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健やかに幸せに暮すために 山本克郎 (2008.2)
◇ 病気に向き合う機会に恵まれて
 2005年5月私は検査で思いもよらず「糖尿病」と宣告され、改めて病気と向き合う機会に恵まれました。お陰で、「糖尿病とは何か」、「なぜ、私が糖尿病になったのか」とにわかに勉強しました。必要に迫られてする勉強は実りの多いものです。夏休みを利用して入院すると、病院ではさらに、「あなたは脳梗塞、心筋梗塞です」と宣告されました。
 これは、かつて成人病と呼ばれましたが、今は生活習慣病と呼ばれ、先進諸国から発展途上国まで広汎に蔓延しています。これらは別々の病気ではなく、同じ原因で生じた三つの疾患で、進行すると、脳卒中や心疾患だけでなく、網膜はく離、腎症、壊疽等の合併症を引き起こすと、失明、人工透析、下肢切断などになることを知りました。
 これは、よくない生活習慣=「エネルギーの代謝異常(摂取カロリーと消費カロリーとのアンバランス)を長期間継続したこと」によって、血管や神経がボロボロになって様々な障害を作り出す病気です。端的に言えば「飽食の時代と利便性優先の人工社会」が招いた「石油文明病」です。
 その治療には「生活習慣の改善」が不可欠です。それは検査や薬では治りません。学んだことによれば「食・動・息・想」等の毎日の暮らし方、生き方を変えて治さないと惨憺たる老後がくると悟りました。
長い時間をかけて引き起こした病は、長い時間をかけ、快方へ向けて暮らしを変えることが必要ということを知りました。そう気付いた私は退院後、薬を一切使わないで、半年、一年と、時間をかけて生活習慣を改善し、自分なりにどう暮らすべきか、どう生きるべきかを考えながら暮してみると大変学ぶことがありました。


◇ 現代の医療や医学の問題点
 自分が生活習慣病に直面してみると、改めて、わが国の医療や医学に重大な問題があることに気付きました。日本の医療は今多くの問題に直面していますが、大事な点は医療のパラダイムに関する問題です。私は「医は仁術であって始めて,医であるが、算術になった医は医ではない」と思います。この問題は日本だけでなく、欧米諸国などにも共通している問題です。
 医聖といわれ、医学の父とよばれるヒポクラテスは、紀元前四百年頃の名医ですが、人間の生命、健康は、自然の中で育まれるもので、病気を治す力も自然であると言っています。彼の著述『自然−日光・空気・水質・土地について』は、十九世紀初頭頃まで、ヨーロッパでは医学生の必読書といわれていたそうです。
 ヒポクラテスは、「日光・空気・水・土」の調和の中に生命力(自然良能)が発揮できると言っていますが、実際に多くの病人をなおし、人々の健康を増進させ、「病いを治すのは、医者や薬ではなく、自然である」「自然こそが健康の源泉である」―という彼の名言は、その体験から生まれたものとされています。
先年、杉靖三郎(東京教育大学名誉教授)は、「医学が進んで医療は荒廃し、病人・半病人が地に満ちる」「現代医学が末端の臓器・組織等の病変に目をうばわれ、生命の本質である“健康”を見失っている」と警告しましたが、その後も、医学、医療、医育の専門分化の流れは止まず、ますます、「生命の本質」を見失っていきました。
 目先のあれやこれやではなく、こうした本質的問題にまで立ち返って、システムの変革を目指すことが必要です。


 本来、ヒポクラテスの言う通り、すべての病気は医師が治すのではなく、患者本人の治癒力で自分の病気を自分が治すというのが道理です。特に、生活習慣病であるガン、糖尿病などは医師が治せるものではありません。患者自らがこの病はどのような病気で、何故自分が病気になったかをよく理解することが必要です。
 糖尿病はインスリンの分泌不良で、血糖値が高くなるので、これを治すには、新陳代謝を正常にする必要があります。そのためには、消費エネルギーと摂取エネルギーのバランスがとれた生活をすることが必要です。しかし、このことを知っただけでは、治りません。医師は、患者にそれを知らせるだけでは駄目です。知らせるだけでなく、理解して、自分の生活を変えるところまで行かなければ治りません。
 医師が、本当に糖尿病の患者を治そうとすれば、単に糖尿病一般の知識を話し、患者がそれを知っているだけでは、患者が本当に理解したということにはなりません。その患者が病気について深く知り、病気になった原因を理解し、治すために、どうするか、治さなければどうなるのか。しっかり認識させることが必要です。病気についての見方や感じ方が変わり、考え方が変って、さらに、生き方が変わるまで指導することが必要です。


