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■「Courtesy Seat」草刈 啓一 (2007.3)
はじめに
 私は、私鉄とJRで通勤していて、電車の中での日本人に、従来から関心をもっています。ニユーヨーク近郊に暮らし、電車や地下鉄で通勤したこともあります。大して混んでもいないのに、電車が揺れて、他人の肩や体に触れた場合は、大げさに“I am sorry!” と詫びる米国人。足でも踏んだら更に大変です。また、老人や妊婦、ハンディを持った人達には、率先して席を譲っていました。日本では、今までの経験値でも、電車の中で人の足を踏んでも、混んでいるのが悪いとでもいいたいのか、“すいません”とも云わず、知らん顔している人の方が多いのは、困ったものです。また、前の人をかき分けて電車から降りるとき、横に退いてくれたり、わざわざ電車を降りてくれる人に対しても、“すいません”の一言もない人が多いのが気になります。
 最近、日本の教育が問題になっているようです。難しい教育は別にしても、日常生活の原点である“有難う”、“すいません”、また、つい最近まで、欧米人と比較し、日本人の優位性と思われていた、他人に対する“思いやり”についても、子供のみでなく、日本人全体の再教育から始めることが必要なようです。教育の場は、学校や家庭のみでなく、各々の目的に合った最適の現場が、主なスクール現場になってよいかと思います。教える者も、学校や先生や家庭の父兄とは限定しないで、各々の現場で最適な人達が教える立場になればよく、教わる者もその場に居合わせ、または、その場を利用する全員であってよいかと思います。
 要は、如何に効果的に教育がなされるかということにあります。以下のCourtesy Seatに関する文書は、最近、電車に乗って感じる重要課題の一つです。日常生活の原点の挨拶や以下のCourtesy Seatに関する課題は、私自身も、常に、認識しておかなければならないことで、その為の再教育を授かる必要もあります。



Courtesy Seat
 一部の私鉄や営団地下鉄では、Courtesy Seatといいますが、JRでは、Priority Seatといっています。どちらも、日本語では、優先席と書いてあります。多くの場合、車両の端の4名用シートが多いのですが、JRでは、車両の真中の多人数席もの対象にしている場合があります。法的拘束力の有無は別にして、高年齢者、妊婦、幼児を抱えた女性、松葉杖使用者等のハンディキャップを持った人達(「優先権者」)に、優先的に座って頂く席(以下総称して「Courtesy Seat」という)として設けられたものです。
 Courtesy Seatは、優先権者が使用してない場合は、それ以外の人達(「劣後権者」)も使用することができます。但し、劣後権者は、優先権者が現れた場合は、直ちに、その席を譲ることが本来の主旨です。あたかも、既得権者(優先権者)の如く、堂々と居眠りして座っている場合ではありません。寧ろ、いつ出現するかも知れない優先権者を意識し、若干の緊張感を持って仮の席に座らせて頂いている心構えも必要です。



Courtesy Seatにみる日本人の“思いやり”と“良識”の欠如
 Courtesy Seatが、その本来の目的を十分に発揮するには、一般の人々(劣後権者)の若干の意識改革と、その為の有効な教育が必要なようです。優先席であることと、その意味を知ってか知らぬか、若い人たちを含めた男女の劣後権者が、あたかも優先権者の如く、堂々と、占有している場合が目立ちます。優先権者が前に現れた場合、席を譲るのは、結構年令を経た人で、本来率先して席を譲るべき若い人が、無視や居眠りをしているケースに出会うこともあります。私も、以前は、帰宅途中の電車で、ほろ酔い気分で、優先席に座り、ついつい居眠りをしたことが、何度かありますが、最近では、大分気をつけているつもりです。
 元来、Courtesy Seatでなくとも、高年齢者,妊婦、幼児を抱えた女性、やハンディキャップをもった人に、席を譲ることは、日本のみでなく世界の「良識」の筈です。ましてや、劣後権者が、目の前の優先権者を差し置いてCourtesy Seatを占有するようなことがあってはなりません。優先席とは知らないで、目の前にいる優先権者を無視して、うっかり座っている人もいるようですが、良識が欠如していると云われても仕方ありません。また、優先席だと知っていても、ついつい読書に熱中し若しくは居眠りをして、席を譲りそこねることもあるようですが、これは、劣後権者がCourtesy Seatを利用する際の緊張感と認識が欠如していることになります。
 私には経験がありませんが、松葉杖をついての電車通勤は、相当きついようです。身近の者が、骨折して、松葉杖をついて、通勤していたことがあります。始発駅で、優先席近くの列に並んでいて、電車が来ても、杖をついてもたもたしていると、列の後ろの人たち追い越され、優先席を占有されることが何度かあったようです。ある時、立っているのが、よほど辛かったので、遠慮しながらも“すいません”とお願いしても、「目の前の若い人を含む誰もが、(優先)席を譲ってくれなかった、」と憤慨していたことを記憶しています。



