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これからの日本の農業と農村の在り方‐そのU‐食糧防衛戦略とこれからの日本の農業‐
「(各論)U−D 農業と農村の課題について考察

   草刈 啓一 (2008.8)


U−D 農業と農村の課題について考察


1.要旨:持続循環型共同農法による農村パワーの復活−Model Case



 これからの理想的農村構想の一つは、水田や畑の他に、牛若しくは豚の放牧飼育を含んだ循環型農業です。耕作放棄地の再生を、豚の自然飼育から始める。豚を自然養育した場所と畑作地を一定の方式で交互の使用を試みる。豚の自然飼育は、一定の囲いの中で行い、出荷できない果物やイモ類も含めた野菜や、地域内で収穫される飼料米を与える。牛の放牧用には、集約した耕作放棄地の確保は難しく、かって牧草採集場若しくは放牧場として使用していた近くの牧野を再利用。牛の放牧は、牧草や放牧管理に科学的方法を取り入れた方式を採用する。牧草のみでなく、出荷に適さないが牛が好む、根菜や野菜、そして飼料米や大豆カスも使われる。自然飼育に際し、豚や牛の排出物と環境問題には、十分に留意する。米は、水の確保ができる農地では不耕起栽培、それ以外では、有機栽培(低農薬の使用もある)。有機の米や特産品の野菜の栽培は、家畜の排泄物や排藁等の堆肥を有効に使用した循環型農業による。水田からのCO2の排出枠獲得を目的とした運動も展開される。耕作放棄地や休耕地の主な利用は、政府の奨励策(補助金)との関係もあり、大豆と飼料用米の栽培が主である。
 春になると学校や役場、そして家庭や道路脇と地域のあらゆる空き地は、黄色い菜の花でいっぱいとなる。ジャガイモとサツマイモは、緊急時に備えた準主食および保存食として、また、(その“クズ”は)牛や豚の餌としての役割も果たす。収穫された大豆の一部は、近くの町の豆腐屋にも納入される。そこで、加工された豆腐、豆乳、油揚げや厚揚げは、評判がよく、県内の食品スーパー等でも販売される。“おから”は、一部お菓子のクッキーとしても使用されるが、豚や牛の飼料若しくは米や大豆も含めた野菜の堆肥として循環される。大豆からは、味噌、醤油等もつくり、県内及び、一部通販で、県外にも販売する。これら調味料を使った農産物の加工品や豚肉や牛肉の加工品を開発し、販売する。菜種は食用油として使用し、その廃油を農業用燃料としてリサイクルする。大豆のクズは、米ぬかと同時に、不耕起栽培の発育促成にも使用する。


 農作業は、一部機能別に専門的役割もあるが、原則、複数の地域農家の共同作業となる。放牧地を除く共同作業用農地面積の単位(ユニット)は、各々合計で30〜50ha(うち一部が畑), 共同作業参加農家の農地と休耕地働き手のない農家の耕作放棄地(借地)、町が(保有)管理している離農者の農地(借地)も含まれる。同一地域に、複数の共同作業ユニットがあり放牧も含めた畜産は、畜産専門家(その組織体含む)が営み、地域全体の共同農業作業ユニットや独立農家と循環型農業地域を形成する。参加農民の合意により、農地(水田も畑も含む)の一部は、1haの区画に、ほ場整備がなされる。これにより、一部の使用機械の効率も向上し、専門的機能も含めた共同作業により、整備なされた農地の作業効率は大きく改善する。また、不耕起栽培や持続型循環農法により、反収は若干減ることもあるが、収穫された米や農産物価格には、プレミアムがつく。
 共同購入や共同出荷により資材の購入コストや出荷(梱包・物流)費用の減少効果がある。特に、不耕起栽培は、機械、肥料、農薬を含めた関連資材のコストを大きく減少させる。これにより、収益性が上昇し、個別農家もその恩恵をうける。分配は、農地と作業の各々の貢献分に分けられ、若干の知恵と工夫が加えられる。共同作業による機能分担の結果、力仕事や俊敏性を要する仕事は若い人に任せ、高齢者は、重要だが若者が苦手な早朝の水の管理(見回り)と一部の雑草取り、並びに、各種問題解決や非常事態への対応、若い人たちや新しい就業者への教育等を引き受ける。貴重な高齢者の経験とその存在は、共同作業体にとっても、安心で有益である。仕事がやり易くなり、やる気も高まり、80歳になっても、働き続ける元気な高齢者が多くなる。地域医療費の大幅な削減効果をももたらす。この集団に、都会からの農家に戻った若者や転農者、定年になり故郷に移住した団塊の世代、都会の定年組を中心とした農繁期の農業支援者、そして大学生の研修生が加わる。