 「わかる」と一言でいっても、本当に理解し、知識を身に付けて、行動に移し、これを暮しの中で継続し生き方を変えるまで行って、真に「わかった」と言うことができます。
 医療は、百人百様の多様な患者と病気は一つとして同じものはありません。これに対応する医療は、本来オーダーメイドでなければなりません。そのためには、患者本人が主治医にならなければなりません。医師はその最も信頼できる指導者として患者・家族に必要なアドバイスや支援をするのが本来の仕事だと考えます。
 病気が治るのは、本人の中に持っている治癒力で、患者はこの治癒力をどう有効に発揮させるかを知るために、専門家である医師の診察を受け、その結果に基づくアドバイスや支援を受けるのであって、決して医師が治すのではありません。こうした認識を先ずハッキリとしておく必要があります。この観点に立って、現在の医育と医療を抜本的に問い直していくことが求められています。
その意味で、現代社会とその医療のパラダイムには根本的な問題があります。医療制度の改革と並行して、患者の意識改革と「医育」の発想の転換が不可欠です。



◇ 私たちが直面している生老病死
 ヒト(人間)は人工物ではありません。生き物(生命体)です。生き物である人間の本質は命です。それは宇宙が誕生し、地球が誕生して、地球上に「生命」が誕生し、その生命の進化が38億年という時間を経過して今日のヒト(人間)まで繋がっています。すべての生き物の命は、この生命史のつながりの中にあるのです。
人間も命が与えられて生まれ、命を失うと死にます。人間社会の変化に従って、生まれ方も、死に方も変化してきました。戦後は平均寿命が50歳でしたから人生50年時代でしたが、それから60年経過する中で人生80年時代に変化してきました。
 2005年の人口動態統計によると、日本人の出生数は106万7000人、死亡数は107万7000人と推計され、差し引き1万人の「自然減」となりました。日本の人口は、1899年に統計を取り始めてから、初めて自然減となりました。明治以降20世紀中には増加し続けた日本の人口ですが、これまでに増えた人口の貯蓄を取り崩し、出生数より死亡数が大きくなり、21世紀には19世紀の水準に向かうと予測されています。
 1971年に2.16だった特殊合計出生率は年々低下の一途を辿り、2006年に1.32まで落ち込み、少子化に歯止めがかからず、出生数が年々減少しています。その背景は、子どもを産み育てる家庭・家族、それを支える近隣・地域の弱体化が進んだからです。
 毎日のように新聞やTVが伝えている子殺し、親殺し、少年犯罪の低年齢化、凶悪犯罪の多発、治安の悪化、経済犯罪の蔓延やモラルの低下は、「戦後の暮らしの変貌」(核家族化、食・住の欧風化、家庭弱体化、コミュニティーの崩壊)と「戦後学校教育」に深く関係していると思います。政府は漸く少子化担当大臣を置きましたが、国民生活の基本に関する問題ですから、小手先の対策では改善しません。国民生活の「暮らしの質」を根本的に転換する必要があります。


