会員掲示板へ※パスワードが必要です!会員掲示板へ※パスワードが必要です!原稿の投稿をするにはKJKネット利用方法事務局へ問合せ
 トップページ > 会員投稿ページ > 投稿
| 前ページに戻る | 会員投稿ページへ戻る | トップページへ戻る |
 
■原子力発電の終りの始まりか?〜想定外の地震に見舞われた柏崎刈羽原発〜 
  磯浦 康二 (2007.8)
原子力発電の終りの始まりか?(1)


 一旦、災害が起こると甚大な被害を生ずるかもしれない近代技術の粋を集めた(と思われた)巨大施設・・・それも世界最大の「原子力発電所」が、地震にこんなにも弱いとは思いませんでした。しかも「想定外」「想定外」の大安売りとは・・・。


 「柏崎刈羽原発」には、15年前の1992年8月に10数名の団体で見学に行ったことがあります。まだ2号炉までしか完成していない時期で、1号炉だったと思いますが、炉心の上で記念写真を撮りました。地震についての話があったかどうかは覚えていませんが、当時の所長さんが、絶対安全な原発であると胸を張って演説をされました。従って、地形もほぼ覚えています。
 発生から2週間の新聞やテレビに公開された情報をたどって考えてみました。


「変電所が燃えている・・・」
 2007年7月16日の午前10時過ぎ、私は自宅でテレビを見ていました。NHKが「地震速報」を始めたのが10時15分頃。震度6.8というかなり大きな地震で、かなりの被害が出ていることが次々に報じられました。
 やがて、NHKのヘリコプターが柏崎市の上空から中継をはじめました。つぶれた瓦屋根の家など、生々しい被害状況が伝えられました。やがて、遠くに黒煙が上がり「柏崎刈羽原発」だというコメントがありました。
 ヘリコが海岸を目指し、見覚えのある原発の全景が見えてきました。近づくにつれ黒煙は益々激しく燃え上がっています。「3号炉の変電所が燃えている」というコメントが入りました。
原発上空に達したヘリコは発電所内の交錯する電線を避けながら黒煙の上がっている「3号炉変電所」に近づきました。時間は10時50分頃だったと思います。カメラが寄って変電所がアップで撮ると黒煙の根元に紅い炎が見えました。炎の紅い色がはっきり見えて、かなりの勢いで燃えています。「3号炉の変電所の油が燃えているらしい」とコメントされましたが、この時、不思議に思ったのは、火災が起きている周りに人影が全く見えなかったことです。勿論、消防車の姿もありません。上空のヘリコの映像から見る限り原発の構内には動く人影が全くありません。ゴーストタウンのようで不気味な光景でした。
 ヘリコはしばらくの間、原発の上空を旋回しながら炎と黒煙をあげる変電所を中心に映し出していましたが、その間、消火作業が行われる様子は全くありませんでした。


「エッ、誰もいないの・・・?」
 パニック映画などでは、大規模施設で火災など災害が発生すると、四方八方からサイレンの音を響かせて消防車や救急車が駆けつけて、大勢の人が消火作業をするというシーンが必ずあります。しかも目の前のテレビ映像は現実の生中継ですから、なおのこと即座に消火活動が行われるだろうと思っていました。まして、最大出力821万キロワットという世界最大の「原子力発電所」ですから、万全の対策がとられて当然と思っていました。
 しかし、3号炉建屋の脇の変電所は、もうもうと黒煙を上げているばかりで、消火作業が開始される様子はありません。見学した時の記憶で、内部の構造についての説明も聞いていますから、地震による災害のため、火災にも対応できないほどのダメージを受けたのかも知れない、見に来る人もいない程の状況になっているのかもしれないと思うと、不気味を通りこして恐ろしく感じました。


「2時間後にやっと消した・・・」
 その後の報道によると、何と自衛消防隊の形はあったが機能しなかった、消火栓の水がほとんど出なかった、柏崎市消防本部へのホットラインの電話は事務所にあったが、地震で事務所の扉がゆがんで入れなくなり、役にたたなかった、結局、市の消防本部に連絡して消防車に来てもらって、鎮火したのが2時間後だったと聞いて、全くあきれ果てました。
その後、全国の原発の消防体制を調べたところ、殆どが十分な体制を持っていないことが分かりました。7月21日の新聞では「原発10社消防不備」「常駐隊なし」「化学車4社」「専用線5社」とあります。
 慌てた経済産業省が「改善を指示」したそうですが、こんなことを放置していた政府の責任はどうなるのでしょう?特に原子力行政に責任を持つ「原子力委員会」や「原子力安全委員会」は何をしていたのでしょうね。