 特産野菜は、専門商社通じての、大手量販店や食品スーパー数社との契約栽培。生産や出荷、そして開発に反映し、市場にフィードバックをしている。共同作業であるので、クレイムやロスへの対処並びに品質管理もやり易い。また、種子や資材、作付、栽培、収穫、選別、梱包、出荷も統一された方法に基づき共同で行われる。(集約されてない)別々の農地で生産された農産物のロット識別には若干の工夫を要するが、全体的には、トレーサビリティー上の管理もやり易い。肉牛として飼育された牛の肉は、高級ではないが味が良い、特徴のあるブランド登録をし、地元のスーパーや焼き肉店、そして東京の焼肉店、飲食(レストラン)チェーンに供給される。豚には、耕作放棄地で生産される飼料用米の一部も提供される。豚の肉は、都会で展開する比較的高級なレストランに納められる。特産野菜の供給先である量飯店や食品スーパーに、同じ地域の伝統野菜や山菜、そして豚や牛の肉を納入する機会もできる。また、大豆や地域農産物、伝統野菜や豚や牛の肉といった産物を使った加工品の販売も期待できる。
   市場との情報のやり取りや受発注、生産出荷管理等担当の専門家を養成する。作業が効率化するので、仕事が増えても、村の集まりや行事に参加する時間は、十分にある。何よりも、共同作業化により、人々の団結が強まる効果がある。その中で、常に、創意工夫や技術開発を行う集団もでてくる。農村に、パワーと知恵が復活します。



2.農地の最適規模と生産性並びに将来の魅力ある農地、農業構想


1)将来の最適農業形態構築の為のシミュレーション
 これからの日本のあるべき農業規模と形態を描くには、考えられる幾つかの農業形態を科学的に検証し、20〜30年後の最適な農業と農村の構築を図るべきです。栽培農産物の栽培規模と生産(生産)コスト、最適耕作面積と最適耕作区画面積、農産物別一専業農家(農家もしくは農業就業者)当たりの税引前純農業所得と耕作面積の対比、税引前純農業所得と最適栽培農産物構成比等のシミュレーションも必要です。
 標準的専業農家、大規模農家(外部からの雇用含め)、そして、幾つかの農家(農業就業者)が共同作業を行う場合等の重要要因、及び、環境負荷やCO2排出枠との関連を検証することも大切です。肥料や農薬を要せず、使用機械も限定され、経済的に優位性があり且つ良好な反収が期待できる不耕起栽培については、今後の米作の主流になる可能性を、徹底的に検証する価値があります。不耕起栽培以外の有機若しくは減農薬を利用した持続型循環農法を実施した場合の各種分析も必要です。都市近郊型農業では、野菜主体の農家と米と野菜を栽培する農家の分類、地方では、主要農産物(米)を主体とした栽培と米と地域の特産野菜や果樹農家、若しくは特産野菜や果樹の専門農家の分類も必要です。


2)現状の日本の農業(農地や農家所得)の不合理性
 今となれば、農地解放にも、若干無理があったのかも知れません。当時は、米や野菜の販売によるある程度の現金収入があれば、農家は自給自足で生活できるという社会であったことも事実です。日本の農家の平均農地面積は約1.2haと云われます。兼業農家や(子供達が都会で働き、)夫婦二人だけの、農村生活であれば、水田と畑からの収入で、なんとか暮らして行ける人達もいるでしょう。しかし、専業農家が、子供の教育費を含めて、ある程度の生活水準を維持するには、米の値段が一俵15,000円で反収8〜10俵として、その原価経費を差し引くと、5haあっても、水田のみからの収入では不十分です。農家に対する助成が必要な理由でもあります。
 一方、米作は、結構楽だという声も聞きます。耕作・作付と収穫時期を除いては雑草取りと早朝の水の管理が主なようです。最近では、雑草も少なくなったと言う人もいます。2haの水田での実働は、せいぜい2ケ月分に相当するとも云われます。10haの規模に増えても、機械等の使用効率が良くなり、作業量はそれ程増えないものと推定されます。
勤勉な農家は、余った時間を、野菜や果樹の栽培や近くの工場等で働いて追加収入を得ていました。前項の最適農業規模のシミュレーションとも関係しますが、人的資源の投下時間を含めた投下資本とその生産性と収益(所得)水準の関係を科学的に検証した結果を合理的に反映した農業形態とその体制づくりも意義があります。
 農地の地形、水の管理、若しくは農法によっても異なるかも知れませんが、農業機械の効率的使用には、最低、1ha必要であるともいいます。戦後の農業関連の主要事業であった土地改良により、農地は、水田一区画を60アール(3反)に集約されたばかりです。更なる区画面積の拡大は、財政上からしても、マイナーな費用で、畦や灌漑用水路の改良をせざるを得ません。幾つかの農家が共同作業する計画がある場合は、農地集約を容易にします。共同作業者の農地の中に、不参加者の農地がある場合は、農地の所有権若しくはその使用権(利用権)のスワップ(交換)といった工夫がなされてもよいかと思います。不耕起栽培や他の持続型農法に合致した最適栽培面積は、別途専門家と確認する必要があります。不耕起栽培には、水源の確保(場合によっては井戸を掘る)と、区画面積拡大の場合の水の張り具合が大切なようです。