 産まれ方、生き方にも問題がありますが、死に方にも問題があります。一般的に長寿化はよいことと受け止められますが、世界一の高齢化はそろそろその限界に近づいて、長生きしても、多くの高齢者が寝たきりや認知症では困りますから、元気で、長生きをする健康寿命が課題です。
死に方を死因からみると、戦後、感染症の結核が死因第1位を占めていましたが、間もなく、脳血管疾患が、次いで、悪性新生物が死因第1位になって現在に至っています。
 現在の死因順位は、@悪性新生物、A心疾患、B脳血管疾患、C肺炎、D不慮の事故、E自殺、F老衰、G腎不全、H肝疾患、I慢性閉塞性肺疾患で82.0%を占めています。
平成15年の人口動態統計によって現在日本の死因別死亡数を見ると悪性新生物、がんが30.5%でトップ、次いで虚血性心疾患15.7%、脳出血管疾患13.0%、糖尿病1.3%、高血圧疾患0.5%で、実に生活習慣病が死因の6割を超えています。
 生活習慣病の現状をみると、糖尿病有病者は5年間で50万人(約7%)増加、予備群を加えると250万人(約18%)増加しています。粗い数字では、糖尿病の有病者740万人/予備群880万人。高血圧症の有病者3100万人/予備群2000万人。高脂血症は3000万人を数えています。そのため、脳卒中の死亡者数13万人/年。心筋梗塞の死亡者数5万人/年。がんの死亡者数31万人/年と悪化しています。(注:厚生労働省生活習慣病対策室資料による)


 医療費の面で、国民医療費(平成15年度)は31,5兆円でうち生活習慣病関係は10.2兆円です。これらの生活習慣病は、悪性新生物2.8兆円、高血圧性疾患2.8兆円、脳血管疾患2.0兆円、糖尿病(糖尿病合併症を含む)2.0兆円、虚血性心疾患0.8兆円となっており、他の医療費は21.3兆円となっています。
 国民医療費を年齢階級別で見ると、65歳未満15兆7190億円(50.8%)65歳以上15兆2317億円(49.2%、)と高齢者医療費が全体の半分を占めています。さらに、70歳以上(再掲)11兆8916億円(38.4%)、75歳の後期高齢層(再掲)8兆2271億円(26.6%)となっています。(注:厚生労働省 国民医療費) 
 高齢化に伴う生活習慣病が国民生活を圧迫し、国民経済への負担が大きくのし掛かって、今後更に加速することが明らかです。また、糖尿病の増加によって、その合併症も増え続けるでしょう。


 こうした趨勢を根本的に転換しないと、目前に迫っている超高齢社会は、惨憺たる老後を迎える人々が増え続けます。多くの寝たきり、認知症の高齢者群が自らと後世代の人々に重い負担と犠牲を強いることがないように緊急の取組みが求められています。
 そのためには、これまでの生き方、暮し方を問い直して、病気にならない健康なくらし、よりよい生活習慣への道を求めて、新しい暮し方、「健やかで幸せな生き方」を探求し、実践しなければなりません。それは何よりも、自分のためであり、世のため、人のために重要な課題です。



◇ 病気とは何か−どうして病気になるのか−
 産業革命によって人間社会は大きな変貌を遂げ、生産や消費に大きな変化を引き起し、人々の働き方、暮し方を急速に変えてきました。それは、ヨーロッパ文明の世界制覇と科学技術の目覚ましい発展によるものです。特に19世紀から20世紀にかけて人間社会が目覚しい発展を示した「科学技術の進歩」は、光と影が21世紀に引き継がれています。
 その光の面は巨大な生産力、技術力で、地球世界の巨大な開発を進めてきましたが、それは同時に、もう一つの影の面として、「生命系の地球」を巨大な人工的な破壊力もって、環境や生態系にダメージを与え、効率的に破壊してきました。外なる自然だけではありません。環境の破壊、生態系の破壊はすべての生き物の生存基盤を揺るがして、人体の内なる自然や環境に多大な影響を与えています。
食物連鎖の破壊、うちなる自然の破壊は、「生き物のいのちを支える新陳代謝の仕組み」の異常を引き起してきました。生活習慣病はそれに起因する内なる自然環境=心身とその健康の破壊と捉えると分かりがよいと思います。