原子力発電の終りの始まりか?(2)
「想定は全部はずれ」
 7月26日の新聞に、1号炉から7号炉の地下5Fの揺れの数値と「想定値」を比較する表が掲載されました。それぞれ「南北方向」「東西方向」「上下方向」の3つの方向の揺れが「ガル」という単位で示されています。合計21の想定値があるわけですが、5号炉の「上下方向」を除いて全部が想定値を大きく上回る揺れを記録しています。特に1号炉の「東西方向」は、想定値273ガルに対して、約2.5倍の680ガルを記録しています。つまりほとんど全部「想定」は「はずれ」ということです。これが「想定」と言えるのでしょうか?
 最初にできた1号炉が1985年で22年前、1番新しい7号炉が1997年で10年前に運転開始をしています。この間に技術的な知見がそれほど変わっているとはとても思えません。ことは国民の安全に直接かかわることで、我が国の原子力行政当局者の杜撰さ、いいかげんさにあらためて腹が立ちます。
 7月31日の新聞で、もっと恐ろしいことがわかりました。変圧器が火災を起こした3号炉のタービン建屋の1Fの地震計が、東西方向に2,058ガルの揺れがあったことを記録していたというのです。この建屋の「想定」は834ガルということですから、2.5倍です。また、1号炉のタービン建屋1Fでは1,862ガルを記録し、これは想定の6.8倍ということで、東電原子力設備管理部の森下日出喜部長は「地震の想定が甘かったと言われても仕方ない」と話していたそうです。(朝日新聞7/31)


「想定って何?」
 とにかく、今回は「想定外」という言葉が繰り返されました。「M6.5と想定していたがM6.8だった」「活断層はないと想定していたがあった」などなどですが「想定」とは何でしょうか?
辞書によると「想定」とは「心の中できめること」「状況などを仮に決めること」とあります。
原発の立地や施設の強度などは「状況(起こるかもしれない地震の大きさ)などを仮に決め」て「それを上回る条件を満たすように設計する」ということでしょうが、今回の地震の結果からみると、素人目にも「想定」が甘すぎたことになります。

大正12年9月1日の「関東大震災」はM7.9でした。昭和39年6月16日の「新潟地震」はM7.5でした。平成7年1月17日の「阪神淡路大震災」はM7.3でした。そして3年前の平成16年10月23日の「新潟県中越地震」はM6.8でしたから、安全第1を考えなければならない「原発」が、なぜM6.5という低い「想定」をしたのかが疑問です。


 柏崎刈羽原発の1号炉が運転を開始したのが昭和60年9月で、設計がどの位前から行われたかは判りませんが、21年前の昭和39年に発生した「新潟地震」のM7.3を知らないはずはありません。それなのに、それを大きく下回るM6.5という「想定」をしたことは素人目にも不自然に思えます。
 日本の技術力は、その程度の「想定」しかできない低いものなのか、あるいは、何らかの理由によって「意識的に低く想定した」のかは判りませんが、とにかく、これが先進国といわれる日本の最先端技術を誇る「大規模施設」の現状と思うと背筋が寒くなります。




原子力発電の終りの始まりか?(3)
「わが方の損害軽微なり」
 以前から、東電の「隠ぺい体質」が非難されてきましたが、今回も発表は小出しで「放射能漏れは微量で環境への影響はほとんどありません」などと言っていましたが、私は、戦争中、当時の軍部が大本営発表で「わが方の損害軽微なり」と言っていたのを思い出しました。東電は「運転中の3、4、7号炉は、地震と同時に非常停止装置が働いて停止した」と発表、その後、「6号炉の貯蔵プールから放射能を含む水1.2トンが海に流出した」また20日には「低レベル放射勢廃棄物が入ったドラム缶数百本が倒れ数十本のふたが外れた」と写真を公表しました。


「水が止まらないのは、なぜ?」
 7月24日になって「1号炉の地下5Fに2,000立方メートルの放射能に汚染された水が溜まっている」と発表しました。東電は「1号機の建屋近くに埋設されている消火用配管が破裂し、地下の電気ケーブルの引き込み口に生じた小さな隙間から水が建屋内入り、約2,000トンの放射性物質を含む水が溜まった」と言っています。
 2,000トンの水は平均的な25メートルプールの5杯分で、5Fの床に高さ48センチまでたまっているようです。
 しかし、地震発生の翌日、17日にはすでに1,670トンの水が溜まっていると発表しました。そして23日になって2,000トンになっていると発表したのです。7日間に330トン増えました。計算すると1日に約50トン、1時間に約2トンが増えたことになります。
常識的に考えれば、消火用配管が破裂して水漏れが起こったのならば、元栓を閉めれば止まるのではないでしょうか?なぜ1時間に2トンもの水が流入しているのが8日間も止められなかったのでしょうか?ひょっとして「一次冷却水」などが漏れているのではないかと、不吉な想像をしてしまいます。


