呉の歴史を簡単にまとめた。 詳細な歴史については、ページ末に示した文献を参照。
呉市郷原町の郷原遺跡より、土器・打製石鏃(せきぞく)・石匙(せきひ)・スクレーパ・石錐などが出土。 |
呉市広町芦冠の芦冠遺跡より、の土器・板状土偶などが出土。 |
呉市上平原町より打製石鏃が出土。 |
呉市焼山町より石槍が出土。 |
(前期) | 呉市広町横路より弥生式土器破片出土。 |
(後期) | 呉市吉蒲潭鼓町、栃原町、苗代町、焼山町、広町より弥生式土器、土器破片出土。 |
池浜古墳:呉市若葉町(現:海上保安大学校)にあったが、海軍工作庁建設のため消滅。 |
情島古墳:呉市阿賀町情島に、半壊の状態で現存。 形状は円墳と考えられ、内部構造は横穴式石室である。 |
呉市焼山町より須恵器が出土。 |
呉市幸町入船山より、8世紀から12世紀にかけての祭祀用の土師器・須恵器が多数出土。 |
7世紀後半 | 律令地方行政制度の整備に伴い、呉地域に安芸郡海里(呉湾沿海地域と島しょ部)フナキ里(灰ヶ峰山ろく)が置かれる。 |
703年(大宝3年) | 宮原に亀山神社建立と伝えられる。 |
8世紀 | 安芸国に遣唐使船の建造が命じられる。 |
11世紀末〜12世紀初 | 呉浦の開発領主呉氏、呉浦の未開発地を開発して「呉別符」とし、雑公事部分を石清水八幡宮に寄進。 |
14世紀前半 | このころまでに石清水八幡宮は呉保の領有権を失う。 南北朝期は大内氏分国となる。 |
1467年(応仁1年)7月 | 応仁の乱において、呉・警固屋・能美・倉橋の海賊衆は、西軍の大内氏に従い上洛軍の先陣を努める。 |
1523年(大永3年) | 尼子経久、安芸に侵入。 尼子側に立った野間氏が呉を占拠。 |
1534年(天文3年) | 亀山神社炎上。 |
1554年(天文23年) | 小早川隆景、呉地方を接収。 |
1575年(天正3年) | 呉の末永景道、仁方の白井縫殿助ら,小早川水軍として石山合戦に参加。 このとき、白井縫殿助は戦死したと伝えられる。 |
文禄・慶長の役において、呉・吉浦の給人・住人が、小早川・吉川の「船手衆」として朝鮮出兵に従軍。 |
1649年(慶安2年)2月19日 | 地震により阿賀村の家850戸のうち大半が被災。 |
1686年(貞享3年) | 宮原村の呉浦を呉町と呼ぶようになる。 |
1724年(享保9年) | 庄山田村の庄屋熊崎新左衛門の発案により、旱害を防ぐために二河川から水を引くこととなり、村内百姓のべ1万人余により38日間で下井手完成。 |
1731年(享保16年) | 庄山田村の上井手完成。 |
1806年(文化3年)3月9日 | 伊能忠敬、仁方村と広村小坪で測量実施。 3月12日小坪〜広村本村〜阿賀村明神崎 3月16日鍋・警固屋・鳥ノ平 3月18日瀬戸向・鍋島・鴉小島・宮原村・吉浦村三ツ石山・中島・麗女島・庄村 3月19日呉町・吉浦 |
1856年(安政3年) | 三宅清七が、味醂・焼酎・白酒製造業開始−現在の三宅本店(「千福」醸造元)。 |
1886年(明治19年)5月4日 | 第2海軍区鎮守府の位置を安芸郡呉港に設定。 |
1889年(明治22年)7月1日 | 呉鎮守府開庁。 同時に海兵団・呉海軍病院なども業務開始。 |
1890年(明治23年)4月21日 | 明治天皇の行幸を得て呉鎮守府開庁式挙行。 |
1899年(明治32年)3月31日 | 呉海軍造船廠において最初の軍艦「宮古」(通報艦)竣工 |
1899年(明治32年)5月15日 | 広島水力電気(株)により呉に電灯供給開始。 |
1902年(明治35年)10月1日 | 宮原村・荘山田村・和庄町・二川町が合併し呉市誕生。 |
1903年(明治36年)2月4日 | 呉市長(初代)に佐久間義一郎就任。 |
1903年(明治36年)11月1日 | 呉海軍造船廠と呉海軍造兵廠が合併し、呉海軍工廠設立。 廠内に造兵部・造船部・造機部・会計部・製鋼部・需品庫を設置。 |
1903年(明治36年)12月27日 | 呉線呉〜広島間開通。 |
1909年(明治42年)10月31日 | 呉電気鉄道(株)経営による県内初の市街電車、西本通三丁目〜本通九丁目間開通。 (全国6番目) |
1918年(大正7年)4月1日 | 呉軍港水道より余水の分与を受け,呉市水道供給開始。 |
1918年(大正7年)8月13日 | 呉市で米騒動発生(参加者数万人)。 軍隊が出動し鎮圧(〜8月15日) |
1918年(大正7年)11月 | 呉海軍工廠職工教習所開設。 |
