先生の発言にみる国会の「米百俵」

 小泉内閣になってから改革の代名詞として、米百俵の言葉を国会で聞く事が増えている。約5年間の小泉政権下で、衆議院および参議院の本会議や各種委員会で、議員が米百俵の言葉を約180回引用している。議事録から先生の発言をひろってみた。(新しいもの順)
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 平成18年5月18日参議院行政改革に関する特別委員会
○前川清成君 
 政治に携わっていない、政治にさほど関心がない、そんな私にとりましても、小泉内閣の誕生というのは強烈なインパクトがありました。とりわけ、総理が、今の痛みに耐えて明日を良くしようという、米百俵の訴え、これには感動いたしまして、今日持ってまいりましたが、当時も新聞記事を切り抜きましたし、この山本有三さんの本も買わせていただきました。
 以来五年が経過をいたしました。確かに、この五年間、年金改革や定率減税の縮減や廃止、国民は痛みに耐えてまいりました。しかし、国民の生活が本当に良くなったんでしょうか。
 そこで、総理にお伺いいたしたいと思います。今の痛みに耐えて明日を良くしようと、そう訴えられましたときに思い描いておられた明日とはどういう社会だったのか、お尋ねいたしたいと思います。

○内閣総理大臣(小泉純一郎君) 
 明日というのは将来ということでありますから、人によっては数年先、十年先、二十年先、五十年先、百年先といろいろ解釈できると思いますが、米百俵の精神というのは、そもそも長岡藩小林虎三郎、今で言うと家老、首相級の人物ですけどね、明治、幕末、大変窮乏、食うものもない、困難にあえいでいた長岡藩に見舞いのお米が送られてきたと。多くの藩士はこのお米を分けてくれると思ったところが、あの小林虎三郎は、このお米を今みんな食うものに困って分けたら、一週間か数日か一月か、なくなってしまうだろうと。なぜこんなに我々は困難にあえいでいるのかと。
 それは、先を見通す人材がいなかったからだと。今苦しいだろうとこの米を分けてしまったら、ああ、食べてしまえばおしまいだと。それよりは、この飢えに耐えて、苦しさに耐えて、もらったお米を売って、そのお金で学校を建てようと。人材を育てることが大事だと。今の苦しさ、痛みに耐えて将来を考えることが大事じゃないか。さんざん非難され、殺すぞという脅しに耐えながら、結局この米を食べないで、分けないで、売って、学校を建てた。
 この話に多くの人が感銘を受けて、明治になって教育、重要性を訴えて、すべて、今まで特定の身分のある者にしか学校へ行けなかったのを、武士であろうが平民であろうが全部学校に行けるような学制改革をした。その基が米百俵の物語で、その事実を山本有三氏が戯曲にしている。これは戦前のことです。
 この山本有三氏の戯曲に感銘して、ドナルド・キーン氏が英訳したわけですよ。この話にまた今ホンジュラスの文化大臣が感動して、ホンジュラスで「米百俵」を日本、演じてくれと。そうしたら、これが評判になって、今度はホンジュラスの人だけでこの「米百俵」を演じたいと。武士の姿をして、侍の姿をして、百姓の姿をして、日本人の出演は要らないと、ホンジュラス国内でこの「米百俵」の物語を演じているということで支援しようと。
 やっぱりこういう話というのは、日本人だけじゃない、外国の方々も感動するわけですね。いかに将来を見据えて、人が大事か、教育が大事かと。今は苦しいけれども今のことだけ考えていたら明日はないということは、政治家としても、国民としても持つべきではないかということで、私は使わせていただきました。

○前川清成君
 ただ、総理、具体的に申し上げますと、今御紹介申し上げたように、国立大学であっても一年間に八十万円も授業料が掛かってしまうわけです。いい悪いは別として、小学生の間から子供たちが塾に行っています。例えばですけれども、学校の先生の数を増やす、で、三十人学級ぐらいにしたら、子供たちの習熟度に応じてもっときめ細かに、今以上にきめ細やかな教え方ができないか。そうしたら、塾に通えない、そんなハンディキャップがなくなってしまうんじゃないか。
 私は、今でも更に子供たちの未来のために国が積極的に予算も使うべきではないかなと、こんなふうに思っているんです。
 更に一歩踏み込んで、子供たちの未来のために、米百俵の精神をここで総理のリーダーシップ、お考えいただけませんでしょうか。


