戦後進出してきた企業の多くが、旧海軍工廠の敷地を利用している。 これは土地だけではなく、生産設備も旧工廠時代のものを流用できたことが大きな理由になっている。 また、旧工廠技術者や職工の存在も、企業進出を促進した理由として見逃せない。
- IHI/ジャパン マリンユナイテッド
- 旧海軍工廠造船部に立地。 船舶、海洋構造物、航空エンジン、ガスタービン等を製造している。
1946年(昭和21年)4月1日旧造船部の運営を播磨造船所に委託、旧呉工廠から工員3,751名を引き継いで呉船渠を開設。 NBC(National Bulk Carrier)の日本進出により、1951年(昭和26年)8月15日播磨造船所は約半分の施設をNBCに譲渡。 1954年(昭和29年)9月27日播磨造船所呉船渠は呉造船所として分離独立。 1962年(昭和37年)9月15日NBCの撤退により施設を呉造船所が継承。 1968年(昭和43年)呉造船所は石川島播磨重工と合併。 造船部門は2002年(平成10年)10月1日に住友重機械工業株式会社の艦艇事業と統合されアイ・エイチ・アイ マリンユナイテッドとなった。 さらに2013(平成25年)1月には、アイ・エイチ・アイ マリンユナイテッドと、ユニバーサル造船が統合され、ジャパン マリンユナイテッドとなった。
- 王子マテリア
- 旧第11海軍工廠に立地。 包装用紙、上質紙、微塗工紙などの印刷用紙を中心に、無機質紙、不織布なども生産している。
1949年(昭和24年)1月東洋パルプ株式会社設立。 1951年(昭和26年)12月呉工場が操業開始。 1989年(平成元年)4月王子製紙と合併。 2012年(平成24年)10月、呉工場を含む一部事業を王子板紙に譲渡、王子板紙は王子マテリアに社名変更した。
- 三菱重工業呉工場(日立製作所→日立ボイラ→バブコック日立→三菱日立パワーシステムズ→三菱パワー→三菱重工業)
- 旧海軍工廠軍需部および砲熕部に立地。 ボイラ、原子炉圧力容器等の製造を行っている。
1959年(昭和34年)6月、日立製作所日立工場呉分工場として、ボイラ工場の建設に着手。 同年12月旧に旧砲熕部の第二工場が操業開始。 1961年(昭和36年)2月、日立工場から独立し、呉工場となる。 1963年(昭和38年)10月に日立ボイラとして日立製作所より独立、1965年(昭和40年)2月には、バブコック日立と合併しバブコック日立呉工場となる。 2014年2月に三菱重工業と日立製作所のとの火力発電事業統合会社である三菱日立パワーシステムズの子会社となり、2014年10月には三菱日立パワーシステムズに吸収合併された。 2020年9月には、日立製作所が経営から手を引き、三菱パワーに社名変更された。 更に2021年10月1日には三菱重工業に吸収合併され、三菱重工業呉工場となった。
旧海軍工廠砲熕部に立地する呉第二工場内には、砲塔組立ピットが残っており、現在も原子炉圧力容器の製造に使用されている。
- ミツトヨ
- 測定機器メーカーで、ノギス、マイクロメータの国内シェアは90%以上を誇る。
1934年(昭和11年)マイクロメータ国産化のため東京・武蔵新田に研究所を開設。 1959年(昭和34年)マイクロメータの素材からの一貫生産をめざし広島県・呉市に広島工場を建設。
- 淀川製鋼
- 旧海軍工廠砲熕部に立地。 表面処理鋼板の製造を行っている。
1935年(昭和10年)1月30日大阪市に鉄鋼板・鉄鋼材製造を目的として設立。 1953年(昭和28年)呉に冷間圧延鋼板製造工場の建設に着手。 1954年(昭和29年)呉工場が完成し、冷間圧延鋼板・磨帯鋼の製造を開始した。