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三十糎艦船連合呉支部

三十糎艦船連合呉支部

呉発祥や立地する企業には、シェアがトップクラスの企業も少なからずあり、なかなか興味深いものがある。

呉と周辺地域発祥の企業

戦前に創業した企業は、海軍工廠を支えた道工具の生産企業が多い。 また、戦後に創業した企業の中には旧海軍工廠の技術者が中心となったものがある。

造船

神田造船所
1937年(昭和12年)海軍指定工場・神田造船鉄工所として操業開始。 1948年(昭和23年)株式会社神田造船所に改組
最近ではあまり見ることのできない滑走(ボール)式進水式が見学できる。 進水式の情報はくれナビも参照。
山本造船
1929年(昭和4年)4月木造船の建造及び、修理業として山本造船を設立。 1942年(昭和17年)3月 戦時計画造船の指示に応じ渡子島造船を設立。 1946年(昭和21年)4月 渡子島造船を解散し山本造船を設立。  1991年(平成3年)3月 山本造船所を山本造船株式会社に法人化。
呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)の1/10大和の建造や大型展示物の復元や補修を担当した。

金属製品

ダイクレ
1951年(昭和26年)に呉で創業したグレーチング・メーカ。 国内シェア40%以上を誇る業界のトップメーカである。 「グレーチング」とは聞き慣れない言葉であるが、日常でよく見かけるものである。 その正体は同社のウェブページを見ていただきたい。
中国工業
1950年(昭和25年)10月に広島県西条町(現・東広島市)で創業。 呉市旧軍用施設で鉄構製品の製造を始めた。 工業用のタンクや、サイロ 、製鉄所向コンベヤなども手がけているが、最もポピュラーなのは、街角や家庭の軒下などでよく見かけるLPガスボンベである。 この分野ではトップメーカーであり、全国シェアは30%を越えているらしい。
ヤスリホームページ
呉市仁方地区は「やすり」の名産地であり、全国シェアの95%を占めている。 仁方やすりの起源は、文政年間に大阪から製法技術を移入したのが始めと言われている。 他の産地(新潟、東京など)が戦災をうけ衰退したのに対し、戦争の被害が少なかった仁方は、戦後一大産地になった
「壺○○」「ツボ○○」等の屋号が多いが、これは焼入れに使用する味噌を保存する壺からきているともいわれている。 焼入れ時に味噌を塗布する理由は、水蒸気に囲まれることなく均一に冷やされ完全焼入れができることや、刃先から炭素(硬くするため最も重要な元素)が逃げたりすることを防ぐためである。

機械

ディスコ
砥石メーカの第一製砥所として呉で1937年(昭和12年)に創業した。 1956年(昭和31年)万年筆メーカの要求により、ペン先を切り割るための厚さ140マイクロメートルの砥石を開発。 これをきっかけに精密加工部門に進出、シリコン・ウェハー等をミクロン単位の精度で切断を行うダイシングソーは、世界の半導体メーカで使用されるようになった。
新日本造機
舶用タービン、ポンプの製造を目的として、1951年(昭和26年)12月廣造機の社名で発足。 1959年(昭和34年)住友重機械工業の傘下に入る。 その後陸上部門へも進出。 1973年(昭和48年)11月日本水力工業と合併し、新日本造機となる。

窯業

クレトイシ
1919年(大正8年)創業の呉製砥所をルーツとする「といし」メーカである。 「といし」といっても包丁研ぎ器のようなものではない。 工業用の研削加工に使用する研削砥石から研削周辺機器までを幅広く製造している。

鉄鋼

広島メタル&マシナリー(旧・寿工業)
1935年(昭和10年)8月、広島県呉市阿賀町に奥原工作所として操業。 昭和27年(1952年)7月「寿工業株式会社」へ商号変更。 景気低迷に伴う鉄鋼需要の落ち込みで業績が悪化により、2012年(平成24年)4月に破産を申請、、2013(平成25年)年9月、事業継承する新法人としてKK準備会社を設立。 2014年2月に旧寿工業より事業を譲受したKK準備会社から商号を寿工業へ変更した。 2016年(平成28年)2月には広島メタル&マシナリーへ商号変更した。 鋳造品、舶用関連部品、各種産業機械を製作している。 同社の広製作所は、旧第11海軍航空廠第3区の払い下げを受けたものである。

化学工業

中国化薬
1947年(昭和22年)3月創業。 旧陸海軍弾薬類の解撤業務からスタートした。 その後、米軍火工品の製造をはじめとして各種火工品の製造を開始、現在では防衛火工品、産業火薬品 、宇宙ロケット用火工品の他、医薬品も製造している。 なお、自衛隊の売店などで販売されている栄養ドリンク「元気バッチリ」は、この会社の製品である。

その他製造

セーラー万年筆
1911年(明治44年)阪田久五郎が広島県呉市稲荷町で創業。 1932年(昭和7年)株式会社セーラー万年筆阪田製作所となる。 日本初のボールペン製造や、カートリッジ式万年筆の発売などを行ってきた。 現在では産業用ロボットやデジタル印刷システムも手がけている。
中国木材
1955年(昭和30年)中国チップ工業設立 。 1957年(昭和32年)旧海軍用地の払い下げを受け、広工場開設 。 1969年(昭和44年)中国チップ工業(株)を中国木材(株)に商号変更。
主として住宅用構造材の開発生産を行っている。 海外原木外買付け・輸入・乾燥・加工・販売まで一貫して手がける企業である。

食品

田中食品
「ふりかけ食品」のメーカである。 サンリオのキャラクターを使用した「ふりかけ」が有名である。 1901年(明治34年)に呉で創業し、当初は味噌・漬物・瓶・缶詰の製造、販売をしていた。

