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11回日本山岳耐久レース

 

2003102526日開催

天候

 

 

 

25日薄曇〜26日晴天

東京の気温:25日最高16.9度〜26日最低14.1度、最高21.2度  

記録

 

 

 

20時間3408秒(ベスト記録更新)

 

 

順位:種目140/完走 202名(出場者 533名)、男子671/完走977名、

総合738/完走1102名(出場者1457名)

完走率

 

 

 

第一チェックポイント通過 1457名(100%)

第二チェックポイント通過 1232名( 85%)

第三チェックポイント通過 1105名( 76%)

ゴール到達         1102名( 76%)

レース記

 

 

この大会も数えて5回目の参加となった。この大会の特徴は、山岳地帯で行われるので、天候の変化が平地と異なることと、24時間昼夜をかけて行われることである。ところで、40歳を過ぎてプロボクサーの道を再度目指す選手のコメントを先日テレビで聞いて、印象に残った言葉がある。それは、「プロボクサーになるということは、試合を目指し毎日一瞬たりとも気を抜くことなく、真剣に生きていくことだ。これが好きで挑戦するのだ。」という言葉だ。山岳耐久レースの長丁場も、一瞬たりとも気を抜かないとまでは行かないが、昼夜をかけて全くレースのことだけに集中する、とてつもなく非日常の世界であり、これが最大の特徴だと思う。とにかく日常世界のことは全く考えない。世の中のしがらみや仕事のことも忘れて。これはウルトラマラソンにも繋がる感覚かもしれない。

会場の武蔵五日市中学校は、JR武蔵五日市駅から西に歩いて10分ほど。武蔵五日市はJR中央線が立川から分かれ、さらに拝島でさらに枝分かれする五日市線の終点で、立川からは30分ほど要する。都心から行くには立川、拝島で乗り換えなくてはならない。乗り換えには待合せ時間のロスが出るので、立川はまだしも、拝島だけでも直通で行ける武蔵五日市行きを選んで乗った方が効率的。私は当日、立川1013発の武蔵五日市行きに乗って1047に到着。受付を済ませるとほぼ1100となった。電車は立川始発のため、ホームにはちょっと早く入るので、少し早めに並ぶと座ることができる。一般乗客を含めて意外に混むので、ぎりぎりに乗ると座るのはムリだ。

 会場に向かう選手達    受付前の荷物チェック

当日は、台風17号が太平洋に居座っており、海はその影響があるという予報。一方、日本海側では早くも冬将軍が南下し始めているようで、夏のなごりと冬の到来が混ざり合っているような困った天気となったが、251300のスタート時点では、なんとか穏やかな薄曇の空となった。しかし、恐らく山頂では気温はかなり下がるであろうと誰もが予想しており、ウエアは長袖、長ズボン(あるいはスパッツ)さらに重ね着の出で立ちが多く見られた。私も長袖Tシャツにロングスパッツでスタートした。ところでこのレースでは、スパッツを履いた選手が多いが、スパッツそのままはランナー、スパッツの上にショートパンツを重ねて履いているのは恐らくクライマーであろう。なぜならランナーはスパッツそのままの姿に慣れているから。しかし、予測に反して気温は下がらず、私は上のウインドブレーカーを一時着たが、すぐに脱いで三頭山あたりからゴールまでは、スタート時点と同じ服装で行くことができた。だから、Tシャツも着替えなかった。実際天候に関わらずTシャツの着替えは不要かもしれない。さらに26日になると、早朝にも関わらずかなり暑くなりゴール手前ではかなりの汗をかくほどとなった。

荷物は基本的にその日と夜の天候を想定してパックするので、ウエアは直前に選べるように少し余分に持っていく。さらにレース後の着替えもあることから、私はレース用のリュックのほかにバッグが必要だった。そのような選手が多い。

今年は参加者が多く荷物置場(着替え場所)が二箇所となった。いつもの中学校のほかに隣の小学校も使用する。今年参加者が多くなったのは、感覚的には若い女性が増えたからのような気がしたが、実際は男子の方が一段と増えていた。定員は1000名と言われていたが、申込者が1674名、そのうち出場者は1457名に達したようだ。着替え場所は私は小学校の方を指定された。二箇所あるので、昨年のように混みあうことはなくゆったりと使えた。ところで、この荷物置場は警備をしないので、貴重品はレース中持参することが肝心だ。

スタートまでの2時間は気温を考えながらのパッキング。そして着替え。スタート1時間前の12時ごろにお握り、ジュース、バナナ、大福などで昼食をとる。

レース中の私の持ち物は毎年とほぼ同じだが、今年はさらに寒さ対策に薄手のアンダーシャツを一枚追加(しかし実際は着用せず。)。水は規定の最低限の2リットルを持った。ハイドレーションのタンクに水を全部を入れると、タンクはリュックの中なので残量が見えず、いきなり無くなって焦ることもあると思い、タンクに1.5リットル、ペットボトルに0.5リットルと分けて入れた。その他に寒さ対策に焼酎を少々持ったがほとんど飲まず、これも余分なものだった。リュックの重さは7kgほど。

