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■「62年目の8月6日」広島原爆の日 磯浦 康二 (2007.8)
 8月6日(月)朝8時15分、テレビ中継に合わせて黙とう。広島市の平和記念公園で行われた「平和祈念式」で、秋葉忠利市長は「人類は今なお滅亡の危機に瀕(ひん)している。米国の時代遅れで誤った政策にはっきりノーというべきです」と述べ、政府に憲法をあるがままに遵守(じゅんしゅ)するよう強く求めました。
 また、就任後、初めて出席した安倍総理は「今後とも、憲法の規定を遵守し、国際平和を誠実に希求し、非核三原則を堅持していく」と言いましたが、迫力もなく本心なのかどうか、空疎な感じがしました。

 今日の朝刊1面トップ(朝日)は「首相、原爆症基準見直す」〜被爆団体に検討表明〜という見出しが躍りました。昨日、広島で被爆者団体代表と会った際、飛び出した発言ですが、落ち目の総理の人気取りのリップサービスなのかもしれませんが、本当に実現すれば朗報です。これまで裁判で負けているのに、絶対に認めようとしない厚生労働省がどう対応するのかが見ものですね。


「久間発言には、改めて怒り心頭」
 また、この席で、久間章生前防衛大臣の発言についても陳謝したようです。あの「しょうがない発言」は、どう考えても許しがたいもので、思い出すたびに怒りがこみ上げてきます。彼はこう言いました「原爆が落とされて、長崎は本当に無数の人が悲惨な目にあったが、あれで戦争が終わったんだ、という頭の整理で今、しょうがないな、というふうに思っている」


「戦争は自然現象か?」
 この発言には、私は重大な認識が抜けていると思います。それは「戦争とは自然現象ではなく、人間が起こしたものだ」ということです。久間発言では、戦争をあたかも「自然現象」であるかのように「原爆が落とされたから・・・・戦争が終わった」と言っているのです。でも、戦争は「人間が始めたもの」ですから、終わらせることも「人間」にできたはずです。この点は、新聞やテレビで発言している人たちも触れていませんね。


「判断力も決断力も勇気もなかった指導者」
 原爆投下の1年前、1944年7月〜8月、サイパン、グアム、テニアンなどマリアナ諸島が米軍の手に落ち、当時、軍部が唱えていた「絶対防空圏」は完全に破られました。この時から、日本全国の空は米軍機に制空権を握られ、東京をはじめ大都市、中小都市が激しい「都市爆撃」を受け、ついには広島、長崎に原爆を投下される羽目になったのです。
 広島に原爆を落とした「エノラゲイ」も、世界最初の原爆「リトルボーイ」をテニアンで積んで飛び立ちました。

 通常の常識を持つ指導者ならば、どんなに困難であってっも、国の将来を考えれば「絶対防衛圏」を破られた時から「和平」の道を探るべきでした。しかし1944年当時の軍人を中心とする指導者たちは、当てもなく、ただ「一億玉砕」を叫んで戦争を継続させ、多くの国民を死に追いやりました。
 何事も「始める」ことは易く、「終わらせる」ことは難しいのですが、当時の軍人も指導者も戦争の実態を「大本営発表」というウソで塗りかためた発表で国民を欺き、さらに「神風が吹く」などと言って、当てもなく漫然と戦争を継続しました。つまり、当時の指導者には、戦争を終わらせるための「判断力」も「決断力」も「勇気」もなかったのです。そのために原爆を投下されるはめになりました。


「核兵器を使う選択肢がある・・・」
 更に、久間前大臣は、先の発言に続けて「国際情勢とか戦後の占領状態などからいくと、そういうこと(原爆投下)も選択肢としてはありうるのかな」と言っています。これが、日本の被爆者の側にいる人の言い草でしょうか?
 現在の防衛大臣としては、まず、先人の失敗を認識すべきです。まず、そういう選択を敵にさせてしまった当時の指導者の責任をこそ追及し、現在、自分が日本の防衛の責任者として「他山の石とする」と言うべきでした。

 しかも、この発言は「現在でも核兵器を使う選択肢がある」と言っているようにも聞えます。実際には、現在の日本には「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」という非核3原則があり、「核兵器」はありません。
 しかし「北朝鮮が危険だから、わが国も核兵器を持つべきだ」とマジで言う政治家もかなりいます。そして、いずれ「日本も核兵器を持とう!」というふうに、国民世論を誘導するための「アドバルーン」だったのかもしれない、などと勘ぐってしまいます。また、安部総理がすぐに「罷免」に動かなかったことも怪しいと思わせました。


 62年目の今年、国内外の被爆者は25万1000人余、平均年齢は74歳。とにかく語り継ぎこそ大切と思いますが、写真は昭和27年(1952年)8月6日号の「アサヒグラフ」原爆特集号です。この雑誌が、世界に初めて「原爆被害の実態」を伝えたのです。


※昭和27年(1952年)8月6日号の「アサヒグラフ」原爆特集号写真はこちらのページから


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