3)魅力のある農業と農村の形態と体制の構築
 耕地面積や農法の革新がないままで、若者やサラリーマンからの転農者を農村に招いて、未来の農業を託しても、意味がありません。彼らに対し、食糧防衛や環境への貢献、農業による自給の充足の他に、子供の教育を含めた家族の生活が可能な収入の確保、働きや工夫の度合いに応じた一定のインセンティブ報酬、労働や生活環境の整備も必要です。戦後60年を経た今日、聖地である農地と農業や環境を将来の存続させるためにも、今の農業就業者が、自ら率先し、最適な農法、農地の区画や配置、農作業のやり方等の改革に着手し、若い人たちの為に、夢と働き甲斐のある農業形態と農地の整備及び農村の体制を用意しておくことが必要です。
 農家に対する直接の助成金として、農業就業者に対する生活補助や自給率促進の作付支援も必要ですが、未来に向けての農作業の形態も含めた農法や農地並びに農村の変革、若しくは、その為の準備作業をも含めて欲しいものです。この未来への道づくりの過程を通じて、循環型農業や環境の整備、生産性や収益性の向上、高齢者の活用によるやり甲斐と健康の増強、若い人たちの積極的参入も可能となります。このような変革への努力や準備がなされれば、現状ではその解決が難しい農業と農村の課題も、年の経過とともに、徐々に、調整されていくものと思われます。



3.耕作放棄地や休耕地の存在は許されない


 休耕地や耕作放棄地を、現状のまま維持することも、更に減反を推進することも、国の食糧防衛戦略上も適切ではありません。世界的には、水の枯渇で、農地が減少する恐れがある深刻な問題を抱えるなかで、日本の農地の減反政策は、贅沢な話しです。そのうち、世界の国々も、国産化しないで、他国の貴重な水や農地を使っている日本にクレイムを起こしてくるかも知れません。
 日本は、1)米以外の主要食料や飼料の国産化率をあげて、その分輸入を減らし、海外の水や農地の使用並びにFood Mileageの抑制をするか、2)得意な主要農産物である米の生産を増やし、短期的には、中国やアジアの特別な需要層に、長期的には、水の枯渇等で食料危機に陥った場合の海外諸国の食生活に貢献し、同時に農業・技術指導等で、海外の生産余力のある国々での生産向上に役立てることが考えられます。
 実際には、1)と2)の折衷策で、米中心(米粉含む)の食事の促進や備蓄在庫も増やすことにより米の国内需要を増やし、同時に、一部の海外への輸出をも促進し、これ以上の減反を抑制する。一方で、耕作放棄地や休耕地では、大豆や小麦、もしくは飼料用米の国内生産もなされ、作付農産物に関しては、政府の助成金もありますが、気候、地力、地域の状況等によって、異なります。気候の温暖化現象等に伴い、国内の米の主要産地等での収穫量が大きく減少する事態起きないとも限りません。
 そのような事態に備える為にも、農地を、常に活力ある状態で、存続させなければなりません。減反政策は、米価の維持の為の、単純な選択の一つであったのかもしれません。世界の食糧事情が危ぶまれるなかで、これまでの思考回路から離れ、その有効性と重要性を増した選択肢のなかから、聖地としての農地を最大限に活用してこそ、これからの日本の食料防衛体制を確立し、日本の存在価値を示すことができるのです。