 スタート直前の私の元気な姿。後ろの参加者達のウエアは様々。

恒例の東京山岳連盟会長の言葉の後にスタートする。予測タイム順に並ぶが、私は最後列から。スタート後、先頭は駆け足で去っていく。中学校校門を出ると付き添いや市民の応援が続く。校門から200mほどを真っ直ぐ走ると、武蔵五日市のメインストリートである檜原街道にぶつかるが、この日はやたらと車が多く、おまわりさんにここでストップをかけられる。30秒ほどの足止めを食った後横断しさらに南下する。秋川に架かる小和田橋を渡る際、その流れの透明さに感激するが、その脇で生活下水が垂れ流しされていたので、ちょっと幻滅。

山に入る前に、恒例となっている地元のお祭り囃子で激励される。一度山道に入るが、また巨大な変電所脇に出てここの舗装路は少し走る。本格的には今熊神社からの山道である。ここはいきなり急激な上り坂が続き、息が上がるところだ。そして約7kmの入山峠の舗装路を横切る地点で係員の応援を受けるが、すぐにまた階段を上って本格的に山道へ入っていく。

係員は3つのチェックポイントのほかにも数箇所で通過を確認している。彼らはまた、誰も応援する者のいない山間部で激励してくれるのでありがたい。係員のいる場所は凡そ次ぎの場所、入山峠(7 km)、ルートが折れ曲がる山中(市道山11.70kmあたりか距離不明)、醍醐丸(15.29 km)、三国峠(19.34 km)、土俵岳(24.76 km)、西原峠(32.19 km)、三頭山(36.32 km)、鞘口峠(38.02 km)、月夜見山(42.09 km)御前山(46.57 km)、大ダワ(49.77 km)、大岳山手前(53.71 km)、日の出山(60.55 km)、金比羅山(ゴール2km程手前、正確な距離不明)などである。振り返って見ればかなりしっかりと監視してくれている。

空が薄曇のせいで、木陰の山道は昼過ぎでも夕方に近い薄暗さとなっている。そして1700に近くなるころには夕闇となった。ここまではあまり休みもせずに来たので、少し休憩を取ってヘッドライトを出す。場所は16,7kmあたりか。今年はLEDランプのヘッドライトを使った。電池の持ち時間は豆電球と比べて数倍に伸びたが、豆電球の方が明るいような気がする。一応予備に豆電球のヘッドライトも持っていったが、結果的にはLEDライトだけで用は足りた。LEDライトの方が光が白く明るさはさほど強くない。また、LEDは障害物があるとくっきりと影ができる。豆電球の方が光が回り込む気がする。昨年までは途中で電池交換をしたが、今回はそういうわけで電池交換は不要だった。

日没の時、空が夕焼けとなった。ということは、明日は晴れるということで良い兆しだ。南の方に富士山が見え、夕焼けに染まっていた。

 写真にはうまく写っていないが、富士山が夕焼けに染まってきれいだった。

実は、私は今年のレースで二度ルートを間違えた。道を間違えるのは夜間であるが、このレースでは第一チェックポイントから三頭山までの約15kmの間と、第二チェックポイントから御前山までの約4kmの間にあると思われるが、私はその二箇所で間違えてしまった。しかし、運の良いことに私の後にすぐ1人続いており、その人が私につられてルートを外れたのをさらに後の人が見て声をかけられ、私にも教えてくれたというわけである。二度とも同じように、ルートを外れたことを指摘され、すぐに戻れたので、時間的ロスはほとんどなく助かった。間違えた理由は同じように、ルートを示す赤い点滅ライトで道が枝変われしており、そこで反対側のコースに進んだのである。こんな場所ではライトの下に矢印の表示板が必ずあるので、それを確認することが肝心だ。私はライトだけを見て反対に進んでしまった。

アクシデントとしては、三頭山に登る手前で右足先を岩の頭にぶつけてしまった。走るとまではいかないまでも早足で進んでいるので、勢いが余って親指の爪を痛めてしまった。しかし体全身で痛さをこらえつつそのまま休まずに進む。恐らく内出血しているだろうが、ここで足を見てもしょうがない。きっと足が上がっていないのだろう。このあと意識的に足先を上げるように心がけたが、ゴールまでに同じ場所をもう一度ぶつけ、さらに左足先もぶつけてしまった。シューズ表面は硬くできているわけではないので、岩などに当たるとそのまま足は衝撃を受ける。明るいうちは岩を蹴っ飛ばすようなことは無いが、暗くなるとそんなことが起きる。また、今回は土は乾いていて下り坂でも滑ることはなかったが、皆に踏まれた木の根っこの表面がつるつるになっており、その上に足を乗せて足をとられるということが再三起きた。こんな時こそストックがあると身体を支えられる。