平成18年4月26日参議院行政改革に関する特別委員会
○近藤正道君
 今ほど保育の話が出ましたけれども、私は教育のことについてお尋ねしたいと思います。
 つまり、子供の数が減ると、それ以上に教職員の数を減らせと、こういうことがこの法案の中に書いてあるわけでございますが、私は、今地域で様々な少人数学級が推し進められている、こういう中で、子供の数に合わせて教職員を減らすというのは分かるけれども、子供の数の減少以上に教職員を減らせというのは、私はとても理解ができない。私はこの点はいわゆる米百俵の精神に少しもとるのではないか、こういうふうに思います。
 私は、新潟の長岡の隣の町で生まれ育ちました。米百俵でさっそうと登場されましたけれども、最後にこういう法律を作って米百俵の精神そのものを私はおかしくしているんではないかと、こう思えてならないんですが、いかがでしょうか。

○内閣総理大臣(小泉純一郎君)
 後で小坂文科大臣に答弁していただきますが、米百俵の精神というのは、これは今後も必要だと思います。教育重視していくと、これからも人材育成、人間力の向上、これはどの分野においても重要であります。まして、少子化の傾向ですし、四十人学級を目指してまいりましたけれども、これも実現できるような時代になりました。そういう中で様々な多様な教育機関、公立学校のみならず、私立始め専門学校、民間も株式会社で学校教育をするような企業も出てまいりました。そういう様々な、教育に関心を持っている方々の意欲を取り入れていくと。
 そうすることによって、私は、今の教員の人数とかいう面について文科大臣等に教育面において十分な配慮をするように、また人材育成の面においては、今後とも国際社会に伍していけるような人材の育成には十分な配慮をするように指示しておりますので、具体的な問題については文科大臣に、答弁された方がいいのではないかと思っております。 

平成18年3月15日衆議院文部科学委員会
○奥村展三委員
 小坂大臣にまたお伺いを申し上げたいというように思います。今申し上げました、財政的にもそうですし、やはり教育のビジョン、国で、国として日本の国の教育はこういうふうにやるんだというビジョンをしっかり持つことが大変大事だと思うんです。
 小泉政権は米百俵の精神をよく出されまして、最近は一向に聞こえません。いろいろ唱えておられましたけれども、どうも腰が引けている。教育になったら、全然あの人はわかってないのかなというような思いを私はしているんですけれども。本当に、財政的にも、そして国という一つの基盤を考えたら、教育のビジョンをしっかり打ち出して。国全体のビジョンも、あの人、一遍も出したことないんですよね。
 だから、小泉総理として米百俵とおっしゃったその精神はしっかり小坂大臣にも、イエスマンだけじゃなくて、教育の土台づくり、教育の引き締め、こういうものをやはりやっていただきたいというように私は思うんです。この精神は生かされていないと私は思っているんですが、大臣、どのようにお考えでしょうか。

○小坂憲次国務大臣 
 委員御指摘のように、資源のない我が国において人材こそ最大の資源だ、こういう認識は持っておりますし、また小泉総理が述べられた米百俵の精神、小林虎三郎の故事に基づくこの精神は小泉内閣発足とともにこの内閣の理念となっておりまして、私自身も、その意味において、教育において人材育成にしっかり取り組んでいく。大変財政的には厳しい折だけれども、その中で必要な予算はしっかりと確保して取り組んでいくという姿勢でやっておるわけでございます。
 義務教育においては、国の責任を確実に果たしつつ、学校や地方の創意工夫を生かした教育現場の意見も尊重した教育が実現されるべき、こう考えておりまして、今、そういった意味での構造改革を進めるその道筋にあると思っているわけでございます。
 すなわち、国が義務教育の目標設定や確実な財源保障などの基盤を整備した上で教育現場の権限と責任を拡大する分権改革を推進する。そして、教育の結果を検証するシステムを国がしっかりと構築することによって、それによって得られた検証の中で、是正すべきものについては、しっかりそれのアクションをとっていく。また、より進めるべきものについても、これのアクションをとっていくということで、PDCA、プラン・ドゥー・チェック・アクションというサイクルを導入することが今回の改革の中での一つの特徴であろうと私も思っておりまして、そのように皆さんにお願いをしているところでございます。


平成18年3月14日衆議院文部科学委員会
○鈴木恒夫委員 
 私は、ここに小林虎三郎米百俵のせりふを、最後のところを書き抜いてきました。我々は、新政府に何度嘆願書を出したかわからない、東京へも人を出した。途中略しますが、しかし、新政府にしても目下はそういう余裕がないというのだ、今はのう、どこもかしこも苦しいのだ、けれども、こういうときこそ、こういうときに踏みこらえてこそ本当の日本人だ、このせりふを私は、やはりみんながかみしめるべきだと思うんですね。


