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■「なぜ小島塾に参加したか」内海 宙大 (2009.12)


 本文は2008年10月19日の「小島慶三先生をしのぶ会」に参加した後の回想でメルマガ「内海新聞」(No.575:20081031)に掲載した記事から抜粋・加筆したものです。


 私が「小島系」に関わるようになったのは、こういういきさつがあります。
 今から14年ほど前(1995年)、放送大学で経済学を勉強していた私は、ちょうどシュンペーターの「経済発展の理論」を読むというテーマで面接授業を受講していました。岩波文庫の中山伊知郎訳のえらい難解な翻訳調の文章です。


 途中でJ.S.ミルのことを調べていました。茗荷谷の学習センターの図書館で日本経済新聞社から出ていた「J.S.ミル」という小さな本を読んでいたら、企業経営のあり方としてシューマッハーのようなスコットバーダー自治体云々というくだりがありました。
 当時私は、社会主義とかでなくて、もっと新しい社会システムを作って世の中を良くしたいと思っていました。そうすれば右翼や左翼の醜い争いとか、公害とか貧富の差で苦しんだりアフリカの飢餓で死んでいく人がなくなり戦争のない平和で幸せな社会ができると思っていました。
 ですので、そのスコットバーダー自治体というものに興味が出ました。それで図書館にあった祐学社版のE.Fシューマッハーの「スモール=イズ=ビューティフル(人間復興の経済学)」という本を借りて読みました。※この本は現在講談社学術文庫版である。


 スコットバーダー自治体というのは簡単にいうと、社員らが株主になって会社をつくりその利益の10%を社会のために寄付するというものです。本の中ではスコットバーダー自治体は社員も生き生きとして業績もよく、慈善団体というレベルでなく民間企業としてうまくいっているとありました。
 シューマッハーは生涯の活動をアジアやアフリカの発展途上国の自立に注ぎました。そこで彼は今までの国連の緊急支援や世界銀行のような「援助」という金貸しでなく、「中間技術」という手法で途上国の人たちに自立できる経済活動ができるよう現地の人を育てていくことこそが真の手助けになると主張し実践していました。それがITDGという組織です。
※このやり方をもっとも具体的に現在やっているのがノーベル平和賞になったムハマド=ユヌスのグラミン銀行(バングラデシュ)とかです。脈々と関連しているのです。
 そのことは私にとって新鮮でした。募金とかの援助は一見正しそうですが哀れみの気持ちを慈善心で満足させてしまいがちなのと、彼らに水を与え一時のどの渇きはうるおせても、水を飲み終わったらまた飢餓が続くのです。
 でも、先進国のようなハイテクをいきなり移転せず「身の丈にあった技術」で日々の生活や経済活動ができ、自分たちの努力で自立していけるようになれば、それは本当に途上国のためになります。


 私はスコットバーダー自治体のことをもっと知ろうとJ.Sミルを書いた斎藤志郎という方に連絡をとりました。斎藤さんは日本経済新聞社の編集委員だそうです。でも日経本社に電話すると「斎藤さんは退職され、現在は亜細亜大学のアジア研究センターの所長になられています」ということでした。
 亜細亜大学に電話し、ようやく斎藤先生と会うことができました。斎藤先生は重厚なラグーが床に敷いてある落ち着いたインテリアの研究室で、私にロエブルの「ヒューマノミックス」とか、スモール=イズ=ビューティフルの話とかを熱心にされました。私がスコットバーダー自治体のことを聞いて日本でそういうことを研究したり実践しているところはないでしょうかと聞くと、「参議院議員の小島慶三さんのところが『小島塾』をやられていてそこが唯一だろうな。」とおっしゃりました。
斎藤先生は苦々しげに言いました。
「だいたい、私が日経のころは社内でも『斎藤君、スモールじゃないよ、ビッグだよ』なんて笑って言われたもんだからね。」
 斎藤先生の時代は日本が高度成長期で誰しもが近代工業化社会や科学技術によってすべてが解決し人類は繁栄の一途、原子力は夢のエネルギー……が信じられていたので、「環境問題」や「もったいない」なんて今でなら当たり前の考え方もバカにされ相手にもされなかったのです。つまりシューマッハーの考え方なんて経済学者らの間ではまったく傍流だったということです。


