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■「進むサウジの女権向上運動 次は女性ミッションを」 最首公司(2007.7)
 イスラム圏でも、とりわけ戒律の厳しいサウジアラビアで女性のおしゃれが目立つようになった。黒一色で顔を覆ったベールはカラフルなスカーフ調になり、ショッピング・モールのブティックには、欧米風にアレンジされたデザインが女性客を集めている。この変貌は国内で静かに進む「女性の権利向上運動」と無縁ではない。 
 女権問題が政治化した最初のきっかけは、1990年の湾岸戦争だった。イラク軍に急襲されたクウェートから、王族も市民も着の身着のまま車で隣国サウジに逃れた。中には女性が運転する車もあった。クウェート女性はそのままサウジ国内で車を乗り回したが、サウジは女性の運転禁止国。
 怒れるサウジ女性47人が首都リヤドの目抜き通りを運転して「女性にも運転免許を」とデモった。その昔、預言者ムハンマドと旅をしていた妻アイーシャは、一行にはぐれて一人ラクダに乗り、遅れて宿舎にたどり着いたが、このとき預言者は妻をとがめなかった。当時のラクダは現代の自動車に当たる、というのが、彼女らの論拠だった。が、政府は宗教界の意向を重んじて女性免許不許可の方針を貫いた。





宗教警察の失点


 聖典コーランは女性の身だしなみについて「外に現われるもののほかは、彼女らの美を目立たせてはならない」(34章31節)といっている。これが拡大解釈されて、外では顔や身体を黒いベールで覆うほどになった。強力に後押ししたのが宗教界保守派といわれる。サウジには「ムタワ」と呼ばれるボランティアの「勧善懲悪委員」がいて、華美な服装の女性を見つけると、小さなムチで肩を叩いて注意を促す。市民からは歓迎されざる存在だった。
 このムタワが内外の非難を浴びたのが、02年3月にマッカ(メッカ)の女子校で起こった火災焼死事件。男女別学が厳守されているサウジでは、男性は女子校構内に入れない。火災時、ムタワは「女生徒は適切な服装をしていない」という理由で消防隊が校内に入ることを拒んだ。このため、逃げ遅れた女生徒が多数焼死するという悲惨な結果を招いたが、これを契機に宗教保守勢力の影響力が低下、女性の地位向上運動に弾みがついた。


国王主導の女権向上運動


 この5月、昨年に引き続きリヤドで「第2回サウジ女性ジャーナリスト会議」が開かれた。男性ジャーナリストとの処遇格差、取材領域を医療・女性問題に限定されるなどが指摘され「政治、経済、社会問題にも取材範囲を広げよう」「女性もIT技術やハイテクに強くなろう」などの宣言を採択した。この会議の後援者はアブダラー国王の王女アデラ妃で、宣言書や要望書は同妃から国王に手渡された。つまり、女権向上キャンペーンの推進者は、ほかならぬ国王自身なのだ。


役人の3分の1を女性に


 女性ジャーナリスト会議の3週間後、スルタン皇太子(国防・航空相兼任)が「政府機関の3分の1は女性にする」と発言した。同時に公表された統計によると、サウジ労働人口は390万人で、失業者47万人(失業率12%)のうち、女性は17万6千人(同26・2%)で、男性の29万人(同9%)よりも失業率が3倍も高い。
 一方、外人就業者は男性68万人、女性124万人で、男女ともサウジ人を圧倒している。政府は第8次五カ年計画(05年〜09年)で女性就労者を5・4%から14・2%に増やす計画で、女子教育、女性向けの職業指導、ハイテク技術訓練などを積極的に進めている。
 女性の就業にとって公共交通機関の貧弱なサウジでは、自動車運転は必要条件だが、たくましき女性たちは「その日に備えて」夫や兄弟の助けを借りながら、人目のつかぬ砂漠で自動車教習に励んでいるという。安倍首相の訪サ時、180人もの経済人が大挙してサウジを訪問したが、日本も「その日」に備えて女性の経済・科学・服飾ミッションを他国に先駆けて湾岸諸国に派遣したらいい。


※写真は「伝統を越えて」というタイトルで出版されたサウジアラビア日刊紙発行の雑誌
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