平成18年3月10日参議院本会議
○黒岩宇洋君(民主党) 
  さて、本日は小泉総理に御出席いただいておりませんが、総理が好んで使う米百俵の精神について、地元新潟出身の私から一言苦言を呈させていただきたいと思います。
 総理のおかげで米百俵の故事がすっかり有名になったことはうれしい限りです。しかし、この故事は、当初、今の痛みに耐えて明日を良くしようという呼び掛けに用いられました。現在は教育にお金を掛けるべきという意味で使われることが多いようです。教育ももちろん大事ですが、米百俵の最も言わんとするところは既得権益の打破であります。
 当時の階級社会では、藩から藩に送られてきた米は武士だけで消費することは当然のことと考えられていました。しかし、長岡藩では、武士がその既得権をなげうって、戦に敗れ疲弊している町民の子供らを含む将来の担い手教育に米百俵を使ったのです。これぞ長岡藩士の高潔さと地元の人々は誇りにしている、これが米百俵の精神です。米百俵は、国民に投げ掛けるだけではなく、権力者側がしっかりと受け止めなければならない歴史の教訓なのです。


平成18年3月10日参議院予算委員会
○内閣総理大臣(小泉純一郎君) 
 幕末、江戸時代も、寺子屋というのは、これは考えてみれば私というか私塾ですね。と同時に、藩校、藩が独自に人材を育成する。両方あったわけですね。そして、やはり身分階級がありましたから、私塾に行けるのはごく限られたと。そこで、明治になってから学制改革なされて、無学の子なからしめるということで全員入学。しかも、公費で学校を建てると。
 米百俵を持ち出すまでもなく、明治から教育に力を入れてきて、すべての子弟に教育を受けさせるということでありますが、そういう中でも福沢諭吉、大隈重信、今の慶応、早稲田、公立の中に、一緒に私学の伝統を維持してきているわけでありますので、公立としての役割、国立、公立、私立、それぞれ特色があると思いますが、今の私塾で、私学でできるものなら同じような私学振興のために費用を使えばいいじゃないかという御指摘も分かりますが、一挙に、公立の良さというものもありますから、それを全部私立の方に持っていくというのは現在の状況の中では無理があるものですから、よく私立と公立の役割というものを考えながら財源というものを配分していくべきじゃないかなと思っております。


平成18年3月6日参議院予算委員会
○内閣総理大臣(小泉純一郎君) 
 それは愛というのは一番大事なことだと思います。何事をなすにしても、根底には博愛といいますかね、愛というものを根底に考えて進めていくべきものだと思います。
 そういう中で、一時的には痛みを伴う問題であっても、将来を考えて必要な改革はしていかなきゃならない。言わば米百俵の精神もそういうことだと思います。私が米百俵の精神を取り上げたのも、現在の飢えのためにお米を食べたら数日でなくなってしまう。今の飢え、痛みに耐えて、将来の人材教育のために学校を建てるために米を売っ払って、そして学校設立の資金に充てたということは、今の飢えという痛みに耐えて将来のことを考えて、人づくり、教育が大事だから学校を建てようと。現在だけを見るんでなくて将来を展望しながら現在を改革していこうという必要性を考えた施策であると。
 でありますので、やはり現在痛みを伴うのが愛ではないということではないと思うんであります。現在は非情と思われるかもしれないけれども、将来これは愛情につながるというのが政治の在り方ではないかと思っております。

○輿石東君 
 最初の演説の米百俵の言葉も今引用されました。小林虎三郎は今言われたとおりで、あしたの幸せのためにここは耐えて、そして何をしたか、学校を造ったんですね。小泉総理は、耐えてくれ、耐えてくれと言って何をしてくれたのかは余りはっきり見えてこない、そこに国民も不安を感じている。


平成18年3月3日参議院決算委員会
○佐藤雄平君
 司馬遼太郎が「峠」という本を書いているんです。河井継之助、これは長岡藩の藩士なんですけれども、この巻頭、冒頭に出てくるのが、これが、また冬が来ると書いてあるんです。その後、雪国は損だなと書いてあるんです。
 本当に今年の雪は、私ども雪国出身の者でさえもびっくりするぐらい降りました。会津に視察に行き、また長野県にも視察に行きました。そうしますと、ずっと道路を通っていると、除雪をしていますから雪のU字溝を通るんです。やっぱり二メーターか三メーターある。最初は雪なんですけれども、何回か除雪しているうちに凍ってしまうんです。正に氷壁なんです。それがおっこってきて、それが凶器になることも十分あるんです。

平成18年2月28日衆議院本会議
○奥村展三君
 憲法二十六条で、ひとしく教育を受ける権利、受けさせる義務、そして無償がうたわれております。しかし、我が国の教育の現状を見るとき、さきの党首討論でも前原代表が指摘をいたしましたように、義務教育段階における学力の低下、モラルの低下、学級崩壊などの困難な問題に直面しております。
 教育は国力のもとであります。小泉政権は、米百俵のかけ声とは裏腹に、教育改革の中身については全く関心を示しておりません。総理自身も、先日の党首討論において、憂慮すべき事項も多々出ていると答弁されているではありませんか。