 それで、私は当時日本新党の参議院議員であった小島先生の議員会館の事務所に手紙を書いたのです。そうしたら、事務所から電話があって、先生のやられている小島塾に来てみて下さい。というお返事がありました。秘書の方と話していたら当の小島先生が電話口に代わって「シューマッハーのことなら私が説明に行きますからそのときは言って下さい。」と言って下さりました。
 当時の私はまだ20代の勤労学生でしたので、直接こういうすごい方とお話しできたのは驚きましたし、私のような方にそこまで言っていただけるとはいい人だなと思いました。
 それだけでなく、小島先生からは、その後もシューマッハーの本やエッセー集とかが送られてきました。私はてっきり国会議員なのだから政治資金を寄付したりパーティ券でも買ってくれ…とでも言われるのかなと思っていたのでこれにも衝撃でした。
 佐藤克己先生(東大経済卒で桜美林大学の経済学部を創設し退官、私が学外最後の弟子になってしまった)もそうだったんですが、大学者って学ぶ意欲のある人には本を無償でどんどんくれるのです。普通は「私の本、今度出るんで買ってください」ですけどね。俗的なレベルの低い教授とかだと……たまたまかなあ……私はこういう不思議な経験をけっこうしてきたので、いつかは自分が教え子らにそうするだろうと思っています。
 おかげでシューマッハーのことをだいぶ学ぶことができました。日本プレスセンターで毎月開催されていた小島塾にも行き、講演者の政財界のいろいろな方の話を聞きながら質問したり見聞を広めました。この小島塾も参加費2000円なんですよね。信じられなかったですけど。
 何か手伝えないかなと思って、しばらくの間ニューズレターを作ってました。


 あれからもう10年ぐらい経ってしまった。でも、私が勉強していたころは「スモール=イズ=ビューティフル」はケインズやサミュエルソンだろうが近代経済学(って言い方は日本だけですけど)のような、まあ要は竹中平蔵だろうがああいう人たちのやり方とはぜんぜん違うので、読む人は限られていたようです。(というかあんなの経済学でないとまで言われた)最近は開発経済学を専攻する学生や教授らもよく読むようになったようです。
 そして、つい数週間前(2008年9月)、アライアンスフォーラムというイベントがあって、そこでハーバード大学の経済学専攻の大学院生らがプロジェクトチームを作って、「公益資本主義」を研究するというプレゼンを行っていました。スライドの中に「E.Fシューマッカー(英国)」というテロップが出てきたので終わってから講演した大学院生(デビッド=ジェームズ=ブルナー:現ハーバードビジネススクールおよび東京財団の研究員)に
「あのうE.Fシューマッカーってドイツに生まれたE.Fシューマッハーではないですか?」 と聞いたら
「読みを間違ってました。そうです。」 と彼が言ったので、
「なぜ、あなたはシューマッハーを知っていたのですか?」 と聞くと
「彼は英国の石炭公社の偉い人だったので、それで知ってるんです。」 と言ってました。
「じゃあ、『スモール=イズ=ビューティフル』はハーバードでも知られているのですか?」 と聞くと
「いや、ハーバードの経済学の教授らとかは知りませんね。」と苦笑していました。


※「公益資本主義」は2009年10月の週刊ダイヤモンドに2週にわたってブルナー氏らによる論文が発表された。


 如水会館のボールームで、小島先生の遺影の前で拝んだあと、先生の著作が一同に並べられているテーブルに立ち、先生のエッセー集を読みました。自費とか絶版ばかりなので、もうこの場でしか読めないでしょう。他の人と話すこともなく一気にほとんど目を通して食い入るように読んでました。小島先生は数年前から老人ホームに入って目が見えなかったのですけど、頭は相変わらず切れ味良くて、身の回りの世話をする方らに口述筆記頼み本を書いていたのです。驚きですけど。


 そのなかで、かつて小島先生が通産省の官僚時代に書いた本「日本経済と経済政策」が目に留まりました。昭和32年とかのやつです。重厚な本を開いたらびっくりしました。
 今の官僚でも、大学教授が書いたのでもこれほどの本に遭遇したことがありません。そうですね、竹中平蔵だろうが島田晴雄だろうが、世間的には有名な経済学者の「一発本」と違うその質の高さに凝視してしまいました。
「なんてすごいんだ」
やっぱり旧制中学のころ大学で勉強した人は頭のできが違うと毎回思います。小島先生は純粋学者ではないのですが、それでもレベルが高い。統計や分析結果から詳細に日本国の戦後の復興政策の根底になるような記述ばかりです。


 実際小島先生が書いていたこれらの本の内容は霞ヶ関で日本の政策の土台として使われていたようです。
 原子力振興策の章なんて原子核の分裂がどうこうの理学的な記述まで緻密にきちんとしてあるんだけど、どうなってんだ?……理学者に書かせたと思いたいけど。
 その小島先生が原子力は良くないと警告するシューマッハーを20年後には応援していくのですから。なんとも言えないです。


 そして、小島先生が一橋大学時代、研究テーマが農業共同組合であったことも驚きました。実のところ先生は冷たい官僚のようで民衆の味方だったみたいですね。

 小島先生は、通常の経済学がわからないから「スモール=イズ=ビューティフル」を熱心にやったのでないのです。わかりつくしていたからこそ、これからの世を憂えてシューマッハーやレスター=ブラウンを紹介して、最後まで自然環境と日本の農業を守らなければと言い続けていらしたのです。
 私にとって、小島先生は老人の時代しか知りません。でも、最後のこの時に、その巨人さが目の前に現れました。そして、その官僚風の容貌から予想もできない立派な声で長唄を歌いあげる生前の映像を見て、絶句していました。


 小島先生のご冥福をお祈りするとともに、その意志を次代に伝えていこうと思います。

(元東京小島塾)

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