会員掲示板へ※パスワードが必要です!会員掲示板へ※パスワードが必要です!原稿の投稿をするにはKJKネット利用方法事務局へ問合せ
 トップページ > 会員投稿ページ > 投稿
| 前ページに戻る | 会員投稿ページへ戻る | トップページへ戻る |
 
■「小島慶三先生と「平・成の時代」最首公司 (2009.5)


  平成の年号が20年も重ねたところでいうのも恥ずかしいことだが、恩師小島慶三先生は昭和天皇がみまかる少し前、「これからは平衡と成熟の時代になるだろう」と、東京・小島塾で講義された。


 小島先生は昭和15年商工省(経済産業省)に入省され、戦後の混乱時代、エコノミスト官僚として鉄鋼、石炭を重要産業としてとらえ、いわゆる「傾斜生産方式」を採用して戦後復興を支えた。昭和40年代から役所勤めのかたわら上智大学、成蹊大学、名古屋大学などで「経済政策」を講義され、日銀政策委員を最後に退官したあとは日本精工、芙蓉石油開発などの会社経営に携わった。
 平成4年には日本新党から参院選に出馬し、1年後に繰り上げ当選して参議院議員になり、平成20年8月に亡くなるまでの91年間、官僚、教師、経営者、政治家、そして思想家という4つの道を歩まれ、70余冊の著書を残された。


 「平衡と成熟」の講義のあと、間もなく年号は「平成」に改元された(1989年)。「平成」の原典は漢籍の「内平らかにして、外成る」からといわれているが、小島塾生の多くは先生が説かれた「平衡と成熟」の頭文字をとったものと考えている。
 「平衡」とはなにごともバランスをとること、それは日本国内だけでなく、アジアでも世界でもバランスをとり、自分の内部でも、心と身体のバランスをとり、そして外に向かうよりも内なるものを「成熟」させる。「平成」とはそういう意味なのだ。
先生はそのころドイツ生まれで英国育ちの経済学者シューマッハ著の「スモール イズ ビューティフル」を訳し、ヒューマニズムとエコノミックスを合成した「ヒューマノミックス」という造語を掲げて「人間中心の経済学」を提唱された。一橋大学同窓の篠原三代平氏らと「ヒューマノミックス研究会」を立ち上げ、多くの経済学者を啓蒙された。
 アメリカ発の金融不安が世界的な経済不況に広まる昨今、もし、小島先生が存命ならばこの有様をどうとらえるだろう。多分、先生はいまごろ天空から地上を見下ろし、「この世界的不況が『平成の世』を招き、1世紀続いたら地球は若々しく甦るだろう」と、ヒトを除けば地上の生きとし生けるものすべてが願っていることを代弁されるかもしれない。


(エネルギーフォーラム誌 4月号所載)


→この投稿についての感想・ご意見は会員交流掲示板内ホームページ投稿原稿への感想」へ
 このページの上へ


Copyright(C)小島志ネットワーク All Rights Reserved.