4.農協の変革と役割


 農協とその役割が批判されています。農協及びその関連機関の事業及び経営分析を実施した経験も、農協に勤務した経験もないので、問題点と改善方法等の指摘には、正確性を欠きます。金融や保険の機能は勿論ですが、病院や冠婚葬祭と、地方によっては、農民や地域住民の生活の隅々まで、入り込んでいます。農業従事者による組合組織である農協から、やる気のある農業従事者が離れていっているのも皮肉です。
 しかし、地方銀行、郵便局や郵貯銀行の行方が不明確な今日、農協の金融(送金含め)・保険機能が、その存在価値を増している地方も多くなっています。農協、全農を通じて、一定の米を在庫にし、流通させる現在の仕組みは、主食たる米の供給量や価格を安定させる合理的機能としての存在意義は軽視できません。批判の強い、農業資材や機械の農協を通じての販売及びその方法等は、見直しが必要なようです。市町村とともに、農協の合併もなされています。金融(送金含めた)や保険の機能は、生活面でも必要です。人口5,000名〜10,000名の住民に提供する地域生活サービスが郵便事業や役所機能の一部と融合して提供されることも一案です。
 当面は、将来の魅力ある農地、農村、農業形態の構築及びそれに関連する共同作業や循環型農業への変遷等の地域農業施策の実現の為の主導的役割があります。農業就業者との調整、また農業就業者を代表して、農業法人や新しい農業生産グループ等との間の調整の必要もあります。また、そのTの農村社会の変革に向けてのスキームや都会からの人々の受け入れ等の個別のプログラムでも、主体的役割が期待されます。
 これまで、国民の税金を使用した政府の補助金の多くが、農協を通じて出されてきたようです。農協及びその上部並びに外郭団体の経営の執行は、経営のプロに任せるべきです。また、外部(政治や業者)との関係については、一定のコンプライアンスと中立性が要求されます。農協を経由する補助金等の仕組みは、除々に修正されるかもしれません。しかし、農民を代表する組織体、また農民とのパイプ役であり調整機能でもある、農協の位置付けは、当面大きく変わらないものと思われます。農協が、自ら進んで、現在の農協の不合理な部分を改革し、20年そして30年先の農業と農村の在り方に合致した機能や役割に対応できる組織体に変革すべきです。


5.農地は聖地


1)聖地の維持管理と社会的責任が乏しい日本人
 東京から100km圏内で、一反(300坪)当り、年間5千円の賃借料、600千円の売却代金が、今の相場のようです。農地の買入に比較し、借りて、野菜や米を生産する方が合理的のようです。そのTで述べた、基幹フィールドとしての農業と農村の確立に関するしっかりした構想やスキームが構築されるまでの間は、農業に従事している農業就業者や農事法人が地権者から直接購入するか賃借する場合を除き、市長村が、地権者から借用、(購入若しくは)寄付または受託し、既存若しくは新しい担い手(農業就業者や農業法人)に賃貸(場合によっては生産委託もありうる)する方法が、当面の妥当な方法であると思います。市町村による農地管理は、購入や生産委託を除き、現在実施されています。
   個々人に付与された自由な権利の行使には、社会や集団の中での大きな責任が伴います。自由と個人主義の米国人も、自分達の住む町を、住みよい町として、環境、教育、開発、財政等の多くの分野で、住民が一緒になって、守ろうという意識が高いのには驚きです。自分達の住む町や村は、彼らにとって、まさに、My Town でありMy Countyです。そして、国も、My Countryなのです。元来、集団主義をベースに経済発展を遂げたはずの日本人は、どこでどう歯車が狂ったのか、この点が欠如してしまったようです。大きな問題です。聖地としての農地を預かり、それをうまく利用出来ない場合は、農地を返還し、有効に利用できる第三者に託ことが、聖地としての農地を守る社会的責任です。自由のみが優先し、社会的責任が欠如する日本国内に於いて、聖地としての農地に関し、自由な売買、並びに、定期借地とはいえ、細かな解除条件等をなくして、長期間賃借することに、危惧の念を抱かざるを得ません。