「再稼働は不可能?」
 また、7月25日の新聞には「6号機原子炉上のクレーン破損」という大見出しが載りました。クレーン装置は鉄製で長さ35メートルの棒状で重量310トン、中央に可動式のクレーンがついています。
 原子炉の内部点検や核燃料を交換するために、格納容器のふた(40トン)や圧力容器のふた(97トン)を吊上げて開けるためのクレーンで、これが使えないということは、原子炉内部の様子を見ることができないということです。
 そして、変圧器が燃えた3号炉は変圧器からの黒煙の他に白い水蒸気様の煙に包まれました。これは一体何だったのでしょうか?
 連日「想定外」のことが、小出しに発表されましたが「想定外」とか「情報隠蔽」「無責任体制」などは、戦争中ウソばかりついていた「軍人たち」と同じ体質と感じます。まだ発表されない重大な事実があるのかも知れないと感ぐりたくなります。
 IAEAの調査も入ることになりましたが、「想定外」だらけで、しかも「想定外」の「断層」の上にあることが明らかになった以上、この原子炉の再稼働は不可能なのではないでしょうか?




原子力発電の終りの始まりか?(4)
「原子炉直下は、本当に大丈夫なの?」
 先日、マスコミに公開された時のテレビ映像では、3号炉の近くにリポーターが立って「私の身長は168センチですが、この段差は160センチ以上あります」と言っていました。道路が陥没しそこには1.6メートル位の段差が出来ていました。その段差ができるような亀裂は、施設内の見える所だけなのか、原子炉建屋の下にも走っているのかは不明で、発表もされていません。悪い想像をすれば、何号機かの原子炉建屋の直下にも断層が走り、原子炉内部の炉心にも影響がでて異常な状態になっており、建屋内には高レベル放射能があるため、誰も内部に入れず、目視調査もできずという状態になっているのではないかと「想像」してしまいます。(もし、本当に原子炉内部が壊れていても外に放射能が漏れないのは、内部を減圧しているからです。でも、かなり大きい余震がありましたから、その状態がいつまで続くのかは不明です)


「原発震災の危険性は?」
 1999年の東海村JCO核燃料加工施設の「臨界事故」はまだ記憶が新しく、1986年のソ連「チェルノブイリ事故」、1979年のアメリカ「スリーマイル島事故」も記憶にありますが、今回のように「想定外」「想定外」では、安全神話を到底信用することはできず、
「原発震災」の危険性も、一層身近になったような気がします。
「原発震災」とは、「通常の震災」と「放射能災害」が同時に発生し相乗的に災害が増幅するという「破滅的災害」のことです。
 現在、最も危険視されているのが、地震発生の周期から、近づいているといわれる東海地震の災害予想地域の真ん中辺りにある、静岡県御前崎市の「浜岡原発」です。首都圏から直線距離で100数十キロの所にあり、もし大規模地震による「原発震災」が発生したら首都圏は壊滅的な打撃を受けるでしょう。




原子力発電の終りの始まりか?(5)

「民間からのエネルギー革命を」
 現在、日本の電力の約30%は「原子力」です。そして「天然ガス」「重油」「石炭」などによって発電されていますが、確かに「重油」を燃やすよりも「原発」の方がCO2の排出量は少なく、よりクリーンなエネルギーという一面はあります。しかし、それも安全性が確保されての話で、このように原発が「想定外」だらけで危険ということならば、もはや「原発」に頼るわけにはいきません。


 政府や大企業の言うことは、全く戦争中の軍部と同じです。「神風」が吹くなどと根拠のない「想定」をして、いたずらに戦争を長引かせ、国民に多大の被害を及ぼした「当時の「軍部を中心とする指導者」と、現在の官僚や大企業の体質は全く同じです。特に、今日の状態を放置していた政府与党、官僚の責任は重大です。


 現在、私たちの生活は「電気」なしでは成り立たない状態になっていますが、これを機会に国民の側からエネルギー革命を起こす必要があります。何といっても「安全第1」です。「電力エネルギー」に頼り切った生活している私たちの生活も、変えなければならないでしょう。断層上の「柏崎刈羽原発」の運転再開は論外です。「チェルノブイリ」と同じに「核の墓場」として廃炉にするしかないと思います。
 すでに、「柏崎刈羽原発」の地震災害は世界に発信され、中には誤報もあって、その取り消しに政府も苦労しているようです。しかし「原発震災」が起れば、北朝鮮の核の脅威どころではなく、日本は再び「被爆国」になり、世界中から非難を受けることになるでしょう。
 政府や大企業まかせでなく、国民の一人一人が考えたことを発信していかなければ、62年前の「敗戦」の憂き目を再びみることになると思います。


→この投稿についての感想・ご意見は会員交流掲示板内ホームページ投稿原稿への感想」へ
 このページの上へ


Copyright(C)小島志ネットワーク All Rights Reserved.