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■「ヒューマノミックス研究会の研究課題を考える−小島先生関連の文献から−」山本克郎 (2009.7)


小川さんの「危機を理解するということは、現実感覚があるかどうかに懸かっていると思いますが、自己分析的能力、つまり、フランス的伝統で、「モラリスト」的と呼ばれる教養がないと、政争のなかで人は、何か重要で何かそうでないかが見えなくなると思います。
政治家の方をはじめ、皆さんどうなんでしょうか。」
このご指摘が重要だと思います。「現実感覚」がない人は本当のことを認識する力がなく、問題を解決する能力がない人です。
自分を取り巻く現実社会をどう認識するか、自分が、それとどう向き合い、それをどう評価して、どう問題を解決しようと考えて、どう行動を起こすか。を考えます。
その場合に、自分自身のもの見方、感じ方、そうして考え方が問われます。それが生き方へ繋がります。


現実の社会が混迷の中にあり、混乱しているのは、このものの見方、感じ方、考え方が混迷の中にあるからです。評価の尺度、価値観が混乱しているからです。
戦後は、思想信条の自由の美名を隠れ蓑にして、ことの是非善悪を明らかにしない社会、理非曲直を問わない無責任な風潮を創り上げてきました。
市民革命の「自由・平等・博愛」という抽象的なスローガンを金科玉条にして政治・経済・社会に関する価値基準を曖昧にして価値判断を明らかにしない状況を創り上げてきました。
これが物事の本質を見ることを忘れ去る時代、価値観などを問題にしない時代に変容させてきました。


小島先生は、シュマッハーのSmallに共感されて、その問題提起に大きな影響を受け、小島先生は「ヒューマノミックス研究」の集大成を目指された。
Small is Beautiful:「人間復興の経済学」佑学社刊(1976年4月)の邦訳斎藤志郎氏と
A Guide for the Perplexed(Jonathan Cape,London.1977)を翻訳し、Smallに加えて、小島慶三・斎藤志郎訳『混迷の時代を超えて−人間復興の哲学−』佑学社刊(1980年5月)に出版し、さらに、“Small is Beautiful” を小島慶三・酒井懋共訳『スモール イズ ビューティフル−人間中心の経済学−』講談社学術文庫(1986年4月)として出版されます。


「混迷の時代を超えて」の訳者まえがき(P4)に次のくだりがあります。
「“Small is Beautiful”は、産業社会の転換期に不安を抱く世界に、静かな、しかも涯もなくひろがってゆく、大きな波紋を投じた。大げさな言い方をすれば、それはシュマッハー革命とも呼ぶことができるかも知れない。
巨大技術・物質至上の現代文明に対する反省、環境エコロジーや資源エネルギーの制約への人類的・グローバルな省察、それから発した新たな産業社会・地域社会の構築と、途上国のテイク・オフのための方策の提示、さらに企業・経営組織改善の枠組み、進んで可能な人間的経済システムの構造など、すべて、理論家であり実務家であった彼の、的確な問題把握と具体的な処方箋、さらに深い人間愛とによって裏打ちされたものであった。すでに1960年代の黄金の経済成長の時代に端を発し、70年代の途中から一斉に噴出した産業社会の諸問題に対して空しく対応のみを模索していた世界に、本書は警鐘として鳴りひびき、代案の提唱として耳朶を打ったのである。ローマクラブの『成長の限界』とならんで、彼とSmallのタイトルが、爾後、文明論・産業論・技術論・資源論・環境論・地域論・企業論・経営論・南北問題論などのいずれの部門たるかを問わず、この主題にかかわる殆どすべての書物・論評に引用され、登場しているとは、周知の通りである。」


