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  「小島慶三先生をしのぶ会」次第
敬愛する小島慶三先生は8月30日(土)千歳船橋の「くらら」でお亡くなりになりました。
 小島先生とともに働いた方々、先生とともに「ヒューマノミックス」を学んだ皆様、そして四十年にわたって先生の教えを受け、その遺志を継ごうという小島志塾の仲間たち・・・ 先生とご縁のあった人々が一堂に相集い「小島先生をしのぶ会」を下記のとおり行いました

 「小島慶三先生をしのぶ会」
 
  日 時 2008年10月19日(日)開会正午〜午後2時
場 所 東京 神田一ッ橋 如水会館 2F オリオン
呼びかけ人 代表
山本克郎 由井克巳 酒井邦恭 井尻千男 峯浦耘蔵 北浦 勉 篠原 孝
最首公司 柳平 彬 秋元征紘 加藤春一 坂井義昌 磯浦康二
       
しのぶ会ご案内文書(PDF)はこちら

しのぶ会しおり(PDF:当日会場で配布)はこちら
しのぶ会の撮影写真はこちらからご覧下さい(※KJKネット会員の方のみご覧になれます)
  「小島慶三先生をしのぶ会」のご報告
KJKネット代表幹事 山本 克郎
「しのぶ会に120人が参列」


 去る10月19日(日)、小島先生ゆかりの如水会館で120余名のご参列を得て偲ぶ会を催すことが出来ました。発起人各位と小島志ネットの会員の方々のお陰で、小島先生にふさわしいご人徳、ご業績を偲ぶ素晴らしい会となりました。
 正面には、在りし日の先生のお写真、両サイドと前面にお花と写真、勲記が飾られ、また会場には小島先生の著書が並べられました。
 12時定刻に司会の磯浦さんの開式の辞で始まり、亡き先生の御霊に黙祷を捧げました。しのぶ会の発起人を代表し小島志ネットの山本から開会のご挨拶を申し上げました。



 
「代表挨拶」


 小島先生がお生まれになった時代と故郷との関わりについて、開戦前年に東京商大を卒業し、初志、学界であられた先生が企画院に就職されました。戦後は占領下の日本が廃墟の中から通産省で困難な経済復興の行政の第一線で活躍され、経済企画庁を代表する日銀政策委員、通産審議官を最後に47歳で官界を去り、請われて、日本精工の役員として実業界で、また経済同友会幹事として理論政策分野で財界活動に取り組まれました。
 67歳で(財)日本立地センター理事長に就任され、地域の振興、農業の振興に全国を行脚されました。この間幾つもの大学の講師を引き受けられ、シュマッハーの翻訳出版や近代化研究所を設立し、小島塾を始められ、更に各地で小島塾を設立されました。
 日本新党細川護熙氏の懇請を請けて参議院に立候補され、75歳で人間復興の時代を拓こうと政界に身を投じ、活躍されました。81歳で政界を引退される頃から視力が低下しご不自由になられました。しかし、小島先生はその後も著作活動を続けられ、遺稿となった句集老いを愉しくは、今年3月の出版で、その数84冊に上っています。
 地球温暖化など地球環境の破壊、生態系の破壊、第一次産業の衰退、泥沼に陥っているテロとの戦い、グローバル化が行き着いた世界的な金融恐慌の中で、小島慶三先生が「ヒューマノミックスが日本を救う」と訴えられた意義を重く受け止め、深く考えました。今日ここに、先生の足跡と業績、お人柄を偲び、改めてその志を継いで参りたいと存じます。


「会の次第」
 まず、先生が戦後復興の重要ポストで活躍された当時、通産省で一緒に仕事をされた元通産審議官、元ジェトロ理事長の増田実さんから往時の小島先生に関するエピソードが披露され、若き小島先生を髣髴とさせるお話がありました。
 献杯の発声と先生をしのぶ言葉は、小島先生が「ヒューマノミックス研究会」を作られた頃からお付き合いのあった元日経新聞編集委員で文明評論家井尻千男さん。「ヒューマノミックスは小島先生の造語であり、小島先生の平衡感覚は美意識で美学の領域であった。美学はエコノミストの必須科目である」と格調高いお話をされました。
 
