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三十糎艦船連合呉支部

三十糎艦船連合呉支部

呉の歴史を簡単にまとめた。 詳細な歴史については、ページ末に示した文献を参照。

縄文時代

呉市郷原町の郷原遺跡より、土器・打製石鏃(せきぞく)・石匙(せきひ)・スクレーパ・石錐などが出土。
呉市広町芦冠の芦冠遺跡より、の土器・板状土偶などが出土。
呉市上平原町より打製石鏃が出土。
呉市焼山町より石槍が出土。

弥生時代

(前期) 呉市広町横路より弥生式土器破片出土。
(後期) 呉市吉蒲潭鼓町、栃原町、苗代町、焼山町、広町より弥生式土器、土器破片出土。

古墳時代以降

池浜古墳:呉市若葉町(現:海上保安大学校)にあったが、海軍工作庁建設のため消滅。
情島古墳:呉市阿賀町情島に、半壊の状態で現存。 形状は円墳と考えられ、内部構造は横穴式石室である。
呉市焼山町より須恵器が出土。
呉市幸町入船山より、8世紀から12世紀にかけての祭祀用の土師器・須恵器が多数出土。

大和時代・飛鳥時代

7世紀後半 律令地方行政制度の整備に伴い、呉地域に安芸郡海里(呉湾沿海地域と島しょ部)フナキ里(灰ヶ峰山ろく)が置かれる。
703年(大宝3年) 宮原に亀山神社建立と伝えられる。

奈良時代

8世紀 安芸国に遣唐使船の建造が命じられる。

平安時代

11世紀末〜12世紀初 呉浦の開発領主呉氏、呉浦の未開発地を開発して「呉別符」とし、雑公事部分を石清水八幡宮に寄進。

鎌倉時代・南北朝時代

14世紀前半 このころまでに石清水八幡宮は呉保の領有権を失う。 南北朝期は大内氏分国となる。

室町時代

1467年(応仁1年)7月 応仁の乱において、呉・警固屋・能美・倉橋の海賊衆は、西軍の大内氏に従い上洛軍の先陣を努める。
1523年(大永3年) 尼子経久、安芸に侵入。 尼子側に立った野間氏が呉を占拠。
1534年(天文3年) 亀山神社炎上。
1554年(天文23年) 小早川隆景、呉地方を接収。

安土桃山時代

1575年(天正3年) 呉の末永景道、仁方の白井縫殿助ら,小早川水軍として石山合戦に参加。 このとき、白井縫殿助は戦死したと伝えられる。
文禄・慶長の役において、呉・吉浦の給人・住人が、小早川・吉川の「船手衆」として朝鮮出兵に従軍。

江戸時代

1649年(慶安2年)2月19日 地震により阿賀村の家850戸のうち大半が被災。
1686年(貞享3年) 宮原村の呉浦を呉町と呼ぶようになる。
1724年(享保9年) 庄山田村の庄屋熊崎新左衛門の発案により、旱害を防ぐために二河川から水を引くこととなり、村内百姓のべ1万人余により38日間で下井手完成。
1731年(享保16年) 庄山田村の上井手完成。
1806年(文化3年)3月9日 伊能忠敬、仁方村と広村小坪で測量実施。
3月12日小坪〜広村本村〜阿賀村明神崎
3月16日鍋・警固屋・鳥ノ平
3月18日瀬戸向・鍋島・鴉小島・宮原村・吉浦村三ツ石山・中島・麗女島・庄村
3月19日呉町・吉浦
1856年(安政3年) 三宅清七が、味醂・焼酎・白酒製造業開始−現在の三宅本店(「千福」醸造元)。

明治

1886年(明治19年)5月4日 第2海軍区鎮守府の位置を安芸郡呉港に設定。
1889年(明治22年)7月1日 呉鎮守府開庁。 同時に海兵団・呉海軍病院なども業務開始。
1890年(明治23年)4月21日 明治天皇の行幸を得て呉鎮守府開庁式挙行。
1899年(明治32年)3月31日 呉海軍造船廠において最初の軍艦「宮古」(通報艦)竣工
1899年(明治32年)5月15日 広島水力電気(株)により呉に電灯供給開始。
1902年(明治35年)10月1日 宮原村・荘山田村・和庄町・二川町が合併し呉市誕生。
1903年(明治36年)2月4日 呉市長(初代)に佐久間義一郎就任。
1903年(明治36年)11月1日 呉海軍造船廠と呉海軍造兵廠が合併し、呉海軍工廠設立。 廠内に造兵部・造船部・造機部・会計部・製鋼部・需品庫を設置。
1903年(明治36年)12月27日 呉線呉〜広島間開通。
1909年(明治42年)10月31日 呉電気鉄道(株)経営による県内初の市街電車、西本通三丁目〜本通九丁目間開通。 (全国6番目)