 生き物は、生態系の中で「命のあるもの」を食べて生きてきました。食物連鎖は命の連鎖です。ですから、人間(+家畜・ペット)以外の生物も生きるために必要なものを食べますが、必要以上には食べないし、無駄な殺生はしません。したがって、彼らは肥満にも糖尿病にもなりません。これ迄にそんな生き物は地球上に誕生しなかったのでしょう。
 すべての生き物は、生命を一番大事にします。生き物に共通する課題は『自己保存と種の保存』で、いのちを守ることです。自分の生命は自分で守り、自分達の命は自分達で守ります。命を守ることは、即ち健康を守ることですから、「自分の健康は自分で守る」ということも、生き物の共通した原則といえます。
しかし、現代社会では、多くの人達が、自らの不健康な暮らしを変えずに、具合が悪くなると医師やモノ(薬)に頼っています。これでは、生活習慣病を治すことは出来ません。国民は戦後60余年の暮らしと暮し方、その変化を振り返って、自らの生き方を省みて、見方、考え方を問い直し、人生観、価値観、生き方を変革する必要があると思います。


 病気は患者の生命活動に現われる生命現象で、病気になるには原因があり、理由があります。命の営みである生命現象は何時も安定して、変わらないというものではなく、生命活動を取り巻く環境も同じく、春夏秋冬、四季折々、晴れる日もあれば、雨の降る日もあり変化して止まないものです。即ち、ヒトを取り巻く環境は時々刻々変化し、これに対応してヒトの生命活動も変化します。
 ヒトの生命活動は不断に変化し、生命現象もそれに対応して変化しています。従って、すべての病気も病人も、すべて同じではありませんし、病気のなり方も治し方も違うはずです。検査機器による検査データによって病名を決め、病名に従って、画一的な処方や治療のやり方は正しい療法とはと思われません。
 病気を含む生命現象、変化してやまない生命活動を支えているものが生活活動です。細菌やウイルスに感染すれば、当然免疫力が働き、侵入してきた細菌やウイルスを撃退しようとして生活活動も変化します。感染しても白血球などの反撃が効を奏し、侵入したが退治されれば発症しないで終息します。これを絶え間なく繰り返し、その中で病気という生命現象が生じます。
 病気になる。発症する。と言うことは免疫力の反撃が功を奏せず、侵入した細菌やウイルスが更に勢いを増して炎症を起こす事態が起きてきます。これによって身体のいろいろな臓器や骨や筋肉や血管や神経等に炎症が起こり腫れたり痛んだりします。発熱や痛み、咳や痰などが出る等様々な症状が起きてきます。


 病気になる原因は様々な細菌やウイルスの侵入だけでなく、生活活動が不適当でそれが長く続くとやはり臓器やその他に様々な異常が生ずる原因になります。免疫力の一つである白血球は活性酸素を大量に造り闘うのですが、活性酸素は身体にもダメージを与える場合もあります。従って病気の原因は患者本人の生活活動の中にもあります。
 身体は常にその変化を捉えて、痛い、痒い、熱っぽい、悪寒がする、咳、痰、湿疹等々、様々な警告信号を発信して異常を伝え、注意を促しています。ヒトはいつも自分の生命活動の変化が発するこの様々な身体からの信号に気配りが必要です。変化のシグナルは生命活動が「よりよく生きる」という方向へ反応します。この自律神経の反応を洞察して、患者はその生活活動を「よりよく生きる」方向に適応させることが必要です。
 昔の医師は今のような優れた医療検査機器がなかったので、患者の状況をよく診て聴いて、その身体を聴診器で聴き、打診、触診、視診等々よく診て診断していました。
 現在の医師は、医科学・機器の発展に依存し、専ら検査機器の示すデータによって診断するようになりました。患者の側も、この「医学技術」に依存し、検査機器の示す結果による医師の診断を信頼して、自己責任である健康管理を蔑ろにしています。他のすべての生き物はこの点で現代の人間よりも遙かに優れています。人間は文化の進歩に比例して、この能力が一番退化していると思います。
 ここに現代社会と文化を根本的に問い直す問題があります。