小島先生がシュマッハーの哲学と経済学に惹かれて、革命を起こす必要と重要性を感じ取り、「ヒューマノミックスの集大成」に取組まれます。


「混迷の時代を超えて」の訳者まえがき(P7)に
「前著Smallが“実践の書”であるとすれば、本書は“哲学の書”であり、これに次ぐ前記のGood Work は“伝道の書”ということができる。これら三部作に反映されたシュマッハーの思想的営為は、彼の友人B・ワード女史の言葉を借りれば『人間の思想の方向を変えた創造的少数派』のそれであった。」
として、さらに、
「訳者たちは、かねてからシュマッハーの意義に注目、これを手がかりの一つとして、新たな人間の世紀への方向を模索するため、井尻千男氏(日本経済新聞編集委員)と語らい、52年5月、ヒューマノミックス研究会を設立、研究討論を重ねて今日に至っている。参加されておられる方々は、篠原三代平(成蹊大学教授)、清成忠男(法政大学教授)、西尾幹二(電気通信大学教授)、岩田慶治(東京工業大学教授)、玉城哲(専修大学教授)、島田晴雄(慶応大学助教授)、酒井懋(東京銀行企画室参事役)、日下公人(日本長期信用銀行業務開発第一部長)、粕谷一希(前中央公論編集長)、竹下肥潤(三愛会常務理事)の諸氏である。・・・・・・
最後に、難渋をきわめたこの困難な翻訳を手伝っていただいた小島真人氏(東京電力経理部)、大幅に遅延を重ねた本書の完成を見守り励まされた佑学社の方々に感謝したい。
昭和五十五年三月
小島慶三
斎藤志郎


