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「鳥取農政懇話会 会報52号」 2008年7月 鳥取農政懇話会事務局


  1. 小島志講座 飛躍の条件
    『文明としての農業』第1章「農」の本質を考えるより
    顧問 小島 慶三



  2. 主張 農村に見る風車の光景−旧式風車と近代風車−
    会員 石原 昂



  3. 主張 菜の花コンサートでふるさと讃歌
    会員 上田 弘美



  4. 主張 食育コラム:シリーズ  会員 川上 一郎


  5. 主張 世界的な食料問題と我が国の農村問題についての雑感会員 伊丹 光則


  6. 主張 農業技術を作る @ 現場の技師と農家の熱意
    会員 井上 耕介



  7. 鳥取農政懇話会情報 平成19年度第2回学習会





■鳥取農政懇話会報52号
  表紙
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  します
1.小島志講座 飛躍の条件 顧問 小島 慶三
   
『文明としての農業』第1章「農」の本質を考えるより


 明治維新を可能にした要因は五つあると述べた。その筆頭が、江戸期以降の農業生産性の高さである。では、残りの四つは何だったのだろうか。
 私が考えるに、その第二は、当時の日本の知的・教育的レベルの高さにある。徳川時代の日本人は、総じてひじょうに教育熱心だった。幕府や藩の正式な学問所ばかりでなく、民間の寺子屋や塾もどんどんつくられ、多くの庶民が「読み」「書き」「算盤」に通じていた。文書を理解し、計算もできる―。このことは、言い換えれば、社会の変化もそれなりに理解し、合理的に対応できたことを意味している。
 つまり、当時の日本人の多くは、明治維新という途方もない社会変革の意味さえ十分に理解することができた。農民をふくめた一般庶民にいたるまで、そうした変化を理解し、自分はどのように対応すべきかを判断することができた。この事実は、明治維新の成功を考えるうえで非常に重要な要素だと思われる。


 第三の理由は、勤倹貯蓄の精神である。一生懸命に働いて、稼ぎはたいせつに貯蓄し、再生産に回そうとする。こうした意識が、当時の日本人は非常に高かった。農村地帯ではことに徹底していたと思われる。
 近代社会とは、貯蓄と投資の歯車を回す社会のことである。貯蓄をするということは、働いて得た金を投資に回して、継続的な再生産を可能にすることなのである。そして、働くということは、そもそも「他(はた)を楽(らく)にする」ことであり、結果的には自分が働いて得た金を投資に回して社会に貢献することを意味している。
 江戸末期の日本には、すでにそうした倫理的・道徳的基礎が確立されていた。当時の農民たちには、その条件が勤倹貯蓄という形で備わっていた。だから、明治以降も工業的発展のための歯車が円滑に回転することが可能だったのである。


 最後の二つは、農村を中心とする共同体の存在と、さまざまな階層から近代化のリーダーが輩出されたことだ。末端の庶民組織としての共同体が維新の動乱期において大きな働きを果たしたことは明らかだし、農村の長や豪農たちの活躍も顕著である。そして、その背景にあるものはやはり、当時の豊かな農業事情ではないだろうか。
 結局は、農業と教育。これこそが、日本の近代化の原動力であった。私が発展途上国の人々に強調するのも、この二点である。


 経済の高度化とは、経済の迂回化にほかならない。基礎はあくまでも農業と教育だ。基礎工事なくして、いきなり近代化の大建設など可能なはずはない。多くの発展途上国のテイク・オフが意外に困難なのも、こうした飛躍の条件が満たされていないためである。これに対し、基礎的な要件を整えた韓国や台湾がいかに巧みに近代化の軌道に乗ったかは、衆目の一致するところだろう。韓国も、台湾も、あるいはそれらに続くNIES諸国のいずれを見ても、農業生産の基礎はしっかりと確立されている。
 やはり「近代化」や「発展」の基礎は、農業にある。生き続ける文明と、滅び去る文明とを分ける一線も、農業的基盤をいかに守り育て、活性化するかの一点にあるのではないだろうか。



『文明としての農業』(ダイヤモンド社1990年発行)より抜粋


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2.主張 農村に見る風車の光景−旧式風車と近代風車−
  会員 石原 昂