建設

深田サルベージ建設
1910年(明治43年)7月呉市で深田海事工業所として創業した。 てつのくじら館に据え付けられた潜水艦「あきしお」の海上輸送を担当したのは、この会社である。
尚、この会社の所有船は、クレーン船が「武蔵」「富士」「金剛」等、揚錨船が「おやしお」「ハヤシオ」「あきしお」等、交通船が「まつ」「かつら」「ひのき」等、狙っているとしか思えない命名をされている。
増岡組
1888年(明治21年)増岡商店創設。 1908年(明治41年)増岡商店を改組(実質的な創業)。 海軍の御用商人として活躍。 1948年(昭和23年)年 株式会社増岡組に改組改名。
現在の本社は東京であるが、創業地である広島での施工実績が多い。 呉では、古くは下士官兵集会所(現海上自衛隊呉集会所)や最近では呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)。 他にも呉阪急ホテル、市庁舎、市民会館、図書館、文化ホール、市立美術館及びフェリーターミナルなどがある。 また、新旧広島市民球場、広島広域公園陸上競技場(ビッグアーチ)などを手がけている。
五洋建設
1896年(明治29年)水野組創立。 呉・佐世保など海軍の工事に携わる。 1929年(昭和4年)合名会社水野組設立。 株式会社水野組に改称。 1967年(昭和42年)2月社名を五洋建設に改める。
準大手総合建設会社であるが、海洋土木を得意とし海洋土木大手としても知られている。 特にスエズ運河改修プロジェクトはNHK『プロジェクトX〜挑戦者たち〜』でも取り上げられ有名となった。
呉では、呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)やクリーンセンターくれ 。 また、新広島市民球場、広島グリーンアリーナや広島市交通科学館などを手がけている。

進出企業

戦後進出してきた企業の多くが、旧海軍工廠の敷地を利用している。 これは土地だけではなく、生産設備も旧工廠時代のものを流用できたことが大きな理由になっている。 また、旧工廠技術者や職工の存在も、企業進出を促進した理由として見逃せない。

IHIジャパン マリンユナイテッド
旧海軍工廠造船部に立地。 船舶、海洋構造物、航空エンジン、ガスタービン等を製造している。
1946年(昭和21年)4月1日旧造船部の運営を播磨造船所に委託、旧呉工廠から工員3,751名を引き継いで呉船渠を開設。 NBC(National Bulk Carrier)の日本進出により、1951年(昭和26年)8月15日播磨造船所は約半分の施設をNBCに譲渡。 1954年(昭和29年)9月27日播磨造船所呉船渠は呉造船所として分離独立。 1962年(昭和37年)9月15日NBCの撤退により施設を呉造船所が継承。 1968年(昭和43年)呉造船所は石川島播磨重工と合併。 造船部門は2002年(平成10年)10月1日に住友重機械工業株式会社の艦艇事業と統合されアイ・エイチ・アイ マリンユナイテッドとなった。 さらに2013(平成25年)1月には、アイ・エイチ・アイ マリンユナイテッドと、ユニバーサル造船が統合され、ジャパン マリンユナイテッドとなった。
王子マテリア
旧第11海軍工廠に立地。 包装用紙、上質紙、微塗工紙などの印刷用紙を中心に、無機質紙、不織布なども生産している。
1949年(昭和24年)1月東洋パルプ株式会社設立。 1951年(昭和26年)12月呉工場が操業開始。 1989年(平成元年)4月王子製紙と合併。 2012年(平成24年)10月、呉工場を含む一部事業を王子板紙に譲渡、王子板紙は王子マテリアに社名変更した。
三菱重工業呉工場(日立製作所→日立ボイラ→バブコック日立→三菱日立パワーシステムズ→三菱パワー→三菱重工業)
旧海軍工廠軍需部および砲熕部に立地。 ボイラ、原子炉圧力容器等の製造を行っている。
1959年(昭和34年)6月、日立製作所日立工場呉分工場として、ボイラ工場の建設に着手。 同年12月旧に旧砲熕部の第二工場が操業開始。 1961年(昭和36年)2月、日立工場から独立し、呉工場となる。 1963年(昭和38年)10月に日立ボイラとして日立製作所より独立、1965年(昭和40年)2月には、バブコック日立と合併しバブコック日立呉工場となる。 2014年2月に三菱重工業と日立製作所のとの火力発電事業統合会社である三菱日立パワーシステムズの子会社となり、2014年10月には三菱日立パワーシステムズに吸収合併された。 2020年9月には、日立製作所が経営から手を引き、三菱パワーに社名変更された。  更に2021年10月1日には三菱重工業に吸収合併され、三菱重工業呉工場となった。
旧海軍工廠砲熕部に立地する呉第二工場内には、砲塔組立ピットが残っており、現在も原子炉圧力容器の製造に使用されている。
ミツトヨ
測定機器メーカーで、ノギス、マイクロメータの国内シェアは90%以上を誇る。
1934年(昭和11年)マイクロメータ国産化のため東京・武蔵新田に研究所を開設。 1959年(昭和34年)マイクロメータの素材からの一貫生産をめざし広島県・呉市に広島工場を建設。
淀川製鋼
旧海軍工廠砲熕部に立地。  表面処理鋼板の製造を行っている。
1935年(昭和10年)1月30日大阪市に鉄鋼板・鉄鋼材製造を目的として設立。 1953年(昭和28年)呉に冷間圧延鋼板製造工場の建設に着手。 1954年(昭和29年)呉工場が完成し、冷間圧延鋼板・磨帯鋼の製造を開始した。