関連文献
1)Good Work:邦訳長洲一二監訳伊藤拓一訳「宴の後の経済学−スモール・イズ・ビューティフル主義者の提言」1980年8月ダイアモンド社刊

2)E・ F シューマッハー 酒井懋訳「スモール・イズ・ビューティフル再論」講談社学術文庫2000年4月

3)後藤隆一著「ヒューマノミックス宣言−人間主義経済学の探究」1999年10月刊蝸牛社
小島慶三先生は その序に 
「人類は果たしてほんとうに平和を望んでいるのだろうかと疑わしくなる。20世紀の文明は過去の人類史上最高の水準に達していた。この期間の生産と消費は人類発生の最初から前世紀までの総計よりも大きかった。しかしこの期間の相次ぐ戦争により失われた人命の数は、同様に人類史上の発生から前世紀までの合計より大きかったという。こうしてみると人類はおびただしい人命を犠牲に文明を獲得した事にもなる。
 平和とは民族の対立又は宗教戦争、この束の間のはかない一時でしかなかった。この一世紀近くは、このような事態を引きおこしたのは二つの大きな社会システムの対立であった。
ソ連を中心とした社会主義とアメリカの資本主義がこれである。しかしながら、二十世紀の間にソ連は自己崩壊という惨状におちいり、それを敵視したアメリカは隆々たる経済発展をバックに強大な軍事力を構築している。しかし、世界の混迷は二十一世紀の予想を困難にしている。
こうした経過を危機視し、文明の将来に警告を発した人達を我々は忘れてはならない。例えば、ボールディング、シューマッハーなどが挙げられよう。私も又こうした先覚者にならって社会主義と資本主義「市場経済」を超えた第三の道を模索しはじめていた。そして
到達した考え方に「ヒューマノミックス」という名前をつけることにした。そして同感共鳴する方々を誘って、研究会を組織した。篠原三代平、清成忠男、田村正勝、粕谷一希、井尻千男、西川元彦、後藤隆一、工藤俊昭、斎藤志郎、大西昭、島田晴雄、由井常彦、上条俊昭、鈴木幸夫、吹田尚一等の諸先輩である。
 しかし或日、斎藤氏からアメリカに「ロエブル」という学者がいて「ヒューマノミックス」という本を出版しているという知らせが入った。その本の考え方は無機的で非人間的な経済学や政策から脱却して人間主体の第三の道を選ぶというものであった。全く洋を異にし言葉も交わした事のない両者の間で共通の用語が採用されたのである。不思議といえばふしぎだがこれも同じ問題意識から発したものとみてよいだろう。ロエブルはチェコスロバキアの国立銀行の総裁であったが、ソ連のミコヤン経済相と意見が合わず投獄され、その長い抑留中にマルクスとケインズを研究、第三の道を見いだしたものである。ソ連軍のプラハ進攻後はアメリカに亡命して大学で教鞭をとっている。
 我々の趣意書を書いておこう。
『すでに多くの識者達によって指摘されているしょうに現在の産業、社会、文明が大きな転機をむかえつつあることは疑いを容れないところである。その原因について、資源エネルギーの制約、環境、生態系の破壊、テクノロジーの危険、企業経営の困難、過大都市の病弊、農村固有の文化の衰退、人間疎外と精神汚染の進行、国際秩序の崩壊など1960年代までの世界経済の繁栄ののち、一斉に噴出した諸問題があげられる。これは根幹において相互に結びついており、その多くは我々の享受してきた文明の代償というべきものである。一方、価値観の多様化、非経済ニーズの拡大、ヒューマン・サービスの要請など新たな成熟社会への胎動がある。これらに対して我々の有するもの、既存の制度や組織、例えば市場メカニズム、政治、行政システム、国際的協約などは、機能の限界がみられ有効な調整力を果しえない状況にある。しかしこれを超える新たなシステムは未だ模索の領域を脱するに到っていない。混迷と不安が社会をおおっている。
 これは思うに現代の学問がことに社会科学の諸分野においてあまりにも専門化、精緻化しその手法も分析的演繹的に進みすぎたためにかえって問題群の本質、歴史的、総合的にとらえ、整合性のある対策を見出すことができなくなっているためではあるまいか。このような状況を深く憂える我々は、ここに集まって新しい経済社会を構想するための共同の努力を開始しようと企画する。思想や専門はそれぞれ異なっているが、我々の基本的な基本的な共通意識はこの問題群に取組む視座として、近現代の産業社会において理論的にも現実的のも疎外されてきた人間の復活、人間性の尊重を中核に置こうとする点にある。 研究の基本的枠組みや手法を整えるには、これからの課題であるが、目標とするのは「ヒューマノミックス」の思想、体系の構築である。ヒューマノミックスというのは、人間に奉仕する経済学という新しい造語である。昨年3月から少数のメンバーで十数回の会合をもち、予備的な考察を重ねてきたが、多くの人々から参加の希望があり、又、研究成果の好評を希望される向きも少なくなかった。そのために開かれた組織を作り運営面においても定期研究会のほかに年数回の公開研究会を持ち、必要に応じてそれらの成果を世に問いたいと考え、ここに「ヒューマノミックス研究会」を設立する。大方のご賛同ご理解ご支援を祈念すると共に建設的な批判も歓迎するところである。
 この趣意書が発表されたのは昭和53年であって、今から二十数年も前の事である。
その間に状況は大きく変化し、諸先輩方もそれぞれの立場から諸論文を公刊されている。しかし、ヒューマノミックスの思想史的な掘り下げ、又体系的な統一については欠けるところがあった。今回、後藤氏が渾身の力を込めてその完成を志しておられるのは誠に喜ばしい。感激の極みである。
 とくに、単に学説史的限界を超えて、全人類史を視野におきながら、東西両思想の統合を求め、二十一世紀の人生観のパラダイムを確立し、それをヒューマノミックスの理論的基礎とされたこと、そのことによって、このヒューマノミックスに認識論的基礎づけを与えると共に、未来と世界に開かれた普遍性をも確保されたことは、画期的であると思う。私達には、経済学を人類の幸福のための実学にしたいという思いがあったが、この東洋的伝統と、近代ヨーロッパの体系的で批判的な学問の伝統が融合されたものと思う。」


4)後藤隆一著「ヒューマノミックスの世紀−真の人間主義と共存のシステム」2001年10月刊霞出版社
小島先生は、この『ヒューマノミックスの世紀』に次のような「序文」を寄せておられる。
「20世紀は、西欧に生まれた近代文明が最盛期に達した時代ではなかったかと思う。それは、またこの文明に行き詰まりと破綻の現われた時代でもあった。
石油の酒に酔い、原子力の麻薬に手をだした人類は、巨大技術の歯車を回しながら、戦争と自然破壊の悪循環におちて行ったからである。
 ボールディングの『宇宙船地球号』とか、シュマッハーの『スモール・イズ・ビューティフル』という言葉は、このことの実感を示す言葉として、70年代の初めに、私たちの心を打ったのである。しかし、近代社会の解明の学であった経済学は、この状況に対して無力であることも痛感されたのである。
 私が“ヒュ−マノミックス”という旗を立て、新しい問題群に挑戦しようと決意し、同志と共に、研究会をスタートさせたのはこの時代であった。そして、チェコからの亡命アメリカ人経済学者、ロエブルによる『ヒューマノミックス』という本に出合い、一層意を強くしたのであった。近代の危機の原因は、人間の自己喪失にあるという共通の自覚がそこにあった。
 しかし、この仕事は、人間とは何かという根本的な形而上学を含み、経済学の狭い専門課題を超えた思想史的研究と洞察を不可避とすることが分かって来た。また、学際的な問題をどういう枠組みで体系化するかという構想力も必要であったのである。それ故、色々の分野からのアプローチから始まったのであった。しかし、その大成は、いずれ私のなさなければならない責任であると考えて来た。しかし、その後、全国32の小島塾の決起があり、晩年には、参議院議員としての政界への進出があり、引退後は、急速な視力の低下に直面し、この責任を果たすことが不可能になった。
 しかし、天は、私達の初志を見捨てなかったのか、後藤さんという得難い人材によって、この難事業は大成へと向い、新しい世紀へと繋がったのである。私は、喜びと共に、感謝に耐えない気持ちである。
 今は、一昨年(平成11年)の『ヒューマノミクス宣言』に始まり、この『ヒューマノミックスの世紀』において大成したこの世紀の力作に、世の理解と共感が集まり、歴史の創造に繋がってゆくことを祈りたい。
 それが、人間の主体性と全体性の回復への道となり、21世紀の文明をつくる人材群を生み出してゆくものと信じるからである。」