1920年(大正9年)11月25日 | 呉工廠において戦艦「長門」竣工。 |
1921年(大正10年)1月15日 | 呉海軍工廠広支廠開庁、航空機部・造機部・機関研究部・会計部を設置。 |
1922年(大正11年)10月2日 | ワシントン軍縮の第1次職工整理により、3,989人退廠。 |
1923年(大正12年)4月1日 | 呉海軍工廠広支廠分離独立し、広海軍工廠となり、総務部・医務部設置。 |
1925年(大正14年)3月1日 | 県内初の市立図書館として呉市図書館仮閲覧事務開始。 |
1927年(昭和2年)4月1日 | 芸南電軌(株)経営による市街電車、本通九丁目〜呉越間運転開始。 |
1928年(昭和3年)1月21日 | 普通選挙法に基づく、初の市議会議員選挙実施。 |
1928年(昭和3年)4月1日 | 呉市に阿賀・警固屋・吉浦の3町合併。 |
1931年(昭和6年)4月1日 | 安芸郡焼山村と本庄村のうち苗代・栃原・押込が合併し昭和村誕生。 |
1931年(昭和6年)4月18日 | ロンドン軍縮に伴う職工整理による呉工廠3,723人(全従業員の約2割),広工廠191人(全従業員の約1割)の退廠式。 |
1931年(昭和6年)5月3日 | 佐世保海軍航空隊広分遣隊を廃止し、呉海軍航空隊設置。 |
1935年(昭和10年)11月24日 | 広〜三津内海間が完成し三呉線呉−三原間開通。 三呉線は呉線海田市−呉間を編入、呉線に改称。 呉線海田市−三原全線開通。 |
1936年(昭和11年)7月 | 川原石など呉線沿いに目隠し板塀設置。 |
1938年(昭和13年)10月15日 | 国道32号(呉〜広島間道路、現・国道31号)通行開始。 |
1941年(昭和16年)4月21日 | 呉市に仁方町・広村合併。 |
1941年(昭和16年)12月16日 | 呉工廠において戦艦「大和」竣工。 |
1945年(昭和20年)3月19日 | 呉軍港を中心に、米艦載機約350機による空襲。 |
1945年(昭和20年)5月5日 | B29約120機、広地区海軍工作庁を中心に爆撃。 |
1945年(昭和20年)6月22日 | B29約180機、呉工廠を中心に爆撃。 |
1945年(昭和20年)7月1日 | B29約100機、夜半より翌2日早朝にかけて呉市を空襲、市街の大半を消失。 |
1945年(昭和20年)7月24日 | 米艦載機約870機、呉軍港内艦艇を中心に爆撃。 |
1945年(昭和20年)7月28日 | 米艦載機約950機及びB29・B24約110機、主に呉軍港内艦艇を爆撃。 |
1945年(昭和20年)8月6日 | 広島市の原爆投下に際し、呉市より多数の救護者派遣。 |
1945年(昭和20年)9月17日 | 枕崎台風により死者1,154人、負傷者440人、流失家屋1,162戸、半壊家屋792戸発生。 |
1945年(昭和20年)10月6日 | アメリカ占領軍輸送船団約30隻広湾に入港。 翌7日、本隊19,500人上陸。 |
1946年(昭和21年)2月1日 | 英連邦占領軍先遣隊と海軍部隊、呉に入港。 以後、後続部隊が次々に上陸し、総司令部(一時、江田島へ移転)と基地部隊を呉市内に置き中国・四国地方に展開。 |
1947年(昭和22年)4月5日 | 新憲法による第1回市長選挙実施。 |
1947年(昭和22年)12月7日 | 昭和天皇が中国地方巡幸の一環として呉市を訪問。 |
1950年(昭和25年)4月7日 | 参議院本会議で旧軍港市転換法可決。 11日衆議院本会議で可決。 |
1950年(昭和25年)6月28日 | 旧軍港市転換法公布。 |
1950年(昭和25年)8月2日 | 市営二河プールで日米豪交歓水上競技呉大会開催(古橋選手が500メートル自由形で5分55秒8の世界新記録樹立)。 |
1952年(昭和27年)5月6日 | 海上保安大学校の入学式。 (東京都江東区から移転) |
1952年(昭和27年)11月1日 | 当時世界最大のタンカー「ペトロ・クレ」(38,000重量トン)がNBC呉造船部で進水。 |
1952年(昭和27年)12月8日 | 旧軍港市転換法により旧軍用水道を呉市に無償で譲渡。 |
1954年(昭和29年)7月1日 | 海上自衛隊呉地方隊・呉地方総監部発足。 |
1956年(昭和31年)10月1日 | 安芸郡天応町・昭和村と賀茂郡郷原村を呉市に合併。 |
1956年(昭和31年)11月22日 | 英連邦軍撤退式。 以後、失業者が大幅に増加。 |