)企業の農業生産参画と定借農地の利用、転貸、返還等の重要条件
 企業も20年の定期借地では短いと感じているようです。農地の場合は、多額の費用で、償却期間が50〜60年の上物を建てるようなことはありません。Going Concern(継続性のある)ビジネスとしての農業へのコミットメントに、20年間では、短期間過ぎるということと推察されます。企業の参入に関しては、うまく行かなかった場合、如何に対処するかを考えたうえでの農地政策であるべきです。大切なのは、賃借人が食料防衛、環境等の国や地方の政策や地域の公正な政策や方針に反した場合や農産物生産をやめる場合は、農地を返還する仕組みです。合理的理由がない限り、転貸を禁止する必要もあります。地代設定とその見直し条項、解約理由とその方法も大切です。
 国産化率(自給率)の向上が志向され、国の助成の財源を含め様々な問題を抱えるなかで、大きな変革を求められる日本の農業生産への企業の参加に期待するエコノミストもいます。農業従事者の高齢化対策、耕作面積と生産性の向上、近代的農業経営への転換、政府の財政負担の限界等、企業への期待が大きくなるのも理解できます。確かに、資金力もあり、経営能力も優れている、企業(大企業)が農業をやれば、うまく行くと信じる人々も多いかも知れません。一部の例外を除き、農産物の国内外の生産者と取引のある農産物取引や食品加工に関係する企業経営者の多くは、特別な事情がない限り、農業生産分野への重要なコミットメントには比較的慎重なようです。


 一方、既に農業生産分野に参入した、もしくは参入しつつある企業もあります。これらのなかには、その業態変換も含め、農産物や食品とは直接関係のない企業もあります。しかし、企業は、場合によっては、個人以上に気まぐれです。気候や害虫にも左右され、価格変動も含め、予想以上にリスクがある。ある程度の収益は上がるが、生産や栽培プロセスへの直接関与や投資は、人事管理も大変で、資金効率上好ましくない。むしろ、流通に限定して関与した方が、低マージンであるが、回転が良い為、投下資金(資本)効率は、遙かに良好という結論に達するかも知れません。その時々の経営者や株主の意向に、常に左右され、参入してはみたが、事業の集約化等の経営方針から外れる等の理由で、農業生産を止めることもあり得ます。倒産リスクもあり、外国資本や企業哲学の異なる日本企業に買収されないとも限りません。定期借地の期間満了以前に、このような事態が生じた場合の対処策をきめ細かく策定し、借地契約に反映する必要があります。


3)企業の農業生産活動への参画の本音
 循環型農業地域プロジェクト構想に、商社等の企業の参加が期待されることは、十分にあり得ます。万が一、これらプロジェクトへの出資に農地が関係することがあっても、農事法人等への出資制限の範囲内、又は、農地への資金的関与を避けての参画もあり得ます。企業参加者の関心は、農地ではなく、プロジェクトがうまく循環することにあります。また、企業の取り扱うバイオマスや特殊農産物の栽培を特別に生産者に依頼する場合やノウハウや知的所有権を有する特殊な農法で、その農産物の拡販や実施権の普及が期待できる場合には、その生産法人や関連会社への出資もあり得ます。
 このような特別な場合や以下に述べる生産者に対する付き合い出資以外では、大企業が生産農業に参入する大きなメリットは余りみえません。確かに、企業が、品質、価格、納期の三要素を充足しつつSCMやトレーサビリティー並びに改良や開発等の顧客のニーズに対応でいる体制の確立を図るためには、複数の有能な生産者との連携及び信頼関係の構築が大事です。これが、企業の市場での信頼や影響力を左右することにもなります。生産者との強固な関係を構築する為に、生産者へのコミットメントの証として生産法人へのマイナーな出資を行うこともあり得ます。しかし、企業と生産者の取引関係に於いて、生産者が欲する企業からのコミットメントや支援の本音は、生産法人への出資以外のことへの期待が大きいはずです。


4)企業の農業生産活動への参加の課題と期待
 農業であるからこそ許容される助成金や補助金、若しくは、その他のインセンティブに関し、個人の農業就業者と私企業若しくはその従業員(農業就業者)との線引きが難しくなり、公的資金の公正な配分原則を複雑化することも起こり得ます。また、企業としての資金力や知名度が優先し、農業に対して真摯で、やる気のある個人の若者の参入や積極的な地元の農業就業者を阻害するようなことがあってはなりません。農村が企業の合理性のみを優先する社会となることも問題です。国の食糧防衛戦略上からしても、聖地としての最適農地利用が常に継続される仕組みがその根底になくてはなりません。そのTで述べた通り、これからの日本の農業と農村は、食糧防衛のみでなく、新しい社会インフラとして、教育(心)、環境、水、健康と多面的機能と共生した和(環)の経済社会を構成する重要な役割を果たさねばなりません。これを理解し、世界に誇れる、新しい農業と農村の構築に、農業生産活動を通じて、積極的に参画してこそ、水と自然に恵まれた聖地での営みにふさわしい企業体となり得ます。


以上

平成20年8月17日、草刈啓一


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