大正

1918年(大正7年)4月1日 呉軍港水道より余水の分与を受け,呉市水道供給開始。
1918年(大正7年)8月13日 呉市で米騒動発生(参加者数万人)。 軍隊が出動し鎮圧(〜8月15日)
1918年(大正7年)11月 呉海軍工廠職工教習所開設。
1920年(大正9年)11月25日 呉工廠において戦艦「長門」竣工。
1921年(大正10年)1月15日 呉海軍工廠広支廠開庁、航空機部・造機部・機関研究部・会計部を設置。
1922年(大正11年)10月2日 ワシントン軍縮の第1次職工整理により、3,989人退廠。
1923年(大正12年)4月1日 呉海軍工廠広支廠分離独立し、広海軍工廠となり、総務部・医務部設置。
1925年(大正14年)3月1日 県内初の市立図書館として呉市図書館仮閲覧事務開始。

昭和

1927年(昭和2年)4月1日 芸南電軌(株)経営による市街電車、本通九丁目〜呉越間運転開始。
1928年(昭和3年)1月21日 普通選挙法に基づく、初の市議会議員選挙実施。
1928年(昭和3年)4月1日 呉市に阿賀・警固屋・吉浦の3町合併。
1931年(昭和6年)4月1日 安芸郡焼山村と本庄村のうち苗代・栃原・押込が合併し昭和村誕生。
1931年(昭和6年)4月18日 ロンドン軍縮に伴う職工整理による呉工廠3,723人(全従業員の約2割),広工廠191人(全従業員の約1割)の退廠式。
1931年(昭和6年)5月3日 佐世保海軍航空隊広分遣隊を廃止し、呉海軍航空隊設置。
1935年(昭和10年)11月24日 広〜三津内海間が完成し三呉線呉−三原間開通。 三呉線は呉線海田市−呉間を編入、呉線に改称。 呉線海田市−三原全線開通。
1936年(昭和11年)7月 川原石など呉線沿いに目隠し板塀設置。
1938年(昭和13年)10月15日 国道32号(呉〜広島間道路、現・国道31号)通行開始。
1941年(昭和16年)4月21日 呉市に仁方町・広村合併。
1941年(昭和16年)12月16日 呉工廠において戦艦「大和」竣工。
1945年(昭和20年)3月19日 呉軍港を中心に、米艦載機約350機による空襲。
1945年(昭和20年)5月5日 B29約120機、広地区海軍工作庁を中心に爆撃。
1945年(昭和20年)6月22日 B29約180機、呉工廠を中心に爆撃。
1945年(昭和20年)7月1日 B29約100機、夜半より翌2日早朝にかけて呉市を空襲、市街の大半を消失。
1945年(昭和20年)7月24日 米艦載機約870機、呉軍港内艦艇を中心に爆撃。
1945年(昭和20年)7月28日 米艦載機約950機及びB29・B24約110機、主に呉軍港内艦艇を爆撃。
1945年(昭和20年)8月6日 広島市の原爆投下に際し、呉市より多数の救護者派遣。
1945年(昭和20年)9月17日 枕崎台風により死者1,154人、負傷者440人、流失家屋1,162戸、半壊家屋792戸発生。
1945年(昭和20年)10月6日 アメリカ占領軍輸送船団約30隻広湾に入港。 翌7日、本隊19,500人上陸。
1946年(昭和21年)2月1日 英連邦占領軍先遣隊と海軍部隊、呉に入港。 以後、後続部隊が次々に上陸し、総司令部(一時、江田島へ移転)と基地部隊を呉市内に置き中国・四国地方に展開。
1947年(昭和22年)4月5日 新憲法による第1回市長選挙実施。
1947年(昭和22年)12月7日 昭和天皇が中国地方巡幸の一環として呉市を訪問。
1950年(昭和25年)4月7日 参議院本会議で旧軍港市転換法可決。 11日衆議院本会議で可決。
1950年(昭和25年)6月28日 旧軍港市転換法公布。
1950年(昭和25年)8月2日 市営二河プールで日米豪交歓水上競技呉大会開催(古橋選手が500メートル自由形で5分55秒8の世界新記録樹立)。
1952年(昭和27年)5月6日 海上保安大学校の入学式。 (東京都江東区から移転)
1952年(昭和27年)11月1日 当時世界最大のタンカー「ペトロ・クレ」(38,000重量トン)がNBC呉造船部で進水。
1952年(昭和27年)12月8日 旧軍港市転換法により旧軍用水道を呉市に無償で譲渡。
1954年(昭和29年)7月1日 海上自衛隊呉地方隊・呉地方総監部発足。
1956年(昭和31年)10月1日 安芸郡天応町・昭和村と賀茂郡郷原村を呉市に合併。
1956年(昭和31年)11月22日 英連邦軍撤退式。 以後、失業者が大幅に増加。
1958年(昭和33年)12月6日 最初の10万トン級タンカー「ユニバース・アポロ」(114,356重量トン)がNBC呉造船部で進水。
1961年(昭和36年)12月3日 音戸大橋開通。
1967年(昭和42年)4月1日 入船山記念館開館。
1967年(昭和42年)7月9日 42年災害発生。 集中豪雨により、がけ崩れ・河川の決壊など約2,700ヶ所、死者88人、負傷者467人。
1967年(昭和42年)12月17日 呉市営電車廃止。
1970年(昭和45年)10月1日 呉線電化開通。
1971年(昭和46年)4月2日 当時世界一のトン数を誇るタンカー「日石丸」(372,698重量トン)がIHIで進水。
1972年(昭和47年)10月14日 当時の世界記録を塗り替えたタンカー「グロブティック・トーキョー」(483,664重量トン)がIHIで進水。
1973年(昭和48年)8月31日 通産省中国工業技術研究所で瀬戸内海水理模型竣工式。
1974年(昭和49年)12月2日 当時世界最大級のタンカー「日精九」(484,337重量トン)がIHIで進水。
1982年(昭和57年)8月21日 呉市立美術館開館。
1984年(昭和59年)7月21日 都市景観形成モデル事業の一環として、蔵本通りに水の広場がオープン。