農村に見る風車
 鳥取県下にも最近は近代風車の設置が増えてきました。紺碧の空に白い風車の羽根車が奇麗に浮きあがり、ゆったりと回っている風景を見かけます。例えば、鳥取市越路の空山、県中部では国道9号沿いの北栄町、少し山間に入った琴浦町、県西部では旧大山町、旧名和町、旧中山町を含む大山町などです。
 国外では、干拓地のオランダで旧式風車を現地で見たのは約40年も前のことになります。数年前には、中国内モンゴル地区のフェテンシネー草原で、広大な丘陵地に近代風車が見事に並んで設置されている雄姿を眺め驚きました。
 このような風車を見るにつけ、近代風車すなわち新エネルギーとしての風車の再評価について考えてみたいという気になるのです。


風車利用の歴史
 風車は人類が自然力を動力として使った最古のもので、その歴史は古いものです。すなわち風車はエジプトやペルシャの文明の中で生れたもので、約3,000年の歴史をもち、水車とならんで古来の旧エネルギー機械の元祖なのです。ペルシャでは古代から精穀機の動力として使われました。ヨーロッパには11世紀の終り頃に伝わり、ドイツで小屋全体が回転する箱室型風車が作られ、ヨーロッパ各地に広まりました。
 有名なオランダ型の風車は17世紀中頃作られ、その美しい形のためヨーロッパ全土に普及し、製粉用として従来の畜力に代りました。19世紀にアメリカにわたったオランダ型風車は改良が重ねられ、南部の農場でかんがい用揚水ポンプの動力として利用されました。


日本での風車利用の経過
 日本へも明治の初期に輸入されました。構造の簡単なものが三重、静岡、栃木、長野、愛知、大阪の各府県で使われました。風車の動力を直接利用する作業は、揚水、製粉、精米、籾すりなどの農作業です。しかし、20世紀に入ってデンマークで風車発電が考案されました。その後は省エネルギーのため、汚染のないクリーンエネルギーとして見直されてきました。一例としては、1981年島根大学農学部付属農場に設置された風力システムと太陽熱システムを併用した自然エネルギー複合利用システムがあります。施設園芸のために温室のエネルギー源として、風のエネルギーと太陽熱とを半分ずつ利用して燃料を節約するものでした。


近代風車の新技術
 このような風車が、その後風力タービン発電機として新エネルギーを担う代表の一つになってきました。近代風車の新しいところは、旧式風車ではその機械的動力を取り出して揚水や製粉に利用していたのに比べ、近代風車ではケーブル一本つなげば全国どこでも利用できる電力を生産するのです。地理的束縛から解放されます。その他、羽根車(ロータ)がオランダ風車では木製で直径約40mが限界でしたが、高速回転を可能にする金属材料(繊維強化プラスチック材料)の開発によって、直径100mの設計が可能になりました。
 また、20世紀初頭に航空機の開発とあいまって発達した空気力学を風車の設計に適用し、高速高性能の現代の風車を誕生させました。一般的に風車ロータのエネルギー変換効率は約60%が理論的限界ですが、現代の風車では  45%前後発揮しています。過去のオランダ型風車は20%前後でしたので、性能は倍化しているといえます。
 
風力エネルギーの特性
 石油輸入に依存の高い化石エネルギーに代る石油代替エネルギーとしての新エネルギーであり、地球温暖化の防止手段としての温室効果ガスを排出しない新エネルギーであることが、再評価されてきました。しかし、他方でクリーンではあるが、使いづらい。品質が悪い。このような評価もあります。ただこれは自然エネルギーの共通した性格でもあります。
 現在、風力開発が進んでいるデンマークやドイツ北部、米国カリフォルニアでは、電力需要の10%前後を供給するに至っています。EU全体でも2010年までに再生可能エネルギーで10%の電力供給という目標をかかげています。


むすび
 近年農村のあちこちに見られる風車の雄姿は、じっくり眺めていると、私どもに新エネルギーの問題のほか、いろいろな課題を投げかけてくれているよう感じられるのです。風車は無限の風力エネルギーを利用して動力を得る装置なので、設置後は低い維持費で動力が得られる特徴があります。しかし、実用化に当っての問題点もあります。例えば、いま日本で一番問題になっているのは、台風や暴風ではなく、むしろ電力の変動、つまり商用電力としての品質の問題のようです。


(鳥取大学名誉教授)
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