○池坊保子君(公明党)
 平成十三年五月七日、小泉総理は所信表明の中で、長岡藩の米百俵の精神を取り上げられました。私は、大変力強くも頼もしくも感じました。
 天然資源の乏しい我が国が今日の繁栄を遂げ、識字率九九・八%、世界一を誇ることができるのは、ひとえに先達の人々が、明治五年に官制がしかれる前から、藩校や寺子屋でと子供の教育に力を注いできたたまものだと思います。
 私の住んでいる京都では、明治に入り、突如天皇が江戸に遷座されることになり、京都の市民たちの意気が消沈しているとき、もう一度夢を持って生きるのに何が必要かと考え、明治二年に、町衆の人々が六十四の番組小学校をつくり、将来を担う人づくりをスタートさせました。それほど教育こそが、夢を失い、荒廃した心に大きな希望の灯をともす力となっていくのだと思います。


平成18年2月22日両院国家基本政策委員会
○前原誠司君(民主党)
 総理は、一番初めの所信表明演説のときに、米百俵の問題を言われました。教育の問題についてしっかり取り組むんだということを示されたわけでありますが、私はしかし、それ以来五年経過をいたしますけれども、教育改革について総理から、正に郵政の民営化のときのように熱を持って、これはこう改革していくんだという話を私は失礼ながら伺ったことはありません。
 しかし、一番国にとって大事な教育という問題について、この学力の低下、先ほど申し上げたモラルの低下が起きているということについて、五年間どういうお気持ちで総理をやられてきて、そして何をやってきたのか、やれてないのか、そのことについて御答弁をいただきたいと思います。

○内閣総理大臣(小泉純一郎君)
 教育の重要性は幾ら指摘してもし過ぎることはないと思っております。米百俵の精神におきましても、正に日本の、明治以来教育を重視してきた、これが資源のない日本にとっては発展の原動力であると。
 私は、外国訪問いたしまして各国の首脳と会談するたびに、日本の教育を見習いたいと言われると、最近若干面映ゆい気持ちがするぐらい日本の教育のすばらしさを評価されるんですけれども、いざ日本に帰ってきますと、必ずしもそうとは言えないと。今御指摘のように、学力の低下あるいはモラルの低下、こういう点については憂慮すべき事項も多々出ております。


平成18年2月9日衆議院予算委員会
○土屋正忠委員(自民党)
 この小泉内閣の冒頭に米百俵の故事を小泉総理は挙げ、教育を最大の課題とするという強いメッセージをスタートに当たって出されたわけであります。私は、当時は武蔵野市長でありましたが、現場で小中学校の設置者という立場でありましたが、深く感銘を受けた次第であります。

○安倍国務大臣 小泉総理は、総理に就任して最初の国会での演説におきまして、米百俵の精神について述べられたわけであります。これは、明治維新期の長岡藩の故事を引いたものであり、国家資源をどう配分していくか、これは多少我慢しても子供の教育に使うべきだという故事を引いたわけでございます。
 私の地元山口県も、幕末期、長州藩として、苦しい財政の中から五人の若者の留学費用を出したわけでございまして、この五人の若者は、その後国の礎となった井上馨、そして伊藤博文、また井上勝、この人は初めて日本に鉄道をつくった人であります。また、山尾庸三というのは工業の父と言われた人物でありますし、遠藤謹助という人は造幣局をつくった人物であります。事務系二人、技術系三人の人たち、この人たちにそのときに投資したものは大きな国の資産となった、こう思うわけであります。
 そのことからも私たちは学んでいきたい。小泉さんが最初に述べた、しっかりと、子供たちはまさに国の宝である、国家資源を十分にこの宝に対して配分をしていくという考え方には全く変化はございません。

平成18年1月25日参議院本会議
○ツルネンマルテイ君(民主党)   ツルネンマルテイ米百俵で首相をただす
○内閣総理大臣(小泉純一郎君)
○山東昭子君
 総理にとって、米百俵の感動から五年の月日が流れました。就任後初の所信表明演説で、改革なくして成長なし、恐れず、ひるまず、とらわれずの姿勢を貫き、二十一世紀にふさわしい経済・社会システムを確立していきたいと国民に語り掛けられました。この演説から、総理は国民の圧倒的支持を受け、長年の懸案であった政策課題に取り組まれ、既に道路公団を民営化、昨年は多くの犠牲を払いながら郵政を民営化する法律案を成立させ、三位一体改革も着々と進んでおります。

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