平成

1989年(平成元年)4月2日 広島呉道路の天応〜呉間開通。
1989年(平成元年)9月1日 天皇皇后両陛下が呉市へ行幸啓。
1991年(平成3年)4月26日 湾岸戦争で敷設されたペルシャ湾の機雷除去のため、海上自衛隊呉基地から母艦・掃海艇が出港。
1992年(平成4年)3月2日 南スペインをイメージした本格的なテーマパークとして、呉ポートピアランドがオープン。
1992年(平成4年)9月17日 国連平和維持活動(PKO)協力法に基づく国際平和協力隊が、カンボジアへ向け海上自衛隊呉基地を出港。
1994年(平成6年)9月9日 呉市と周辺12町が呉地方拠点都市地域に指定される。
1996年(平成8年)8月3日 広島呉道路(クレアライン)全線開通。
1997年(平成9年)3月25日 船の資料展示「収蔵展示施設」がオープン。
1998年(平成10年)8月31日 呉ポートピアランドが閉園。
1998年(平成10年)12月25日 旧呉鎮守府司令長官官舎(入船山記念館)が国の重要文化財に指定される。
1999年(平成11年)2月7日 JR呉線川原石駅の移設およびかるが浜駅の新設。
1999年(平成11年)5月13日 本庄水源地堰堤水道施設が国の重要文化財に指定される。
1999年(平成11年)6月29日 集中豪雨による災害発生。 死者8人、負傷者5人。
2000年(平成12年)4月24日 呉中央桟橋ターミナルがオープン。
2000年(平成12年)7月2日 呉ポートピアパークがオープン。
2000年(平成12年)11月1日 特例市となる。
2001年(平成13年)3月24日 震度5強の芸予地震が発生。 死者1人。
2002年(平成14年)3月23日 JR呉線新広駅が開業。
2002年(平成14年)10月1日 呉市制施行100周年記念式典・記念祭開催。
2003年(平成15年)4月1日 呉市・下蒲刈町合併。
2003年(平成15年)6月1日 呉地域フィルムコミッションを設立。
2004年(平成16年)2月28日 三之瀬御本陣芸術文化館がオープン。
2004年(平成16年)4月1日 呉市・川尻町合併。
2005年(平成17年)3月2日 呉市・音戸町・倉橋町・蒲刈町・安浦町・豊浜町・及び豊町と合併し新生「呉市」誕生。
2005年(平成17年)4月23日 呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)がオープン。
2005年(平成17年)7月22日 「旧澤原家住宅」が国の重要文化財に指定される。
2007年(平成19年)4月5日 海上自衛隊呉史料館(てつのくじら館)がオープン。

参考資料

  • 呉市史編纂委員会編.呉市史第3巻.呉,呉市役所,1964
  • 呉市史編纂委員会編.呉市史第4巻.呉,呉市役所,1976
  • 呉市史編纂委員会編.呉市史第5巻.呉,呉市役所,1987
  • 呉市史編纂委員会編.呉市史第6巻.呉,呉市役所,1988
  • 呉市史編纂委員会編.呉市史第7巻.呉,呉市役所,1993
  • 呉市史編纂委員会編.呉市史第8巻.呉,呉市役所,1995
  • 呉市史編さん室編.呉の歩み:呉市制100周年記念版.呉,呉市,2002
  • 呉市総務部市史文書課編.呉の歩みII:英連邦軍の見た呉−増補改訂版−.呉,呉市役所,2006
  • 中邨末吉.復刻再販呉軍港案内.呉,呉郷土史研究会,1999(ISBN4-9980741-1-3)
  • 呉造船所社内報編集局編.船をつくって80年.呉造船所,1968