◇ 幾つになっても生き甲斐は大事なこと。
 アメリカの心理学者アブラハム・マズローは、人間の基本的欲求を低次から、1生理的欲求 2安全の欲求 3親和(所属愛)の欲求 4自我(自尊)の欲求 5自己実現の欲求 の5段階と仮定して、「人間は自己実現に向って絶えず成長する生き物である」といっていますが、人間は誰もがそれなりに持っているテーマです。誰もが、自己実現を通じて、何か社会に役立ちたいと思うのが人間です。
日本では昔から「働く(はたらく)」と言ってきましたが、それは、「端(はた)を楽(らく)に」の意味で、社会(回りの人々を)貢献(楽に)することです。
 何か社会に役立つことは、人間にとって大事なことです。それには、自分が自分らしい、特徴や特技を発揮して、社会に役立つことが出来ればこれに過ぎる幸せはないでしょう。そのためには、自分の好きな、得意なことをやり、技を磨くことです。それで、社会に貢献すれば言うことなしです。学校でも職場でも人を育てるにはこうした視点が必要です。
 本来、よりよい社会をつくるには、産んで育てて次代を育成することを大事にしなければなりません。しかし、戦後60余年、日本社会は、GDP(国民総生産)、景気変動、経済成長、株価の推移などを重視し、その結果、経済大国にはなりましたが、それに気を取られて、国民の「暮らしの質」は貧弱で、それを取り巻く環境は悪化しています。


 高度経済成長に尽くした国民の多くはこの60年過疎過密の流れに、「故郷」を喪失し、大都市のマンションで孤独死を迎える羽目になりました。それだけではありません。
瑞穂の国といわれ豊かだった日本農業は衰亡の一途を辿って、今では食糧自給率39%という危機的な状態に陥っています。先進諸国で食糧自給率が70%を割る国はありません。古来、身土不二、医食同源と言われてきた通り「食」はいきることの基本です。国民生活の基盤としての農林水産業という第一次産業があって、国民の食は成り立つのです。
 中東の緊張を理由に原油価格が急騰しました。石油に続いて、更にトウモロコシや大豆などの穀物までが投機の対象になってきました。地球温暖化などによる異常気象も作物の安定供給を妨げるでしょう。中国、インドなど巨大な人口を擁する国々が食糧をめぐって争奪が予測される時代に入りました。もう、飽食の時代等と言う状況ではありません。
世界は大きな転換期にさしかかっています。米国の大統領選挙が物語るように、国民の多くが変革を望んでいます。アメリカだけではありません。ヨーロッパ、アジア、アフリカ、中南米、オセオニア等どこの国でもが変革の方向を模索しています。


 戦後60余年の経過を深刻に問い直す時期に来ています。こうした現象は日本社会が戦後明確な価値観、人生観、価値観を見失い、営利と虚栄に流されて、命や暮しよりカネやものを重視してきた結果です。このままでは、近い将来、日本は大破綻に遭遇するでしょう。
心と身体を健康にすることが基本です。改めて、命、生きる、暮す、人間の原点に立ち返って「いかに生きるか」を問い直し、真理と道理に基づいた生き方を拓かねばなりません。それを次の世代に渡すようにしなければなりません。


◇ いかに生きるか、いかに暮すか
 私はリタイアして、ともすれば飽食と利便性に浸りがちだった現役生活と訣別し、心身ともに健康な暮らしを目指しています。退職によって収入は減りますが、生活を見直し、金銭的にも無駄な支出を止め、量から質へ充実したシンプル・ライフにできます。少欲知足で質素な暮らしを身に付けて、年金で暮らせば、収入のことは心配なしになるはずです。
 実際自由な時間を確保し、毎日の暮らしを見つめ直して見ると無駄と浪費に気付くことが山ほどあります。そのために、贅沢になっている暮らしをシンプルに、肥大化させられてきた「虚栄」を制御することが必要でした。「禁欲」というと感覚的に無理が伴い、ストレスになりますが、「少欲」は板に付くと充実した「知足」になります。「少欲」は頭でなく体で「足るを知る」ので、ストレスがなく、むしろ快適です。
健康第一の暮らしで、体調を快適にすると、血行がよくなり、免疫力が高まり、風邪などの病気にかからない。まともな生活習慣を心がけると病気をしないから病院に行く必要がない。血圧、血糖値、体重は自分で測り、病院の検査も薬もない。健康保険料は止むを得ないとしても医療費自己負担はなく、医療費支出ゼロの生活です。