今年はできる限り休憩時間を短縮しようと心がけ、最高峰の三頭山でも10分以内で出発した。

 三頭山山頂の様子。ウエアの蛍光板が闇に浮かぶ。

月夜見駐車場の第二チェックポイントも15分ほどで出発した。しかし案の定、深夜は体が動くのを拒み続ける。そんな身体をだましながら進むために、休む時は時間を決めて横になり目を閉じることにした。でも、本格的に寝ないように時々時計を確認しながら。やはり深夜の100300に登頂する御前山は苦しい。スピードが落ちることもあって時間がかかり、延々と登り坂が続く感じである。御前山に登るのは、いつも深夜なので前のレースでの記憶があまり残っていない。ここは一度登ってちょっと平坦になるのでそろそろ頂上かと思いきや、さらにまた登らねばならない。最後に木ぐいの柵に沿ったルートに出会うとようやく頂上に近づいた印。私は毎回、第二チェックポイントから御前山頂上までの約4.5km2時間近くも要してしまう。私にとって最もきつい2時間である。繰り返しになるが、深夜という条件がこうさせているのだろう。

御前山に登ったら、身体にご褒美として少しの休養を与える。やっとの思いで急斜面を下り(この下りも相当長く感じる)、大ダワに到着。この間下りの3.2kmなのに1時間半も要した。大ダワは舗装路につながっているので、係員がテントを張ってリタイアを受け入れている。ここで小休止する選手もいれば、すぐに発つものもいる。私はかなり疲れて、地面(コンクリート)の上に5分ほど横たわり目を閉じて休憩してから後、スタートした。しかし、大ダワ到着時ですでに400を過ぎており、身体は徐々に目を覚ましてきたようだ。それまで大岳山には登れるかと思うほど疲労が溜まっていたのが、ここから不思議なほど疲れが薄れてくる。

日の出は大岳山山頂だった。登頂した時はヘッドライトが必要だったが、下山の時には不要になった。大岳山山頂では富士山を薄っすらと拝むことができた。山並みの彼方に、それらの山を従えるように富士が見える絶景である。今日は天気が良さそうだ。深夜は鳥の声すら聞こえないが、朝が近づくと色々聞こえてくる。大岳山手前では、聞きなれない動物の叫び声が響いていた。猿だろうか。ランナー達を見て仲間に知らせているのであろうか。夜明け前の薄闇の中で聞いた叫び声はなにか幻想的だった。

大岳山からはさらに元気になり、道も良くなったことで快調に第三チェックポイントも無事通過。ここでも据付のベンチに寝て5分ほど休憩し最後の鋭気を養う。ここではほとんど休まずに先を急ぐランナーも多い。そして日の出山からは若干の登りを含むが、基本的には下りが約11km続く。この区間は景色に特徴がないので、あと何キロなのかが良く分からない。ここは早足で歩き、徐々にスピードを上げていった。後半に神社の横を過ぎると舗装路となり、街が近づいた感じがしたので、ここから走り始める。第三チェックポイントから抜かれた選手を何人か捕らえて抜き返し、街に出てからもさらにスピードを上げてゴールした。私自身はタイムを競っていないつもりだが、ゴールが近づくとつい走ってしまうのは、やはりランナーの習性だろうか。

26日は晴天となり気温も上がった。最後のスパートではかなりの汗をかいた。良い方に予測のはずれた天候だった。

このレースは完走することが目的なので、とにかく街に出ると本当にほっとする。今回もなんとか完走できた。やれやれ。

レースが終わって、距離と速度の関係を見ると、2001年から2003年までの三回の結果はほぼ同じラインを描いていた。

上のグラフから分かることは、

スタートから20kmまでは4km/h前後で、安定的に推移している。

第一チェックポイント(22.60km)を過ぎるあたりでは、休憩も含むため速度は少しずつ落ち始める。

土俵岳(25.5km)あたりではアップダウンが続くせいか、さらに速度は3km/h程度にダウンする。

その後、西原峠(32.19km)まではわりと平坦な山道が続くためか、速度はまた4km/hまで持ち直す。

険しい三頭山(36.32km)の登り下りでは速度は確実に落ち、2km/h程度となる。

鞘口峠(38.02km)から月夜見山を過ぎての第二チェックポイント(42.09km)までは下りも多くて少し回復し、3km/hまで持ち直すが、深夜の御前山(46.57km)の前後は、休憩も含み速度は2km/h程度となる。最も速度が下がる時間帯である。

大ダワ(49.77km)からは徐々に体力は回復し、大岳山(53.71km)登山では山頂近くは岩場で厳しいにもかかわらず、三頭山(36.32km)を登山した時の速度に近づく。

ラストの日の出山(60.55km)からゴール(71.50km)までは、夜が明けたことで元気を取り戻し速度は一気に56km/hまで上がる。

 

 

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