実践現場での効果的“思いやり教育”の提言
 最近の駅は、エレベーターや車椅子昇降機を取り付けて、ハンディキャップを持った人達にいろいろ配慮しています。Courtesy Seatもその「思いやり」の一環ですが、多くの一般乗客による「良識」や「思いやり」による協力がないと、その運用効果が薄れます。以前は、誰かが音頭をとり、小さな親切運動といったものもありました。Courtesy Seatの設置にも、何等かの関係があったものと思われます。確か、Courtesy Seatが設けられた最初の頃は、車内アナウンスがあったように記憶しています。最近は、携帯電話に関する車内の注意アナウンスはあっても、Courtesy Seatについてのアナウンスは、殆どありません。恐らく、当該思いやり制度が始まってから長い経過を経て、車内の該当席には、視覚ではっきりと認識できる絵入りの記載もあり、既に、乗客に十分浸透し、理解されていて、これ以上の告知は必要ないとの判断かと思われます。残念ながら、現実は異なります。時を経れば、その本来の主旨を忘れる人も多くなります。また、人間に、効果的行動をとらせるには、視覚のみでなく、聴覚をも常時刺激することも必要かもしれません。
 Courtesy Seatへの再認識とその運用効果を高める為には、一般乗客の再教育と伝達(告知)方法を含めた運用方法に工夫が必要なようです。仕事もそうですが、教育も、現場主義が最善です。Courtesy Seat運用に関する、駅構内、ホーム、車内での、有効なアナウンスを推奨します。生の声でのアナウンスが大変であるならば、録音手段を使ってもよいかと思います。Courtesy Seatが効果的に運用されることは、人々に、人に優しく、思いやりの気持ちで接することの大切さを再確認させることにも繋がります。電車の乗客には、子供、学生から高年齢層までの多くの人たちがいます。Courtesy Seatの効果的運用を目的としての駅及び車内でのアナウンス教育は、日本人にとって、“思いやりの心”の原点を再教育(学習)する最適の場であり方法の一つであるとも云えます。
 私鉄、地下鉄、JRの企業経営者にとって、今話題のCSR(Corporate Social Responsibility)の一環にもなり得ます。ここでは、駅員さんや車掌さんは、「人を思いやることの大切さを教える先生」です。学生、サラリーマン、OLそして企業経営者は勿論のこと、学校の先生、公務員(市町村の教育委員や文部省の役人等も含む)等は、その生徒です。勿論、生徒の中には、「思いやりのある行動」を、従来から率先して実行してい人たちが多くいることも事実です。
 最後に、車内で席を譲ってもらった人たちは、それがCourtesy Seatであろうと、それ以外の普通の席であろうと、受けた“思いやり(親切)”に対して、“有難う”と云う感謝の気持ちを表現することを忘れてはいけないと思います。お礼の言葉やしぐさもなく、席を譲られるのは当たり前だとばかりの態度の高齢者にも、何人か接しました。駅員さんや車掌さんに、そこまで再教育を依頼できないのが残念です。



以上

平成19年3月11日
草刈啓一


 
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