 私は、健康な暮らしを自分なりに設計し、その実現を図っていますが、要は免疫力を高めて、「万病の元という風邪」を引かないように気を付けることです。糖尿病治療のお陰で食べることを大事に考え、食べるもの、食べ方にも気を付けるようになりました。飽食の時代の現在、好きなものを好きなだけ食べれば、食べ過ぎになり、バランスも崩れます。人間の「満腹中枢」が働くのには15分以上かかりますから、急いで食べるといくらでも食べられて、食べ過ぎますが、食事は20分から30分かけて、ゆっくり時間をかけて食べると必要以上には食べられなくなります。そのために、ゆっくり、良く噛んで味わって食べます。必要なだけで止めて、それを習慣にしようとしています。
 糖尿病を薬なしで治すために始めた暮し方のお陰で、適度な運動をすることで、体を構成する細胞の一つひとつが喜んでくれているように心地よいのです。
私たちの生活−食事、運動、労働、勉学、休養、睡眠等身体と精神が連繋した営みの多くは、習慣で成り立っています。自分にとってよくないもの、よくない生活、よくない生き方だと思ったらやめることです。時間をかけても良いのですから、毎日の暮らしを少しずつでも「自分を大切にする」よい習慣を増やしていく方向で暮すように心掛けることです。その習慣が生活や人生を豊かにします。感性、知力、体力も幸せも毎日少しずつの積み重ねです。これを楽しみにして習慣化することです。



◇ 幸せ感を持つ人生を送ろう。
 人が生きるには、衣食住の生活条件と環境ですが、同時に社会の一員として人間関係が大切です。人と人との信頼関係が基礎です。それには、コミュニケーションを上手にとることです。その笑顔、言葉遣い等のコミュニケーション・ツールも大事ですが、根本的には、心の問題であり、人を思いやる気持ちと人に身になって考える能力が大切です。その気持ちがあって、それを相手に伝えることに習熟することが必要です。


 私が「自分を大切にする」ためにやっていることといえば、自分自身に「どうすれば自分が幸せになるか」、自分に対する思いやりとか気遣いを考えて、それを実際にやることです。同時に身の回りの人に対して「どうやったらその人を幸せにできるか」を考える。 体のケアに限らず「自分を大切にする」、その心を生活全体に広げたいと思っています。自分を大切に思って毎日していることを、私の周りの人にもさせてもらう。自分を大切にできる人は他人も大切にできるのです。
 私は60代よりも、70代、70代でもリタイアした今の方が人生に対する充実感が確実に増しています。生を終えるまで、肌はつやつや、顔色もよく、背筋ピンと伸ばしている。それは生き甲斐を持ち、それに向かってしっかりと歩んでいくとその人生の姿勢を映し出してくれるように思います。
貝原益軒は今から400年も前に「年老いてきたら、1日は若い時の10日分だ。1か月というのは1年に相当する」といったそうです。そのためには、考えたり、好きなことをする“自分だけ”の時間を毎日必ず取っています。


 毎日をどう暮すかです。自分を冷静に見つめることです。自分なりの人生観を持ち、自分の生きる指標を持つことが肝要です。生きるモチベーションの核となるのは、その人なりの「幸せ感」です。日常生活の中で、ポジティブな情意、人を褒める、喜ぶ、笑うことなどを大事にすると幸せ感が広がります。他人の悪口を言ったり、怒ったり、愚痴を言うネガティブな情意は幸せ感を遠ざけます。今日からできるのは、「今日は、いい日だったな」「楽しかったなあ」と声に出して言うと効果的になります。
 心というのは、面白いもので、苦しい中でも楽しい部分、恵まれている部分、新たな発見に気付くと幸せを感じるものです。大事なことは、ものの見方、感じ方、考え方、そして生き方です。見方、感じ方が変われば、考え方も変わります。考え方が変われば生き方が変わります。こうして、日々新たに、日々是好日に過したいと心掛けている昨今です。


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