小島慶三著人間復興の時代―ヒューマノミックスが日本を救う 銀座屋出版社刊1992年
あとがき
 「本文中でもふれたように、美の司祭であり人間経済思想の先駆者でもあったラスキンは次のように断じた。
「富はなんでもない。ただ生があるだけだ」
「経済学における最高の生産とは、頬がリンゴ色をし、目をかがやかせた青年男女を地上に送り出すことにほかならない」
 これらを現代的に翻訳すれば、富を生む目的として、人間の生、そして生の充実までが問われていることになる。だが残念なことに、このような思想は、経済学が社会科学としての厳密な客観性を手に入れるために代償として、いち早くこの世から姿を消してしまった。かくして、本来は人間の学問であるべき経済学において、人間の疎外が定着してからすでに久しい。
 いま現実の産業社会は、70年代のなかばから80年代にかけて一斉に噴き出したさまざまな問題を見れば明らかなように、大きな文明史的な転換の時期を迎えようとしている。
冷戦が終ってやっと平和の世界を享受できると思ったら、そこに現れたのは意外にも、民族と宗教の復元を交えた動乱の世界であった。90年代への展望はいまだ不透明であるし、地球環境問題もいっそう切迫感をもつものになってきた。しかし、いずれにせよ、その転換期に求められているものの中心に、これまで片隅に押しやられていた人間の復権、生きがいや人間性の尊重があることは、言を俟たない。経済学はもはや人間お歌を忘れたカナリアでいてはならないのである。
 私が昭和52年に発足した「ヒューマノミックス研究会」も、そのような人間の復権を目ざし、領域や学際は異なるが共通のものの見かたをもった人々に呼びかけてつくった研究集団であった。ちなみに、時を同じくして創立された近代化研究所は、その研鑽のための場でもあった。
 主要なメンバーの海外転出や移動が重なり、はじめに計画していたシンポジウムや公開研究討論会の開催もなかなか予定どおり進まず、シリーズで出す予定だった本の出版も延び延びになり、学問としての枠組みや手法についてもいまだ最終の合意に達したとは言いがたい。しかし、それぞれの研究領域での業績に、この研究会の視座や示唆が役立っていることは、まずまちがいないし、実際、こうした視座にもとづいた諸氏の著作―たとえば篠原三代平氏の『ヒューマノミックス序説』や拙著『ヒューマノミックスの世界』などが次々に生まれている。
本書は、そんな私のささやかな日本近代化の研究成果にもとづき、私が唱える「ヒューマノミックス」的な視点から産業社会の活路を見いだす構図を描こうとしたものである。
かってシュマッハーは最後の著作“Good Work ”で「私の手では、私たちや私たちが乗っている船をよりよい世界に送りこむほどの風を起こすことはできない。だが、少なくとも、風が吹いてきたときにその風をとらえられるように、帆を張っておくことはできる」
と言った。未熟ながら私もシュマッハーにならって、あるいはリルケの詩にあるように「来る風を予感して、それを生きる」ために。ヒューマノミックスの帆を捲き上げたいと思う。
・・・・・・」

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