 献杯の後は、お昼を摂りながら、東京小島志塾の坂井さんが編集制作した映像作品『ある日の小島先生と小島塾』が上映され、在りし日の先生の面影を偲びました。
 続いてご参会の方々から心のこもった数々のスピーチがありました。「ヒューマノミックス研究会」で活躍した田村正勝さん、泉三郎さん等の経済学者、元日経論説委員、元エコノミスト編集長等のジャーナリストといった多彩な先生縁の知識人の方々がお話になりました。
 小島志ネットからは、宮城の峯浦耘蔵さん、鳥取の北浦勉さん、瀬戸内の小林勉さん、北海道の山形健次郎さん等から、各地の小島先生の業績や思い出に纏わる貴重なお話がありました。
 東京からは、町山三郎さん、秋元征紘さん、佐藤勇治さん、小山修さん等、背広ゼミ時代からのメンバーが懐かしい思い出話と在りし日の先生像が語られました。


 視力を失われてご不自由になってから6年間、奥様と「くらら千歳船橋」で暮されましたが、多くの方々が先生を支えました。先生の目となり、本や新聞、雑誌を読むボランティアをされた加藤春一夫人、野口健彦さん、小島先生の甥でいらっしゃる小島成一さん、またくららで、沢山の著作の出版に協力された高田淑子さんなど多くの参会の方々の想いや思い出が語られました。


 会は予定の時間を遥かに超えて、3時間半も続きました。小島先生を偲んで「千の風になって」の演奏を聞き、小島先生のご長男、小島文毅さんからのご挨拶を頂きました。
 最後に、閉会のことばとして、青森小島塾の高松隆三さんが挨拶に立たれ、しのぶ会を立派に締め括られました。


 多くの方々のこれらメッセージは記録を整理して皆様にフィードバックすることにしています。



「会の後も話は続き・・・」
 会が終わってから、話の続きは如水会館のレストランに持ち越されました。小島先生の「志を継ぐ」ことの重さをみな感じていました。これからの小島志ネットに関しても話し合われました。その経過で提案されたことがあります。


「ウィキペディアに小島先生の項目を」
 会員の小川豊さんが「ウィキペディア」に「小島慶三」の項目を立ち上げ、先生の実像を次の世代に正確に伝える必要があると提案されていました。この偲ぶ会の席でも小川さんからご意見を頂きました。是非先生の正確な情報を過不足なく伝えたい、後世に小島慶三先生を、先生が提唱されたヒューマノミックスを伝える義務があると考えました。小川豊さんがキャップになってウィキペディアの作成をお願いすることにしました。
 そのために、小川さんを中心に、KJKネットで「小島慶三研究」をテーマにして資料を持ち寄り、意見を交わして、先生の足跡を辿り、業績を整理して、「先生が何故、どのように真理を探究し、より良く生き抜かれたか」を知るサークルを作りたいと思います。
 そこに収集された資料を基にウィキペディアの小島慶三が編集されると良いものになると思います。小川豊さんは、またウィキペディアに「ヒューマノミックス」という項目を立ち上げて、内外に広く伝えるべきではないかとの提案もありました。まったく同感です。
 これも「ヒューマノミックス研究会」を造って、そこに結集した情報を素材にしてウィキペディアの編集を進めるとよりよいものが出来ると思います。こうした作業を通じて、先生が提起された「自己啓発・相互啓発」を実践し、志を継いで行きたいと思います。
「ウィキペディア」にKJKネット小川豊さんが執筆、立ち上げてくださった小島先生のページが掲載されています →こちらから


「地域振興の支援」
 もう一つ、これは、先生が日本立地センター理事長時代に構想し、推進してこられた課題です。環境や農業に関連する地域振興のプロジェクト支援です。
 草刈啓一さんから岡地慶直さん、山代勁二さん、三野耕治さん達が推進しているBIOプロジェクトに関心を持つネット会員で協力して、地方が直面している課題と取り組み、環境保全、農業再生などの問題を具体的に解決する先進的な実例・モデルを創ろうとの話がありました。
 特に地方で直面している実践を伴う農業再生、地方振興、環境保全の課題に取り組み、貢献することは、KJKネットの意義を高め、ネットの強化に寄与すると思います。いずれか機会をみて、幹事会などでも議論し相談したいと考えます。

 しのぶ会の後、10月24日プレスセンターで事務局会議を開き、しのぶ会を総括し、今後の活動に寄与する方向を議論しました。


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