷土資料館、下に町野久吉の墓が見える

 町野久吉の墓は、大般若坂から南に約4kmの永井宿の近くにある。国道17号線のトラックステーションに駐車させてもらい、国道を渡れば町野久吉の墓がある。今まで新治村が三国街道、大般若坂、町野久吉の墓などを守ってきたが、みなかみ町に合併したことにより、観光の順位付けが変わる恐れがある。町野久吉の説明看板が倒れ掛かっていたが、新生みなかみ町で補修してほしいものである。
墓石には「会津藩士白虎隊 町野久吉墓 慶応4年閏4月24日未明戊辰戦に於いて三国峠に戦死す行年17才町野主水弟」とある。久吉の首は永井宿の近くに晒され、哀れんだ村人が近くの山に葬った。裏面には「昭和35年6月 町野武馬翁有縁の有志再建也」とあるので、この立派な墓は昭和に再建したことになる。脇面に石井光次郎書とあるが、福岡生まれで衆議院議長まで勤めた石井氏と、白虎隊町野久吉の係わりは何であろうか。
説明看板が少し傾いている 会津藩士白虎隊町野久吉墓
会津白虎隊町野久吉少年由緒記 三国古戦場と町野久吉少年
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三国街道永井宿にて

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