バブルの崩壊による地下の下落は、バブル期に土地を担保に多額の融資を行っていた金融機関に多額の不良債権を生じさせた。 1997年(平成9年)11月には三洋証券が破綻、その余波をうけて北海道拓殖銀行も破綻した。 さらに山一証券が自主廃業に追い込まれた。 金融危機に対処するため、政府は1998年(平成10年)3月に大手銀行への公的資金注入、10月には金融再生法などを制定し金融機関の破綻に対する措置を整備した。 同年10月には日本長期信用銀行、12月には日本債権信用銀行が公的管理に移された。(1)
長野オリンピックが1998年(平成10年)2月7日〜22日に開催された。 日本では2回目となる冬期オリンピックで、72の国と地域から2,176名の選手が参加し、会期中に7競技・68種目が行われた。 日本代表選手団は166名(男子100名・女子33名)で、金メダル5個、銀メダル1個、銅メダル4個を獲得した。(2)
1997年(平成9年)3月25日、築地町に船の資料展示「収蔵展示施設」が開館した。 これは海事博物館(大和ミュージアム)推進室の事務所移転とともに、仮展示施設として設けられたもので、2005年(平成17年)4月23日の大和ミュージアムオープンまで、144,000人の来訪者があった。(3)
1999年(平成11年)6月29日、記録的な集中豪雨(2時間雨量136mm)により土砂崩れが発生、死者8名をはじめとする被害にみまわれた(4)
2000年(平成12年)11月1日には、呉市が都市計画や環境対策の権限が委譲される特例市に指定された(5)。
この時期になると、呉線の輸送力は限界に達していた。 輸送力改善には複線化が最良の手段であったが、早急な対策が必要とされたため、列車交換が可能な駅を増設することとした。
これにより、1999年(平成11年)2月7日に、交換設備を備えた、かるが浜駅および水尻駅が新設され、川原石駅が0.5km海田市駅方面へ移転の上、交換可能な駅とされた。 この対策により、朝ラッシュ時(下りのみ)および夕ラッシュ時(上りのみ)にも快速を運転することが可能となった。
図1に1999年(平成11年)3月改正の呉線時刻表を示す(8)。 呉−広島間には上り64本、下り65本が設定されていて、この内、上り11本、下12本が快速列車であった。
輸送改善前に比べて、列車本数自体は、ほぼ同じであるが、朝夕の通勤通学時間帯に快速列車が設定され、下りは呉−広島間25分を維持し、上りは2分短縮の26分となったのは、交換駅増加の効果であったと考えられる。
図1 呉線時刻表 1999年(平成11年)3月
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