1958年(昭和33年)12月6日 | 最初の10万トン級タンカー「ユニバース・アポロ」(114,356重量トン)がNBC呉造船部で進水。 |
1961年(昭和36年)12月3日 | 音戸大橋開通。 |
1967年(昭和42年)4月1日 | 入船山記念館開館。 |
1967年(昭和42年)7月9日 | 42年災害発生。 集中豪雨により、がけ崩れ・河川の決壊など約2,700ヶ所、死者88人、負傷者467人。 |
1967年(昭和42年)12月17日 | 呉市営電車廃止。 |
1970年(昭和45年)10月1日 | 呉線電化開通。 |
1971年(昭和46年)4月2日 | 当時世界一のトン数を誇るタンカー「日石丸」(372,698重量トン)がIHIで進水。 |
1972年(昭和47年)10月14日 | 当時の世界記録を塗り替えたタンカー「グロブティック・トーキョー」(483,664重量トン)がIHIで進水。 |
1973年(昭和48年)8月31日 | 通産省中国工業技術研究所で瀬戸内海水理模型竣工式。 |
1974年(昭和49年)12月2日 | 当時世界最大級のタンカー「日精九」(484,337重量トン)がIHIで進水。 |
1982年(昭和57年)8月21日 | 呉市立美術館開館。 |
1984年(昭和59年)7月21日 | 都市景観形成モデル事業の一環として、蔵本通りに水の広場がオープン。 |
1989年(平成元年)4月2日 | 広島呉道路の天応〜呉間開通。 |
1989年(平成元年)9月1日 | 天皇皇后両陛下が呉市へ行幸啓。 |
1991年(平成3年)4月26日 | 湾岸戦争で敷設されたペルシャ湾の機雷除去のため、海上自衛隊呉基地から母艦・掃海艇が出港。 |
1992年(平成4年)3月2日 | 南スペインをイメージした本格的なテーマパークとして、呉ポートピアランドがオープン。 |
1992年(平成4年)9月17日 | 国連平和維持活動(PKO)協力法に基づく国際平和協力隊が、カンボジアへ向け海上自衛隊呉基地を出港。 |
1994年(平成6年)9月9日 | 呉市と周辺12町が呉地方拠点都市地域に指定される。 |
1996年(平成8年)8月3日 | 広島呉道路(クレアライン)全線開通。 |
1997年(平成9年)3月25日 | 船の資料展示「収蔵展示施設」がオープン。 |
1998年(平成10年)8月31日 | 呉ポートピアランドが閉園。 |
1998年(平成10年)12月25日 | 旧呉鎮守府司令長官官舎(入船山記念館)が国の重要文化財に指定される。 |
1999年(平成11年)2月7日 | JR呉線川原石駅の移設およびかるが浜駅の新設。 |
1999年(平成11年)5月13日 | 本庄水源地堰堤水道施設が国の重要文化財に指定される。 |
1999年(平成11年)6月29日 | 集中豪雨による災害発生。 死者8人、負傷者5人。 |
2000年(平成12年)4月24日 | 呉中央桟橋ターミナルがオープン。 |
2000年(平成12年)7月2日 | 呉ポートピアパークがオープン。 |
2000年(平成12年)11月1日 | 特例市となる。 |
2001年(平成13年)3月24日 | 震度5強の芸予地震が発生。 死者1人。 |
2002年(平成14年)3月23日 | JR呉線新広駅が開業。 |
2002年(平成14年)10月1日 | 呉市制施行100周年記念式典・記念祭開催。 |
2003年(平成15年)4月1日 | 呉市・下蒲刈町合併。 |
2003年(平成15年)6月1日 | 呉地域フィルムコミッションを設立。 |
2004年(平成16年)2月28日 | 三之瀬御本陣芸術文化館がオープン。 |
2004年(平成16年)4月1日 | 呉市・川尻町合併。 |
2005年(平成17年)3月2日 | 呉市・音戸町・倉橋町・蒲刈町・安浦町・豊浜町・及び豊町と合併し新生「呉市」誕生。 |
2005年(平成17年)4月23日 | 呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)がオープン。 |
2005年(平成17年)7月22日 | 「旧澤原家住宅」が国の重要文化財に指定される。 |
2007年(平成19年)4月5日 | 海上自衛隊呉史料館(てつのくじら館)がオープン。 |
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